その4
敬太たちは、再びうっそうな森の中を歩いています。その場所は、今までと様相が異なるところです。
「急に風が強くなってきたぞ。さっきまであまり吹いていなかったはずなのに……」
敬太の耳にも聞こえるほどの強い向かい風は、まるで敬太たちの前途を暗示しているかのような雰囲気です。これには、ワンべえも思わず身震いしながら敬太の体にしがみついています。
「敬太くん、もうやめようワン……。本当に恐そうだワン……」
ワンべえが心の中で訴えても、その気持ちが敬太に伝わっているかどうかは分かりません。危険なところでも突き進む敬太には、ワンべえもすっかりあきらめ気分です。
そうするうちに、敬太たちは大飛丸を先頭に深い森の中から出てきました。しかし、これから修行を行う者にとっては息つく暇はありません。
その瞬間、下から吹き上げるような強風が敬太たちに襲ってきました。敬太たちは、厳しい修行の始まりを告げる前に思わぬ洗礼を受けました。
しかし、それはまだ序の口に過ぎません。敬太たちの前には、かなり長い距離のある木の吊り橋が待ち構えています。
「ま、まさかあんなところを渡るのかワン……」
ワンべえは、その吊り橋を見ただけで体が震えています。吊り橋の真下は、深い谷底になっています。
それだけでもかなり恐ろしいことが分かりますが、この吊り橋には踏み板が腐って抜け落ちたところが数えきれないほどあります。踏み板がいくつも抜け落ちて、大きく飛び越えないといけないところも何か所かあります。
大飛丸も、このような有り様にため息をついてしまいました。修行を行うときには、その一環として吊り橋を渡ることになっていたからです。
「こりゃあ、どうしたことか。ついこの前までは、こんなことになっていなかったのに」
この吊り橋は以前から踏み板が不安定でしたが、これまでは谷底へ落ちずにどうにか渡り切ることができました。
その吊り橋も、踏み板がいくつも抜け落ちた状態では渡ることなど不可能です。いくら厳しい修行といえども、これではあまりにも危険すぎます。
大飛丸や伏丸が二の足を踏む中、敬太は吊り橋のほうへ足を進めました。
「ま、まさか……。本当にあの吊り橋を渡る気なのか……」
「敬太! 頼むからその橋へ行ったら……」
大飛丸たちがどんなに忠告しても、敬太の耳には入っていません。敬太は、これから始まる危険な修行に自ら挑戦します。
「踏み板が崩れても、このくらいなら向こうまで行くことができるぞ!」
吊り橋に足を入れた敬太は、ギシギシときしむ踏み板の音も気にしません。むしろ、これくらい危険なところを乗り越えなければ修行とは言えません。
少し進むと、早くも踏み板が何枚も続けて外れています。これを見た敬太は、太い縄を両手で握るとそのまま飛び越えました。その後も、踏み板が抜け落ちたところを飛び越えては前へ歩き続けます。
この様子に、大飛丸たちは心配そうな顔つきで眺めています。そばには、ワンべえが背を向けながら震えています。
「いくら修行って言っても……。あの先には、踏み板がほとんどないところが……」
「あそこから落ちたら谷底へ真っ逆さまに……」
大飛丸と伏丸は、すぐに敬太を止めることができなかったことに頭を抱えています。
そんな心配をよそに、敬太は橋の向かい側を目指して進んでいます。ところが、その手前にあった踏み板は何十枚も続けて抜け落ちています。
これでは、普通に飛び越えることは不可能です。吊り橋から谷底へ落下したら、敬太といえども助かる見込みはありません。
しかし、敬太はあきらめるという言葉を絶対に使いたくありません。これよりも厳しい状況で獣人たちと戦うことだってあるからです。
「こんなのぐらい飛び越えて見せるぞ! 絶対にあきらめるもんか!」
敬太はその場からジャンプすると、吊り橋の終点へ向かって高く飛び上がりました。
「よ~し! ここから一気に着地させるぞ!」
空に浮いた敬太は、そこから2回転しながら吊り橋の向こう側へ着地させることができました。敬太は、思わず足をピョンピョン跳ねながら向かいの大飛丸たちに自分のいる位置を伝えています。
「まさか、あんな危険なところを本当に渡り切るとは……」
「敬太が普通の人間じゃないということは分かっていたけど……」
大飛丸と伏丸は、どんな危険なところでも果敢に挑む敬太の姿に驚きを隠せません。普通の人間はもちろんのこと、天狗でさえも危険なところに足を踏み入れるのは考えられないからです。
敬太は、大飛丸たちがいるところに戻ろうと橋の手前から大きくジャンプして踏み板に着地しました。吊り橋なので、踏み板の上で横揺れするのは敬太の頭に入っています。
「わわっ! こ、これくらいのことで立ち止まるもんか!」
恐いもの知らずの敬太は、板が抜け落ちたところを次々とジャンプしながら前へ進みます。こうして、敬太は大飛丸たちがいる橋の入口へ戻ることができました。
「大飛丸さま、ぼくが吊り橋を渡るのを見てくれた?」
「あんな危険なところを1人で渡り切るとは……。敬太は恐いもの知らずだなあ」
「でへへ、ぼくはどんなことがあっても絶対にあきらめないもん!」
大飛丸は、死と隣り合わせの吊り橋を見事に渡り切った敬太の姿に感心しています。敬太も、危険な修行を見事にやり遂げた喜びを体で表しています。
「さあ、次の修行場所へ行くとするかな」
「今度はどんな修行をするの? 教えて、教えて!」
「はっはっは! 敬太の元気さにはやっぱりかなわないなあ」
敬太と伏丸の厳しい修行は、これからが本番です。しかし、敬太にとってはどんなつらい修行であろうと楽しみでたまりません。
「何か楽しそうに歩いているみたいだけど、修行は本来厳しいもの……」
「伏丸くん、ここから次の修行場所まで競争するぞ! それっ!」
「あっ、ちょっと待ってくれよ」
敬太が急な下り坂になっている山道を走り駆けるのを見て、伏丸もその後をついて行こうと走り出しました。これを見た大飛丸は、自分より先へ行こうとする敬太たちに呼びかけました。
「これこれ、2人ともそんなに先に行ったりしたらいけないぞ!」
「大飛丸さま、ごめんごめん」
敬太たちは、大飛丸とワンべえがくるまで待つことにしました。2人の無邪気であどけないところは、人間の子供と全く変わりありません。
こうして、敬太たちは大飛丸を先頭に下り坂を踏みしめながら進んで行きます。吊り橋を見上げながらしばらく歩き続けると、やがて大量の水が流れ落ちるあの場所へやってきました。
「うわあっ! こんなところに大きな滝があるぞ!」
敬太は、滝つぼの中に流れ落ちる大きな滝の迫力に大興奮しています。山奥で暮らしていたにも関わらず、敬太はこのような大きな滝を今まで見たことがありません。
でも、普段からここで修行している伏丸にとっては見慣れた風景です。
「敬太、こんなにすごい滝を一度も見てないのか」
「だって、本当に見たことがないもん」
伏丸はその場で山伏の着物を脱ぎ捨てると、赤い締め込み1枚の姿で滝つぼの中へ入りました。これを見た敬太も、その後を追って滝つぼに飛び込みました。
敬太は、滝つぼの中を気持ちよさそうに泳いでいます。そこには、イワナやヤマメといった川魚が数多く遊泳しています。
「わあっ! こんなにたくさんお魚が泳いでいるぞ」
しかし、そんなことに見とれているわけにはいきません。この滝にやってきたのは、あくまで修行の一環だからです。
敬太と伏丸が大きな滝の真下へ立つと、大量の水が2人の体に打ちつけています。次々と流れ落ちる大量の水が襲いますが、2人は動ずることなくそのまま立ち続けています。
「伏丸も敬太も見事なものじゃ。上から流れ落ちる滝の水に打たれても、じっと耐え続けているからなあ」
大飛丸は、2人が厳しい修行を行っている様子を滝つぼの外から眺めています。
修行と言っても、大飛丸が敬太たちにあれこれ注文をつけたりすることはありません。あくまで、2人が自ら修行に励むことが本来の目的です。
しばらくすると、修行を終えた伏丸が滝つぼの中から出てきました。でも、いっしょにいるはずの敬太が見当たりません。
伏丸は、すぐに後ろを振り向きました。すると、大きな滝に隣り合った岩壁に敬太が登っているのを見つけました。
「大飛丸さま! 伏丸くん! この岩壁を上まで登り切ったら、滝つぼに向かって飛び込むからね!」
敬太は、断崖と同じように岩壁を自らの手足を使って登り続けています。他の人が不可能なことをやり遂げるのも、敬太が獣人の子供であるゆえんです。
あまりの突然のことに、大飛丸も伏丸も敬太を止めることができません。敬太の様子を見ながら、大飛丸たちは無事に戻ってくることを祈るばかりです。
その間も、敬太は小さい岩を手足で支えながら上へ向かって登っています。こうして、岩壁を登り切った敬太は真下にある滝つぼをのぞき見ています。
「わ~い! 滝つぼに大きな滝から流れる水が流れ落ちているぞ!」
大量の水が激しく流れ落ちる様子に、敬太は興奮を隠しきれません。敬太は、岩壁を登り切ったところから滝つぼに向かって飛び込もうとしています。
「ここから一気に飛び込むぞ! え~い、それっ!」
敬太は岩壁の頂上から途中で2回転すると、そのまま滝つぼの中へ水しぶきを上げながら飛び込みました。滝つぼの中から顔を出した敬太は、笑顔を見せながら喜びを爆発させました。
「ねえねえ、すごいでしょ! 高いところから滝つぼに飛び込むことができたよ!」
敬太が歓声を上げると、滝つぼの外にいる大飛丸たちもその姿を見守っています。
「あんなに小さい子供なのに、これだけ元気がありすぎるのって……」
「自ら危険なことに挑んでやり遂げるとは……。こりゃあ、わしが思っている以上のものを持っているかもしれないぞ」
危険を顧みずに修行に挑戦する敬太の心意気に、大飛丸も伏丸も驚くばかりです。




