おとぎ話: 渋柿姫
むかしむかし、ある村に、まだ年若い柿の木がありました。種から芽を出して8年、柿の木は初めて花をつけました。村人たちは柿の実がなるのを楽しみに待っていました。その年の秋、初めてなった実を食べて、村人はがっかりしました。この柿は、渋柿だったのです。
しばらくして、村の畑を広げることになり、新しい畑をつくるため、柿の木は切り倒されることになりました。村人たちが準備をしているところに、ちょうど王様の一行が通りかかりました。馬車の中から、男の子がたずねます。
「なにをしているのだ?」
「畑を広げるため、渋柿の木を切り倒そうとしているのです」
従者が答えました。
「どうして切ってしまう? 干し柿にすれば食べられるのに」
「村人たちにも彼らの生活があるのです」
「それなら、あの柿になる実を王室が取り立てることにしよう。それならば村人たちもこまらないのでは」
従者は、村人たちに伝えます。
「はあ、王子様がそうおっしゃるならば」
男の子は、王子様だったのです。渋柿は、幸運にも切り倒されずに済み、柿の木は王子様にとても感謝しました。
王室御用達になった柿の木のもとを、王子様はたびたびおとずれるようになりました。春に花が咲くと、
「ことしも花が咲いたな。たくさん実をつけておくれ」
と声をかけ、秋に実がなると、
「たくさん実をつけたな。ありがとう。干していただくよ」
とお礼を言うのでした。
あるとき、王子様は言いました。
「いつまでもお前のことを『柿』と呼ぶのも不便だな。よし、名前をつけよう」
王子様は考えます。
「柿、果実(Frucht)…… Frieda。よし、今からお前の名はフリーダだ。この村とこの国の平和(Frieden)を守って欲しい」
柿の木はフリーダという名前をもらい、とてもうれしく思いました。そして毎年、王子様に会うのがフリーダの楽しみになっていったのです。
しかし、あるときを境に、王子様はぱったりとフリーダのもとをおとずれなくなりました。フリーダは村人たちのうわさ話を耳にします。
「国王がまた税を重くしやがった」
「ちくしょう、王室の連中め…… おれたちはこんなに苦労しているっていうのに」
フリーダは王子様が悪口を言われているのを聞いて、とても悲しくなりました。
「わたしも、何か王子様の役に立てればいいのに!」
フリーダは強く願いました。
そして、フリーダが切り倒されそうになった日から10年ほど経ったある日のこと。村を嵐が襲いました。激しい風と降りしきる雨の中、一筋の稲妻が天を切り裂き、フリーダを撃ったのです。
気がつくと、フリーダはベッドの中にいました。
「気がついたかい?」
声をかけた人には、見覚えがありました。村のおばさんです。
「嵐がやんだら、柿の木の下に女の子が倒れているんだもの。そりゃびっくりしたさ」
「――わたしは……」
フリーダは自分の手を見ます。人間のからだ…? そして横の鏡を見ておどろきました。そこには、うるわしい少女の姿があったのです。
フリーダは外へ飛び出すと、柿の木のもとへ走りました。そう、自分が立っていたその場所へ。木は、今までと同じところに立っていました。木の皮には上から下へめくれているところがあり、落雷の事実を物語っていました。そして一番太かった枝が折れて、なくなっています。あたりを見回しますが、折れたはずの枝はどこにもありません。
「まさか……」
フリーダはもう一度自分の手をじっと見るのでした。
「でもこれで、王子様の役に立てるかもしれない。少なくとも、今までよりは!」
フリーダは、王室に仕える女官として雇われました。そして女官たちが話しているのを聞きます。
「王様は変わってしまわれた。前はとても慈悲深く、お優しい方だったのに」
「あの大臣が来てからね」
「王子様は無理難題を仰せ付けられて、おかわいそうに……」
「それでも民を守ろうとけんめいに努力していらっしゃる。立派な方だわ」
フリーダは思いました。
「いったいどういうことなのかしら……」
しばらくして、フリーダは王様のもとに手紙を持っていく仕事を言いつけられました。
「失礼します。お手紙をお持ちいたしました」
「……ご苦労。そこへ置いておけ」
フリーダは王様の目を見ておどろきました。まるで光が感じられません。
「魔法で誰かにあやつられている…!」
すると、王様のとなりにいた大臣が言います。
「王様。隣国との戦争の件ですが、ここは王子を向かわせるのがよいかと」
「うむ。そなたにまかせる」
王様をあやつっているのは大臣にちがいない…… フリーダにはわかりました。大臣はわるい魔法使いで、王様をあやつって私腹を肥やしていたのです。
これまでとなりの国とも仲良くしていた王様でしたが、大臣にあやつられ、外交をかえりみなくなっていました。王様の態度が気に入らなくなった隣国が、せめてきます。これをむかえうてと、王子様に命令が出されました。
ある夜のこと。フリーダは王子様のすがたを見ました。
「こんな夜遅くに、どこへ…?」
王子様は王様の部屋へと入っていきます。そしてふところからナイフを取り出すと、王様の首につきたてようとしました。
「やめて!!」
とっさにフリーダは止めに入りました。
「何をする! 放せ!」
彼女はナイフの刃をつかんだので、手から血が流れ出ます。
「そなた……」
王子様はおどろいて、力をゆるめました。
「とりあえずここを出ましょう。王様が目を覚まされます」
ふたりは王子様の部屋に行きました。
「さきほどのことですが…… わたしは誰にも言うつもりはありません」
「そうか。そうしてくれると助かる」
王子様は包帯を取り出すと、フリーダの傷の手当てをしてくれました。
「すまなかった。そなたを傷つけるつもりはなかったんだが」
「いったい、なぜあのようなことを……」
王子様は話します。あるときを境に、王様の態度ががらりと変わってしまったこと。国の人々を守るため、自分が必死に努力してきたこと。この国をまもるには、王様を殺すしかないと思ったこと……
「戦争に送り出すのは、殿下を、その…… 亡き者にするためである、と?」
王子様はうなずきます。
「勝ち目はなさそうだからな…… わたしは父のことを尊敬していた。そんな父が民を苦しめ、民から悪く言われるのを見ているのは忍びない。父を殺して、自分も死のうと思った」
「ダメですっ!」
フリーダは思わず立ち上がりました。
「殿下がいなくなっては、だれがこの国の人々をまもるというのですか? 殿下だけのお命ではないのです。民のことをお思いになるなら、そのようにお命を粗末にされてはいけません!」
彼女の気迫に、王子様はあっけにとられた顔をしました。フリーダはわれに返ります。
「も、申し訳ありません…… つい興奮してしまって、ご無礼を……」
「いや、構わない。そなたの言うとおりだ。わたしはどうかしていた」
恐縮する彼女に、王子様は聞きました。
「そういえば、そなたの名を聞いていなかったな。名は何と申す?」
「……フリーダです」
「フリーダ…?」
王子様は少しとまどった顔をしましたが、すぐに思い直して、
「そうか。そなたのおかげで目が覚めた。礼を言おう。ありがとう、フリーダ」
そう言うと彼女の頭をそっとなでました。フリーダは、王子様がだれかを殺すところを見たくなかったのです。フリーダは、とてもうれしい気持ちになりました。
「王様は、大臣の魔法にあやつられているのです。術がとければ、もとにもどられるかもしれません」
フリーダは言いました。
「ならば一刻も早く大臣をたおし……」
王子様は意気込みますが、少し考え直します。
「いや、ダメだ。今そんなことをすれば、下手をすると国が割れてしまう。そうなれば敵国の思うつぼだ」
「そうですね。今は戦争への準備が先だと思います」
「そうと決まれば、出陣の用意だ」
「殿下」
フリーダはまた立ち上がりました。
「わたくしもお供いたします!」
フリーダは、傷を負った兵士の手当てをする手伝いということで、王子様の軍勢についていくことになりました。出陣の式を終え、場外へ出て行く王子様を見て、大臣はほくそ笑みます。
「これでめざわりな王子も終わりだな。クックックッ……」
隣国は、ほかの国々とも同盟を結び、一気に攻め入ろうとしていました。正面からぶつかっては、数があまりにちがいすぎて勝ち目はありません。
「どうすればよいのだ……」
王子様は宿営地でひとり考え込みます。
「わたしに策があります」
フリーダは微笑みました。
攻め込んだ隣国の兵士たちは、一気に多くの村を制圧しました。
「よし。村人どもから食糧をうばえ」
しかし、村はもぬけのからでした。
「隊長! 食糧もまったくありません!」
「なんだと? 仕方ない。水だけでも確保するんだ」
のどをかわかせた兵士たちは、いっせいに井戸水にとびつきました。
「ぐわっ、な、なんだこれは!!」
「渋すぎてとても飲めん……」
「ペッ、こんな水飲んでいられるか! 次の村へ進め。そこで水と食糧を奪うぞ!」
しかし、どこの村も同じでした。
「なんということだ。これでは戦えん。本国に補給をたのめ」
攻め込んだ軍勢に対し、本国から補給が送り込まれます。
「あれが敵の補給部隊だな。かかるぞ。われにつづけ!」
王子様の軍勢は、敵の補給部隊と戦い、補給をゆるしませんでした。水も食糧も得られず、消耗しきった敵は、あるものは王子様たちと戦って敗れ、あるものは本国へ引き返し、またあるものはたまらず降伏しました。こうしてたたかいは、王子様たちの勝利に終わったのです。
王子様たちは、攻め込まれる村の人たちを食糧を残らず持って避難させ、さらに井戸水に柿の渋をたくさん入れて飲めなくしたのです。フリーダの考えた作戦でした。
「渋柿とは、よく思いついたな。そなたのおかげでこの国をまもることができた。礼を言うぞ、フリーダ」
「恐縮です」
フリーダは王子様に頭を下げます。
「渋柿、フリーダ…… ?」
王子様は、首をひねりました。フリーダは、王子様に自分の正体が渋柿だとは知られたくないと思いました。それがわかって、王子様といっしょにいられなくなってしまうのがこわかったのです。
「殿下、大臣の件ですが……」
「そうだった」
王子様は、大臣をたおそうとしても、大臣があやつっている王様が命令すれば、まわりの人間にじゃまされてすぐに失敗してしまうと考えていました。
「王にかけられている術をとく方法はないものだろうか……」
フリーダには考えがありました。
「成功するかどうかはわかりませんが……」
ある日の夕食。王様は、大臣たちと同じテーブルで食事をとっていました。
「デザートをお持ちしました」
フリーダたちが持ってきた本日のデザートは、カットフルーツの盛り合わせ。
「みずみずしくてよい果物だ」
大臣たちがフルーツを味わっていると、急に王様が苦しみだしました。
「うううっ……」
「どうなさったのですか、王様」
王様は突っ伏したきり、動かなくなりました。
「おい、医者を呼べ!」
大臣が命令すると、おもむろに王様は顔を上げます。
「……わしは何を…?」
その場にいたフリーダは、合図を送りました。すると、かくれていた兵士たちが飛び出します。
「大丈夫ですか、父上」
王子様が王様にかけよりました。
「これは、どういうことなのだ?」
「この男が父上に術をかけ、あやつっていたのです!」
王子様がゆびさしたのは、大臣でした。
「そうか、思い出したぞ。この男がわしに…… こやつをとらえよ!」
王子様と兵士たちが大臣に剣をつきつけます。
「観念しろ!」
「おのれ…!」
大臣はすばやく杖をとりだすと、魔法を使って逃げてしまいました。
「しまった…!」
王様のフルーツの中には、渋柿が入っていました。渋による気つけが、大臣の術をはらったのです。これも、フリーダの提案にもとづいたものでした。
「父上が元にもどられた。すべてそなたのおかげだ。いくら礼を言っても言い足りないぞ」
王子様は言いました。
「いえ、わたしもこれほどうまくゆくとは……」
そのころ、逃げた大臣はある村に来ていました。そして柿の木を前に叫びます。
「この渋柿ふぜいが…… よけいなまねをしおって!」
大臣はフリーダの正体に気づいていたのです。
「きさまも道連れにしてやるわ!!」
大臣は魔法をはなちました。ものすごい光と音が、あたりにひびきます。そのあとに残った柿の木は、幹が根元からまっぷたつに折れていました。
「きゃああああっ!!!」
耳をつんざく叫び声をあげて、フリーダがたおれました。
「どうしたフリーダ、しっかりしろ!」
王子様がかけよります。
「……わたしは柿から生まれた身。木のほうに何かあれば、わたしの身も……」
「柿? そなた、やはり……」
王子様はすべてをさとりました。
「兵士たちを村の柿の木へ向かわせろ! 急げ!」
命令した後で、王子様は彼女をだきかかえます。
「やはり、渋柿のフリーダだったのだな」
「だまっていて申し訳ありませんでした。だますつもりはなかったんです。でも…… でも、どうしてもわたしをまもってくださった恩返しをしたくて、どうしてもあなたといっしょにいたくて……」
「そんなことはいい。わたしこそ…… 村へ行ってやれなくてすまなかった。民をまもろうと一生懸命で…… もっと、そなたのことを大事にしてやればよかったな」
「いいんです。少しのあいだでも、あなたのお役に立てて、あなたといっしょにいられて、わたしは幸せでした…… ありがとう、王子様……」
フリーダは、そっと目をとじ、その手からは力がぬけていきました。
「なめたまねをしおって! 思い知ったか、渋柿め! アッハッハッハッハッ……」
勝ちほこって高笑いする大臣のもとに、ぞくぞくと人があつまり、人だかりができました。みな鍬や鋤、斧を手に、大臣をとりかこんでいます。
「な、なんだきさまたちは!?」
あつまったのは、村人たちでした。
「このやろう! よくも村の守り神様を…!」
「ゆるさんぞ!」
村人たちは、戦争のときに渋柿が村をまもってくれたことをおぼえていたのです。
「返せ! 村の柿を返せ!」
村人たちは、いっせいに大臣に向かって石をなげました。
「や、やめろ貴様ら! やめんと容赦せんぞ!」
大臣はふたたび魔法を使おうと杖をもちますが、石ではじき落とされてしまいました。
「く、くそっ」
大臣はたまらず逃げ出します。
「そこまでだ!」
大臣はかけつけた兵士たちによって取り押さえられました。
「おのれ…… おのれ渋柿!!」
「大臣がとらえられたそうだ」
王子様は、ベッドによこたわるフリーダに話しかけました。
「この国にも平和(Frieden)がもどるだろう。すべてそなたのおかげだ」
フリーダは、王子様の言葉にまったく答えません。
「わたしが願ったとおりに、そなたはこの国をまもってくれた。このわたしのことも、幾度となくまもってくれた。それなのに…… それなのに、肝心なところで、わたしはそなたをまもることができなかった…… ほんとうにすまない」
くやしさがこみあげます。
「たしかにこの国は平和になったかもしれない。しかし…… そなたがいてくれなければ、意味がなかったというのに。そなたがいてくれなければ……」
王子様は彼女の手をとりますが、彼女は握り返してはくれません。
「フリーダ……」
王子様の涙が、彼女の頬をつたいました。
村人たちは、たおされてしまった柿の木を前に、立ち尽くしていました。
「もうダメか……」
「前に雷が落ちたことがあったろ。あれからも元気に育っていたのになあ……」
そのときです。
「あっ、これみて!」
女の子がゆびさした先には……
「芽だ」
「この枝は、まだ生きているぞ!」
「渋柿の木は、まだ生きているんだ!」
うなだれる王子様が握っていた手に、あたたかさがもどってきました。
「王子様……」
王子様は顔を上げます。
「植物って、意外としぶといんですよ」
フリーダはほほえんで、そっとその手を握り返しました。
「フリーダ!」
王子様は思わず立ち上がりました。
「ほんとうに、だいじょうぶなのか?」
「ええ、もう少しすれば…… 落ち着くと思います」
王子様は、急に真剣な顔になると、フリーダのもとにひざまずきました。
「後悔しないうちに言おう。フリーダ、わたしと結婚してはくれないか?」
フリーダはおどろいたのとはずかしいのとで、顔をそらします。
「し、渋柿でもよろしいのですか…?」
「そんなことは小さなことだ。これからも、わたしといっしょにこの国をまもってほしい」
「王子様……」
フリーダはうれしくて、なかなか言葉が出ませんでした。
「じょ、条件があります」
数日後、王子様とフリーダは結婚しました。フリーダが出した条件、それは……
「わたしの正体は、わたしたちだけのひみつということにしてください」
「わかった。もっとも、わたし以外は信じないと思うが」
そういうわけで、2人はめでたく結婚となったのです。王子様はフリーダに口づけしたとき、少し面食らった顔をしました。
「これは…… なんともここちよい渋さだ」
王子様はほほえみます。フリーダは口をおさえてはずかしがりました。その顔は、まるで熟れた柿の実のように真っ赤だったということです。
おしまい
【解説】
このお話は、2006年にテレビ放送されていたとあるアニメの劇中で言及のあった「おとぎ話」から、具体的なストーリーを妄想し、当時ブログに掲載したものです。文章や文言はそのときから変えていません。劇中には渋柿が出てくるおとぎ話が存在するようですが、「渋柿と王子様が結ばれる」という点に言及された以外、いっさい触れられていませんので、上記のお話はストーリーも登場人物も、筆者が勝手に考案したものです。ドイツ語が出てくるのは、元の劇中の世界観がグリム童話に関係しているためです。それにしても、西欧には柿の木が生えることはあったとしても、食用にする習慣はなさそうですが……