第二話
平坦な原野の中を走ってきて、家を点々と見るようになった。光が薄れ、空気は紺色に変わりかけているが、家の窓は黒いままだ。玄関の前に草が生え、窓ガラスがかびたように白く濁っている家は、動乱からずっと死んでいる。他のいくつかの家は、近くにタイヤの跡がついていて、最近まで人が住んでいたのがはっきりとわかる。生きている家はわずかだった。動乱後のサーストンの住人は、理由があって住む家を選んだのだろうが、その基準はゼブルにはわからなかった。どちらにしても、全ての建物は三ヶ月前から無人であるはずだった。
車は小さな店舗が並ぶ通りに入った。住居と同様に、最近まで使われていた店舗はあったようで、電気が通っている証拠に電柱は立て直してあった。だが、町は、復興の途中というよりも再利用されているように見えた。新しい電柱の隣に、傾いた電柱から切れた電線が垂れ下がっているのが放置されていた。
家が見えてきた辺りから、ゼブルは車のライトを消していた。敵が真面目に待ち伏せていれば無駄だろうが、自分から目立つ事もない。のろのろと車を進ませると、白い建物が見えてきた。平屋の小さな駅だ。人影はなく、レイガの方がゼブルを見つける段取りだとしても、いい予感はしなかった。
駅舎の前に乗り付けて車を降りた。レイガではなく、二人の男が歩いてきた。二人とも二十歳そこそこの若い男で、ジーパンの上に、一人は何か赤い上着、もう一人は黒っぽい革を着ていた。イノセントの街中ではありふれた格好だが、このサーストンではどうしても異様だった。町の住人であるはずがない。
「どうしたのよ」
赤い上着の方が、馴れ馴れしい薄笑いをして言った。もう一人が、車を背にするゼブルを挟むように、赤い上着の反対側に立った。
「道に迷ったのか。だったら、さっさと行っちまいな。ここには何もない。車の故障だったら、あんたちょっと大変だぜ」
赤い上着の方が、薄笑いとは別に、目でゼブルを注視していた。単に脅かすのではなく、ゼブルの出方を見ている。初対面の相手に警戒される事は、ゼブルにはたまにある。顔を正面から見れば、短い金髪に太い眉、顔に刻まれたしわといった無骨なつくりに、形のいい眼だけが落ち着きを払っている。もう若者ではなく、厚い胸と上背がある体格にトレンチコートを着込んだゼブルの姿は、存在感で言えば重い方だ。ただ、ゼブルには、この二人組みの警戒が、自分の外見のせいだけとは思えなかった。
「トリスアギオンか?」
ゼブルが言うと、赤い上着の顔から笑いが消えた。黒い革の方は無言だった。仮面を脱いだように、二人から暴力的な気配が噴きだした。それで少し状況がわかった。この二人はただのトリスアギオンの構成員で、レイガの言う正体不明の敵ではない。この二人の探るような態度も引っかかるが、それよりもレイガの行方が気になった。ゼブルに電話したまま受話器を握って息絶えるなどというのは、レイガに限ってありえない。
「お前、誰だ」
赤い上着が声にドスを利かせた。
「俺は道に迷っていないし、車も故障していない。心配してくれなくていい」
「おっさん、あまり能力者を舐めるなよ」
赤い上着の方が一歩、ゼブルに近寄った。警棒のようなものを取り出すと、金属製らしい棒は赤熱して輝いた。ゼブルは熱系統の能力だと見当をつけた。炎系の能力とは少し見た目が違っている。拷問向きだが、武器としても十分な殺傷能力はありそうだった。棒の構え方はまともだから、実戦に使うのも初めてではないだろう。
「そいつをしまえ。婆さんや子供をいじめるようにはいかないんだ。能力を見せつけても、お前たちはどうせ舐められる。クズ能力者に、みんなが優しくすると思ったら大間違いだ」
赤い上着の男が無言で踏み込んできた。ゼブルは棒を振らせておいて、空振りに驚く赤い上着の膝を蹴った。赤い上着の体が傾き、目を開いてゼブルを見た。ゼブルの思った通り、一方的に痛めつける予定だったらしい。赤い上着が、棒を持った手を肩の後ろに引いた。能力で赤熱した棒は、軽傷ですませる方が加減がいる。威嚇が攻撃に変わった。
突っ込んできた棒を軽く外して、ゼブルは赤い上着の顔面を打った。赤い上着はかろうじて踏みとどまったが、一呼吸もさせずに、ゼブルは腹に一撃を入れた。黒い革の男がゼブルの後ろで動いたので、つかんで前に投げ倒した。背後の気配に反射的に対応してしまったので、黒い革の男の能力を見られなかったが、わざわざ余裕ぶって能力を使わせてやる事もない。赤い上着が腹を抱えているのを、顎を裏拳で弾いて転倒させると、続けて黒い革の男のこめかみを蹴り、立ち上がろうとしたのを崩した。二人は数秒の間、平和な顔つきで顔を地面に当てていた。目を覚ますと、歯の間で唸り、ゼブルに暗い目を向けた。
ゼブルの掌で紫電が跳ねた。小型の雷の音がした。
「使うぞ」
ゼブルの一言で、二人は動かなくなった。中途半端に口を開けて、閉めるのを忘れている。ゼブルの能力は電子操作と言う。一番わかりやすい使い方は放電だが、他にも金属全般に相性が良いため応用範囲が広い。強大な能力だが、トリスアギオンの二人にとって、能力の内容は関係なかった。能力者は誰でも、能力を使う場合のルールを持っている。トリスアギオンの二人は、本能的にゼブルのルールを想像したはずだった。能力を使うときは、先に撃つのを躊躇しない。命を取るまでやる。二人は銃列の前に裸で立っているような気分がしたかもしれない。
駅舎の脇についていたドアが跳ねるように開き、人が転がり出た。長い髪が踊っている。おぼつかない足取りで立ち上がると、駅の中を見ながら後ずさった。開いたドアから二人目の人物が出てきた。
「悪いが男女平等だ。加減はしなかったし、するつもりもない」
二人目の人物は、余裕を見せつけるように駅の壁に体を預けた。髪の長い女を見ていたが、睨み返されるだけだったようだ。ゼブルに気がついた。
「よく来たな、ゼブル。ここはろくでもない町だ。口より腕で喋る方が話が早い」
女に目を向けたまま、レイガは歓迎するように笑った。
「元気そうだな。着いたばかりでこの二人に絡まれた。トリスアギオンにケンカを売ったとは聞いてないぞ」
ゼブルは冷ややかに言った。安堵するよりも腹が立った。ヘヴンズ戦闘班班長レイガ=バルテスは、いつものように堂々と胸をそらしていた。見た目と中身があまり違わない男だ。ゼブルと同年輩で、固そうな赤毛に、もう少しで柄が悪いと呼べそうな押しの強い顔をしている。濃緑色の分厚い長袖シャツの上に、ポケットだらけのいかついベストを着けている。全体的に汚れているが、裂けた袖や、頭に巻いた布のような、わかりやすい死闘の跡はなかった。
「売った覚えはないんだが、勝手に買われたらしい。お前がそこで騒がなかったら、寝込みを襲われるところだった」
レイガはトリスアギオンの女を顎で示した。ゼブルの苛立ちは消えた。レイガの様子が普段と変わりないのは、おかしいと言えばおかしかった。自力で動ける程度のケガで、レイガが助けを必要とするはずがない。この敵地でレイガが無防備だったとしたら、昼寝などではなく、意識をなくしていたのだ。
「こいつらは、元々何をしてたんだ。俺たちにちょっかいを出すために来たわけじゃないだろう」
ゼブルはトリスアギオンの二人組みを見渡して言った。レイガがダメージを隠すためにも、話を合わせてやる必要がある。
「俺にもわからねえ。この連中は変だ。いつもはもっとわかりやすいチンピラぶりのくせに、今日は妙に愛想が悪い」
「そうか。おい、お前たちはどうしてこの町に来た?」
ゼブルはトリスアギオンの二人組みに聞いた。二人とも答えなかった。レイガが自慢そうに微笑んだ。
「俺の言った通りだろう」
「お前は謎解きが苦手なんだよ、レイガ。少し考える」
レイガが、気合を入れるときのような短い息で笑った。ゼブルはトリスアギオンの二人組みと会ったときを思い返していた。二人はゼブルの正体を知りたがっているようだった。トリスアギオンのチンピラといえば、能力で人を怯えさせるのを娯楽にしているクズだ。目的を持って集団行動しているだけでも珍しい事だが、今も、罵りや言い訳さえ言わずに黙っている。態度がまるで似合っていない。単純な恐喝ではなく、他の目的がある事まではわかるが、それ以上の考えはまとまりそうもなかった。
トリスアギオンの事情がどうであるにしても、とにかく目の前にいる三人は追い払わなければならなかった。どうやるか思案しているうちに、目の端に白いものが見えて、ゼブルは暗い道路に顔を向けた。一人の男が歩いてきていた。
白いハーフコートを着た男だった。上着から靴まで、身に着けているものは高級そうだが、なぜか印象が冴えない。痩身で、目は細く顎が尖っている。頭の中心部は禿げ上がっていて、茶の髪が耳の上に頼りなく残っている。白いハーフコートはしわと汚れが目立ち、革靴には乾いた泥が散っている。鞄でも持つような手つきで、片手に帽子をぶら下げていた。まるで逃亡中の詐欺師のような風体だが、容貌の点を無視するとしても目つきが卑しかった。人ではなく獣を見るように、あからさまに相手の強さと値打ちを測っている。
「これは驚いた。酷いな」
ハーフコートの男は芝居がかった大声で言った。ひとしきり辺りを見回すと、ゼブルに目を留めた。細い目は泣き笑いするように目じりが下がっているが、口元は嬉しそうに緩んでいる。禿げ頭のせいで老けて見えたが、実際はゼブルよりもいくらか若いようだった。
「ちょっと待っててもらえますかね。この馬鹿どもと話したい事があるんだ」
男がゼブルから顔をそらした。素早く舌打ちを繰り返して片手で手招きのしぐさをすると、トリスアギオンの三人が、ゼブルとレイガを気にしながらも男の方に歩いてきた。
「戻ってろ、馬鹿ども」
三人は棒のように立って肩を震わせたが、ハーフコートの男が目で頷いたので、言われた通りに歩き去ろうとした。ハーフコートの男が、髪の長い女を手で呼びとめた。女が足を止め、向き直ったところで、ハーフコートの男が女の腹を殴った。女がしゃがみこんで地面に頭をつけた。かすれた呻きがゼブルにも聞こえた。ハーフコートの男が吐き捨てるように女を罵った。うずくまって吐いている女を、残ったチンピラの二人が無表情に見ていた。
ゼブルは、無意識に靴の裏で地面をなぜた。不気味な光景だった。白いハーフコートの禿げた男はトリスアギオンの命令者だろう。トリスアギオンが粗暴だからといって、いまさら生理的な嫌悪は覚えない。トリスアギオンの男二人の、考える事をやめたような顔が、ゼブルの胸に冷たいものを感じさせた。
「どいつもこいつもおつむが足りなくて困る。迷惑は、俺の顔に免じて許してもらえませんかね、ゼブルさん、レイガさん」
ハーフコートの男が、表情を切り替えてゼブルたちを振り返った。
「白々しいな。お前の指示だろう」
トリスアギオンとわかっているので、ゼブルはぶっきらぼうに言った。チンピラたちは、この禿げた男の言う通りに、町に入ってくる人間を見張っていたのだろう。命令者ならトリスアギオンがこの町にいる理由を知っているはずだし、話せば聞きだせるかもしれないが、この男と知り合えた事自体は嬉しくなかった。
「これは手厳しい。確かに俺はあいつらの頭だがね。馬鹿の考える事はよくわからないもんで、苦労しますよ」
禿げた男はべたべたとした笑みを浮かべた。男の背後でトリスアギオンの女が立ち上がり、チンピラ二人組みと一緒に歩き去っていった。
「わざと馬鹿に仕立て上げるんだろう。逆らわなくなる」
ゼブルは説明するように言った。
「質を選べる立場じゃないんでね。教育した馬鹿も、使い勝手は悪くない」
禿げた男が、首をほぐすように頭を振った。
「本題に入りましょうかね。俺はトリスアギオンのアンソンという者です。見た通り、ああいう馬鹿を何人か使う立場の哀れな男だ。上の命令でこんな田舎にやってきて、ちんたら働いてる。胸糞悪いトレジャーハンターの真似事でうんざりしていて、レイガさんと出くわした。ヤバイ匂いがするじゃないか。ヘヴンズの戦闘班長レイガ=バルテスが出張ってるほどの用件だ。しかも、今度は雷神ゼブル=コールマンまでお出ましになる。蛇か宝かわからねえが、この町には本物がある。俺はそう踏んだ」
アンソンと名乗った男は、熱っぽい目つきでゼブルとレイガを見た。
「ここはわけありの土地だ。週刊誌に堂々と載ったな。サーストン住民怪死事件だ。お二人さん、もしかすると、虐殺犯をご存知かな」