その19
敬太たちが家へ戻って引戸の手前へやってくると、盛兵衛とおひさが切羽詰まった表情で出てきました。
「おっとう! おっかあ! 遅くなってごめんなさい!」
「敬太くん! 無事に帰ってくれて本当によかった……。こんなに夜遅くになるまで帰ってこないから心配してたのよ」
盛兵衛たちは、こんな暗い中で大雨が降っても帰ってこない敬太とワンべえを探しに行くところでした。敬太たちの姿を見て、盛兵衛もおひさもうれしさを隠せません。
すると、盛兵衛は敬太の後ろにいる獣人の夫婦を怪訝そうに見つめています。小さい子供ならともかく、大人の獣人はとても恐ろしくて人間たちに襲いかかってくる存在だからです。
「敬太くん、後ろにいるのって……」
盛兵衛とおひさが獣人の姿に体を震わせながら恐れる中、敬太は自分の気持ちを2人に伝えました。
「おっとう! おっかあ! この獣人たちは悪いやつじゃないの!」
敬太が突然言い出したことに、盛兵衛たちは戸惑いながら首を傾げています。2人の様子を見て、敬太はさらに言葉を続けます。
「この2人は悪い獣人からここへ逃げてきたの! このままだったら、悪いやつらに再び捕まってしまうんだ!」
いつになく強く訴えかける敬太の声は、盛兵衛やおひさの心に響くものがありました。
「ここにいる獣人たちは悪い人には見えないわ。だって、敬太くんが連れてきた人に悪い人なんかいないんだもの」
「大雨が降り続いていることだし、家の中へ早く入ってくださいませ」
盛兵衛たちは敬太の率直な気持ちを受け止めると、獣人の夫婦を家の中へ入れることにしました。
すると、板の間にいる赤ちゃんの姿に獣人の夫婦がすぐに駆け寄りました。
「ゆう蔵! ここにいたのか!」
「ごめんね……。本当にごめんね……」
牙吉としのは、自分たちの赤ちゃんに会えたことに思わず涙を流しています。2人の表情を見た敬太は、すぐに板の間へ上がりました。
「もしかして、この赤ちゃんのおっとうとおっかあなの?」
敬太の一言に、獣人の夫婦はすぐに振り向いて反応しました。そして、牙吉としのは再び口を開きました。
「そうなの……。この子は、2人の間に生まれたの」
「でも、大権官のために人間を殺しまくることに耐えられなくて……。おれたちは一瞬の隙を見て、しのとゆう蔵といっしょに獣岩城から逃げ出してきたんだ」
獣人の夫婦は、自分たちの赤ちゃんのことを敬太に伝えようとさらに言葉を続けます。
「獣岩城から逃げ出すことは、獣人たちの世界では裏切り者として狙われてしまう。おれたちは険しい山々を必死になって駆け下りてきたが……」
「獣人たちの追手がやってきたのを見て、あたしたちは誰もいない山の中へゆう蔵をやむなく置き去りにせざるを得なかったの……。ううっ、うううううううっ……」
しのは赤ちゃんをやさしく抱きかかえると、涙がこらえきれずに泣き出しました。敬太は、げん吉の本当の名前がゆう蔵であることにちょっと複雑な気持ちになりました。
それでも、敬太は赤ちゃんのお父さんとお母さんが分かったことに一安心しています。
「もしかして、敬太がゆう蔵を見つけてくれたの?」
「山道から少し入ったところでおしっこをしていたら、泣き声を上げて地べたに座っている赤ちゃんを見つけたよ」
敬太は、赤ちゃんと初めて出会った時の様子を獣人の夫婦に話しています。でも、赤ちゃんのお世話は敬太1人だけでできるものではありません。
「ここにいるおっとうやおっかあ、そしてワンべえもゆう蔵くんのお世話をしてくれているよ。だって、ゆう蔵くんの顔はこんなにかわいいんだもん!」
腹掛け1枚のゆう蔵は、赤ちゃんらしいかわいい表情を見せています。人間であろうと獣人であろうと、赤ちゃんや子供の顔はいつもかわいいものです。
みんなで協力してお世話してくれるので、ゆう蔵は大声で泣いていてもすぐに明るい笑顔を見せてくれます。
すると、ゆう蔵はいつの間にかすやすやした寝顔に変わりました。赤ちゃんのかわいい寝顔に、獣人の夫婦も顔がほころんでいます。
そして、敬太のほうも仰向けでぐっすりと眠っています。あれだけ獣人たちと戦っていれば、敬太といえども疲れてしまうのも無理はありません。
「ふふふ、敬太くんの寝顔もとてもかわいいね」
「よっぽど疲れただろうし、お布団の上に寝かせるとしようか」
盛兵衛とおひさは、敬太の子供らしい寝顔に目を細めています。
次の日の朝、穂代村はすっかり雨がやんで青空が広がってきました。
そして、盛兵衛たちが暮らす家でもいつもの明るい歓声が鳴り響きました。
「おっとう! おっかあ! ぼくのお布団、今日もこんなにでっかいおねしょをしちゃったよ!」
敬太は自分で掛け布団をめくると、盛兵衛とおひさに見せようと仁王立ちになっています。その下にあるお布団には、敬太がやってしまったおねしょが描かれています。
「はっはっは! 敬太くんは大きな赤ちゃんになって見事なおねしょをするとは、相変わらずすごいなあ」
「お布団へのでっかいおねしょは、敬太くんがいつも元気である立派な証拠だね」
「でへへ、これからもお布団に大失敗したら必ず見せてあげるからね!」
どんなにお布団への大失敗をしちゃっても、敬太は相変わらずの明るさで元気いっぱいです。そんなとき、同じ板の間で獣人の夫婦と寝ていたゆう蔵の大声で泣く声が聞こえてきました。
ゆう蔵の掛け布団をめくると、牙吉としのは赤ちゃんの大泣きしていた理由がすぐに分かりました。
「ゆう蔵が泣いていたのは、おねしょをしちゃったからなのか」
「赤ちゃんだから、おねしょをすることぐらい当たり前だものね」
ゆう蔵のほうも、敬太と同じように大きなおねしょを小さいお布団にやってしまいました。でも、お布団に描いたおねしょの大きさでは敬太にはかないません。
「はっはっは! 小さな赤ちゃんと大きな赤ちゃんがそろっておねしょをするとは、わしらにとっても愉快なものじゃ」
敬太とゆう蔵のおねしょ布団を物干しに干すと、おひさは自分が作った朝ご飯を囲炉裏へ運んでいます。今日は獣人の夫婦もいっしょに食べるので、それだけ食事の量も多くなるはずです。
囲炉裏の前に置かれたのは、いつも通りに雑穀の多いご飯と味噌汁の組み合わせです。しかし、敬太の前にはなぜか何も置かれていません。
その理由は、おひさが再び持ってきたある物にあります。敬太は、自分の大好物が出てくることに目を輝かせています。
「うわ~い! 大きなイモを持ってきてくれてありがとう!」
「ふふふ、敬太くんの大好きなおイモを持ってきたからね」
敬太の目の前には、大きなイモが5本もあります。イモを手にした敬太は、そのまま口に入れて食べ始めました。
イモをおいしそうに食べ続ける敬太の姿に、盛兵衛とおひさは目を細めています。敬太にとっては、大きなイモをこんなにたくさん食べるのがうれしくてたまりません。
「おっかあ! とってもおいしいよ!」
「ふふふ、敬太くんがいつも元気でいることが、あたしたちにとっての願いだもの」
敬太の元気さと力強さを生み出すのは、大好きなイモをいつもたくさん食べるおかげです。それは、敬太が大きなイモを全部食べ切った瞬間にすぐ分かります。
「プウウッ! プウウウウッ! プウウウウウウウウウウウウウ~ッ!」
敬太は、みんながいる前ででっかいおならを3回も続けて出てしまいました。とてつもないおならの音は、敬太がいつも元気である何よりの証拠です。
「はっはっは! こんなにでっかいおならが出るとは、敬太くんは相変わらず元気ですごいところがあるなあ」
「でへへ、ぼくのおならはこんなにでっかいのが出てすごいでしょ! これからも、元気なおならやうんちが出るように大きなイモを食べるからね!」
敬太はでっかいおならが出ても、決して明るい笑顔を絶やすことはありません。これを見た獣人の夫婦も、おならのにおいに鼻をつまみながら敬太の元気さを改めて知ることになりました。
いつも元気な敬太のおかげで、家の中は朝からにぎやかな笑い声が響き渡っています。しかし、その敬太を狙う敵の影はすぐそばまで迫ってきています。
「ふはははは! 物干しにおねしょ布団を干しているとは、敬太もバカなやつだなあ」
「大失敗の証拠が、そのまま居場所の目印になっているようなものだぜ」