エピローグ
エピローグ
戦いは終わった。失格になった生徒会は二十八組。目標の数に達するより早く時間の方が先にきた。一年生達はそのままとり損ねていた遅い昼食をとり下校となった。
各教室のモニターに失格になった生徒会と、生徒の名前が映し出されることになっていた。昼食を終えた生徒達は下校してよいとされたが、その名前が出るまで誰も帰らないようだった。
治療を終えた蓮司達は自分の教室に戻った。人より遅れて昼食をとる。
生き残った生徒達はそれぞれ思いを胸に、失格となった生徒会の名前が映し出されるのを待った。
第一〇七生徒会書記――雲雀丘槇は自分の席に帰り、大きく息を吐いた。前の席に座った一魅の背中が見える。一日で生徒会長ではなくなってしまったが、嬉しそうにしている一魅を見ているとそれでもいいかと思えてしまう。
ネットの向こうの名も知らない友達は、そんな槇を笑うのかもしれない。いやむしろ槇は笑われたい。内に隠してずっと誰にも知られないよりは、よほどその方がいいと思う。
槇は今日のことを話して聞かせる家族の顔を思い浮かべた。父はもちろん祖母も母も、喜んで聞いてくれるだろう。
笑ってくれる人、喜んでくれる人。話を聞いてくれる人がいる。槇はそれが嬉しい。
自分の名前が槇で、母が舞、祖母が町。今は亡き曾祖母は鞠だった。雲雀丘家は女系家族と言われている。曾祖母以降生まれてくる子供は皆女の子だった。そして何故か一人しか恵まれなかった。
皆似たような名前を付けた。皆婿養子をもらって家を守った。槇は雲雀丘という名前よりも、この似たような名前に家族の繋がりを強く感じる。似たような名前が続くのは、家の伝統に従いながらも抵抗する、せめてもの遊び心のように槇には思えた。雲雀丘家に埋もれて行く娘達の、ささやかな抵抗の印に思えていた。
だから槇は自分の名前が好きだった。
そしてもう何かに埋もれてしまうような、自己紹介もできないような自分ではない。
雲雀丘槇はここにいる――
胸を張ってそう言えるよう、槇はこれからも戦い続けることを己に誓った。
モニターに失格となった生徒会とその構成メンバーが映し出される。
第十三生徒会――生徒会長・雲雀丘槇
第二五生徒会――生徒会長・香川礼子
第二八生徒会――生徒会長・斉藤友和
第三〇生徒会――生徒会長・片野坂由香
第三三生徒会――生徒会長・田中尽、同副会長・堂島宗佑
第四〇生徒会――生徒会長・多田美和
第四一生徒会――生徒会長・アーニャ・凛・クリステンセン
……
第一生徒会会計――中山麻由美は迷いなく、スカッと鉢巻きにペンを走らせた。
――『一番』
電光石火のサインペン捌きで、そう特筆大書と鉢巻きに書く。父がいつも頭に巻いている鉢巻きに、染められている言葉だ。
今日、本物の一番に挑んで破れた。一度この鉢巻きを失った。一番が一瞬で遠退いた。
そしてこの鉢巻きを取り戻して、最後まで巻いて戦った。何だか愛着が湧いた。
自分の生徒会を失った。一番はもう無理だと思った。だが第一生徒会に入って、あっという間に立ち直った。自分らしい。麻由美は自分でもそう思う。
入学前に思い描いていた一番とは違う。それでももう一度一番を目指すことができる。
第一生徒会からだからと言って、これからも一番が約束されている訳でもない。一番で当たり前の人間が、周りにはごろごろといる。
だがそれでいいと麻由美は思う。どうせ色々と考えても、スカッとしないだけだ。
中山麻由美は単純明快に、いつでも一番を目指す。それだけのことだ。
そしてこれからはこの鉢巻きを巻いて、看板娘をしよう。
学校でも店でも、これからも一番を目指そう。
中山麻由美はやはり単純明快に、そう心の中でスカッと誓った。
第四二生徒会――生徒会長・相良琉樹亜、同副会長・小林誠二朗
第四六生徒会――生徒会長・佐伯洋介
第五二生徒会――生徒会長・楊國強
第五八生徒会――生徒会長・恵美・R・グラブス
第五九生徒会――生徒会長・田井中遥、同副会長・長田千秋、同書記・馬場美里
第六一生徒会――生徒会長・岸上きりり
第六四生徒会――生徒会長・弓削美優
……
第一生徒会副会長――椎堂清雪は一人一組に戻り、席に座って今日一日を思い出した。
『面白い人ね』と『面白い奴だな』と言ってもらえた。いや何より自分がそう思えた。椎堂清雪という人間は、あれだけのことができるのだ。
思えば中学時代の清雪は、面白い奴と思われようとしていた。慣れないことを、似合わないことをしようとしていた。
狙う必要などなかったのだろう。面白い奴と思われているかどうか、他人の目を気にする必要もなかったのだろう。
清雪は蓮司との戦いを思い出す。自分の方が優位に戦いを進めていたと思う。だがそれは蓮司が強かったお陰だ。蓮司が清雪の力を引き出してくれたからだ。
清雪は一組を見回した。一組の生徒は誰も失格していない。そして失格になった生徒会に興味がないのか、大抵の生徒が既に帰り始めている。これぐらい当然だと、皆言わんばかりだ。
この学校にはもっと凄い人間が沢山いる――
清雪はそう思う。そして自分もその中の一人だと思う。
ならば何も遠慮をすることはない。余計なことは考えず、素の自分で戦うのみだ。
出し惜しみする余裕などない。ましてや萎縮する必要もない。
椎堂清雪は己の持てる力を全て使って、これからも等身大の自分で戦い抜くことを誓った。
第六六生徒会――生徒会長・工藤勝
第六九生徒会――生徒会長・木田優作、同副会長三嶋美香
第七二生徒会――生徒会長・嬉野光一郎
第七五生徒会――生徒会長・駒場唯
第八〇生徒会――生徒会長・笹竹魅美
第八一生徒会――生徒会長・沢亜斗夢
第八三生徒会――生徒会長・東海林倫道
……
第一生徒会生徒会長――御崎一姫は、放送室で鉢巻きをじっと見つめた。一魅から奪った鉢巻きだ。
一魅が初めから巻いていた鉢巻きとのことだった。一魅が最後に奪った鉢巻き――歯を食いしばって手に入れた鉢巻き――も、自分が初めから巻いていたものだ。ちょうど交換ということになった。
負けた訳ではない。一姫は自分にそう言い聞かせる。
負けたわ――
だが一姫は敗北感でいっぱいだった。妹が手に入らなかったからだ。
モニターに失格者の名前が映し出された。職員室で確認した大生徒会戦の失格者の名前だ。後の処理を担当の放送部員にお願いして、一姫は部屋を出た。
「……」
一姫は廊下で鉢巻きを見つめる。自分が『真の生徒会』にこだわる理由を考えてみた。母の無念を、妹ともに晴らす。それが一姫の目標だったはずだ。
思い起こせば母と妹は、いつも一姫の中で尊敬のまなざしを長女に向けていた。
本当にそうだったか? それは自分の願望ではなかったか?
「私は――」
私は自分に酔いたかっただけだろうか? 一姫はそう自らに問い掛ける。
「私は…… 私で強くならないと」
一姫は思いを新たにするように、力強く歩き出した。
一姫の足音が廊下に響き渡る。何かの誓いの言葉のような、力強い足音だった。
第八六生徒会――生徒会長・森崎香
第八七生徒会――生徒会長・須田さやか、同副会長・神田川咲耶
第九八生徒会――生徒会長・浦川勇
第九九生徒会――生徒会長・タロウ・ホセ・ハヤシダ
第一〇一生徒会――生徒会長・大場太陽
第一〇五生徒会――生徒会長・東清志
第一〇六生徒会――生徒会長・中山麻由美
――以上二十八生徒会は解散とする。
追記・現在生徒会編成期間であり、失格者はその役職を問わず他の生徒会への参加を認める。また前例のない状況の為、当初二週間の予定の編成期間を一ヶ月に延期する。またこの一ヶ月間の間の開戦は、教師側からも生徒側からも認めない。以上。
第一〇七生徒会副会長――桐山蓮司は大きく息を吐いた。意識していなかったが極度の緊張状態にあったのだろう。息を吐くと同時に体中の力が抜け、一気に疲労感に襲われた。
昨日の朝までは、ややもすれば自暴自棄になりそうな気分でいた。それが今日は、大生徒会戦を必死になって戦った。その結果の鉢巻きが今手元にある。
鉢巻きは記念に持って帰っていいと言われている。麻由美を初めクラスの何人かが、今日の記念にと鉢巻きにペンを走らせている。
蓮司は見るとはなしに一魅の方を見た。自分の生徒会長だ。嬉しそうにこちらも鉢巻きにペンを走らせている。
「俺も何か、書くかな……」
高校生活三年間。長いのか短いのか今の蓮司には分からない。蓮司は自分の将来を考えてみた。何も思い浮かばない。何かになりたいとかはない。父を見返したいと思っていた。それだけだ。
なんだそりゃ? あらためて考えると、そう思う。中身がない。我ながら情けない話だと思う。蓮司の母などは、子供一人いるというのに海外へ留学してしまった。中学生になったばかりの蓮司を、会ったこともない父親に預けてだ。なりたいものがあるらしい。
ダメだな俺は――
蓮司は一魅をもう一度見た。ビリ番の生徒会長だ。
一番下か――
蓮司は思い切って鉢巻きにペンを走らす。
犬のイラストを描いた。ビリ犬のつもりだ。左手が痛む上に絵心が元からないので、かなりへたくそな絵になった。一応犬に見える程度だ。
ビリ犬で結構! 一番下で上等!
蓮司は犬の目をかなりつり目に書いた。自分の顔は特別いい訳ではない。平凡な顔だ。蓮司はそう思う。特徴と言えばつり目ぐらいだ。
蓮司は中学生になって、初めて会った時の父の顔を思い出した。母一人子一人で育ち、写真もなかった自分の父親の顔は、どんなんだろうと思っていた。
実際に会ってみると、いやになるくらいそっくりだった。特に目が。つり目が。
「……」
蓮司はあらためてつり目のビリ犬を見つめる。我ながら下手だなと、ひとしきりの興奮が冷めると思ってしまう。
「ま、いっか……」
こちらに近付いてくる少女の笑顔を見てそう思い、蓮司はもう一度大きく息を吐いた。
「何で犬のなのよ?」
第一〇七生徒会生徒会長――御崎一魅が嬉しそうに近付いてきて、蓮司のイラストを見て口を尖らせた。相変わらずの尖り方だ。一魅はそのまま、空いていた蓮司の前の席に座る。
「何でって…… お前…… ビリ犬に決まってんだろ」
蓮司は自分が口を尖らせたいと思った。ビリ犬ですと恥ずかしい宣言をしているのだ。第一〇七生徒会で副会長をやり抜く決意。これはその証しだ。それがいきなりのこのブーイングだ。いやになる。
「『ビリケン』って神様でしょ? あの愛嬌のある」
「何だよそれ? 知らないぞ。犬だろ? ビリ番の番犬でビリ犬だろ? 違うのか?」
「元はそうだろうけど…… 知らないのビリケンさん? 神様だから拝まれるのよ。アメリカ生まれのつり目の神様。知らずに名乗ってたの? つり目繋がりだと、皆思ってると思うけど」
「なっ? つ、つり目! つり目の神様? つり目繋がり? 知らないぞ。聞いてないぞ。騙された! 詐欺だ! クーリングオフを申し立てる! ビリ犬なんてやってられるか!」
「だーめ」
「ぐ……」
「……蓮司って…… ひょっとしてこっちの人じゃないの? バイトって、生活費?」
「ああ、下宿生活だ。妹に言わせれば、『いずくんぞ東海の西を知らん』東の果てからの余所者で、『赤貧笑うがごとし』の苦学生だそうだ。ボロアパート住まい。テレビも何もない。かろうじて冷蔵庫がある生活だ」
母から留学したいと言われて、父親の下に向かわされた。その時初めて父に会った。戸籍も父のものに入れられた。桐山という名前も名乗り慣れていない。
いきなり留学を決めた母。今まで顔も見せなかった父。
二人の勝手に反発した蓮司は、父の家で憮然とした中学時代を過ごした。父とはほとんど会話らしい会話をしなかった。
『何様のつもりだ』と思っていたからだ。父が会おうとしなかったのは、自分の希望だったと母に聞かされても、気持ちは変わらなかった。
そして蓮司の生活は一変した。父はその名を聞いて知らない人はいない、実業界の大物だったからだ。家業を一代で世界的な企業にした、有名な実業家だった。
だから中学からの蓮司は――
成績優秀。スポーツ万能。品行方正。エリート街道をひた走る――大企業のお坊ちゃま。
そんな目で見られていた。
まっぴらごめんだ!
中学まで母と二人で、誰はばかることなく普通に暮らしてきた。父親がいないことを不幸だと思ったことはない。成績はよかった。スポーツもできた。母を困らせるようなことはしなかった。自分の実力と、努力だと思っていた。それがいきなり、お坊ちゃまだ。自分の力が、親の七光りのように見られる日々が始まった。
それは俺じゃない!
そう叫び出したかった。
父の下を離れる為、わざと遠く離れた高校を受験した。
名誉一番で合格する。抜群の成績で三年間、大生徒会戦を戦う。そして『真の生徒会』になって卒業する。学費も生活費も、父からは一文も出させない。奨学金とアルバイトでやりくりする。一人で生きていける。それでいて頂点に立てる。
桐山蓮司ならそれができる。それこそが自分らしい。そう信じていた。
現実はどうだ。エリートどころか、ビリ番のビリケンさんの、つり目繋がりさんらしい。
拝んでくれて結構だ。蓮司は少しふてくされて、そう思う。
「ふーん」
そのビリ番の少女が、蓮司を見つめる。
「何だよ?」
「私って蓮司のこと何も知らないね……」
「そりゃそうだろ」
昨日今日会ったばかりだ。蓮司だって一魅のプラベートなことは、おかしな双子の姉がいることしか知らない。
「何か話ししてよ。蓮司のこと……」
「別に…… 普通の――男子高校生だよ」
「ふぅん…… ねぇ、妹さんいるの?」
「えっ?」
「自分でさっきも今も、言ったじゃない。おかしな漢文を話す妹さん」
「そ、それは……」
蓮司は口ごもってしまう。父に感じる反発の理由。その一つが、何人もいる母親違いの兄弟姉妹だ。例えば同い年の妹とかだ。人に率先して話せない家族構成だ。
「そ、それは…… こ、今度話す……」
「むう……」
「何だよ…… 色々と複雑な事情があるんだよ……」
「そう…… ま、いっか! それよりどう?」
そう言って一魅は自分の鉢巻きを蓮司に見せた。鉢巻きに猫の顔のイラストが描いてある。一魅は自分の顔を隠すように鉢巻きを両手で前に掲げた。
赤くなっても気付かれないように顔を隠してみたが、ほとんど隠れていない。無駄だった。
猫の顔の上半分は、ネズミ色に塗られていた。白地にネズミ色の柄が、暖簾を描くよう描かれている。あのまま体も描けば、背中がネズミ色でお腹が白色になるだろう。
「猫?」
「そう、猫…… 名前も付いてるのよ。ネズミ色だから『チュウ』」
「猫だろ? チュウなのか?」
「そうよ。猫だけど、チュウよ…… ネズミ色なの……」
蓮司の顔を、一魅が鉢巻き越しに上目遣いでうかがう。
「そうか……」
「そうよ……」
「そうか……」
「……」
「で、何で猫なんだ?」
一魅の真似をして蓮司が口を尖らせた。ここで猫が出てくる意味が分からない。生徒会長が猫。副会長が犬。仲悪い? そう言われても仕方がない。
「もう! 鈍い……」
一魅は鉢巻きを引っ込めた。一気に自分の膝の上に押し付ける。プイッと口を尖らせて横を向いてしまった。
「何怒ってんだよ?」
「知らない!」
「一魅、帰るわよ!」
教室のドアから一姫が入ってきた。一魅と蓮司が振り向き、槇と麻由美もそちらを見る。いや居残っていた十組の生徒全員が、一斉に一姫の方を見た。一魅も人の目を引くが、一姫は同じ姿形でありながら、人の気そのものを惹くようだ。
「うん。じゃあね、蓮司。また休み明けに」
「おう、またな」
じゃあねと言う割には、一魅と一姫、槇、麻由美の四人は自然と互いの中間点に近寄ってくる。誰からともなく弾けたように笑うと、髪型がどうのと他愛のないことを話し出した。
帰るんじゃなかったのかと蓮司が見ていると、一姫が鞄からおもむろにヘアピンを取り出した。そのまま後ろ髪をアップに纏め上げ、『3D』と叫びながら真っ赤になっている一魅の横に顔を並べた。
一姫の長い黒髪が、その後頭部に隠れて見えなくなる。少々束ね損なっておくり毛になっているが、正面から見ればまるで一魅と同じショートカットのように見える。
その様子に槇と麻由美が、そっくりだとはやし立てた。確かに瓜二つだな。蓮司はこちらを向いた双子の姉妹の顔にそう思う。そしてあれっ? とも思う。確かに少々おくり毛になっているが、パッと見た感じはショートカットにも見えなくはない。
そう、例えば殴られて視界が歪んだ瞬間に見た場合とかだ。
「あれ?」
蓮司は今度は声に出してしまう。
「じゃあ」
素っ頓狂な声を上げる蓮司を余所に、一魅がそう言って手を振った。一魅は一姫とともに、ドアに向かう。一魅の短い髪が、蓮司の目に止まった。
まるでつい先日――そう例えば入学式の前日にでも、切ったかのようなさっぱりとした髪だ。
「……」
思わず蓮司は天を仰いだ。おかしな問題を抱え込んだのかもしれない。
姉妹が笑いながら帰って行く気配がする。第一生徒会長に挑んだビリ番の少女が、姉妹で笑いながら帰って行った。槇と麻由美も、蓮司に手を振り帰って行く。
「一番下から、一番上ね……」
たった今浮かんだ問題はとりあえず後回しにしようと、蓮司はそのことを考えた。
父の顔が思い浮かぶ。蓮司よりも先に、それをやってのけた男の顔だ。
「今度帰ったら、話ぐらいは聞いてやるか……」
自分でも驚くぐらい気負いなくそう思い、蓮司は鞄を手にして立ち上がる。
そして今日のアルバイトに向かうため、足取りも軽やかに教室を後にした。