その3
敬太とワンべえは、うっそうとした森の木々の中を通っています。その真上には、黒いカラスが羽音を立てながら鳴いています。
「敬太くん……。やっぱり恐いワン……」
「ワンべえくん、もうちょっとだからね」
森の中の不気味な雰囲気に相変わらずおびえるワンべえは、恐がるようなしぐさで敬太の足元に寄り添ってきました。
敬太は、そんなワンべえをやさしく抱きかかえようとします。すると、ワンべえは敬太のやさしい温もりに包まれてすっかり安心しています。
しばらく進んで行くと、木々の間からこもれ陽が差してきました。森に広がっていた木々も、次第にまばらになってきました。
「向こうに岩山みたいなのが見えるぞ!」
敬太たちは、遠くからでも分かる大きな岩山を目印にして駆け出しました。ワンべえも、敬太に頼らずに4本足を使って進んで行きます。
「敬太くん、あんなところに洞窟みたいなのがあるワン!」
「どうしてこんなところに……。ちょっとそこまで行ってみよう!」
ここまできたら、洞窟のある岩山まであと少しです。敬太たちは、伏丸がその洞窟にいるかもしれないという期待を抱いています。
森の中を抜けると、敬太たちは岩山にある大きな洞窟の前へ行きました。そこで周りを見渡そうとしたら、聞き覚えのある声が敬太たちの耳に入ってきました。
敬太が振り向くと、洞窟から少し離れたところに天狗の親子がいるのを見つけました。
「伏丸くん、どうしてここにいるの?」
「うわっ、こっちにこないでよ!」
伏丸は敬太たちの姿を見ると、あたふたしながら何かを隠そうとしています。伏丸の後ろには、物干しに布団らしきものが干されているように見えます。
敬太は、伏丸が必死に見せないように隠しているのが不思議でなりません。
「伏丸くん、何で隠しているの? そんなに隠さなくてもいいのに」
「ぼくもそれを見たいワン!」
「わっ、何でこっちに……。わわわっ!」
伏丸はいきなり飛びついてきたワンべえをよけようとして、思わず尻餅をついてしまいました。すると、伏丸が今まで隠していたのが敬太たちの目の前に現れました。
そこにあるのは、見事にやってしまった伏丸のおねしょ布団です。
「あっ! 伏丸くんもお布団にでっかいおねしょをしちゃったの?」
「違うわい! 昨日の夜、とっても暑くて汗をいっぱいかいただけだい!」
この期に及んでも、伏丸はおねしょのことを必死にごまかそうとしています。この様子を見た伏丸のお父さんは、左手で持っているあの証拠を差し出しました。
「はっはっは! そんなに隠そうとしなくても、おねしょした証拠はこのわしがちゃんと持っているぞ」
伏丸のお父さんが手にしているのは、伏丸の赤い締め込みの布です。その締め込みはかなりぬれており、伏丸がおねしょしたことがはっきり分かるものです。
「父ちゃん、おねしょしちゃってごめんなさい……」
「おねしょしたってもわしは気にしてないから、その場で素直に言えばいいのに」
どんなにおねしょしても、お父さんは決して伏丸を怒ることはありません。それでも、伏丸はやってしまった証拠を見られてかなり恥ずかしそうです。
すると、その様子を聞いていた敬太がいつもの元気な声でこう言い出しました。
「ぼくは、いつもこんなにでっかいおねしょをしても全然へっちゃらだよ!」
「へっちゃらって? 敬太も、おれみたいにまだおねしょするのか?」
「まだ7歳だもん! お布団におねしょをするのはまだ当たり前だもん!」
おねしょをしちゃっても、敬太はそれでしょんぼりすることは全然ありません。むしろ、おねしょ布団をみんなの前で必ず自慢するほどです。
目の前に現れた敬太の姿に、伏丸のお父さんは河原の高い木で見たちびっ子の姿とそっくりであることに気づきました。
「おおっ、お前さんだったのか! あの河原で恐ろしいクマをやっつけたのって……」
「手ごわいツキノワグマと戦っているところを見ていたの?」
「そういうことじゃ。まあ、お前さんはわしが見ていたというのは知らないだろうけど」
敬太は、自分の戦いぶりを見ていた人が目の前にいることに驚いています。もっとも、伏丸のお父さんが見ていたことなど、敬太には知る由もありません。
「ところで、お前さんの名前は?」
「ぼくは敬太という名前だよ! 7歳児のとっても元気な男の子だぞ!」
「はっはっは! こりゃあ、風の便りで聞いた通りじゃ! あれだけの元気な男の子は今まで見たことがないなあ」
伏丸のお父さんは豪快な笑い声を上げながら、いつも元気な声でしゃべる敬太の表情に感心しきりです。しかし、伏丸のお父さんが感心しているのはそれだけではありません。
「あれだけ凄まじい力を持つ敬太だけど、毎日のようにおねしょをしたり、ところかまわずでっかいおならやうんちをしたりと赤ん坊っぽい癖は相変わらずだなあ」
「でへへ、元気な子供ならこれくらいのことは当たり前だぞ!」
「はっはっは、こりゃあまいったわ。やっぱり、元気な子供ならこうでなくっちゃ」
大人顔負けの力強さを誇る一方で、子供っぽい癖が残っているところも敬太の元気さを表しています。その元気さは、伏丸のお父さんも思わずたまげるほどです。
「おっと、わしも名前を言わないといけないな。わしの名前は大飛丸と言うのじゃ」
「大飛丸さま……。よ、よろしくお願いします!」
「これこれ、そんなに緊張しながらかしこまらなくていいぞ。わしが見たいのは、敬太の元気で前向きなところじゃ」
豪快な顔つきの大飛丸ですが、子供を見るときは柔和で穏やかな表情をしています。それは敬太に対してはもちろんのこと、自分の子供である伏丸に対しても同じです。
そうはいっても、天狗は本来険しい山の中で暮らしています。それ故に、天狗ならではの厳しい目つきに変わることも少なくありません。
「今から天狗としての修行を行うところだが、敬太も伏丸といっしょに修行しておいたほうがいいぞ」
「天狗の修行ってどんなことをするのかな?」
「これから行う修行は相当厳しいものになるぞ。それなりの覚悟はできているか」
大飛丸は口に出さなくても、敬太が獣人の子供であることをすでに見抜いています。敬太にあえて厳しい言葉をかけたのも、これから行う厳しい修行に耐えられると見込んでいるからです。
「大飛丸さま、どんな修行であっても絶対にやり遂げて見せるぞ!」
「はっはっは! これからの修行は相当きついものになるけど、本当に大丈夫かな?」
「どんなにきつくたって、このくらいのことは全く平気だよ!」
敬太のそばには、山伏姿になった伏丸がやってきました。これから始まる厳しい修行を前に、伏丸は少し緊張しています。
「敬太、本当に大丈夫なのか? 修行はそんなに甘いものじゃないぞ!」
「どんな修行だってやってみなくちゃ分からないもん!」
伏丸の心配をよそに、敬太はいつも通りの元気な笑顔を見せながら平然としています。
山伏の格好をしている天狗の親子に対して、敬太はこれまでと同様に赤い腹掛け1枚だけの姿です。敬太と伏丸は、先頭を歩く大飛丸の案内に従いながらついて行きます。
敬太の様子を心配するのは、伏丸だけではありません。いつも敬太と行動をともにするワンべえもまた同様です。
「何か不安な予感がするワン……。敬太くんが心配だワン……」
ワンべえは、あわてながら敬太たちの後を追って行きました。この先、どんな修行が行われるのか不安でしようがありません。




