その7
敬太は、盛兵衛とおひさのためにお手伝いを毎日欠かさずやっています。今日は、山で切り倒した木を丸太にしたものを背負いながら家へ戻ってきました。
「おっとう! おっかあ! 薪割りに使う丸太を山から持ってきたからね!」
「敬太くんは小さい体なのに何でも手伝ってくれるから、わしらも大助かりじゃ」
盛兵衛は、敬太がまさかりで丸太を薪に切り分けているのを見ながら目を細めています。いつも熱心に手伝ってくれるおかげで、盛兵衛もおひさも大助かりです。
もちろん、げん吉のお世話も敬太にとって大切なお手伝いの1つです。げん吉は、おっぱいをたくさん飲んで仰向けでキャッキャッと喜んでいます。
敬太は、そんなげん吉を抱きかかえようと目の前へやってきました。そのとき、げん吉はあんよを上げながら敬太の顔におしっこを命中させました。
「ジョパジョパジョパパッ、ジョジョジョジョジョジョ~ッ」
「わわっ! げん吉くんにおしっこをかけられちゃった」
赤ちゃんはまだおしっこを自分ですることができないので、ところ構わずしちゃうのは当たり前のことです。そんなげん吉の元気なところは、敬太の目から見てもはっきりと分かります。
「こうして見ると、げん吉くんはいつも元気でかわいいね」
「キャッキャッ、キャッキャッキャッ」
げん吉は、やさしく抱いてくれる敬太を見ながらかわいい笑顔を振りまいています。その様子に、盛兵衛とおひさはやさしい顔つきで見守っています。
そんな敬太の様子に異変を感じたのは、その日の夕方になろうとしたときです。
敬太は、まさかりで割った薪を土間へ次々と持ってきています。すると、おひさは敬太の顔を見るとすぐに呼び止めました。
「敬太くん、どうしたの? なんか顔が赤っぽいけど……」
「えっ? そんなに体もだるくない……」
敬太はおひさの声に反応すると、そのまま土間の床に尻餅をつくようにぐったりしました。これを見て、おひさはすぐに敬太の額に手を当てました。
「大変だわ! こんなにひどい熱が出ているなんて」
おひさは、敬太を布団に寝かせて見守ることにしました。畑仕事を終えて帰ってきた盛兵衛も、敬太の苦しそうな表情を見て心配そうに見つめています。
「何でもお手伝いを熱心にするから、その疲れが一気に出たのかも……」
「本当に苦しそうだわ……。はやく具合がよくなってほしいけど……」
敬太の苦しそうな息づかいは、盛兵衛とおひさの耳にも入っています。おひさに抱かれているげん吉も、いつもとは違っておとなしそうです。
おひさは水にぬらした冷たい布を敬太の額に当てたり、水をたくさん飲ませたりしています。やさしいおひさの気遣いに、敬太は自分の気持ちを伝えようとします。
「おっかあ……。ぼくのためにここまでしてくれて……」
「敬太くん、ちゃんと寝ておかないと病気が治らないよ」
敬太は、高い熱にうなされながらも突然襲いかかったもう1つの敵と必死に戦っています。盛兵衛もおひさも、敬太がいつもの元気な姿に戻ってほしいと祈っています。
その日の夜、盛兵衛とおひさの家に現れたのは図体の大きい3人の男たちです。
「ふはははは! 敬太め、こんなところにいたのか」
「あの赤ん坊もいっしょにいるらしいぞ」
その男たちは、山道で敬太たちに襲いかかった獣人たちの一団です。3人は、敬太とげん吉にやられたときのことをまだ忘れていません。
「よくも、おれたちの顔におならやうんちをしやがって……」
「赤ん坊だろうが、小さい子供だろうが、おれたちに逆らうやつはこの手で始末するだけさ。ふはははは!」
獣人たちは、家の引戸をそっと開けています。目の前には、ぐっすり眠っているワンべえの姿がかすかに見えます。
「あの犬に気づかれないように入るぞ。誰にも気づかれないように気をつけろ」
獣人たちは、音を立てないように次々と土間の中へ入って行きます。すると、板の間から苦しそうな声が聞こえてきました。
その声は、いつも敬太が見せる元気な声ではありません。獣人たちは、1人ずつゆっくりと板の間へ上がることにしました。
そこで見たのは、高熱で苦しそうな敬太の寝顔です。
「はあはあ……。はあはあ……」
敬太が苦しい呼吸をしているのを見て、獣人たちは不気味な笑みを浮かべました。獣人たちにとって、敬太を始末するのに絶好の機会であるからです。
「苦しそうな顔を見れば見るほど、おれたちにとっては始末のしがいがあるからな」
「まあ待て。その前に、あれを確認しないと」
獣人の1人は、敬太の掛け布団を強引にめくりました。しかし、敬太の布団を見てもおねしょをしている様子は全く見られません。
「まだ真夜中じゃないから、おねしょしていないだけじゃ……」
「それよりも、あんなにつらそうな姿を見るのは……」
腹掛け1枚の姿で寝ている敬太ですが、その姿は大量の汗をかいている上に、息づかいのほうも苦しそうです。
そんな敬太を前にして、獣人たちは両手の指をポキポキとさせています。どんなにひきょうと言われても、今までの恨みを晴らすチャンスはそう多くありません。
しかも、敬太の隣にはげん吉が寝ているとあってはなおさらのことです。
「小さいチビも赤ん坊も亡き者にするには、まさに好都合だなあ。ふはははは!」
獣人は、右手を伸ばして敬太の首をつかもうとします。ところが、その寸前で敬太の右足が獣人の左肩に強く命中しました。
敬太は、高い熱を出して苦しそうな寝顔であることに変わりありません。それにもかかわらず、敬太の強烈な蹴りは獣人の肩や胴体に何度も命中し続けています。
「いててててっ……。ずっと寝ているはずの敬太が、なぜこんな蹴りを……」
「何をやってるんだ! さっさと敬太を始末しろ!」
病気との戦いで弱っているはずの敬太ですが、凄まじい蹴りの威力はこれまでと全く変わりありません。そんな敬太に手間取る獣人を見て、別の獣人はかなりいら立っている様子です。
すると、敬太が眠ったままでそのまま立ち上がりました。高熱でふらつく敬太ですが、その力を知っている獣人たちは警戒を緩めません。
そのとき、敬太は獣人たちの前で大きなくしゃみをし始めました。
「ハ、ハクション! ハクション! ハ~クション!」
「う、うわっ! あのチビ、本当にひどい風邪を引いているのか」
獣人たちは、これ以上敬太の前へ近づこうとしません。敬太がくしゃみと鼻水を出しているので、自分たちにうつったら大変なことになるからです。
「とりあえず、あの赤ん坊を始末するのが先決だ」
「獣人の赤ん坊のくせに、おれに大恥をかかせやがって……」
別の獣人は小さい掛け布団を強引にめくると、そこで寝ていたげん吉をわしづかみにして持ち上げました。
「まずは、この赤ん坊をたっぷりとかわいがってやるかな」
獣人は、げん吉を見ながら大きな口で不気味な声を上げています。そのげん吉は、眠っている間もあんよを足をバタつかせています。
「この赤ん坊め、おとなしくしないと……。うわっ、うわうわっ!」
「ジョパジョパジョパ、ジョジョジョジョジョ~ッ」
げん吉は、獣人の顔に向かって見事なおしっこ攻撃を食らわせました。ぐっすり眠っていても、おしっこを命中させるところは腹掛け1枚のかわいい赤ちゃんそのものです。
突然の出来事に、獣人はあわててげん吉を布団の上へ仰向けのままで置きました。幸いなことに、げん吉はまだぐっすりと眠っているようです。
「おい! 赤ん坊すら始末できないのか」
「そんなこと言っても……。いきなりおしっこを引っかけられたら……」
獣人同士で言い合いになる中、敬太は高熱でふらつきながら獣人たち3人の前へ近づいてきました。寝たままで歩く間にも、敬太は今にもくしゃみをしそうな状態になってきました。
「わわっ! 頼むからこっちへこないでくれ……」
獣人たちが後ろへ静かに足を運ぼうとしたとき、敬太はついに激しいくしゃみをしてしまいました。
「ハ、ハクション! ハクション! ハクション! ハ、ハ、ハ~クションッ!」
「うわっ! わわわっ! うわあああああああああああ~っ!」
敬太のくしゃみと鼻水は、獣人たち3人の顔に一気に降りかかりました。獣人たちは、あわてて大量にかかった顔面を手でぬぐいました。
「こ、ここにこれ以上いたらまずい……」
獣人たちは土間へ下りると、前をよく見ずにそのままこの家から出ようとします。しかし、その途中でうっかりワンべえのしっぽを踏んでしまいました。
普段はかわいい子犬のワンべえですが、このときばかりは獣人たちに鋭い牙を見せています。
「ぼくのしっぽを踏むなんて、絶対に許さないワン!」
「わわわっ! こ、こっちに飛びつくな……。いたたたっ! いたたたたたっ!」
「いきなり噛みつきやがって……。いたたたたたたたっ!」
獣人たちは、ワンべえに追いかけられながらそのまま逃げ出して行きました。
そうするうちに、次の日の朝を迎えました。
家の中からは、敬太の元気いっぱいの声が響き渡りました。
「おっとう! おっかあ! 病気が治って、もうこんなに元気になったよ!」
「あれだけ高い熱で寝込んでいた敬太くんだけど、いつの間にかこんなに元気な姿に戻ったのか」
敬太の元気な姿に、盛兵衛もおひさもびっくりしています。でも、高熱でうなされていたことを考えると、いつもの元気さを取り戻したことにうれしさを隠せません。
「キャッキャッ、キャッキャッキャッ」
おひさに抱かれたげん吉も、いつもの元気な敬太を見て喜んでいます。そして、敬太の元気さはこんなところにも表れています。
「はっはっは! これだけの見事なおねしょは、敬太くんが元気を取り戻した何よりの証拠じゃ」
「でへへ、お水をたくさん飲んだからこんなにでっかいおねしょをしちゃったよ!」
いつもの元気な敬太に、盛兵衛もおひさもやさしい眼差しで見つめています。今日も板の間には、敬太とげん吉のおねしょ布団が隣り合うように並んでいます。
病気が治った敬太は、早く体が動かしたくてウズウズしています。そんな敬太に、盛兵衛とおひさが声を掛けました。
「でも、まだ鼻が赤いからあまり無理をしたらダメだぞ」
「自分の体は大事にしないといけないよ」
「おっとう、おっかあ、お手伝いすることぐらい大丈夫だって! ぼくにまかせてよ!」
盛兵衛とおひさの心配をよそに、敬太は水汲みをしようと桶を持って家を飛び出して行きました。
一方、大権官のいる大きな城では獣人たち3人が高熱を出してうなされています。しかも、激しいせきやくしゃみが伴っているので他の獣人たちも近づこうとしません。
「敬太め……。よくもおれたちに風邪をうつしやがって……。ハ、ハ~クション!」
「今度会ったら……。ハクション! ハクションハクション!」
「その場でズタズタにしてやるからな……。ハ、ハ、ハクション! ハ~クションッ!」
獣人たちは敬太から風邪をうつされて、高熱やくしゃみなどに苦しみながらその後1週間も布団に寝込むことになりました。




