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大生徒会戦  作者: 境康隆
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一、第一〇七生徒会

一、第一〇七生徒会


 新学年。桜咲く春。

 新高校一年生――中山麻由美(なかやままゆみ)は、弾けるような笑顔で、父の経営する開店前の家電量販店に突撃した。自動ドアの隙間から、文字通り顔を突き出す。

 麻由美はそのまま、電気の入れられていない自動ドアをこじ開ける。女子には少々重いであろうそのガラスのドアは、和風建築の引き戸もかくやと軽々と開いていった。

 後頭部に揺れるポニーテールを弾ませて、麻由美は店内に踊り入る。

「親父! おっはよ!」

「む……」

 麻由美の父が奥のカウンターから、唸るように応える。家電量販店のカウンターよりは、居酒屋のそれが似合いそうな無骨な顔だ。『一番』と染め抜かれた鉢巻きをしている。その様も家電量販店の店員よりも、祭の男衆の方が似合っている。立ち振る舞いが柔らかくないのだ。

 だが父は僅かばかりの笑みを浮かべて、朝から元気な娘を迎える。無骨ではあるが、無愛想ではない。麻由美の父は不器用なだけだ。

 街の電気屋さんにしては大きく、全国チェーンでも何でもない家電量販店。それでいて目指すは地域一番店。そんな半端な店を経営する、不器用な父だ。

「ムッハーッ! 今日から本格的に、あたしもスカッと女子高生! どうよ!」

 麻由美はそう叫んで、入り込んだ店内で四肢を伸ばし己の姿を見せつける。

 短いスカートから垣間見える脚は、無駄のない引き締まった筋肉を見せつけていた。自慢げに左右に伸ばされた腕は、小指の先まできっちりと伸ばされている。満面の笑みを作る顔の筋肉は、その目的の為に全てが全力で動いているかのようだ。

「ん……」

 父はやはり唸る。それは肯定の唸りだ。不器用なので満足な言葉が出ず、いつも父は唸ってばかりいる。

「いやっ! 分かってるって! いくら体育特待生とはいえ、全国に名を轟かす有名校にスカッと合格した自慢の娘!」

「ぐ……」

 父はまたもや唸る。おそらく『自慢の娘』に、突っ込みを入れたかったのだろう。だがやはりこの場に似合う洒脱な言葉が出ずに、父は渋い顔で唸るだけだった。

 これで家電量販店のオーナーが勤まっているのか?

 周囲の人間は気を揉むが、麻由美は気にしたことがない。

「何と、その上あの大生徒会戦の! 生徒会長にまで立候補してしまった、自慢の我が子!」

「う……」

「スカッと心配なのが、親心で当たり前!」

「く……」

「だけど大丈夫! 必ずや『真の生徒会』になって、この中山電気店を宣伝してあげる!」

「お……」

「『真の生徒会』は、なんと言っても一番の生徒会。その生徒会長になって、地域一番店に相応しい看板娘になってあげるわ!」

「ぎ……」

「だから新しい看板、スカッと買おうね!」

 麻由美はそう言って、表に出す前の電飾の看板を指差す。ツギが充てられ、何カ所か電球が外れている看板だ。

「だ……」

 誰がそこまでその看板を破壊したのか? それを父が問いただそうと唸った時、

「では! スカッと行って参ります!」

 麻由美は奔放な動きで身を翻した。その顔には現れてから一度も納めなかった、光り輝くような爛漫な笑みを浮かべている。そしてなりより元気な声を響かせて、あっという間にドアの向こうに消えた。まさに台風一過。嵐がやってきて、去ったかのような活発さだ。

 自由奔放な動き。天真爛漫な笑み。元気溌剌な声。活溌溌地な行動力。

 それが中山麻由美だ。

 そして猪突猛進といった勢いで道を駆け抜け、その自慢の筋肉の面目躍如と角を曲がる。

 だが天衣無縫と翻した麻由美のカバンが、身の翻し際に鎧袖一触とばかりに看板を打ちつけていた。

 看板は一瞬宙に浮き上がると、

 ――ガッシャン!

 という派手な音を立てて床に倒れた。

「が……」

 父はカウンターで天を仰ぐ。

 自由奔放にして天真爛漫な娘はもちろん、元気溌剌で活溌溌地にもう見えなくなっていた。


「たたた……」

 新高校一年生――椎堂清雪(しどうきよゆき)は、高校生活初日早々の朝から混乱していた。

 母が倒れた。父は単身赴任でいない。弟妹は幼い。そして今は朝の食事の時間だ。

 つまり――

「たたた、大変だ!」

 つまりそう、大変だ。

 清雪は一人で叫びながら、キッチンで焦げる卵焼きと格闘していた。その横には噴き上がる鍋。更に奥のコンロではヤカンが湯気を上げ、注ぎ口の警笛をけたたましく鳴らしていた。そしてその湯気が、追い討ちを掛けるかのように、清雪の眼鏡を曇らす。

 その上その背後では、小五と小二の弟妹がこちらもやはり格闘していた。掴み合ってのリモコンの奪い合いだ。弟妹の喚声がマンションのダイニングに響き渡っている。

「こら! 正樹(まさき)! 美海(みう)! おとなしくしてなさい!」

 清雪は真っ白になった眼鏡で、見えもしない後ろを振り返った。

「はーい!」

「はーい!」

 返事だけ素直にした弟妹は、兄がまた噴きこぼれと焦げとヤカンの警笛との格闘に戻ると、こちらもリモコンの争奪戦に戻ってしまう。

「できたぞ!」

 清雪は焦げた固まりを皿に乗せ、何やら怪しげな液体を椀に注いだ。やっと曇りのとれた眼鏡の向こうに、清雪の細い目が見える。本当に開いているのか、怪しい程の目の細さだ。

「兄貴の料理? すっげーっ!」

 鼻の穴にリモコンを押しつけられていた弟の正樹が、その妹の手を振りほどいてテーブルに駆け寄る。妹の美海も慌ててリモコンを放り出し、後に続いた。

「すげぇ! 謎の物体だ!」

「謎? 物体? 卵焼きだぞ!」

「お兄ちゃん! ネギが繋がってるよ!」

 美海は椀から箸で摘まみ上げたネギを、笑いながら皆に見せようとする。ネギは包丁の入りが悪かったのか、短冊のように繋がっていた。

「自分で噛んで切ればいいから!」

「ごほっ! ぐふっ!」

「どうした? 正樹!」

「謎の毒素が…… 兄貴……」

 正樹は謎の物体と化した卵焼きを口に入れながら、真っ青になってテーブルに突っ伏した。

「そんなに不味いか?」

「お兄ちゃん! ご飯がワンセットに!」

 美海は驚いたように箸を持ち上げていた。見ると椀の形そのままに、白いご飯が箸の先にぶら下がっている。

「固過ぎたか? 歯、折らないように、気をつけて食べなさい!」

「清雪……」

 騒ぎを聞きつけたのか、ダイニングの扉の向こうに青い顔をした母が立っていた。清雪が日頃剣道で使う竹刀を、杖代わりにしている。壁を伝うように家を歩く母の為に、清雪が手渡したものだ。

「母さん! 寝てないと!」

 清雪は驚いたように立ち上がる。懲罰人事とまで陰でいわれている、父への突然の辞令。遠地への異動だ。このマンションを買ったばかりの椎堂家に、家族で引っ越すという選択肢はなかった。弟妹は幼く、長男に至っては高校に受かったばかりだからだ。

「ごめんね、清雪。コホ…… 私がこんなに体が弱くなかったら……」

 母は咳き込みながら、テーブルに着いた。それを見て清雪も座り直す。

「何言ってんだよ。朝飯ぐらい平気だって!」

 母は確かに体が弱い。だが先日母が倒れたのは、体が弱かったせいではない。前例を破って上司にたてついた父が、出世も覚束ない支所に異動させられたからだ。

 懲罰人事どころではない。これでは報復人事だ。母の気苦労を清雪は察する。

「へいき? ゲホッ! 確かに兵器だな、兄貴! グホッ!」

 正樹は焦げでノドをむせさせながら、卵焼きらしきものを胃に押し込んだ。

「違うだろ!」

「お兄ちゃん! ナイフとフォークで食べるね!」

 美海は自分で持ってきた皿の上に、ご飯の固まりを乗せてナイフで切り分けようとしていた。

「危ないから、止めなさい! 美海!」

「兄貴…… みそ汁が…… 苦い…… 苦しい……」

「飲み干せ! 胃に入ったら一緒だ!」

 清雪は慌てて美海からナイフを取り上げ、正樹に振り返る。

「いいか! 食べ物を粗末にしたり、おもちゃにしたらダメだぞ!」

 清雪はナイフを脇に置き、ゴクリと息を呑んで自らの茶碗を手に取った。

「清雪…… あなた――」

「大丈夫だって! 母さん! ゴフッ……」

 清雪は意地になったように、ご飯とおかずをむせながらノドにかき込む。

「あなた――それで大生徒会戦も、本当に大丈夫なの?」

「いや…… それは…… グ……」

 清雪は真っ青な顔で、むせ込んだ。


「お婆様。お母様。今日から高校に通わせていただきます」

 新高校一年生――雲雀丘槇(ひばりがおかまき)は、畳に三つ指をついて挨拶をした。

 槇の髪は肩口で切り揃えられている。よく櫛の梳かれたと思しき、艶やかな髪をしていた。和装の首筋からは、白磁のような白い肌をさらしている。白檀の香りが部屋から、そしてその白い着物から漂っていた。

 槇はついっと顔を上げた。掃除のよく行き届いた、光り輝くような和室が目に入ってくる。部屋の南隣りに面した広い庭から、朝の鮮やかな陽が差し込んでいた。

 木と畳と和紙でできた部屋でありながら、この眩しいまでの煌めき。手入れをする人間の、心の有り様を表しているかのようだ。

 槇は顔を上げ、この部屋に日々ハタキと箒を入れる二人を見上げた。祖母と母だ。

 祖母と母は床の間の掛け軸を背に、背筋をしゃんと伸ばして正座していた。まるで同じ顔が二つ、齢の印象だけを変えて並んでいる。そんな感想を見る者がいれば抱かせただろう。隣りに槇が並べば、それは更に際立つだろう。まるで四半世紀ごとに歳の離れた三つ子だ。

 祖母と母ももちろん着物姿だ。親子三代が同じ型から取ったように、凛として和室に並ぶ。

 特別何か静粛にしようとした訳ではない。雲雀丘家ではこれが日常の風景だ。

 床の間には桜の花が生けられている。広い庭を持つ雲雀丘家に咲いている花々の中で、祖母が今日の日の為に特別に手折り生けたものだ。見れば祖母も母も、桜柄の着物で装っている。

 槇にはその心配りが何より嬉しい。雲雀丘の娘として、品性を求められて生きてきた。祖母も、母も、娘も――皆が雲雀丘の娘として、家の教えの下に生きてきた。

 だから声を上げて喜び合うようなことなどしない。飛び跳ねて手を取り合うようなこともしない。静かに、品よく、楚々として、己の心の内を表すのだ。

 祖母と母はその桜の花で、娘の入学を心から祝っている。槇にはそれが分かる。嬉しい。

「槇さん」

 だが祖母はそんなことは、口にはおくびにも出さない。もちろん顔色にも微塵も現れない。一番上の雲雀丘の娘として、一番若い雲雀丘の娘に静かに相対する。

「はい。お婆様。お母様」

 槇は祖母の問い掛けであろうが、母の問い掛けであろうが必ず二人に向かって返事をする。それは祖母が問い掛けた訳でも、母が問い掛けた訳でもないからだ。

 言わば雲雀丘家の問い掛けだからだ。雲雀丘の娘が、雲雀丘の娘に問うているからだ。

 槇はその返事とともに、もう一度手を着いて腰を折り、白いうなじを曝す。

「今日から高校生ですね」

 祖母はその槇の背に声を投げ掛ける。

「はい」

「雲雀丘の娘として、しっかりと勉学に励みなさい」

「はい。お婆様。お母様」

「昔のような女学校が少なく、やむなく通える範囲で選んだ共学校ですが――」

「……」

「浮かれることなく、また流されることなく、学校生活を送りなさい」

「はい。お婆様。お母様」

 槇はまだ顔を上げない。

「殊に槇さんが今日から通う高校では、大生徒会戦なるものがあると聞きました」

「はい。お婆様。お母様」

 この問い掛けは母からのものだった。もちろん槇は、二人に向かって返事をする。曾祖母が生きていた頃には、三人に向かって返事をしていたことを槇は不意に思い出す。

「己の力を信じ、皆と助け合ってことに当たる精神。誠に立派です――」

「……」

 槇は今、祖母と母のどちらが話したのか分からなかった。しかしそれは些細なことだ。そして平伏をして話を聞いている時には、よくあることでもある。槇は特に気にしたことがない。

 だが――

「あなたも生徒会長に、必ずや選ばれることでしょう。しっかりと努めなさい」

「はい。お婆様。お母様」

 槇はやはりどちらに声を掛けられたのか分からない。教えの通りに祖母と母に返事をする。

 そしてこれは知恵なのだと思う。祖母と母のような先に生きた雲雀丘の娘が生み出した、雲雀丘の娘の知恵なのでないかと思う。そのことだけがいつも気になる。

「さあ、もう行きなさい。遅刻しますよ、槇さん」

 ああ、これは母だ。槇は僅かばかり家より母を優先した心遣いに、声の主を聞き分ける。

「はい。お婆様。お母様」

 それでもはやり雲雀丘の家に――娘に、そう返事をして、槇はやっと面を上げた。


「宣誓! 私こと新入生代表一年一組出席番号『名誉一番』――」

 桜咲く校舎の一角にある体育館に、凛とした少女の声が響き渡る。

 体育館で行われているのは、高校生活最初の式典――入学式。今はそのクライマックスだ。

 壇上の女子生徒が大きく息を吸う。体育館全てに行き渡る、凛とした声で宣誓した。

御崎一姫(みさきいつき)は『全ての生徒会』を代表して、この始まりの日にふさわしい、初々しい気持ちを最後まで忘れず、この三年間を戦い抜き――」

 この高校は活発な生徒会活動で知られていた。入学式からして主題は生徒会だった。

 先ず何より生徒会の数が一年入学時で百組以上になる。もちろん生徒会長もその数だけいる。編成は入学後となるが、副会長や書記、会計なども、ほぼ同数の生徒がいる計算になる。

「我が校、最大の特徴である、全生徒によるそれぞれの学年の生徒会運営――」

 そうこの学校の生徒は、入学時に生徒全員が一度はいずれかの生徒会を、各学年ごとに組織し、また所属することを義務付けられている。

「その生徒会同士が切磋琢磨し、唯一『真の生徒会』を決める。この大生徒会戦を通じて建学の精神を体現し――」

 大生徒会戦。それは卒業までに、全生徒会の中から唯一『真の生徒会』を決める三年間に及ぶ戦いだ。

「私達新一年生の生徒全てが、各々の生徒会を通じて己を磨き――」

 今年の新一年生は四百二十三名。生徒会は基本四人一組と考えられ、全入学者数から四で割った数の生徒会長が、入学式で任命される。生徒会長立候補者は、合格発表後すぐ学校側が受け付けていた。

 宣誓を行う『第一生徒会長』以外の生徒会長は、この式の最後に発表される。

 この学校に入学するのは、皆自分の実力に自信のあるエリート達。多くの者が、生徒会長に立候補している。そして皆、自分が生徒会長に任命されることを信じて疑わなかった。

「今日まさにこの日から、お互いをよき仲間と、またよきライバルと認め――」

 戦いは一年生から始まる。各生徒会が同じ課題の下、一年を通じていくつかの戦いで競い合う。戦いに敗れた生徒会は、無情にも解散となる。多くの生徒会は、この一年生の間に脱落することになる。一年生終了までに、二十四の生徒会に絞られる。

「諸先輩方の背中を鑑とし、そして将来においては後輩達に自分達がその範を示し――」

 二年生になっても戦いは続く。一年を通じて戦い、今度は八つの生徒会だけが生き残る。

 尚各進級の時点で、敗退した他の生徒会から新メンバーを補充することもできる。

 しかし一度生徒会に入れば、退会には厳しい規定がある。最初からのメンバーにせよ、補充のメンバーにせよ、一人でも退会者が出た時点で失格審査行きとなる。

「我こそが『真の生徒会』として『卒業生答辞』を読み上げんとの思いを胸に、己の持てる力を全て出し尽くすことを――」

 三年生は実際の生徒会活動をしながらの戦いとなる。

 大生徒会戦を戦いつつ、八つの生徒会が現実の校内の問題に取り組む。生徒に受け入れられる活動が、生徒会としてできるかどうかが三年生の戦いの争点だ。

 こうして最後に生き残ったたった一つの生徒会だけが、『真の生徒会』として卒業式を迎えることができる。尚最終的に生き残った生徒会が『真の生徒会』として生徒会活動を行うのは、その卒業式の卒業生答辞だけである。

 そう『真の生徒会』には卒業生答辞を読み上げるという名誉以外は、何ももたらされない。まさしく名誉を懸けた戦い――それが大生徒会戦だ。

「ここに誓います。二〇@@年四月七日。第二十五期生生徒会代表『第一生徒会』生徒会長――御崎一姫」

 女子生徒は高らかに宣言し、もう一度己の名を名乗り上げた。

 当然この入学式で、宣誓の名誉に預かれる生徒も一人だけ。

 入学試験のトップ合格者に毎年送られる称号――一年一組の出席番号名誉一番にして第一生徒会生徒会長の地位に立つ生徒のみ。

 それが壇上の女子生徒――第一生徒会生徒会長――御崎一姫だ。

 新入生に背を向ける形で宣誓していた一姫は振り返り、長く真っ直ぐな黒髪をなびかせた。長い指を優雅に伸ばし、その細くたおやかな草花のような腕を、全生徒に向かって抱きしめるように差し出した。そのまま光り輝くような瞳を生徒達に向ける。一姫は透き通るような白い肌をしていた。

 そしてそのスズランのように白い肌は、高揚感からかバラ色に染まっていた。振り返った際に翻した長い髪は、一瞬まるで向日葵のように放射線状に広がった。皆を見つめる瞳はとても力強く、それでいて露に濡れる朝顔のように輝いている。キッと結ばれた唇は梅の花のように可憐で、髪の間から垣間見えた耳は桜の花かと見間違う程優美だ

 今この場に保護者はいない。生徒と教員、その他学校の関係者以外は誰もいない。

 入学式はただの始まり。生徒達はまだ、何もなし得ていない。祝うことなどない。それが学校側の考え方だった。だから学校関係者以外は誰もいなかった。

「では。今年の生徒会長任命者です」

 一姫の合図とともに、生徒の名前が書かれた横断幕が体育館中に垂れ下がる。第一から第一〇七までの生徒会長の名前が、一斉に露になった。

 会場がどよめいた。生徒会長に任命された者。落ちた者。それぞれの感嘆のどよめきだ。

 一姫はざっと横断幕を見渡す。それだけで百名以上の名前を、覚えてしまう自信があった。だがその自信に満ち溢れた顔は、最後の名前で凍りつく。

 ウソ――

 と、一姫は驚き固まってしまう。『第一〇七生徒会』の生徒会長の名前に目を奪われる。それは一姫にとっては、あってはならない名前だった。

 どうして――

 式典会場が静まり返った。任命者の発表の後は第一生徒会長の言葉で締めくくる。そういう段取りだ。

 だが第一生徒会長が――一姫が――呆然としている。会場が少しざわついた。第一生徒会長の様子がおかしい。第一生徒会長ともあろう者が、段取りを失念している。

 一姫はそのざわめきに、やっと我に返る。

「では皆さん。お互いに頑張りましょう」

 一姫が会場に向け、余裕の笑みを浮かべる。何でもなかったかのように取り繕う。会場のざわめきがようやく静まった。

 一姫は会場を見回した。入学試験で出会った男子生徒の顔を見つける。思わず笑みが漏れた。

 先程まで浮かべていた作り物の笑顔と、今の思わず漏らした本物の微笑み。その違いが分かるのは、その男子生徒――桐山蓮司――の斜め後ろに並んだ、一人の女子生徒だけだろう。

 一姫はその女子生徒と目が合った。険しい顔をしてしまいそうになるのを、懸命に押さえる。

 どういうことなの――一魅(いずみ)

 一姫はその一言を呑み込み、内心の動揺を満面の笑みに隠して壇上を後にした。


 桐山蓮司はがく然としていた。

「ない……」

 生徒会長に自分の名前がない。入学式典が終わると、一人足早に校舎に向かった。

「納得がいきません!」

 蓮司は気が付けば、入学式の直後に職員室へ怒鳴り込んでいた。

「何がだ?」

 今年の新一年生の大生徒会戦。その教師側の担当者である国語教師――佐野仁太郎(さのじんたろう)が、耳をほじりながら聞き返した。つまらなさそうに、イスに腰を深く沈めている。

 厳つい顔をした、四十代と思しき男性教師だ。高校の職員室にいるよりは、警察の取調室にいる方が似合いそうだ。それも取り調べる方ではなく、取り調べられる方だ。

「先生が今年の大生徒会戦の担当の方ですか?」

「おう。ついでに言うと、お前の担任でもあるな。佐野仁太郎だ。よろしくな、桐山蓮司」

 仁太郎は興味なさそうに、指に付いた耳あかを吹き飛ばしながら言った。

「本当についでみたいですね。俺の担任は」

「分かるか? さすがだな。帝王学か? 桐山のお――」

 ――バンッ!

 という派手な音ともに、蓮司は机を平手で叩き付けた。そのままキッと仁太郎を睨み付ける。厳つい顔が睨み返してきた。職員室中の視線が二人に一斉に集まる。

「何故俺が生徒会長に、任命されないんですか?」

 蓮司は納得がいかない。仁太郎の顔に怯みそうになるのをこらえ、一歩詰め寄る。

 試験の解答は完璧だったはずだ。中学まで誰にも負けたことがないのだ。自分が生徒会長に任命されない理由が分からない。

 俺は…… 成績優秀。スポーツ万能。品行方正。エリート――

「俺は…… 成績優秀。スポーツ万能。品行方正。エリート街道をひた走る――てか?」

 何か考えていたらしき蓮司を横目に、仁太郎がつまらなそうに呟いた。

「え……」

「悪いがそんな生徒…… ここにはごまんといる。学業の優秀者。スポーツの特待生。タイプは色々とあるがな」

 仁太郎がジロッと蓮司を睨んだ。すごみのある一瞥を送る。しゃがれた声色と相まって、蓮司の勢いを削いでしまう。

「く……」

 蓮司は怯みそうになりながら、言葉を継ごうとする。確かにその通りだ。『自分は特別』。そう思っている生徒が、普通の生徒ばかりの学校だ。

 だが蓮司は認める訳にはいかない。トップ合格するつもりでいた。しかしそれは別の女子生徒にとられた。いくら幸運の女神様とはいえ、それすら認めたくなかった。

 それなのに、百以上もある生徒会長のイスに、自分の名前がないのだ。この自分が、ベスト百すら入れない。何か特別な事情があるに違いないと思った。幸か不幸か心当たりはある。

「確かに入試当日にトラブルを起こしました。ですが公正な条件の下で、翌日試験を受けました。もしその点がマイナスになっているのなら、異議を申し立てます!」

 ここで引き下がる訳にはいかない。父の顔が目に浮かぶ。桐山蓮司ともあろう者が百七名もにる生徒会長になれない。百位以下。このままでは、あの父を見返すことができない。

「アホか!」

 仁太郎が思い切り、蓮司のオデコにデコピンを食らわせた。

「で? デコピン?」

 教師に殴られたことなどない。体罰無用の風潮とはいえ、もとより教師に殴られるようなことはしたことがないからだ。ましてやデコピンなどない。考えたこともない。

 エリートの頭をデコピン? しかもその指は、先程まで耳をほじっていなかったか? 何だこの扱いは? 蓮司は一瞬頭の中が真っ白になる。

「確かに入試当日のトラブルは、選考上マイナスにしておいた……」

「やっぱり……」

「だがそれは相手も同じ。それでも相手はちゃんと、生徒会長に任命されているぞ?」

 入試当日にトラブルを起こして受験をふいにすると、翌日の再試験を強引に認めさせ、今日また職員室に怒鳴り込んでいる。元気な奴だと、仁太郎は内心そう思う。

 鍛えがいがある。多少意地悪なことを言ってやるのが、本人の為だ。そして何よりもこういう生徒の相手をするのは、仁太郎は楽しくって仕方がない。

「そ…… それは……」

 蓮司が言葉に詰まる。第一生徒会長の少女を思い出す。同じく選考上のマイナスをもらって、片や第一生徒会長。片や選考外だ。

「いいか桐山蓮司」

 仁太郎がニッと口を開いた。厳ついアゴの上に並ぶ、裁断機のような歯がのぞく。

「上には上がいる。忘れるな」

 全国はおろか、海外から留学してまで進学してくる者もいる生徒達。そして多くの者が生徒会長に立候補して落とされる。落とされた者は誰もが、自分が生徒会長になれなかったことに内心ショックを受ける。

 だが最近の生徒はどこか大人しい。落ちました。なれませんでした。そうか。仕方がない。それで終わりだ。

 しかし久しぶりに、骨のありそうな生徒が目の前にいる。仁太郎は楽しくて仕方がない。

「……」

「それとも何か? 蝶よ花よと大事にされて――」

 仁太郎は一度言葉を区切って、ジッと蓮司の顔を見た。仁太郎は生徒の情報には、一通り目を通している。生徒会長に立候補した者なら尚更だ。その中から蓮司の情報を思い出す。ただの金持ちの子だと思っていた。

 紙の上の情報など、あてにならないな。仁太郎は自嘲気味に、内心でそう笑う。

「何ですか……」

「お仕着せでも一番じゃないと嫌か?」

「何の話ですか……」

「桐山グループの御曹司として? なぁ…… おぼっ――」

 ――バンッ!

「結構です!」

 蓮司はもう一度机に平手を叩き付け、職員室を飛び出した。


 桐山蓮司にとって最悪な入学式が終わった。入学式前に届くと聞いていた第一生徒会長の任命書はこなかった。蓮司は職員室を出て、苛立たしげに教室へと向かう。

「一番でないことすら、屈辱なのに……」

 自分を押し退けて第一生徒会長になった生徒を、睨み付けてやるつもりで入学式に臨んだ。大生徒会戦が始まれば、一番最初に引きずり降ろしてやる生徒会長の顔。それを心に焼き付けるつもりでいた。

 そして今日壇上で宣誓していたのは、入学試験で出会ったあの少女だ。蓮司は壇上の少女の微笑みを思い出す。自分に向けられていた。そう確信している。

 だが――

 あの娘がトップ入学か…… 才色兼備だな…… まあ、今更微笑まれてもな――

 そう、だが今更だ。会わす顔がない。恋愛フラグが立ったなど、浮かれているにも程があったのだ。

 切り替えなければならない。たとえ『第二生徒会長』でも、まだ『真の生徒会』になることで、名誉を挽回することができる。入学式まではそのつもりでいた。

「それが…… 選外だと……」

 まさかの生徒会長落選。そして怒鳴り込んだ職員室での、あの軽い扱い。蓮司は今までの人生が、全て否定されたような気がした。

 肩を落として教室に入った。席は最後尾の真ん中だ。ホームルームが始まるまで、まだ時間がある。静かに思索することにした。ゆっくりと目をつむる。

「しかも十組か……」

 この学校のクラス編制は成績順だと言われている。一年一組に名誉一番を筆頭とした成績優秀者が集められ、十組がその全く逆になる。その他二から九組は平均して編成されている。

 つまり蓮司は落ちこぼれのクラスに、かろうじて引っ掛かったことになる。トップ合格どころか、滑り込みだ。もしかしたら入試当日のマイナスは、クラス編制にも影響したのかもしれない。どちらにせよ、今の自分には関係がない。現実を受け入れるしかない。蓮司はそう己に言い聞かせる。

 どうする――

 蓮司は自問する。周りの声も聞こえない程集中する。

 いっそのこと…… いやダメだ――

 ヤケになってはいけない。蓮司は大きく息を吸った。気持ちを落ち着かせる。自分の内面の世界に入り込み、意識を外から遮断する。

 蓮司は自分の身の振り方を、考えなくてはならない。生徒会長以外の各生徒は、自分で所属する生徒会を決めなくてはならない。生徒会長から誘いを受けるか、自分から売り込まなくてはならない。

 期限は二週間。これを過ぎて決まらないと、退学もあり得るとのことだった。

 退学など論外だ。蓮司は心の中で首を振る。

「き、桐山…… くん……」

「……」

 蓮司は更に目を固くつむる。目の前に、一人の女子生徒が立ったことにすら気が付かない。

 今年の生徒会長は百七名。こちらは成績に関係なく、まんべんなく各クラスに組み込まれている。誰かの生徒会に入ること自体は、そう難しいことではない。

 またこの二週間だけは何度入り直してもいい。クーリングオフと呼ばれている。

 蓮司は生徒会長ではない。どこかの生徒会に、入れてもらわなくてはならない。誰かの下につく必要がある。

 『入れてもらう』。『誰かの下につく』。それは屈辱だった。

 誰かの慈悲を請わねば、この学校に残ることすらできない。屈辱に身が震える。盛り返しに必要な行動と、それに伴う屈辱に蓮司の奥歯がギリリと鳴る。

「桐山くん?」

「……」

 深く自問自答する蓮司は、自分の名前が呼ばれていることに気が付かない。

 現実を受け入れろ…… 盛り返せ…… その為にはせめて『G8(エイト)』に――

 第一から第八までの生徒会長が、一組や二組所属の副会長などを率いて構成する生徒会。それが俗にG8と呼ばれている。歴代の『真の生徒会』はこのG8が独占していた。例外は一度だけだった。

「桐山くんってば……」

「……」

 頭の中で盛り返しの図を描き始めた蓮司は、目の前の少女が自分に話し掛けていることに気が付かない。

 できる…… 俺ならできる…… そしてあの娘に――

 不意に入学試験の時に出会った、幸運の女神様の顔が目に浮かぶ。彼女は何故か蓮司の名を呼んでいた。

 俺は――

「桐山蓮司! 聞いてるの!」


「桐山蓮司! 聞いてるの!」

「――ッ! はい?」

 蓮司はイスから飛び上がって驚いた。考え事をしていた。考え事の中の少女と全く同じセリフが、耳に飛び込んできた。蓮司は慌てて声のした方へ振り向く。

「何! 何だ?」

 そこには女子生徒がいた。強烈なデジャブに襲われる。

 スズランのように白い肌。バラ色に染まる赤い頬。露に濡れる朝顔のごとく輝く瞳。梅の花だと言わんばかりの可憐な唇。桜が咲いたかと見紛う程の優美な耳。

 そして何より、黒く――短い――その髪。

「な、何だ?」

 蓮司は混乱した。心拍数が一気に上がる。入学試験で出会い、先程壇上で見た長い黒髪の少女が、ばっさりと髪を切って目の前にいた。

 第一生徒会長? 何でここに? 俺に会いにか? 髪切る時間なんてあったか?

 蓮司の頭の中を疑問符が乱舞する。

 もちろん髪を切る時間などない。入学式が終わって、そのすぐ後のホームルーム待ちだ。それに幸運の女神様は一年一組のはずだ。

「桐山蓮司くんよね。私の話聞いてた?」

「いや、すまない。聞いてなかった」

 よく似た別人かと思いつつ、蓮司は素直に謝った。

「あなたって人は…… 一度ならず二度までも……」

「二度? どこかで会ったか?」

 蓮司は幸運の女神様によく似た少女を、もう一度よく見る。何度見てもそっくりだった。髪の長さ以外は瓜二つだ。

 女子生徒はシッョクを受けたのか、うつむいてしまった。

「あっ? ひょっとして、今日壇上で宣誓していたのは……」

 蓮司はやっと思い至る。蓮司は気を失う寸前の記憶を呼び覚ます。確かにあの時、最後は二人いたように見えた。実際二人いたという訳だ。あの場には。

「……今日壇上で宣誓していたのは…… 私の双子の姉――一姫よ」

 女子生徒は顔を上げた。蓮司の顔を伺うように見る。心なしか顔が赤い。

「私はその妹の御崎一魅(いずみ)…… 入学試験で一度…… 会っているわ……」

 幸運の女神様――蓮司が恋愛フラグが立ったと思い込んでいる――御崎一姫。

 その妹と名乗る少女――御崎一魅は、何かを思い出したのか、蓮司と目が合うと顔を今度は横に背けた。やはり顔が少し赤かった。

「ああ、道理で。どっかで会ったような気がしたんだ。お姉さん。怒ってたか? 今度あらためてお詫びしたいんだが……」

「ん? ……別に…… お姉ちゃんは怒ってないわよ。むしろ面白がってるわ……」

 一魅は顔を正面に戻した。蓮司の目をじっと見つめる。何かを期待しているかのように、そのまま動きを止めた。

「?」

 蓮司は期待されていることには気が付いた。だが何に? それはすぐには分からなかった。

 お礼か? そういえば、まだだったな。間に合わなかったが、一応助けてもらった形だしな。そう思い至り蓮司が口を開こうとすると、

「あの時は――」

「桐山くん…… もう生徒会は決めた?」

 一魅が先に話を切り出した。

「生徒会? いや、まだだが……」

「そ、そう…… よね……」

「ん? 何だ? あっ? なぁ。ひょっとして…… お前もしかして生徒会長か?」

 蓮司は体育館に張り出された生徒会長の名前を思い出す。第一〇七まで名前を確認して、己の名前がないことを知った。その時最後に見た名前は、第一生徒会長と一字違いだったはずだ。

「なっ! 『ひょっとして』とか『もしかして』とかって何よ? それに『お前』って馴れ馴れしいわね。私が『生徒会長』だったりしたら、おかしいわけ?」

「いや…… おかしくはないが…… 確か、名前があったなと思ってな……」

 蓮司はあらためて一魅を見る。口を尖らせて不平を露にしていた。その手に生徒会長にのみ配られる、生徒スカウト用のプロフィールファイルを持っていた。確かに生徒会長らしい。

「そうよ。第一〇七生徒会の生徒会長よ。いわゆるビリ番よ」

 ビリ番――ビリの番号で略してビリ番だ。

 ビリ番の生徒会長になるくらいなら、その副会長に収まった方がまだまし――

 そう生徒達には思われている。たいした能力もないのに、調子に乗って立候補した大きな番号の生徒会長達。その代表格がビリ番だ。

「生徒会のことで話があるの……」

 一魅が言い淀んだ。だがこの時期の生徒会の話など、はっきり言われなくても誰だって分かる。自分の生徒会に入らないかというお誘いだ。

 第一〇七生徒会…… ビリ番…… ビリ番からのお誘いだと?

 桐山蓮司は盛り返さなくてはいけない。考えた上での結論は二つ。

 第一生徒会長御崎一姫に自分を売り込んで、その副会長に収まる。そして『真の生徒会』も一姫も手に入れる。

 または、なるべく数字の若い生徒会の副会長になる。もちろん狙うはG8。乗っ取るぐらいの活躍で、やはり『真の生徒会』も一姫も手に入れる。『真の生徒会』と一姫。どちらも手に入れる。蓮司の下した結論だ。

 そう、蓮司が名誉と誇りを取り戻すには、ビリ番など――

「ビリ番など論外だ」

「なっ! 何ですって!」

 一魅が顔を真っ赤にして叫んだ。元よりたいした距離も空いていないのに、更に半歩前に詰め寄った。クラス中が、蓮司と一魅に振り返った。

「な……」

 蓮司が一瞬たじろぐ。一魅の目は真っ直ぐ蓮司を見ていた。

「……」

「……」

 先に目をそらしたのは蓮司だった。蓮司はそのことに内心驚く。

「俺にはもう…… 狙っている生徒会が……」

 負けじと視線を戻すと、一魅はまだ蓮司を睨み付けていた。

「話ぐらい付き合いなさいよ」

 いや真摯に見つめていた。

 確かにそうだ。門前払いとは、どこまで偉いつもりだ。一魅は生徒会長で、蓮司は一般生徒だ。それが現実だ。そう蓮司は自嘲する。

 自分から目をそらしてしまったのも無理はない。非は蓮司にある。

「わ――」

 蓮司がそのことに思い至り、素直に詫びようとすると、

「いつまでいちゃついている! 早く、席に着かんか!」

 佐野仁太郎の怒号が教室内に響き渡った。


「すいません!」

「ごめんなさい!」

 蓮司が席に着き、一魅は自分の席に飛んで帰った。話し込んでいるうちに、ホームルームの時間になっていた。一魅は縮こまるように、窓際の真ん中の席に座る。

「たく…… 入学初日から、教室内でナンパとは。いい度胸だ、桐山蓮司」

 仁太郎が壇上から凄みのある声で、蓮司に呼び掛ける。

「違います。向こうから声を掛けてきたんです」

「逆ナンか?」

「逆ナンです」

「ちちち、違います!」

「そうかよ。さてと、一年十組の皆。俺が担任の佐野仁太郎だ。まずははじめましてだな」

 そう言いながら、仁太郎は生徒たちを見回す。蓮司と一魅の顔が、中でも目についた。

「で、本来なら連絡事項と自己紹介ぐらいで終わりだが、ちょっと事情が変わった。あろうことか、せっかく決まった生徒会長様に、異議のある者がいるらしい。桐山、そうだな」

「ええ……」

 蓮司は警戒しながら応える。話はもう終わったと思っていた。流れが変わったのか? まだ目があるのか? 蓮司はそういぶかしみながら立ち上がり、仁太郎の顔をうかがう。

「今の状況と、お前の要望を言ってみろ」

「俺は生徒会長に選ばれませんでした。入試当日にトラブルを起こし、そのマイナスが響いたと思います」

「――ッ!」

 一魅が蓮司に振り返る。目が合いそうになると、慌てた様子で顔をそらした。

「そのマイナスがなければ、選ばれていたと思うか?」

「ええ。当たり前です」

 教室が少しざわめいた。

「続けろ」

「俺は自分が生徒会長に選ばれなかったことに、納得がいきませんでした。それで大生徒会戦の担当者に――佐野先生に直談判に行きました」

 もう一度教室がざわめく。

「自分の力不足を、不運のせいにする為か?」

「違います。力云々の話なら…… 自分の要望をちゃんと声に出すのも、力だと思います」

「そうだな。確かにそうだ」

「俺の要望は、今からでも自分を生徒会長にすることです」

 教室のあちこちで小声が上がる。まるで潮騒のように、ざわざわと聞き取れない声が波打つ。覗き見るように、蓮司の様子をうかがう者もいる。

 ほとんどが初対面の生徒ばかりの教室。下手な第一印象は残せない。そう身構えてしまう、学年最初の特有の時間。お互いに探りを入れる、独特の緊迫感が漂う時間だ。

 その中で学校の決定に異議を挟むことを、蓮司は堂々と主張している。はっきり言って浮いている。空気が読めていない。そのことに対する、困惑と同情のざわめきだ。

 蓮司は周りを睨むように見回した。多くの生徒が慌てて口をつぐみ、視線をそらした。

 中には視線をそらさず、蓮司の方に顔を向け続ける者もいる。ある者は嬉しそうに。ある者は興味深げに。その一人に、改めて振り向き直した一魅がいた。


「……」

 一魅は静かにジッと、蓮司を見つめる。

「今年の生徒会長は百七名だ。これはもう、全一年生の数から決まったことだ」

「何なら、他の生徒会員はいない――『お一人様生徒会』でも結構です」

 毎年何人かは、生徒会員を集められない生徒会長がいる。運よく生徒会長にはなれたが、その後の不運か実力かで、一人で生徒会を名乗ることになる生徒会長だ。

 お一人様生徒会と呼ばれ、もちろん早い段階で消えていく。

「まあ、そう慌てるな。桐山蓮司。お前は自分が生徒会長になることで、他の生徒が生徒会長を辞めさせられてもいいと思うか?」

「それは……」

「それは? それは何だ、桐山? 自分が不当な立場にいるから、真っ当な手段で手に入れた、他の生徒会長の座を明け渡せと言えるか? 桐山蓮司は」

「いや…… それは――」

「それは実力ならいいと思います」

 口を挟んだのは、一魅だった。

 蓮司が驚いて一魅を見る。他の生徒の注目も、一魅に集まった。

「そう思うか? 御崎」

「はい」

「御崎? お前……」

「という訳だ。そこで提案がある」

 ニヤッと笑みを浮かべて、仁太郎が皆を見回しながら声を上げた。

「大生徒会戦の、他の担当の先生方とも話したんだがな。生徒会長の枠は百七。これは動かせない。かといってもうすでに決定済みの生徒会長に、いまさら辞めろと言う訳には、もちろんいかない。そこでだ、御崎」

「……」

「桐山が生徒会長になるには、入れ替えしかない。そうとなれば当然――」

「当然、ビリ番の私――ですか?」

「そうだ。桐山。譲って下さいと、言ってみるか?」

「譲ってもらうなど、論外です」

「そうだ。譲ってもらうことなどあり得ない。だが実力なら――」

 皆の視線が、もう一度一魅に集まる。

「そう、実力ならありだろう。実際生徒会長同士なら、正当な理由さえあれば、個別に私闘が認められることもある。もちろん挑まれても、断る権利はあるがな。それ以前に桐山は生徒会長ですらない。御崎には話を聞く義務すらないだろう。御崎は『実力ならいい』と言ったが、まさかピンポイントに自分のこととは思っていなかった。そうだな?」

「それは……」

「それに元より無理を通そうとしているのは、桐山の方だからな。どうする御崎?」

 一魅が立ち上がって後ろを振り向いた。蓮司と視線が合う。

「生徒会長は…… 一度口にしたことを、簡単に引き下げる訳にはいきません」

「だ、そうだ、桐山。よかったな」

「御崎…… お前……」

「無理が通れば道理は引っ込む――でしょ。ま、桐山くんに無理を通す力があればね」

「なっ? 何!」

「決まりだな。では大生徒会戦――その前哨戦を始める」

 仁太郎は実に嬉しそうに、そう宣言した。


「下調べぐらいはしていると思うが、大生徒会戦の戦いには、俗に言う『文化系』と『体育系』がある――」

 仁太郎は相好を崩しながら言った。この展開が嬉しくて仕方がないようだ。

 仁太郎は教室内を見回す。桐山蓮司と、御崎一魅だけが立っていた。どこまでも目立つ奴らだと、仁太郎は内心面白がりながら話を続ける。

「『文科系』はあれだな。会計の計算力勝負とか、文化祭の人気企画コンテストとか、割と頭を使うやつだ。将来三年生までその生徒会が生き残った場合、実際の生徒会業務を任せていいのか。大丈夫か。そういうところを確かめる意味でもな。『文化系』ってのは、大雑把に言って、そういうのを競い合うのが多い」

「頭を使うのは、嫌そうですね。先生は?」

「分かるか? 桐山」

「見た目が派手なのが好きそうですね」

 蓮司は仁太郎の第一印象のままに言った。

「その通りだ――」

 もちろん正解なので、仁太郎はニヤッと笑い気にせず続ける。

「で、派手と言えば『体育系』。山に分け入って、ドッチボールでサバイバルゲームをしたり、体育祭で力の限界まで戦ってもらったりと、見ている俺らが楽しい」

「じゃ? 体育系で『鉢巻き取り』ですか? 割に初期に行われるって聞いていますし」

 一魅が訊いた。

「あれは人気あるからな。ほっといても、最初にやらされるさ」

 仁太郎は上機嫌に答える。なんだか自慢げだ。

「人気はないと聞いていますが?」

「うるせぇ! ほっとけ、桐山! 俺は気に入ってんだよ!」

 仁太郎の怒号に、何人かの生徒が驚き強ばってうつむいた。

 青ざめてしまった女子生徒もいる。肩口で切りそろえた髪が、わなわなと震えていた。

「先生! 怖いです! 特に――顔が!」

 臆せず手を挙げて、嬉しそうに発言する女子生徒もいた。こちらは後頭部で結んだポニーテールが、本人のはしゃぎっぷりに合わせて天真爛漫に揺れている。

「顔がか? こう見えても、笑顔の似合うシャイな中高年だ。勘違いするな」

「スカッと、了解です!」

 ポニーテールの女子生徒は楽しくって仕方がないのか、制服の袖を天衣無縫と言わんばかりに翻して手を振る。青ざめた女子生徒は、更にガタガタと震え出していた。

「先生。今は俺と御崎の前哨戦をどうするかですが」

「そうだな。だが聞かなくてもいい話を、御崎は聞いたんだ。あちらに選ばせるのが、公平ってもんだな。どうする御崎? 文科系と体育系。どっちで勝負する?」

「それは――」

 一魅は蓮司に振り返った。身長差は頭半分といったところだ。体格差はやはりある。体育系でも力だけで勝負がつくとは思えないが、その点を一魅は考えざるを得ない。

「文化系で」

「賢明だな。桐山。異存ないな?」

「ありません」

「では、文化系で勝負だ。内容は――」

 仁太郎は一度自分の頭上を仰ぎ見て、

「自己紹介勝負ってのはどうだ?」

 ニッと笑ってそう言った。もちろんシャイなど程遠い、肉食獣の笑顔だった。


「自己紹介で勝負がつくんですか? 俺と御崎の自己紹介を比べるんですか?」

 蓮司はその様子を想像しながら質問する。

「いや。本人の自己紹介じゃない。クラスの自己紹介を仕切ってもらおうって肚だ」

「肚って…… 考えとか、ましな言葉使って下さい」

「いいだろ、桐山。毎年新しいクラスで自己紹介をさせるんだがな。何かこう皆、人の話は右から左でな。本当に聞いてんのかって、興味あんのかって思う訳だ」

「一度聞けば、たいていのことは覚えられますが」

 蓮司がそう言うと、クラスがざわめいた。

「まあ。そういう奴も、確かにいるわな、桐山。だがお前みたいな奴ばかりでもない。それに…… 盛り上がりもいまいちでな。通り一遍の発言に、おざなりな拍手。耳に入らない内容に、印象の薄い面構え。新年度必須の割には、イベントとして面白みがない。毎年暇な上に、することのない俺はつまらんのだ」

「それで、俺達二人に……」

「そう。お前ら二人に、盛り上げてもらおうと思った訳よ」

「押し付けましたね」

 蓮司が仁太郎の本心を見抜く。

「そうだ、そうだ。押し付けた。否定はしねえよ。好きにしろ。二人で一時間やる。勝負方法も任せた。条件は盛り上げた方が勝ち。それだけだ」

「では、クラス全員を、男子女子ない交ぜにして半分にします。この半分のグループで自己紹介をし、俺と御崎でそれぞれを取り仕切ります。勝敗の判断は、自己紹介を実際に体験したクラスの皆にお願いします。一通り終わった後、どちらがよかったか皆に挙手してもらうというのでどうでしょう」

 蓮司がたった今決まった話だというのに、すらすらとその勝負方法を提案する。

「ほう……」

「もちろん、不利と思われる先攻は俺で」

「かまわんな、御崎?」

 仁太郎が嬉しそうに歯を剥き出して訊いた。

「桐山くんがそれでいいのなら、かまいません」

「よくない話など、初めから提案しない」

 蓮司が鼻を鳴らして応えた。その声にクラスがまたざわめく。

「あ、そう。それと、私が勝ったら副会長の件、話を聞いてもらうわよ」

「いっそのこと。勝ったら副会長になれ。て、言えばいいだろ?」

 蓮司の言葉に教室が更にざわめく。皆この時期は生徒会編成に、頭を悩ませることになる。他人の生徒会とはいえ皆興味津々なのだろう。

「桐山くんはそれで納得がいくの?」

「こちらの無理を聞いてもらったんだ。負ければそれも仕方がな――」

「嫌よ。私は嫌。仕方がないから入るだなんて、そんな生徒欲しくない」

 一魅は真っ直ぐ蓮司を見据えて言う。まるで視線で蓮司の言葉を跳ね返したかのようだ。

「な……」

「納得って、とても大事だと思うの。そうは思わない? 桐山くん」

「……まぁ、確かにな……」

「でしょ? だから、私が勝ったら、話ぐらいは付き合ってもらうからね」

「分かった。話ぐらいは付き合おう」

「ヒューッ! ヒューッ! 妬けるね! 付き合うの? 付き合っちゃうの? いいや、もう! スカッと付き合っちゃえ!」

 先程発言したポニーテールの女子生徒が、わざとらしく一人で喧々囂々とはやし立てる。

「なっ? 違います!」

 一魅が真っ赤な顔で振り返る。はやし立てた女子生徒は、面白がるように笑っていた。

「……」

 蓮司はその騒ぎを無視し、勝負を始めるべく静かに壇上に向かった。


 桐山蓮司は打ちのめされていた。

「何故だ?」

 自己紹介が全く盛り上がらないのだ。

 蓮司は窓際側の生徒半分を担当した。もちろん芸のないことをしても、勝負にならない。

 蓮司は自己紹介の順序を、席順に関係なく自分で指名することにした。ランダムに指名することで、変化を付けようとしたのだ。その上で名前や特技を言ってもらった。

 そして蓮司は本人に話をさせるだけでなく、自分から一人一人話し掛けることにした。

「浜田征夫です。特技は――」

 とくれば、間の手を入れ、話題を殊更盛り上げようとした。だが本人から返ってきたのは、たいてい力ない愛想笑いだけだった。

「王美麗です…… あの…… その……」

 名前を言うだけで萎縮してしまう生徒には、こちらから質問攻めにした。だがもとより自己主張が苦手なのだろう、そういう生徒は訊かれても小声で答えるだけだった。盛り上がらない。

「増川美緒です。『第六三生徒会長』。他に特に話すことはありません」

 不敵に笑い、あからさまに拒絶の意思を示す者もいた。蓮司はそういう生徒に、むしろ自分に近いものを感じる。自分が相手の立場だったらと考える。

 だからといって、蓮司は黙っている訳にはいかない。

「大生徒会戦を戦うこの学校では、自己紹介はするも聞くもマナーだぜ。言わば合戦の前の名乗り上げだ。知ってるだろ? 特に生徒会長さんなら尚更だしな」

「あらそう? では高校生活最初のイベントを、自分勝手に利用するのはマナー違反じゃないのかしら?」

 美緒と名乗った女子生徒は、わざとらしく鼻を鳴らして席に着く。

 確かに蓮司も相手の立場なら、面白くないと感じるだろう。ホームルームを乗っ取った上に、自分達だけが目立っている。ただでさえ大生徒会戦のあるような高校に、わざわざ入学してくるような生徒達なのだ。もとより自己主張の激しい者も多いだろう。蓮司の一連の態度が、そういう人間の反感を買ってしまっていたようだ。

「雲雀丘槇です……」

 一人の清楚な女子生徒が、顔を真っ青にしながら名前を名乗った。奇麗に肩口で切り揃えられた髪が、細かく震えていた。名前を言うだけで精一杯なのだろう。その後蓮司がいくら促したり話を振ってみても、ただただ小さくなっていくだけだった。

「く……」

 蓮司が何も盛り上げられないまま、自分の担当分の自己紹介が終わろうとしていた。

 『自己紹介を仕切れ』程度の指示なら、蓮司はそつなくやってのけただろう。社交的な生徒。引っ込み思案な生徒。それぞれに合わせて、本人から話を引き出せば、皆から成功と思われていただろう。

 だが課題は『盛り上げろ』だった。蓮司に人望があれば、皆協力してくれたかもしれない。しかし一人で目立ち、不遜な態度も見せていた蓮司は、多くの生徒に退かれていたようだ。

「く……」

 蓮司はもう一度唸り、困惑と愛想笑い、そして失笑の入り交じった自己紹介を終わらせた。


 御崎一魅は考えていた。自分以外の窓際の生徒が、自己紹介をする中で、一人静かに席に座って考えていた。

 全国から生徒が集まるこの学校では、多くの者が初対面だ。初対面だからお互いに自己紹介がいる。そして初対面だからお互いに緊張する。もっと言えば遠慮もする。

 第一印象で下手なものは残せない。どこまで茶目っ気を出していいものか、その雰囲気も分からない。何より滑りたくない。それでも果敢に笑いを取りにくる生徒もいるだろう。場を和まそうとする生徒もいるだろう。だがそれは個人の資質だ。そしてあくまで一部の生徒だ。

 仁太郎からは『盛り上げろ』と言われている。それは雰囲気を盛り上げろという意味だ。全員が自己紹介をしてよかった。そんな風に思わせることだ。一魅は仁太郎の意図をそう捉える。

 蓮司の担当分の自己紹介が終わった。何人かは協力的に雰囲気を盛り上げようとしたようだ。だがうまくいかなかったのは、蓮司の苦悩の顔から明らかだった。

 そしてこのまま工夫もなく自己紹介を仕切れば、一魅とて同じ轍を踏むだろう。

「御崎。お前の番だ。桐山以上に盛り上げろよ」

「……」

 仁太郎の言葉に、御崎一魅はノートを手にして立ち上がった。


 一魅が壇上に近付くと、

「はいはい! あたし自己紹介したい! スカッと一番手希望!」

 一際元気なポニーテールの女子生徒が、活溌溌地とした仕草で手を挙げる。

「語るわよ! 宣伝するわ! そしてスカッと盛り上げるわよ!」

「待って。ありがとう。嬉しいけどちょっと待って欲しいの」

「おりょ?」

「皆、時間をとってくれてありがとう。私が『第一〇七生徒会長』の御崎一魅です」

 一魅は先ず、自分の自己紹介から始めた。 

「皆ここに自分の名前を書いて!」

 そして一魅はノートを細かく破き、メモ用紙程の紙片にして廊下側の生徒に配り出した。生徒達は言われるがままに、自分の名前を記入した。

「で、名前を書いたらここに入れて」

 一魅はカバンから中身を取り出し、その空のカバンを持って皆の間を走って回った。自分の受け持ち分の生徒の名前を集めた一魅は、もう一度席の間を歩き出す。

「今度は中から紙を拾って。中身は見ないで。クジみたいな感じで」

 生徒達は紙片を拾う。もちろん手元にあるのは、全く知らない者の名前だ。一魅は壇上に戻って、生徒を見回した。見ず知らずの名前を受け取った生徒達は、思わず辺りを見回す。自分の手の中の名前が、誰のものなのか気になるのだろう。

「自己紹介って、やっぱり名前を覚えてもらうことだと思うの。そして今まで知らなかった人と、話をする切っ掛けを手入れることだと思うの」

 一魅は皆に語り掛ける。

「でも名前を覚えてもらうには、ちゃんとアピールしないといけない。話をするのにも、まずは勇気を持って話し掛けないといけない――」

 一魅はそこでチラッと、席に座る蓮司を見た。蓮司は黙って一魅を見つめている。

「だからアピールしながら、話し掛けてもらうことにします」

 教室がざわめいた。一魅の意図に気付いた者。まだ何をさせられるか不安な者。様々なのだろう。蓮司は前者のようだ。驚いたようにまぶたを見開いて、一魅に目を向けている。

「今からゲームをします。負けた人は当然罰ゲームです。それでは――」

 一魅がその内容を説明すると、廊下側の生徒は一斉に立ち上がった。


 一魅の説明を聞いた生徒達は、我先にと動き出した。動いた先は他の生徒だ。教室の半分が、走り回る生徒で渦を巻く。生徒は次々と他の生徒に声を掛ける。自分の名前を言いながら、手当り次第に他の者をつかまえる。

「いい! 皆! 自分の名前を持っている生徒を見つけ出して! その紙を回収して、席に着いて! その為には――」

 一魅が動き回る生徒に聞こえるように、声を張り上げる。

「ちゃんと自分の名前を言って、相手に話し掛けてね!」

「浦川です! 浦川勇!」

「出屋敷ですが! 誰か俺の名前知りません?」

「あたし中山麻由美! ウヒョッ! あたしの誰? 誰が持ってる?」

 皆が自分の名前を叫びながら、手当たり次第に他の者に声を掛ける。皆が自分の名前をアピールしながら、他の生徒に話し掛ける。

 効率よく話し掛ける者。同じ生徒に二度三度と話し掛けてしまう者。話し掛けるタイミングが掴めない者。それぞれのようだ。自分の名前を見つけ出した者が、我先にと席に座り出した。

 先に席に着いた者は、優越感からか笑って残った生徒を見る。残った生徒は焦った様子で、他の生徒に話し掛ける。そして見る間に、七人、八人と席に着く者が増えていく。

「早くしないと、罰ゲームよ」

 一魅がそう言った頃には、残すは五人程になっていた。

「あ…… あの……」

 見るからに気の弱そうな女子生徒が、辺りを見回した。自分からは声を掛けられないのだろう。オドオドと首を巡らせている。

「ひょっとして、武庫川さん?」

 男子の中に、取り残されたのは女子一人。そうと見るや席に座った女子生徒が、自分から声を掛けた。まだ持っていた名前が、女子生徒のものだったからだ。

「はい!」

 武庫川と呼ばれた女子生徒は、嬉しそうに駆け寄る。自分から話し掛けられないような女子生徒。罰ゲームなど耐えられないのだろう。その安堵の表情に、見守っていた他の生徒に笑みがこぼれる。その中で蓮司は一人、硬い笑みを浮かべた。

「はは! ずるいぞ!」

「不安げな表情も、アピール――自己紹介のうちです。認めます」

 茶化して言う他の生徒の抗議に、一魅が落ち着いた感じで応えた。

「あれ。俺ですか…… 俺ですね…… 罰ゲーム……」

 気が付くと一人残された生徒が、辺りを見回していた。

「そうね。アピール不足で負けたんだから、当然罰ゲームは名前を覚えてもらうように――」

 一魅は力一杯えくぼを作って微笑むと、

「自己紹介ね」

 そう言った。


「今度は自分の名前を探しだすんじゃなくて、自分が持っている名前の人を捜しだして。『何々さん。どちらですか?』ってな感じね。相手の名前を連呼してね」

 一魅はもう一度紙を集めて配り直し、今度は違うルールを説明した。

「見つけたら相手に渡して。最後まで見つけられなかった人は、やっぱり罰ゲームよ」

 生徒がまた渦となって教室の半分を駆け回る。心底楽しんでいる者もいれば、罰ゲームだけは嫌だと必死になっている者いる。

 根が陽気な生徒も、気の小さな生徒も、次々と互いに声を掛ける。それぞれが名前を呼び掛けながら、今日までは赤の他人だった生徒に話し掛ける。

「次は下の名前限定よ!」

「今度は中学の時のあだ名を書いて!」

「自分の特徴を書いて!」

 一魅は幾度か名前でこの自己紹介のゲームをさせると、少しずつ内容を変えて繰り返した。

 どうするよ? 桐山? と、仁太郎は面白がって蓮司の顔を見る。

 その蓮司は先程から一言も発していない。

「……」

 蓮司は自分の席でほぞを噛んでいた。力一杯一魅を睨み付けている。拳が固く握られており、少し震えていた。

「ウヒョ? 今度は自分の下の名前を、スカッと見つけてもらうのね? あたしは――」

「はい。麻由美さん」

 ポニーテールの女子が自分の名前をアピールする前に、向こうから男子が声を掛けてきた。

「おりょ? もう名前を覚えられている? さすがあたし!」

「では、次は――」

「御崎!」

 次のゲーム内容を告げようとした一魅に、蓮司が席を立って声を上げる。意を決したように、真っ直ぐ一魅を見つめた。

「……」

「……何? 私の時間はまだ少し残ってるわよ」

 蓮司と一魅の視線が火花を散らすように交わり、クラス中の生徒が息を呑んで見守った。

「……いや、俺の――負けだ」

 教室全体がどよめいた。蓮司はそのどよめきを、跳ね返すように続ける。

「いいアイデアだ。悪いが俺の側の生徒も、交ぜてやってくれ……」

 そして蓮司は参ったと言わんばかりに、肩から力を抜いて少し微笑んだ。


 クラスから歓声が上がった。驚きと興奮のどよめきだ。不遜な態度を見せていた蓮司が、自分から負けを認めた。そのことでクラスの緊張が一気にほぐれた。

 蓮司が席を立った時、少なからずの生徒が異議を申し立てるのだと思った。

 盛り上がっているのはゲームであって、自己紹介ではない。今までの印象では、蓮司はそれぐらいは言い出しかねないと皆に思われていた。だが蓮司は素直に自分の負けを認めた。

「桐山。ずいぶんと素直じゃねえか?」

 仁太郎が歯を剥き出して笑う。

「一目瞭然の状況で、これ以上生き恥をさらすつもりはありません」

「そうか。御崎」

「はい」

「という訳で悪いが、クラス全員を仕切ってやってくれ。後三十分ぐらい時間はいいだろう。生徒会長として、まぁ頑張れや」

「はい。でも一人だとクラス全員は、ちょっと数が多いと思います。桐山くん――」

「……」

「手伝ってくれる?」

 一魅の言葉に、クラスの注目が蓮司に集まる。

 一魅の言葉を単なる敗者への追い討ちと考えるべきか。それとも元から副会長に目を付けていた一魅の、偽らざる本心と見るべきか。いや何より蓮司がどう捉えるかだ。

「分かった。手伝おう」

 蓮司は素直に返事をして壇上に近付いて行き、教室中が更に大きな歓声で包まれた。


「桐山。御崎の生徒会に入るのなら、早めに申請書は出してくれよ。どいつもこいつも、後回しにしやがってよ」

 仁太郎が壇上でぼやいた。自己紹介がクラス全体で盛り上がり、ホームルームも終わって、生徒達が帰り支度をし始めた時だった。

 申請書とは『所属生徒会申請書』のことだ。必要事項を記入して大生徒会戦の審議委員会――生き残った三年生の生徒会によって組織される委員会――に提出する。

 彼らは職員室に交代で窓口を設置している。大生徒会戦における事務的な手続きや、諸問題への審議を任されている。

 そして生徒会への所属は、口頭による意思表明では仮の効力しかなく、この申請書を持って正式のものとなる。今年の教師側の担当者は仁太郎だった。クーリングオフが利くせいか、所属生徒会申請書の提出はいつも遅れがちで、担当教師を毎年悩ませている。

「いや、それは……」

「いくら後回しにしていいからって、どいつもこいつも期限ギリギリに持ってきやがって……」

 元より独り言だったのか、仁太郎は言い淀む蓮司を無視して続けた。

「桐山くんは、まだ入ると決まった訳ではないです。先生」

「御崎……」

「だがよ、御崎。お前は桐山に勝ったんだから、遠慮なんかする必要ないぞ」

「まだ話に付き合ってくれるって、そう言ってるだけです」

「そうか。まぁ。本人同士が納得するように、やるがいいさ」

 仁太郎はそれだけ言うと、興味なさそうに教室を出て行く。

 ドアをピシャッと閉めると、仁太郎は廊下で二人の女子生徒の顔を思い浮かべた。

 第一生徒会長――御崎一姫。

 第一〇七生徒会長――御崎一魅。

「あのビービー泣いてた双子がね…… 大きくなったもんだ……」

 仁太郎は二人の赤ん坊を思い出して、厳つい顔で嬉しそうに笑った。続いて自身が二十五年前に大生徒会戦で戦った日々を思い出す。

 仁太郎はこの学校の卒業生だ。最初の大生徒会戦を戦った。あの時の自分の生徒会長はとても綺麗な少女だった。今日出会った二人の女子生徒と瓜二つだった。

 少女は仁太郎の友人と結婚し、すぐに双子の女の子を生んだ。まだ双子が小さい頃に、仁太郎は遊びに行ったことがある。

「姉妹で第一と第一〇七に別れて戦うとはね……」

 仁太郎は自分の生徒会長の顔を思い出す。若かりし日の双子の母親の顔を思い出す。

 確かにあの生徒会長の娘なら、自分が生徒会長になることを絶対に譲りはしないだろう。もちろんそれは、地位に執着するということではない。蓮司の挑戦を受けて立ち、そして堂々と退けた一魅に仁太郎はそう思う。

「それにしても…… あんな大きい娘がいる母親に、なっちまったんだな……」

 仁太郎は大きくため息をついて歩き出し、廊下の向こうに消えた。


「私は『真の生徒会』になりたいの」

 仁太郎が教室を出て行った後、近付いてきた一魅は開口一番蓮司にそう言った。朝と同じ真摯なまなざしだった。

 自己紹介が上手くいったせいか、和やかな雰囲気で多くの生徒が帰り出している。

「何の為にだ?」

「私の為によ」

「『真の生徒会』になりたいのなら、姉について――」

「嫌よ! 私は私なの!」

「な……」

 蓮司の軽い一言に、一魅がすぐさま食いついてくる。何人かの生徒が、その一魅の剣幕に振り返った。

「お姉ちゃんは確かに、『真の生徒会』に限りなく近いでしょうね」

「だろうな。第一生徒会長様だ」

「それにお姉ちゃんは、私が自分の生徒会の副会長をすると思っていたとも思うわ…… でも私は第一〇七生徒会で――私の生徒会で――『真の生徒会』になるの」

「ビリ番だぞ? 本気か? 分かっているのか?」

 蓮司が探るように、一魅の目を見る。蓮司は席に着いており、立っている一魅を見上げている。窓の向こうからの陽光を背に受けて、一魅が真っ直ぐ立っていた。

 なんだか立場を表しているようだと、蓮司は内心苦笑する。

「本気よ…… 桐山くんだって、私に代わってビリ番になろうとしたじゃない」

「それは…… そうだが…… 俺の場合は、実力的にビリ番なんかじゃないからな」

 一魅に負けた今も、蓮司はそう思ってしまう。入試のトラブルさえなかったら、今頃生徒会長だったと信じている。そして若い番号の生徒会長だったろうと考えてしまう。

 だが敗者復活ですら破れてしまった。しかも完敗だった。蓮司は揺れる心のままに、自分の負けを認めながらも、負け惜しみの発言をしてしまう。

「言うわね……」

「まあな。で、確認だ。第一から第八までの生徒会――コイツらは特別に『G8』と呼ばれる。何故だが知っているな?」

「知ってるわよ。『真の生徒会』になる為の、絶対条件と言われているわ」

「そうだ。俗にG8と呼ばれる生徒会の会長が、多くは一組や二組の生徒を副会長などにして独占している。つまりG8以外の生徒会は――」

「G8なんて言い方。今時古いわよ」

「じゃあ何だ。これからはG一〇七だって言うのか?」

「そこまでは言わないけど。それに、例外だってあるじゃない」

 一魅がむくれて口を尖らせた。空いた蓮司の前の席に、抗議の意味を込めてか勢いよくお尻を落として座る。

「知ってる。一回だけだ。この二十五年の大生徒会戦で、最初の『真の生徒会』になった当時のビリ番――第一〇七生徒会だけだ……」

「だったら……」

 一魅は蓮司の机に身を乗り出した。

「最初だけだ。例外中の例外だ。その時は成績順に番号を割り振ってなかった。そう聞いている。最初の第一〇七生徒会は、番号はともかく、実力ではビリ番でもなんでもなかった」

「知ってるわよ」

「正直、今の大生徒会戦でビリ番に望みがないのは、誰の目にも明らかだ」

「……」

 一魅は納得がいかないように、更に口を尖らす。

「そんなビリ番のビリ(ケン)に、この俺になれと言うのか?」

 『ビリ番の生徒会長になるくらいなら、その副会長に収まった方がまだまし』というのは、それ自体が皮肉だ。

 身の程を知らない生徒会長について行く、先見の明のない副会長。それがビリ犬だ。

 副会長は会長の補佐――言わば参謀だ。先見の明がないのは致命的だ。ビリ番について行く、バカな番犬でビリ犬と呼ばれている。そして時に拝まれている。皮肉で。

「そうよ……」

「お一人様生徒会すらあり得る、第一〇七生徒会長様がか?」

「……」

 一魅はうつむいて黙ってしまう。一魅とて、何度も否定されれば揺らぐのだろう。

 何をしているのだろう俺はと、その一魅の顔を見て蓮司は思う。トップ入学を逃し、生徒会長から漏れ、落ちこぼれのクラスに入れられ、今また否定的なことを力説している。

 桐山蓮司とはそんな人間だったのか? そう自問してしまう。

「確かに私は第一〇七生徒会の生徒会長よ。ビリ番よ。でも私は――」

 一魅はそこで言い淀んだ。意を決したように口を開く。

「それでも私は…… 『真の生徒会』になりたいの……」

「望みは薄いぞ」

「私が実力通りのビリ番でも、あなたはそうじゃないんでしょ?」

「な……」

「違うの?」

 一魅が微笑む。してやったりの笑顔だ。

「言うね」

「そう…… ありがとう。で、どう? 副会長になってくれるの?」

 一魅は真っ直ぐ蓮司を見つめる。自分の思いを確かめるように、力強く蓮司を見つめる。目の奥が揺らがない、やはり真摯な眼差しだった。

 第一〇七生徒会という現実を突きつけられ、ビリ番とバカにされ、『真の生徒会』など無理だと力説されて尚、まだ自分の思いを通そうとしている。一番下から一番上を目指すと言う。蓮司は一魅のその瞳に見入ってしまう。

 なるほどなと、蓮司は己の不明を恥じた。一魅は真剣なのだ。省みて自分はどうだ。一番ではないと怒り、教師に文句を言いに行った。盛り返す為に、少しでも可能性のある生徒会に入ろうと考えた。正々堂々と戦って自分を破った生徒会長から副会長に誘われ、ビリ番のビリ犬は嫌だと駄々をこねている。

 何様のつもりだ!

 その言葉を一番に投げつけてやりたい男の顔が、蓮司の脳裏に一瞬浮かぶ。嫌になるぐらいそっくりな父の顔だ。『一番下から一番上』をやってのけた男の顔だ。

 番下から一番上を目指す…… なるほど…… 一番の盛り返しだ――

 蓮司は覚悟を決めた。その間ずっと一魅から目をそらさなかった。

 あんたにできて、俺にできない訳がない――

 一魅の瞳に映った自分の顔が、父の顔とかぶる。

「で、どうなのよ……」

「返事はもうしたつもりだがな――」

「……」

 否定的な言葉ばかり聞かされたせいか一魅が、またうつむいてしまう。

「分かった。オッケーだ。その話――付き合おう」

「えっ?」

 一魅が顔を上げると、

「第一〇七生徒会に! ビリ番に! 大生徒会戦に! ……もちろん――」

「桐山くん!」

「『真の生徒会』になるまでな!」

 蓮司はその顔にできる限りの笑顔を向けた。

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