記憶:3
艶やかな黒髪に、世界で一番綺麗だと思う紅色の瞳。その瞳を見つめて、誰かが愛をささやく。それに対し、その黒髪の者もその人に愛をささやいた。その二人はとても幸せそうだった。他の何もかもを投げ出しても、お互いお互いがいればそれでいいとさえも思えていた。だが、その二人を見て憎悪を抱く者がいた。
――それが、総ての始まりだった――
「………転入生の、名古屋狼…よろしく……」
ぎゅ、と握手を交わした。
「……同クラスの、朝比奈紫苑……よろしく」
実際はよろしくするつもりなどはないが、社交辞令だ、と一応云う。狼は紫苑をじぃ、と見つめて、ふわりと微笑った。その時――
―やっと、逢えた―
と口が動いた気がした。紫苑はある程度読唇術が出来るため、多少の口の動きなら判るのだ。
やっと、とはどういう意味だろうか。自分と狼とは、今初めて会ったのに。どちらかというと記憶力のいい紫苑は、こんなにも綺麗な顔をした同年代は見たことはないな、と記憶を掘り出す。
――そういえば、こいつ……“初めまして”って云ってない……つか、俺もか……
何故だろう。“初めまして”に違和感がある。
「取り敢えず、クラスに案内する」
「うん、ありがとう」
職員棟を出て渡り廊下を通じて2年棟へ行く。ここの学校の校舎のつくりは少々入り組んでおり、新入生はよく迷子になりやすいが、紫苑は一発で地図を暗記し、他の生徒のように迷子になり、移動教室で遅れた、などということはなかった。狼も、この校舎のあちこちを見て、迷子にならないように覚えているようだ。
「……記憶力、いいの?」
「ん? ……んー…まあ、そこそこ?」
紫苑ほどでもないけどね、と早速呼び捨て。だが、それ以上に紫苑は何故狼が自分が記憶力がいいということを知っているのか、疑問だった。
「……でも、ここの校舎を覚えれる程なら、そこそこじゃないだろ……」
「そう? でも、紫苑がそう云うのなら、そうだね」
にこ、と人の良さそうな笑顔。だけど、紫苑はその笑顔が苦手だと思えた。
――なにか、裏があるような気がした……
「転入生の名古屋狼です。時期外れではありますが、よろしくお願いいたします」
黒板の前に立ち、にこにこと笑う狼。クラスの女子たちは狼のその見目麗しいハーフの様な顔立ちに、ほう…とうっとりと溜息を吐いており、男子達は時期外れの転入生を食い入るように見つめている。
「えーっと、席は……あ、ないな……後から空き教室に取りに行かなきゃだな……」
クラス会長は机と椅子を取りに行くのを忘れていたようで、一切空いている席がない。クラス会長は狼に声を掛けて、机を取りに行った。紫苑は自分の隣を見た。そこは、空間が一つ。もしや、狼の席はここでは無かろうな、と思った。だが、此処以外に空いているスペースはない。冷汗をたらし、紫苑は前の席の女子に声を掛けようとしたタイミングで、クラス会長が机と椅子を持って帰ってきた。
「名古屋の席は朝比奈の隣な。ほい」
「……………」
「判った」
もう逃げられない気がする。だが、狼が来る前にどうにかしたいと思い、紫苑は声を掛けた。
「相沢。席代わってくんない?」
「厭だ。俺は紫苑の隣がいい」
「……」
ちょっと待て、自分が声を掛けたのは前の席の相沢なのに、何故お前が拒絶する。紫苑は唖然と狼を見つめた。狼は不機嫌そうに紫苑を見つめている。相沢は、顔を軽く朱色に染め上げて、狼を見上げている。
「幾ら紫苑クンの頼み事でも、名古屋クンがそう云ってるしぃ……」
「厭々。ちょっと待って。女子なら、名古屋の隣に成りたいとか思ない!?」
「成りたいけど。なったら他の娘達に申し訳ないし……紫苑クンなら安心」
何が安心なんだ。紫苑はがっくりと頭を垂れた。
「よろしくね、紫苑……」
「…………よろしく、名古屋……」