異世界交流はコンビニで!
ひと夏を精一杯謳歌するセミたちの鳴き声がやかましい。青く澄んだ空まで届けといわんばかりの大合唱だ。首筋をつたう汗が気持ち悪い。ああメイク落ちちゃう。おのれ太陽。その熱をあと八分の七くらい削り取ってやりたい。
「あっつい……。ああもうプレミアムフライデーが憂鬱すぎる。金曜から日曜まで異世界にでも転移すればいいのに……」
誰に聞かせるでもない独り言は私の癖だ。今更やめられるものでもない。かけらも生産性のない夢物語を――あわよくば小説のネタにしようとして――呟いていたら職場に到着してしまった。
湿ったハンカチで汗を拭いながら、いつものように入店した私は白昼夢を見た。
「器に入ったうどんが浮いている……? さすが白昼夢。なにごとも体験するもんだねぇ……」
ご丁寧に箸と七味もその辺りに漂っている。暑いときにそんな夢見たくないわ。
「おはよう薫ちゃん。どうしたの?」
「副店長。おはようございます。……夢にしてはリアルですね」
「へんな薫ちゃん。ほら早く着替えておいで」
「はぁい。…………そろそろ起きないとやばいんだけどな。そもそも白昼夢ってこんなんだっけ?」
エルフのような耳の飾りをつけた美女や、狼の頭部を模したマスクの誰かさん――ご丁寧に爪や体毛、尻尾まで作り込んである――に接客スマイルをむける。コスプレイベントでもあってるんだろうか。シフトがシフトなので、更衣室には私しかいない。そうだよな基本二人体制だもんな。
ファンデーションを改めてつけ、軽くはたく。鏡の中のふわりとした接客スマイルも慣れたもの。少しズレたヘアピンを留め直す。タイムカードを押す直前、私は壁へと目を向ける。書き損じたものの、捨てるのはもったいないという理由で貼られている従業員募集ポスターの文面が虚しく踊っていた。
――当店では元気で明るい従業員を募集しております。さぁ君もレッツ検品――
我ながら少しダサいキャッチコピーだ。のちにリテイクを重ねたポスターは、今日も店頭で太陽に照らされている。しかし応募はまだない。自信作だったのに。頭を振り、雑念を追い払う。さあ楽しい楽しいお仕事だ。かっこいいポーズでタイムカードを押す。今日の段取りを軽く組み立て、爽やかスマイルで店内へ一歩踏み出し――。
「ほっほっほ……お主は気づいておるようじゃな。店内の異変に」
厳かな、もしくは楽しそうな老人の声は後ろから聞こえた。勢い良く振り返る。七色に発光する毛玉が宙に浮いていた。
「なんだ毛玉か」
「ちょっとぉ!? 現実じゃよ。ほらよく見るがいい。神々しいじゃろ? 何を隠そうワシは神様での。偉いんじゃよ」
「…………疲れてるのかしらね。夢じゃないなら病気かも。今度の休みに病院行ってみなきゃ」
「現実じゃて。二つの世界の座標をイイ感じに重ねてみたんじゃ。どうしてか教えてしんぜよう。実はな――」
「幻覚と幻聴かあ。最近忙しいもんな……。さて仕事仕事」
更衣室の電気を消し、禍々しくも明るい店内へに向かって今度こそ一歩踏み出す。エルフ耳コスプレの人と狼マスクの人が会計をしていた。二人の仲はよさそうだ。私の鍛えた爽やかスマイルに惹かれたのか、うどんがこちらへと近寄ってきた。
「おねーさん、おねーさん。うどんのダシが欲しいんだけど、どこにあるのかな」
「ご案内いたしますね! こちらでございます!」
「わぁ、どうもありがとう」
「他にご用はおありでしょうか」
「ううん、ないよ」
「それではあちらのレジへどうぞ! お荷物お持ちしますね」
「ありがとうね。いいお店だなあ。気に入ったよ」
いやぁ、うどんがダシを買うなんてファンタジーだなぁ……。小説のネタになるかしら。つつがなくレジを終え、うどんを見送った私の肩に自称神こと毛玉が乗ってきた。
「ふむふむ。お主は言うより見せたほうが早いようだの」
「……うわ、なんかほのかに暖かくて気持ち悪い。夢でも病気でもないなら、なによ」
「辛辣ぅ! だから現実じゃよ? お主は催眠術にかかりにくいようだの〜〜。向こうで副店長もエルフもワーウルフも普通に会話しとるじゃろ?」
「なにそれ。ファンタジーとか異世界転移とか好きだし、脳内ナレーションもよくやるけど、ガチ異世界転移ってシュールすぎるでしょ。今どういう状況なのよ」
会話はしつつも手は休めない。ゴミ箱から顔を覗かせているゴミをまとめる私に、待ってましたとばかり毛玉が語りかけてくる。
「簡単に言うと、この店は異世界をつなぐ中継地点じゃよ。転移や転生だと、もとの世界に帰るだの死ぬ必要があるだので、それまでの生活が一変するじゃろ? 手軽に文化を花開かせるには、異世界の物を意図的に持ち込ませたほうが手っ取り早いしの……」
「そこは現地人に努力させなさいよ。というかね、あなた。勝手に高速道路のサービスエリアみたいにしないでくれる?」
「だって暇じゃし。たまには神様らしいことしたくなってのぅ」
「この毛玉は可燃物でいいかしらぁ……?」
「暴力はんたーーい!」
つかもうとした手から逃れた毛玉は心底楽しそうに漂っている。あっ、空調の風に負けて吹き飛んだ。埃にまみれた毛玉が、キラリと輝く。きれいな毛玉に戻ると、また近くへと来た。懲りない毛玉だな。
「まぁこれからもお主は普通の生活を送れるから安心することじゃ。なんなら小説のネタにしても構わんぞ」
「嬉しい提案だけど、身元がバレたら大騒ぎになるじゃない」
「そこで神ことワシがかけた催眠術じゃよ。『ここではこれが当たり前』『店内で起こった異世界人との関わりは、店を出た瞬間に置き換えられる』を始めとした超協力な催眠をいくつもかけておる。だれも現実のことだなどと思わんよ」
「ずいぶん都合のいい催眠術ねぇ」
「だってワシ神様じゃもん」
「神様なら理解できるけど、毛玉だと思うと納得したくないわ」
ゴミを手に外へ出ると、毛玉もついてきた。裏口のゴミ収集所へ向かう。……変わらない。外は普通にこちらの世界だ。車が走って、セミが鳴いていて、やたら暑くて汗が滴り落ちる、そんな風景はいつも通りだ。
私は後ろへと振り返る。冷房の効いた店内では、副店長がケモ耳しっぽの子どもたちをお菓子コーナーに案内していた。
「……シュールねぇ。でも向こうの人にはここがどういう場所に見えてるのかしら。コンビニの外見そのままなわけ?」
「秘境にある奇跡の店……という設定じゃ」
「コンビニが一気に神秘的な場所になったわね!?」
ストレスだとかそこらへんのモヤモヤをゴミに叩きつけ、私はと毛玉はゴミ収集所をあとにする。捨てるのはストレス解消になるけど、夏場は少し臭うのが難点だ。
「苦労したんじゃよ。なにせアチラには連絡手段が乏しくての。何人の夢枕に立ったかわからぬ」
「意外と苦労してるのね……」
「おっほっほ、讃えてよいぞ? 催眠術が効かんのは予想外じゃったが、こうしてネタばらしもできたしの。もう心残りはないわい」
毛玉が本当に嬉しそうに言うやいなや、光量をあげた。
「ちょっ……今度はなによ」
「――本当に……大きゅうなったのう」
「感慨深そうに言わない! 眩しくてなにも見えないじゃない!」
暖かいなにかが私の頭に触れる。目を閉じても痛いくらいの光が唐突に消えた。涙でぼやけた視界のどこにも毛玉はいない。
あとにはただ虹色の残滓が溶けるように、青空へと吸い込まれていった。本当に自分勝手なんだから。
「神様か。……名前くらい聞けばよかったな」
そう。本当に自分勝手だ。異世界の中継地点になったということは――――お客様の数がやばいことになる。気温だけが原因ではない汗が、私の頬をつたい落ちた。だって、ねぇ。期限とか聞いてないし、つまりは…………ずっとこのままだと思っていいだろう。
三百六十五日と閏日、まさに毎日がプレミアムフライデーみたいなものじゃない。次に会ったら毛をむしり取ってやろう。
店内に戻ると、羽の生えた妖精と小さなトカゲの微笑ましいコンビと目があう。こうなったらとことん楽しまなければ損というものだ。私は精一杯の笑顔を一人と一匹に向ける。
「いらっしゃいませ! なにかお探しですか?」
ああ、そうだ。小説のタイトルはこれにしよう。
――異世界交流はコンビニで!