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燕と姫君  作者: はくろ
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「うまくいきません」

 ふうとため息をついて、レイネシアは手にしたカップに口を付けた。

 だらけてうんざりとしたような表情であってさえ、不思議と上品な雰囲気が崩れないのは、彼女が身につけた教育の賜物なのだろう。

「うまく行かない時もある、と、思う」

 眉をハの字にして隣に座るアカツキが答える。全部が全部うまくいく事なんて決してない。それがわかっているから、アカツキも安易に保証なんてできないでいる。

「なんだか……いつも、うまくいかない気がします。なんとかはなっても。して、もらっても。……うまくいっては、いないのでは、ないかしらと」

 この後なにやら難しい会合が待っているのだというレイネシアは、その時、大層落ち込んでいて、自信なさげで、そして悔しそうだった。

「そんなこと、ないと思う」

「そうでしょうか……」

 レイネシアに倣って湯呑みの中身をすすりながら、アカツキもしょんぼりとしてしまう。大事なともだちをちゃんと励ましたいのだ。そうは思うのに、ぶっきらぼうな言葉しか出てこない。これもまた、うまくいかない事の一つだ。それでも、何とかやってみる事なら出来る。

「レイネシアは、ちゃんとやってる」

 彼女はとてもとても大きな事を成し遂げた。それからだってその結果を引き受けて、家族と離れて遠くアキバまでやってきた。こうして日々悩みながら、仕事に忙殺されている。

 うまく、なのかはアカツキには判らない。きっと他の誰にも判らない事だ。

 誰もした事のない事をしているのだから、それは当然なのだし、レイネシアがずっと頑張っているのも知っているのだけれどと、アカツキは思う。

 彼女が〈冒険者〉にくれたのは、とても大事で大きな贈り物だった。〈冒険者〉だけではなく、〈大地人〉にとってもきっとそうだ。でもそれを彼女自身は解っていないのかもしれない。伝わって、いないのかもしれない。

 だからそれを伝えたくてアカツキは口を開く。

「主君も誉めていた」

「ほめ……シロエ様がですか?」

「うむ」

 アカツキは重々しく頷くが、レイネシアにとっては驚き以外の何物でもなかった。

 かの青年は目の前の大事な友人の想い人である。ではあるのだが。

 シロエという名の円卓会議の重鎮は、彼女にとってある意味でクラスティ以上に苦手な存在だった。

 あのスカート(とは呼びたくない何か)は今でも彼女のトラウマだ。実際にあの衣装を着せたのはアカツキだったのだが、淡々と冷静に容赦も遠慮も会釈も手加減も無しに彼女をいきなり舞台に押し上げたシロエの印象は、未だに苦手意識としてレイネシアの中で根強く残っている。

「主君は主君に考えつかなかった事をレイネシアがしたんだって、言ってた」

 領主会議からアキバへ向かうグリフォンの背での事だ。礼を尽くすというのは考えていなかったと、そう言っていた。あれは多分最大級の賛辞だったのだ。

 礼を尽くすというのは、わたしとあなたが違うものだと認める事だ。認めて、認めた上で、違うけれども一緒に歩もうとする意志なのだ。

「<大地人>と<冒険者>が一緒に暮らす世界は誰も見た事がなかった。今のアキバはだから、誰も見た事のない世界だ。それを最初に見せてくれたのはレイネシアで、レイネシアはとてもすごいことをした。あそこにいた人は皆知ってる」

 あの冬の日を越えたアカツキは今では少しはわかる。わかるようになった。ここは、小さくて些細で、そしてとても大きな秘密が溢れる場所だ。

 アカツキの主君が守るために頑張っていて、戦っていて。アカツキにとっても心の内で大事に抱きしめる大切な場所だ。

 そんな今のアキバの形を作るきっかけは、確かにレイネシアだった。そしてそれは、今やアキバ一箇所だけの話ではない。

 高位の貴族達と未知の存在だった<冒険者>達と。一触即発のピリピリとした空気が満ちた会議室、対立しあうその真ん中で凛と立った彼女をアカツキも見ていたのだ。

 何と言えば伝えられるのかもどかしくて、アカツキは言葉を探すようにゆらゆらと揺れる湯気の中に目を凝らす。

 〈パルムの深き場所〉を抜けて見たあの朝焼け。にゃん太の作った鹿の串焼き。始めてのギルドタグ、円卓会議、リ=ガンの書斎。

 そして、夜更けの大規模戦闘(レイド)

 全部が冒険で全部が新しい光景だった。そうやって何かを、新しい夜明けを探しに行くのが冒険者なのだ。

 同じように、レイネシアが扉を開いてくれた今のこの街は、そのまるごとが冒険の申し子なのだとアカツキは思う。

「レイネシアも、冒険者だ」

 うん、そうだ、とアカツキは自分の言葉に頷いた。

「新しい景色を見に行くのが冒険者なんだと思う。〈冒険者〉とか〈大地人〉とか職業とか、そういうのではなくて。だから、レイネシアも冒険者だし、仲間だ」

 手の中にあった湯呑みを置いて、アカツキはレイネシアに向かい合った。

「今、わたしたちはすごい冒険をしてる。アキバで。みんなで。レイネシアが先陣だ。うまくいってるかどうかは……多分、まだ誰にもわからないんだ」

「わからないのは、困りますね」

 アカツキの言葉を首を傾げてじっと聞いていたレイネシアは、本当に困ったように呟いた。

 今までは(アキバに来る前、という事だ)レイネシアには正しい姫君である事が求められていたし、正しい姫君像は教えられ与えられていた。ある程度成功もしていたように思う。しかし、アキバではその正しさはあまり意味をなさない。だから今のレイネシアはいつも戸惑いの中で右往左往しているような気がする。

「うん。困るし、大変だ」

「はい」

 顔を見合わせて、二人は苦笑を交わした。

 世界は大変な事ばかりで、今だって頭痛の種である高位貴族との会議がなくなったわけではないし、それが終わったからといって安心する間もなく、次のやっかい事はやってくる。

 それは何も変わらない、変わってはいない。

「でも、そこからみんなで見る朝焼けはきっときれいだ」

 だが、ここにはレイネシアがレイネシアである事こそを求める人達がいる。シアがどんなに怠け者で臆病でも正しくなくても。恐る恐るの小さな一歩でも、踏み出す足を見てくれる人がいる。

「わたしっ」

 我慢しきれずにレイネシアの目からぽろりと涙が溢れる。それを拭くこともせず、レイネシアは手を伸ばす。

 アカツキはその細い腕の中に抱き込まれた。華奢な手に籠もる力は少しも苦しくはないが、突然の事に狼狽えて名前を呼ぶ。

「レイネシアっ?」

「わたし、アカツキさんが、大好きですっ」

 しゃくりあげながらのレイネシアの言葉にアカツキは目を丸くした。

「わ、わ、わたしだってレイネシアの事は大好きだぞ!」

 反射的にそう返して、アカツキは顔を赤くする。大好きなんて、思っていても言葉にすることはとても少ない。

 それでも泣きながら笑う顔が、届いた声が嬉しくて、アカツキの目にもじわりと涙が滲んだ。



(遠くないいつか、道は離れて行くのだけれども)

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