その2
そのころ、鋼吾とおあゆはある山奥を走り駆けていました。鋼吾は、敵の姿があるかどうか何度も後ろを振り返っています。
「はあはあ……。これ以上足が動けないわ……」
「おあゆ、大丈夫か! 悪いけど、しばらくの間辛抱してくれ」
おあゆのお腹は、夏と比べてかなり大きくなっています。この状態だと、赤ちゃんがいつ生まれてもおかしくありません。
一方で、2人は大権官が送り出した獣人たちから命を狙われている立場にいます。しかし、身重であるおあゆにとっては走るだけで息切れするばかりです。
「このままだと、獣人たちに周りを囲まれてしまう……。どうすれば……」
その場で立ち止まったままだと、いずれ獣人たちに捕まってしまいます。鋼吾は周囲を見渡すと、2人が隠れることができる草むらを見つけました。
「あの草むらに隠れるぞ」
鋼吾は、おあゆの手を引っ張って草むらの中に身を潜めました。そのとき、2人の耳元に獣人たちの声が耳に入ってきました。
「あの2人め、どこへ行きやがった」
「この山の中にいるのは間違いないのだが……」
2人が隠れる草むらの目の前には、5人組の獣人たちの一団がいます。獣人たちは、鋼吾たちをこの手で捕まえて大権官に報告しなければなりません。
「あの敬太というチビを叩きのめすためにも、あの2人は格好の人質になるだろうな」
「あの力獣も、敬太を倒すことができなかったし……。大権官さまは相当お怒りになっているし……」
獣人たちの一団は、相当いら立っている様子で草むらの周りを探しています。このままでは、鋼吾とおあゆがいつ捕まってもおかしくありません。
すると、ガサガサという音が奥に入った草むらから聞こえてきました。その草むらの中には、鋼吾たちが隠れている場所でもあります。
「あそこにいるのか!」
「ようやく見つけたぜ! あの裏切り者め……」
獣人たちは、仲間たちを裏切って人間の姿になった鋼吾たちを捕まえなければなりません。それは、獣岩城にいる大権官からの命令だからです。捕まえられなかったら、大権官の強い怒りが自分たちに及ぶのは確実です。
それだけに、獣人たちは裏切り者をしらみつぶしに探そうと必死になっています。もちろん、鋼吾とおあゆを見つけてもその場で始末するわけではありません。
「あの裏切り者どもをこの手で捕らえれば、敬太の前で人質として突きつけることができるからなあ」
「そして、3人まとめて始末するということだな」
「そういうことさ、ふははははは!」
獣人たちの不気味な声は、鋼吾たちの耳にも入っています。このままでは、獣人たちに見つかるのも時間の問題です。
「どうしよう……。私のせいでこんなことに……」
「おあゆ、そんなことは気にするな。ここはぼくが何とかするから」
最大の危機を迎えた鋼吾は、おあゆを守ろうとあることをひらめきました。
その間にも、獣人たちは鋼吾たちが潜む草むらへ1歩ずつ近づいています。そのとき、草むらの中から恐ろしいうなり声が聞こえてきました。
「グルルルルウウウウッ、グルルルルウウウウウウッ……」
「うっ! こんなところに野犬が……」
「下手に近づくわけにはいかないし……」
獣人たちの一部は、野犬が草むらに潜んでいるのではとおののいています。そんな仲間の雰囲気に、獣人たちを率いる頭領がいらだっている様子です。
「ええい! なんとしてでも鋼吾たちを探せ! まだ遠くへ逃げてないはずだ!」
頭領の強い口調に、獣人たちの一団は裏切り者を探そうと他の場所へ向かいました。山の中が再び静寂を取り戻すと、鋼吾は草むらから顔を出しました。
「ふう……。ようやくここから去って行ったか」
「本当にありがとう……。あなたがいなかったら、私たちは今ごろ……」
「そんなことで涙を流さなくても……」
とっさの機転で危機を乗り越えた鋼吾は、おあゆを抱きしめたまま離そうとはしませんでした。
一方、敬太のほうは山奥で木を切っているところです。おばあちゃんのところにお世話になっている以上、お手伝いをするのは当たり前のことです。
「えいっ! えいっ! えいえ~いっ!」
敬太は、切り倒した木を丸太に切り分けていきます。いっしょにきたワンべえも、その様子をじっくり眺めています。
「このくらいあれば、おばあちゃんも困らなくても済むぞ!」
丸太を背負った敬太は、その足でおばあちゃんの家へ向かいます。誰から言われなくても、自分から積極的に動くのが敬太のいいところです。
「ぼうや、こんなことまでしてくれてありがとうね」
「お手伝いをすることくらい、いつも当たり前のことだもん!」
かわいくて元気な敬太の声に、おばあちゃんもやさしい笑みを浮かべています。敬太はその場で丸太を下ろすと、残った丸太を持ってこようと再び山へ入っていきます。
山奥のほうへ足を進めると、敬太が切り分けた丸太がまだいくつか残っています。ここにある丸太を背中に背負おうとしたそのときのことです。
敬太の背後からは、2体の大きな動物らしき影が現れました。でも、敬太はそんなことくらいで逃げるわけではありません。
「敬太、久しぶりだな。今日はおれの仲間といっしょにお相撲の稽古をするためにやってきたぞ」
「稽古であっても、決して手を抜かないからな」
「ツキノワグマ! 大イノシシ! お相撲が大好きなのを知ってたんだね!」
「ああ、そうだとも。おれと戦ったときのおまえの強さはよく知っているからなあ」
敬太の前にやってきたのは、イノシシ山で戦ったツキノワグマと大イノシシです。友達として握手をした2匹と再び目の前にして、敬太は元気な笑顔で迎え入れました。
「獣人たちに負けないためにも、この稽古でさらに力をつけるぞ!」
「はっはっは! 敬太が本気でいくなら、おれたちも本気を出さないといけないな」
敬太たちは、山奥の木々が茂っていない広いところへ移動することにしました。強い相手であればあるほど、敬太にとって稽古のしがいがあります。
「いくぞ! ツキノワグマ!」
「こっちも負けないぜ! おりゃあっ!」
巨体のクマに向かって、小さい体の敬太は真正面からぶつかっていきます。敬太は身長が低いので、大きなクマの太ももを両手でつかむのが精一杯です。しかし、今まで獣人たちと数多く戦ってきた敬太にとっては、そんな体の大きさをものともしません。
「んぐぐぐぐっ、んぐぐぐぐぐぐっ! ええ~い、とりゃああっ!」
敬太はツキノワグマを力強く持ち上げると、後方へ一気に投げ飛ばしました。大きなクマは、地面に叩きつけられてとても痛々しそうです。
それでも、ツキノワグマは敬太との稽古をまだ続けようと立ち上がりました。
「いてててっ……。敬太よ、今度こそ本気で行くぞ!」
「うわっとと、今度は後ろからだ! んぐぐぐっ、とりゃああっ!」
いきなり襲いかかる大きなクマの姿に、敬太はすかさず後ろからクマの左太ももをつかんで持ち上げました。片足だけの格好で支えられなくなったツキノワグマは、そのまま仰向けになって倒れてしまいました。
「前と比べてはるかに強くなっているとは……。い、いてててててっ……」
「今度はおれ様が相手だ! 手加減なんかしないからな」
「こっちも思い切りぶつかっていくぞ!」
敬太が駆け出すと、猛突進する大イノシシを両手で食い止めています。大イノシシは、何としてでも敬太を押し出そうと興奮しています。
「おれ様の突進を食い止めるなんて……」
「獣人たちを倒すためにも、こんなところで負けるわけにはいかないぞ!」
敬太は暴れるイノシシをつかんで持ち上げると、地面へ思い切り叩きつけました。これには、さすがの大イノシシもあまりの痛みにのたうち回っています。
大きな動物たちとの稽古は、結果的に敬太の力強さを改めて示すことになりました。あまりにも強すぎる敬太に、ワンべえは一言を挟んできました。
「敬太くん、いくら稽古と言っても本気を出し過ぎだワン」
「ワンべえくん、ごめんごめん。強い相手にぶつかり合うのが大好きだから、つい本気を出してしまって……」
力を出し過ぎた敬太ですが、相手のツキノワグマや大イノシシは敬太の力強さに納得している様子です。
「そんなに気にしなくても大丈夫だって! おれたちよりもはるかに強い敵と戦うんだったら、これくらいの力を出さないと」
「おめえの強い力、改めて肌で感じたよ。おれ様も、おめえが悪いやつらをやっつけるのを影から見守ってるぜ」
敬太は、クマとイノシシは固い握手を交わしています。お互いに手を握るのは、友達であることを示す証拠といえるものです。
「ツキノワグマ! 大イノシシ! また会おうね!」
「おめえと再び会える日がくるのを楽しみにしているぞ!」
敬太は、つかの間の再会を終えて山奥へ戻って行く動物たちに手を振っています。クマやイノシシとの稽古を通して、敬太は恐ろしい獣人たちに正面から立ち向かうことを心に誓いました。




