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淡いピンクの上品な色合いにまとめられた水楓の館の応接間では二人の少女がソファに仲良く並んで座っていた。
テーブルに並んでいるのは、薄い白磁のティーセット。その横には耐久度が高そうな湯呑みがでんと鎮座している。大地人の貴族が住まう瀟洒な館よりも寿司屋のカウンターが似合いそうなそれは、もちろんの事元からあったものではなく、暖かな湯気を立てるほうじ茶を含めてエリッサの心配りだ。
「あんぱん、食べる?」
ごそごそと魔法の鞄を探り、アカツキはイラストの描かれた茶色い紙袋を取り出した。
「もちろん、いただきます」
両手を打ってレイネシアが喜色を見せる。
「アカツキさんのお奨めはいつもとても美味しいですから」
「ふたつある」
いつもアカツキが持ち込むあんぱんは二つどころかテーブルに小山を作りかねない量で、それを言えば<冒険者>である"友だち"は大量のお菓子や軽食を持ち込むのが常ではあるが。それをわざわざふたつと言い添えたのにレイネシアは首を傾げた。
「どちらが良いだろう?」
アカツキの両手の中にあるあんぱん(ふんわりしてあまくてやさしくて寝台に転がりながら食べても中身が落ちたりしなくて焼きたてのほかほかも冷めてしっとりしたのも美味しいすばらしい食べ物だとレイネシアは思う)はどちらもおなじくらいの大きさと色をしていて、同じ位おいしそうだった。
「では、…右側を」
差し出されたあんぱんを受け取って、ふたりでぱくりと咥える。あんぱんは千切らないでこうやって食べると美味しいのだとアカツキが教えてくれたのだ。
中まで食べ進むと、食べた事のある餡の味ではなく、もっとこっくりとした甘さと柔らかい感触を感じてレイネシアは目を瞬いた。
(おいしいです…!)
予想していたものとは違うがその違った美味しさに惹かれてもう一口。ほんのりとしたバターの味と一緒に飲み込めば、名残の様に微かに酒の香りが舌の上に感じられる。
「レイネシアのは、芋餡」
美味しい?と聞かれるのにこくこくと頷いて自分が齧った断面を確かめる。ひよこの様な黄色が顔を出していて、その色合いもまた可愛いらしいと、笑みがこぼれた。
「こっちがずんだ餡だった」
ほら、と示された爽やかな緑色と聞いた事のない名前に、レイネシアはアカツキの手元をまじまじと見つめてしまう。
「食べる?」
首を傾げたアカツキから端的な言葉が返って、今更のように悩む。
(絶対に食いしん坊だと思われてます、間違ってはいない気もしますけれど、でもっ、皆さんが持ってきてくださるおやつがみんな美味しいのがいけないんだと思いますっ)
「こ、交換をっ、しませんかっ」
何に対してかは疑問だが、せめてもの抵抗にとささやかな提案をすると、アカツキはこくりと頷いた。
いそいそと半分こにしたあんぱんをそれぞれが両手に持ち、二人は揃って笑みを零す。
エリッサに見られたら行儀が悪いと叱られるに違いないが、実はお行儀の悪い食べ方は美味しいという秘密をレイネシアは既に知っているのだった。
初めての食べ物に対して身構える。それは大地人があの再発見から新しく身に着けた習慣だ。
何しろ食事に味があるのだ。味があるという事は、美味しい物もあるが、反対に不味い物もあるという事でもある。
それでも水楓の館に持ち込まれる食べ物は基本的に"美味しい"ばかりなので、この場合身構えるというのは期待に心躍らせるのとほとんど変わらない。
そんな風に身構えながらレイネシアは緑色の餡ごとパンを口に入れた。
残された粒の形が歯の間で潰れる食感が、芋餡の滑らかさと違って目新しい。粒とは言っても餡を食べた時の小豆の皮のようなものは感じられず、噛んでいる間にいつの間にか口の中に溶けて行く。甘味は強くないが、色味と同じような爽やかな甘さで、それをミルクの風味が包む。
「おいしい…」
思わずといった様に呟きながら一生懸命咀嚼する姿に、アカツキは僅かに頬を緩ませた。
「この、ずんだ、というのは何から出来ているのですか?」
「ん、枝豆…若い大豆を茹でて、潰して作るそうだ」
「大豆なのですか? それは、あの、味噌、という物の材料ではありませんか?」
「そう」
その質問には肯定の頷きが返る。
だが、レイネシアの記憶に依れば、味噌はかなり塩気が強い調味料だったはずだ。中でもただでさえ美味しいおにぎりをさらに炙って作ったという"焼きおにぎり"という食べ物に使われていたのは記憶に新しい。塩味と微かな豆の甘みと複雑な旨みが絡み合って、炙られて焦げた部分の香ばしさは他に比べ様が無い。焼きたての熱々を吹き冷ましながら、白いご飯の部分と焼けた味噌の部分がバランスよく口に入る様に少しずつ食べるのに、何故かあっという間に手の中から消えているという恐ろしくも慕わしい食べ物だ。食べ終わった後に名残惜しく味の付いた指を舐めていたらエリッサに怒られたので良く覚えている。
その味と、今食べている物が上手く結びつかなくてレイネシアは手の中のパンを更に一口食べ進む。
「全然違うのですね」
「豆腐も大豆から作る」
「え? 豆腐は、あの、白くて四角くてあまり味のしない食べ物ですよ、ね?」
アカツキからしてみれば、彼女の大事な主君の好物であるのでつい口に出ただけなのであって、まったく他意はなかったのだが。レイネシアはそれを聞いてますます混乱した。
「大豆というのは、豆だと思っていたのですけれど」
食べ終わって空いた指で、これくらいの、と大きさを示す。
「それで合ってる。普通は薄茶色の豆だから」
「ウツルギ地方からの報告に、冒険者の方々からは随分と引き合いがあったと聞いてはいましたが…。そのように不思議な食べ物があるのですね…」
まるで魔法の様ですと目を瞬かせるレイネシアを見て、アカツキにちょっとした悪戯心が湧き上がる。
「今度、きなこを探してくる」
「それも大豆から作るのですか?」
「大豆から作る。レイネシアは餅を食べた事はあるだろうか。ええと、大福の皮の部分」
「はい、この間頂いた豆大福はとても柔らかくて美味しかったです」
「皮の部分だけ丸めて食べる時にかけて食べると美味しい」
「あんことは違うのですか?」
「黄色くて甘い粉」
「…粉?ですの?」
アカツキが話題に出すからには美味しいものなのだろうとは思うが、それがどういったものなのかさっぱり想像がつかない。
味噌と餡は、共にペースト状の食べ物だ。豆腐も柔らかいからその仲間かも知れない。しかし同じ物から出来ているらしいきなこが粉と言うのはどういう事かと、レイネシアは首を傾げる。
完成品を手にする事はあっても、材料や製法など、その前段階について知っている貴族は少ない。精々それは税金が掛けられるものであるかどうか、程度だ。むしろ、レイネシアが大豆がどういうものか知っているという一事は彼女の学習意欲と知識の深さの証明でもある。
その知識をもってしても、<冒険者>もとい日本人の大豆に対する偏愛っぷりは想像の埒外だったろう。
所をセルデシアへと変えてもそれはまったく変わっていないどころか、むしろ味のないふやけ煎餅時代を経たおかげで、執着度は増しているかもしれない。
ロデ研を始めとした食品製作系職人による研究によって醤油や味噌が完成した時の『アミノ酸サイコー!』という歓声など、同じ<冒険者>であっても他国サーバー出身者からすれば狂気の沙汰に違いない。その大豆製品に対する意欲を、<大地人>のレイネシアが理解するのは中々骨が折れる事だろう。
頭上に疑問符を飛ばすレイネシアが何やら可愛らしくて、アカツキはつついてみたい気分になるのをお茶をすする事で誤魔化す。
「か、からかってませんか、アカツキさん!」
「からかってない」
至極真面目な顔を作ってアカツキは首を振った。
「笑ってます!」
「笑…って、な」
その真面目な顔も次の瞬間我慢しきれずに噴出しては台無しだった。
「もう!ひどいです!」
ぽかぽかと叩かれても、レイネシアの小さな手はまったく痛くない。それに余計笑ってしまいそうになるのを堪えて、アカツキは大事な友人のひとりである製菓職人の名前を出す。
「でもきなこは本当。ミカカゲに聞いてみると良いと思う」
「今日はいらっしゃるでしょうか、ミカカゲさん」
「来なかったら誘ってくる」
「楽しみです」
「うん。きなこは私も好きだから楽しみだ」
(それに、今度老師に大豆尽くしをお願いできないか頼んでみるとしよう)
こっそりとそんな事を考えて、アカツキは笑みを深くした。