2 訪問者
大切なものを失った女王の日々は、また元に戻っただけでした。
ただ、もう外の世界を見に行こうとはしませんでした。
静かに朽ちていくだけの日常。
幸せな日々があっただけに、その落差は大きいものでした。
臣下たちは、女王の落ち込みようを見て心を痛めました。
それでも、女王は己の役割をまっとうしました。
決して逃げず、泣きもせず、ただ静かに日々を過ごしました。
その静けさが当たり前になり一年が過ぎたころ、北の国に訪れる者がありました。
その容姿を見た者達は、恐れおののきましたが、門前払いをできるわけもなく城へ招き入れました。
訪問者は、燃えるような赤い髪、星のように煌めく金の瞳でした。それらは、まぎれもなく炎の竜の特徴。
美しく整った容姿の男は、幼体だったエドと違い成体のドラゴンでありました。
その容姿はまさに神々しい美しさで、人とは違う存在であるということを知らしめました。
謁見の間で対峙するドラゴンと女王。その雰囲気は、酷く殺伐としたものでした。
ドラゴンの瞳には、親しみなどはなく、ただ厳しいものだけが光っていました。
「私への報復ですか? 」
その様子を見て、女王は皮肉げに微笑みました。
一族の子どもを勝手にさらったことに対する報復。同族意識の強いドラゴンだから、このようなこともあるかもしれないと女王は覚悟していました。
ドラゴンの炎に包まれる国を思って、女王は少しだけ眉をひそめました。
嫌いではない、だけど、決して好きでもない。己が治める国。
なくなればよいとずっと思っていたけれど、いざそれが現実味を帯びるとじくじくと痛むものがありました。
わたしは、いったい、どうしたのだろう。
そう思い、瞳を伏せた女王に、ドラゴンの男は厳しい視線を突き刺し、こう言い放ちました。
「北の国の主、氷の魔女よ。我が同胞に施した呪いを解いてもらおう 」
「…なんのことでしょう 」
男の言ったことは、女王にとってまったく予期せぬものでした。
健やかでありますようにと願いこそすれ、呪いなどかけるはずもありません。
女王の困惑した表情に、男はさらに厳しい声で問いかけます。
「彼の者は、我らを害するようになった。我らと共に在ろうとはしなくなった。我らを憎むようになった。それは、全て、北の国から帰還してからだ 」
そんなわけはない。あの、誰よりも優しかった子どもが、仲間をそのように扱うはずがない。女王は、反論しました。
しかし、男は女王の言葉など聞き入れもしません。ただ、呪いを解けとだけ言うのです。
「ただでさえ、悪魔の呪いを受けた身なのだ。そのうえ、魔女の呪いなど、あまりにも哀れすぎる 」
そう言って男は、苦しそうに瞳を伏せました。
悪魔の呪いという言葉に女王は眉をひそめました。あの美しい子どもが呪いを受けていたなんて、知らなかった。
あぁ、ならばどんな手を使ってでもこの手をその呪いを解いてあげたい、そう思って女王は溜息を一つつきました。
もう、会うことも叶わないのに、どうしてそんなことが望めただろう。
「私は、呪いなどかけておりません。もしも、お疑いならばワールズから使者を使わせてその証明をいたしましょう 」
女王のそんな言葉に、男も納得したのか怪訝そうな表情をしながらも頷きました。
そうして、ドラゴンと女王の謁見は終わりを告げました。
夜、女王はナイトドレスに着替えを済ませて、窓から外を見つめていました。
空を覆う魔法障壁の向こうには、吹雪の夜空が見えます。
「北の国」は要塞国です。しかも、ただの要塞ではなく魔法要塞国です。国を囲むように魔法障壁が何重にも覆う様にはられています。
街並みは碁盤の目のようになっており全て石造り。その石、一つ一つは魔力の込められたもので、それらの家や店は有事の際には全てが魔法で砲台になり得ます。
障壁に守られた丸いドームのような国の中心には、女王の住む城があります。この国で唯一石造りでない城。クリスタルのような透明な氷が城の全てを覆っている、氷の城です。
その氷は、女王の魔法でできており、何者にも破壊されることは在りません。
もしもこの城を壊すならば、その時は女王の意思が動いた時のみ。魔法の国へ通じるゲートを永遠に閉じなければならない時です。
そして、城が崩れれば、そのままこの国は一緒に崩れていきます。
なぜならば、この「北の国」は、氷の城にあるゲートを守る為だけに作られた国だからです。
魔法を使えない人が、魔法使いの国へ行くためのただ一つのこの場所は、絶対不可侵でなけばなりません。
だからこそ、ここは要塞国でなければならないのです。
北の国を総べる女王は、世間では「氷の魔法使い」と呼ばれておりました。
あまりのその存在を知られていない魔法使いですが、「氷の魔法使い」だけはその名を広く世界に知られていました。
魔法の国の番人であり、監視者であり、絶対的な存在。
ともすれば、おとぎ話のようなその名は、子どもが小さなときに教えられる教訓でした。
悪いことをすると、氷の魔法使いがやってきて北の国へ連れて行くよ。
子どもたちは最初に、そう教えられます。女王も、何も知らない子どものときはそう教えられました。
だから、悪いことをしないようにしていた。
でも、
「でも、私の何がいけなかったかなんて、わからないわ 」
遠く、遠く、もう思い出せない故郷を思って、女王はポツリと呟きました。
涙は、もう出ませんでした。