その5
山道をひたすら歩く敬太とワンべえは、吹雪の中でも足を休めることはありません。敬太は、力獣たちの人質となった鋼吾たちの姿をまだ忘れることができません。
「おっとう、おっかあ……」
お父さんとお母さんを助けるためには、ここから先にある獣岩城へ行かなければなりません。しかし、そこへたどり着くためには通り越えなければならない場所があります。
「敬太くん、ここを飛び越えないといけないのかワン……」
敬太とワンべえの目の前には、底が見えないほどのかなり深い谷があります。一歩でも足を踏み外したら市につながるだけに、ワンべえは崖の端のところで足を震えています。
「こんなに深い谷を見るのは初めてだけど、だからと言ってここで引き返すわけにはいかないもん!」
「谷底を見るだけでも本当に恐いワン……」
お父さんとお母さんに早く会いたいという一心の敬太ですが、いっしょにいるワンべえは崖の端に立ったまま動こうとしません。
その間も、吹雪は鉛色の薄暗い空から変わることなく降り続いています。この様子に、敬太は思い切って谷越えに挑むことにしました。
「ワンべえくん、ここから飛び越えて行くからね」
「本当に行くのかワン……。谷から落ちたら死んでしまうワン……」
「気持ちはよく分かるけど、ここで立ち止まったら何も始まらないよ!」
敬太は、いまだに不安が拭えないワンべえをやさしく抱き上げています。それは、ワンべえが敬太にとって大切な友達であることを知っているからです。
「それじゃあ、ここから一気に飛び越えて行くぞ!」
後ろへ少し下がってから助走をつけると、敬太はワンべえを抱きしめたままで崖の端から高く飛び上がりました。空へ高く舞い上がった敬太は、そこで1回転すると同時に急降下しました。
「ワンべえくん、先に行ってて! ぼくもすぐ着地するから!」
敬太の一言に、ワンべえは勇気を持って空中から飛び出しました。空中での恐怖に思わず目をつぶったワンべえですが、何とか無事に雪道の上に着地することができました。
これを見た敬太も、空中から向かい側の崖の端に着地しようとします。ところが、右足が着地しようとしたそのときのことです。
「わっ! わわわああああああああああっ!」
敬太は、崖の端に積もった雪にツルッと足を滑らせて深い谷から真っ逆さまに落下してしまいました。その悲鳴を聞いたワンべえは、谷の手前にある断崖へやってきました。
「敬太くん……。こんなところで死んでしまう敬太くんなんか見たくないワン!」
いつもいるはずの敬太がいないのは、ワンべえにとってとても心細いことです。ワンべえは、崖の端から動こうとはせずに大声を出してずっと泣き叫んでいます。
すると、深い谷から敬太の声がワンべえの耳にかすかに入ってきました。ワンべえは、崖から落ちないようにそっと耳を近づけてみました。
「ワンべえくん! ぼくはここにいるよ!」
「敬太くん、本当に大丈夫なのかワン」
「大丈夫だって! これから上に向かって登って行くからね!」
敬太は、断崖から突き出た岩に手を掛けたおかげで辛うじて助かりました。しかし、ここからワンべえがいる崖の端まで行くには相当な高さを登り切らなければなりません。
しかも、頂上まで垂直に伸びる岩壁には雪が積もっていてとても危険です。そんな中にあっても、敬太は自らの力で断崖を登る決意を固めました。
「雪が積もったって、絶対にあきらめるものか!」
敬太は、手足を自由自在に使って少しずつ断崖を登っていきます。滑りやすい雪に手間取りながらも、一歩ずつ上へ向かおうと必死です。
「敬太くん、がんばってワン!」
「ワンべえくん! 崖の上まで登れるようにがんばるからね!」
高いところが恐いワンべえも、敬太のために大きな掛け声で励まし続けます。そんな声に応えようと、敬太は雪に取られないように登ろうと交互に手足を動かしています。
「どんなことがあろうとも……。うわっ!」
「敬太くん、大丈夫かワン」
「ちょっと手が滑って落ちかけたけど、このくらい平気だもん!」
敬太は、雪で滑りやすい岩に悪戦苦闘しながら断崖を登り続けます。お父さんとお母さんに会うためにも、敬太は立ち止まるわけにはいきません。
「ぐぐぐぐっ……。崖の上まであと少しか」
ようやく雪の断崖を登り切る寸前となった敬太ですが、それを阻もうとする危機が敬太に襲いかかろうとしています。
「ギュルギュルルルルルッ、ギュルゴロゴロゴロゴロゴロッ……」
「う、うんちが……。うんちがもれそう……」
敬太は、あまりのお腹の痛さに苦しそうな表情を見せています。お尻のほうもムズムズする中、敬太はうんちが出るのをガマンしながら登り続けます。
ワンべえは、そんな敬太のがんばりを崖の上から見守っています。ところが、敬太が間もなく届くであろう崖の端っこには大きく入ったひび割れがあります。
これを見たワンべえは、あわてて後ずさりすると敬太に大声で叫びました。
「敬太くん、危ないワン! 崖の端っこに大きなひび割れがあるワン!」
必死に叫んだワンべえですが、その声が敬太の耳に届くことはありません。敬太のほうは、うんちのガマンをしながら断崖を登り切ることに集中しているからです。
「うんち、ガマンできない……」
敬太のうんちのガマンは、そろそろ限界に近づいてきています。そんな苦しそうな表情を見せながらも、敬太はようやく崖の上へ手を掛けることができました。
そのとき、崖の端っこにあるひび割れから大きな割れ目が入りました。突然のことに、ワンべえも敬太に声を出すことができません。
そんな状況にあっても、敬太は決してあわてる様子を見せることはありません。
「こんなところで落ちたらたまるか! いくぞ!」
敬太は自ら掛け声を上げるながら、カエルのように崖の端に一気に飛び上がりました。その途端、崖の端はいくつも入った割れ目によって谷のほうへ落ちようとします。
「敬太くん!」
ワンべえの前で再び落ちかける敬太ですが、ここで最後のひと踏んばりとばかりに崖の端からもう一度高く空へ舞い上がります。
「え~いっ! それっ!」
空へ高く上がった敬太ですが、うんちのガマンもついに限界となってきました。それでも、敬太は最後の着地までやり遂げようとがんばります。
「プウッ! プウッ! プウウウウウウウッ!」
敬太はでっかいおならを3連発させながら、ワンべえよりもさらに奥の山道へ着地しようとします。しかし、着地しようとして右足を地面についたときのことです。
「わっ! わわわわわわわっ!」
敬太は、雪道の上で足を大きく滑らせて思い切り尻餅をついてしまいました。心配になったワンべえは、あわてて敬太のそばへ寄ってきました。
すると、敬太は顔を赤らめながらもいつもの明るい笑顔でこう言いました。
「ワンべえくん、心配をかけて本当にごめんね。これからもずっといっしょだからね!」
ワンべえは、いつも元気な敬太といっしょならどんなに傾斜のきつい山道であっても平気です。敬太の笑顔を見て、ワンべえもとりあえず一安心です。
それよりも、ワンべえの目がくぎづけになったのは、敬太が尻餅をついたところから出ている湯気です。よく見ると、そこにはでっかくて元気なうんちが雪道の上に乗っかっています。
「でへへ、雪道に着地したときに足を滑らせたはずみで、こんなにうんちがいっぱい出ちゃった」
どんなに大失敗を繰り返しても、敬太は決して隠そうとはしません。でっかいうんちが出るのは、敬太がいつも元気であるからこそです。
敬太は雪道に立つと、出たばかりの自分のうんちを前に堂々と両腕の力こぶを入れています。獣岩城へ向かう山道で最大の難関を通過した敬太ですが、最後にワンべえの前で大失敗をするところはまだかわいい子供そのものです。
「おっとう! おっかあ! ぼくが必ず助けてあげるからね!」
敬太はお父さんとお母さんの姿を思い浮かべながら、ワンべえとともに獣岩城へ向かって雪道を歩いて行きます。




