その2
敬太たちは、再び山道へ戻ろうと谷底から断崖を登り続けています。
断崖を登ることは、敬太にとってお手のものです。でも、ものすごく高い断崖に普通の人は二の足を踏んでしまいます。
それは、敬太の背中にしがみつくワンべえの身震いする姿が全てを物語っています。
「敬太くん、本当に恐いワン……。ここから落ちてしまいそうだワン……」
「ワンべえくん、ごめんね。あと少しだから、絶対に手を離したらダメだよ」
谷底からずっと登り続けるわけだから、恐くないと言ったらウソになります。しかし、恐いもの知らずの敬太はそんなことを気にすることなく断崖を登っています。
こうして、断崖を登り切った敬太とワンべえはようやく山道へ戻ることができました。相変わらず元気いっぱいの敬太の横で、ワンべえは地べたでぐったりしています。
「高いところを登るのは、もうこりごりだワン……」
そんなワンべえを見て、敬太は両手でやさしく抱き上げました。
「これからつらいことがあるかもしれないけど、ぼくとワンべえくんはいつもいっしょだからね」
「ぼくも、敬太くんといっしょならさびしくないワン! ペロペロペロペロ~ッ」
「ワンべえくんったら、くすぐったいなあ」
厳しい旅が続く中にあっても、敬太とワンべえの友情が揺らぐことはありません。こうして、敬太は赤い腹掛け1枚でワンべえとともに山道を進んで行きます。
敬太たちが歩いているところは、人家が全く見当たらない山の中です。まだ夏の暑さは残っていますが、秋を予感させる心地よい風が敬太の髪をなびかせています。
しばらくすると、敬太は周りの様子が変なことに気づき始めました。木々の間から見える空には、多くのカラスが羽音を立てながら飛び回っています。
「敬太くん、なんか気持ち悪いところなんだワン……」
「ワンべえくん、ぼくがついているから心配しなくても大丈夫だよ!」
ワンべえはあまりの気味悪さに、敬太にしがみつきながら身震いしています。そんな中にあっても、敬太は恐がる様子を全く見せません。
山道をひたすら進んで行く敬太たちですが、その先には何が起こるか分かりません。そうした中で、敬太たちは上り坂に差し掛かかろうとします。
「わっ! わわわっ! 敬太くん、早く逃げようワン!」
「ワンべえくん、どうしたの?」
「で、でっかい岩におしつぶされるワン! ここから早く……」
坂道から転がり落ちる巨大な岩を見て、ワンべえは身震いをしながら逃げ出そうとします。そんな中にあっても、敬太は恐がる様子を見せずに坂道を駆け上がって行きます。
「敬太くん、そっちへいったら危ないワン!」
「どんなにでっかい岩であっても、絶対に食い止めて見せるぞ! えいええ~いっ!」
ワンべえがどんなに止めようとしても、敬太の耳には届いていません。敬太は、目の前に迫ってくる大きな岩を食い止めようと必死です。
「んぐぐぐぐっ! んぐぐぐぐぐぐっ! んぐぐぐぐぐぐぐぐっ!」
その岩は、敬太の身長とほぼ同じくらいの高さがある巨大なものです。それをもろともせずに、敬太は自らの力で押しとどめています。
しかし、敬太の力強さはそんなものではありません。今度は、歯を食いしばって巨大な岩を一気に持ち上げようとします。
「ぐぐぐぐっ、ぐぐぐぐぐぐぐっ……。ええ~いっ! とりゃあああああああああっ!」
敬太は大きな岩を真上に持ち上げると、そのまま左側の森の中へ思い切り投げ飛ばしました。そして、森の中からは敬太の耳に入るほどの大きな轟音が響き渡りました。
この様子を見て、ワンべえは再び敬太のところへ駆け寄りました。すると、かすり傷一つない敬太の体にワンべえは驚きを隠せません。
「敬太くん、ケガとかしなかったワン?」
「あれだけでっかい岩であっても、ぼくはこの通り全然へっちゃらだぞ!」
敬太が見せる両腕の力こぶは、力強さを示すシンボルといえるものです。相変わらずの敬太の元気さに、ワンべえもすっかり参っています。
そのとき、敬太たちの前に今まで見たことがない謎の少年が現れました。10歳ぐらいとみられるその少年は、裸に赤い締め込み1枚だけの姿で仁王立ちしています。
「あんな岩を森のほうへ投げたのって、もしかしておまえか?」
「どうして知っているの?」
「びっくりしたぜ。普通の人間だったら、こんなことなんかできないからな」
その少年は、その場で敬太が普通の人間ではないことを見抜きました。それは初めて会ったにもかかわらず、まるで敬太の行動を知っているかのような感覚です。
「おっと、自己紹介していなかったな。おれの名前は天狗の伏丸って言うんだ」
「伏丸くんって天狗の子供なの? じいちゃから聞いた天狗とは顔が赤かったけど……」
伏丸の自己紹介に、敬太は少し違和感を感じています。伏丸の頭には頭襟がありますが、それ以外は普通の子供と変わりないからです。
「それは口伝えでの話なんだけどな。天狗は赤い顔をしているとか、羽をつけて空を飛ぶことができるとか言うけど」
「じゃあ、空を飛ぶことはできないということ?」
「当たり前だろ。そういうのって、人間の作り話なんだから」
敬太は、これまで知っていた天狗のイメージとは全く違うことに気づきました。それは人間ではないけど、自分と同じように人間の姿をしているということです。
伏丸は生意気なところがあるけど、その口ぶりからは敬太のことを好意的に見ているようです。
「そういえば、おまえの名前をまだ聞いていないな」
「ぼくの名前は敬太で、まだ7歳児の元気いっぱいの男の子だよ!」
「はっはっは! 敬太って、いつも明るくて元気なのが取り柄なんだな」
敬太は、自己紹介でもあいさつでも相変わらずの元気さを誇示しています。そんな敬太の姿に、伏丸は思わず大笑いしています。
「そういえば、敬太はお相撲が大好きだそうだな」
「お相撲だったらまかせてよ! どんな相手であっても絶対に負けないぞ!」
お相撲が大好きな敬太は、自信満々の笑顔を伏丸の前で見せています。でも、お相撲が大好きなのは天狗も同じです。
「それなら、森の奥へ入ってお相撲で勝負だ!」
「わ~い! わ~い! お相撲だ! お相撲だ!」
伏丸が森の中へ入ると、敬太とワンべえもその後をついていきます。その途中、ワンべえは敬太におびえた声で何か言おうとしています。
「敬太くん、森の中にカラスの群れが……。不気味で気持ち悪いワン……」
「そんなにおびえなくても大丈夫だよ。いざというときは、ぼくが守ってあげるからね」
何十匹もいる黒いカラスの鳴き声と羽音に、ワンべえは体を震わせながら恐がっています。それでも、ワンべえは敬太の励ましに勇気を出して進み続けます。
すると、薄暗い森の中に空間らしきものが見えてきました。その空間は森の中にぽっかりと存在しており、中心にはお相撲の土俵があります。
「あれっ、こんなところに土俵があるよ。もしかして……」
「よく気づいたな。ここでおれとお相撲の勝負だ!」
「伏丸くん、望むところだ!」
敬太と伏丸は、土俵へ入ると腰を下ろして向かい合っています。腹掛け姿の敬太も、締め込み姿の伏丸もここで負けるわけにはいきません。
「行くぞ! そりゃあっ!」
「絶対に負けるものか! とりゃあっ! とりゃあっ!」
2人がお互いに右四つを取ると、伏丸は年下である敬太を押し出そうとします。しかし、どんなに押しても敬太は全くビクともしません。
「うぐぐっ! ちっちゃい子供が相手なのに、前へ押し出すことができない……」
「どんなに伏丸くんが強くても、ぼくは絶対に負けないぞ! ぐぐぐぐぐぐぐっ!」
最初は強気だった伏丸も、次第に焦りが見えてきました。これを見た敬太は、凄まじい力で一気に伏丸を土俵の外まで押し出しました。
「わ~い! お相撲で伏丸くんに勝ったぞ!」
「今はちょっと油断しただけだい! もう一度お相撲で勝負だ!」
勝負に勝って喜んでいる敬太を横目に、伏丸はくやしさをにじませています。それでも、自分よりも小さい子供に負けたとは認めたくありません。
再び土俵へ入った伏丸ですが、何回取っても敬太の力技にことごとく負けてしまいました。これには、さずがの伏丸も敬太の強さを認めざるを得ません。
敬太は土俵から降りると、明るい笑顔を見せながら伏丸の前で右手を差し出しました。
「伏丸くん、ぼくと友達になろうよ!」
「友達って、まさかこのおれと?」
「友達になってもいいでしょ! だって、子供たちと友達になるのが大好きだもん!」
敬太は、友達になる相手が人間であろうとなかろうと関係ありません。どうしても友達になりたいという敬太の気持ちは、伏丸にも十分に伝わっています。
「敬太の気持ちに負けたよ。こんなおれだけどよろしくね!」
「伏丸くん、これからもずっと友達でいようね!」
敬太と伏丸は、右手で固い握手を交わしました。握手することは、敬太にとって友達であるあかしです。
ワンべえも、友達になった2人の笑顔をうれしそうに見つめています。
そのとき、森の木々の間から山伏に身を包んだ男らしきものが現れました。
その男は、端正な顔立ちで口の周りがひげでおおわれています。伏丸と同じように頭襟があるほか、両足には一本歯の高下駄をはいています。
「お~い! 伏丸、こんなところにいたのか」
「わわわっ! 父ちゃんだ!」
伏丸はお父さんが近づいてくるのを見ると、すぐさま駆け足で森の中へ入って行きました。そこは、伏丸のお父さんが出てきたところと同じ方向です。
「伏丸、どうして急に……。もしかして……」
あわてて駆け出た伏丸を見て、お父さんは左手に赤い布らしきものを持ってその後を追って行きます。赤い布は、何重にも重なっているように見えます。
「ひょっとして、あの森の中に伏丸くんが住んでいるのかも……」
伏丸の一連の行動に、敬太とワンべえも気になってしようがありません。敬太たちは、伏丸の後を追うように森の中へ入りました。




