49話 梅雨の時期はダメですか?
「いよいよ始まったな」
なんの前触れもなく突然言葉を発したのは皆越先輩だ。
「始まったわね」
それに続くのが弥久先輩。
「ダメですよ皆さん。ちゃんと主語を言わないと、なんのことだかさっぱりわからないじゃないですか」
正しいことを言っているはずなのになぜだか瑠璃に言われると少しイラっとくるのはなぜだろう。
弥久先輩もこめかみに青筋を浮かべている。
また何か言い出そうとしている瑠璃の口を慌てて塞いだ。
「むぐー」と言いながら抵抗してくるが、運動不足の少女1人を押さえるのくらい簡単にできる。
「それで、一体何が始まったんですか?」
僕は改めて先輩たちに聞き直す。
「泰ニュース見てないの」
ちょっと呆れたといった感じで返す弥久先輩。
「生憎……」
「ちょうど今日から梅雨入りしたんだよ」
教えてくれたのは皆越先輩だ。
梅雨入りしたことは知っていたがそれが何だというのだろう。
「それがどうしたのか、といった様子だな」
僕の顔がそんなにわかりやすかったのか、思っていたことを的確に見抜かれていた。
「梅雨というのは我々読書家にとって天敵の季節なのだよ」
「雨降ると別に濡れてないのに紙がふやけちゃうしね」
「あっ!わかります。瑠璃もこの時期は原稿用紙が湿気ちゃって書きにくいんですよね」
そう言われてみればわからないこともない。
あのジトッとした感覚はそこまで大嫌いというわけではないが、だからといって好きではない。
「でもそこまで気にすることですかね」
そう、そこだ。
我慢できないほどではないというのが僕の考えだ。
「まあ、私にとってはそれだけでも看過できないのだが、それだけじゃなくてだな。最悪の場合はカビなんかも生えてくるのだよ。しかもカビは伝染するから隣の本なんかも危ない」
僕は蔵書がそこまで多いわけではない。
確かに数冊は手元においているが、殆どは読んだらすぐに売ってしまう。
そのため、管理に苦労はしたことはなかった。
でもどうだろう。これほどの量の本があれば、それだけ大変なことも増えるのだろう。
「ちなみにカビを防ぐ方法とかあるんですか」
「あるぞ。今もしているが除湿だな」
よく見れば、何やらラーメン屋さんのクーラーみたいなのが稼働しているのが分かる。
これを除湿機だとは気づかなかった。
「乾きすぎるのも良くないんだけどね」
「そうなんですか」
「うん。乾燥しすぎると本に使われている接着剤が劣化しやすくなるから」
「なんだか大変そうですね」
でしょ?といった表情の弥久先輩。
本というのがこんなに管理が大変だとは思わなかった。
「中には貴重なやつとかも部室にあるからな。まだ売っているものならまだしも、それがダメに成ってしまっては敵わん」
そんなに貴重な本があるなんて知らなかった。
「ラノベにも貴重な本とかあるんですね」
「え?違うぞ。ラノベも貴重なのはあるのはあるが、私が言っているのはラノベではない」
「他の本とか部室にあったんですね。ちなみにどんなのなんですか」
実際には見たことはないのだが聞いた話だと数十万もする本もあるらしい。
皆越先輩のことだ、それくらいのものがあってももう驚きはしない。
「あ……えっとだな、聞かなくても良いんじゃないか」
突然、随分弱気になる先輩。
「ここまで来てもったいぶらないでくださいよ」
流石に期待させておいてのおあずけはない。
「…………ク……ズのしょ……とか、ア…………ィン……………ドの……はんとか……」
「えーーーーーーー!」
「瑠璃うるさいっ」
先輩の声はとぎれとぎれで聞き取れなかったが、瑠璃が隣でうるさい。
「ななななっ、しゃしゃっ、シャーロック・ホームズの初版とか不思議の国のアリスの初版とかーーーー!」
「だからうるさい。で、何なんだそんなに貴重なのか」
それを聞いただけでは価値がよくわからない。
「貴重なんてものじゃないですよ、泰。わかりやすく言うと、とりあえず家が建ちます。アリスに至っては一生暮らせます。というか皆越先輩ぜひひと目見せてくださいー!!」
「わかったから、とりあえず涎拭け」
餌を前にした犬のようにダラダラと涎を垂らす瑠璃。汚くて見ていられない。
それよりも、
「というか先輩は何というもの学校においてるんですか!今すぐ持って帰れ!」
思わず敬語が抜けてしまう。
「でもほら、今日雨降ってるし、濡れたら大変。泰君の責任」
「ぐぅ、晴れたら持って帰ってください……」
もっと皆越先輩には常識というものを学んでほしい。
「これが、あの……伝説の……」
本を前に目を輝かせる瑠璃。
正直言ってこんなにウキウキしている瑠璃は可愛いのだがそれよりも涎を垂らしてしまわないか心配だ。
こんなことなら、よだれかけを持ってきていればよかったと思ったが、残念ながら持ち合わせていない。
せいぜい横にいて拭き取ることに専念した。




