スライム
二作目です
夕暮れ時、赫赫とした光が照り付ける道を、その人間は歩いていた。部活終わりの疲労を背負って、だらだらと汗をかきながら、ただ心休まる場所へと帰るために歩いていた。心休まる場所とは、人によって考えが異なるであるだろうが、彼にとっては家がそれであった。やすらぎへと足を踏み入れ、背負ったかばんを彼の部屋に乱雑に投げ捨ててから、洗面台へと向かい、手を洗う前に顔を洗った。ばしゃ、ばしゃと彼の顔に水がかかり、2,3回ほどそれを繰り返すと、タオルで顔をぬぐい、顔を上げた。鏡には、にきびがぽつぽつと点在する、少年というには大人で、青年というよりは子供すぎる、そんな顔が映っていた。洗面所のドアノブに無意識的に手を伸ばし、手首をひねる。すると、ふと違和感を抱いた。ドアが開かないのである。ただ、ドアノブが回らないだとかそういった類の問題ではなく、触れた感覚を感じないのだ。疑問に思い手を見てみると、恐るべきことに腕が欠けていたのである。手首の先、すなわち掌がごっそりと消え失せている。驚いたことはもう一つ、この現状を見た彼の脳は、非常に冷静であった。人間の脳みそは、本当に驚くべき時に、かえって冷静になるようにプログラミングされているのかもしれない。しかし一体どういうことかと、異様に冷静な彼は思案し始めた。掌が消え失せた手首を観察すると、どうやら血は出ていないようだ。断面はなにやらぷるぷるした、みずみずしい何かがつまっている。骨や血は見当たらなかった。これは近頃、生物の授業にて人体構造を学習した彼にとっては、異様すぎる事実であった。もしや学校では嘘を教えられているのではないか、と勘繰っても見たが、その行いに意味がないことを、彼はわかっていた。そういえば周りを見回していたことを思い出し、先ほど顔を拭いたタオルを一瞥すると、ぷるぷるした何かが付着しているのがわかった。それに手首を伸ばしてみると、吸い込まれるようにそれは手首にくっつき、形状を掌に変えた。見た目はぷるぷるとした、紫色の手の形をした何かで、触ると少しジャリっとした。まるで理科のクラブで作ったスライムのようであった。彼は決心し、ドアノブを掴んだ。掴めたのだ。手を見ると、色も質感も変化していて、あたかも本当の掌のようである。そのままひねり、自室へと急ぐ。部屋に入って鍵を閉め、自らの手をまじまじと見つめた。なんの変哲もない、自分の手である。ぷるぷるしていないし、紫色でもない。先刻の出来事は、まるで夢だったかのように思えた。そうだ、あれは夢だったんだと、楽観的を装いながら、机の上で眠りに耽った。
すでに夕日は沈み、あふれんばかりの太陽の光に充満した月が地上を照らしていた。身を起こした彼は、まっさきに自らの手を見つめた。非常に細かく、手相の一つも間違いがないか確認し、最後に生命線が短いことまでも確認すると、ようやく彼は納得し、そしてやはりあれは見まごう事なき夢であったと自らを思いこませ、夕飯前に一風呂浴びることにした。しかし、彼の楽観的な希望は、もろくも洗い流されることとなった。風呂場にてまず、シャワーを浴びる。心地よい水音が彼を包み込んだ。シャワーを消そうとして蛇口に手を伸ばすと、ずるっと滑り、同時に手の先の感覚が失われた。シャワーは止まらず、彼は焦りを覚え手を見ると、洗面所の時のように、掌がなくなっていた。驚愕してシャワーから飛びのくと、着地した途端に体がバランスを崩し、膝から崩れ落ちた。足の先の感覚がない。やはり、足の先は失われていた。幸い取れた足は近くに転がっていて、手を伸ばしたら届いた。それを足先に近づけると勝手に接着し、また元通りになっていた。彼は急いで手を回収し、シャワーを止め、風呂場から逃げるように飛び出た。もし湯船につかっていたらどうなっていたのだろうか、と考えると背筋が冷たくなった。夕食の時間に、それとなく自分に何か変わったところはないかと両親に尋ねてもみたが、髪型の違いやらニキビの数の変化やら、一つたりとも変化のないことを言われるだけであった。彼はその答えを聞いて、少し安堵したような心持になった。嬉しそうに食事をする彼を見て、やはり正解であったと誇る両親の姿がそこにあった。部屋に戻り、今日自らに起こった現象について考え始めた。唐突に自分の体がスライムのように変化する現象を、彼は見たことも聞いたこともなかった。そしてふと、彼は本当に自分が自分なのかを疑問に思った。普通の人間の中身は、見たことはないけれど、おそらくスライムのようではないと考え、それでは自分は人間なのかと、疑問に思ったわけである。しかし考えれば考えるほどに、自分自身は人間であるとの思考が固まっていった。昨日のことは当然のように思い出せるし、友達は普通に接してくれたし、消防士になるという将来の夢もしっかり持っている。なにより、自らの親がそれを、いつも通りの自分であることを証明してくれた。その事実に胸をなでおろす。そして彼は安心したためか、ベッドの上で布団もかけずに夢の世界へと入っていった。
学校へと行く最中、彼は少しの不安ともいえる感情を抱いていた。いつから自分の体がこうだったか分からない以上、いつぼろを出さないとも限らない。人間は往々にして失敗から学ぶ生き物であることは彼もわかっていて、だとしても完璧にしようとしすぎるとかえって失敗してしまうことを彼は未だ知らなかったのである。体育の授業などは、うまくごまかすことができていた。以前の経験から、自らの体はどうやら水に触れると性質を変えてしまうらしいことがわかっていたためである。そのため、彼は何としてでも水を避けようとした。まるで狂犬病患者かのように、水を恐れていたのである。しかしそれゆえに、彼のその明らかに異常ともいえる行動に対し疑問を覚えるものが何人か存在していて、そのうちの何人かは、直接彼へその疑問をぶつけたのである。疑問といっても彼を貶めようなどという意図はさらさらなく、本当に純粋で、透明な疑問であった。彼もそれをわかっていて、適当な返しでその場をやり過ごしたが、彼の中にある疑念がもう一度再燃することとなった。それは当然、「自分は本当に自分なのか」というものである。先日肯定されたこの思考は、いま改めて否定されてしまうこととなった。周囲の彼に対する反応は、とどのつまり彼が普段と違うことを如実に表していた。彼は深い絶望にさいなまれながら、学校が終わる瞬間をただ待っていた。
終わりを知らせるチャイムが鳴り、学活が始まった。しかし彼にとってはそんなことは心底どうでもよく、半ば聞き流していたのだが、少し気になるところがあったのだろう、教師が話していた、夜に子供が歩いているという話だけは頭に残っていた。部活を済ませ、夕日が沈みそうな中を歩いて家へとたどり着き、玄関を開けたとたんに、母親が列車のごとく駆け寄ってきた。彼は思わずのけぞってしまったが、その様子を気にもかけず、母親は口を開いた。彼女が言うには、どうやら昼頃にもかかわらず、彼が町中を歩いていて、それを目撃したものがいたというものである。言い忘れていたが、彼が住む町は比較的田舎よりであり、少なくとも都会といえる場所ではなかった。それゆえに、うわさが良くも悪くも広まりやすく、それしか娯楽がないからだろうか、彼女たちはうわさに敏感になるのだろう。それはともかく、彼にとってその話は全くの嘘か、もしくは他人の空似であるとしか思えなかった。思いたくなかった。彼は自分がしっかり学校にいたことを伝えると、彼女は安心したように一息つきながら、そそくさと戻っていった。嵐が過ぎ去っていったようであり、彼は少しぽかんとした間抜け顔をしていたが、しばらくして元に戻り、水に気を付けながら手洗いを済ませ、自室へと戻っていった。しかし、彼には少しもやもやしたものが募っていた。先ほどの母親の話と、教師が話していたことがどうにも気のせいだとは思えなかったのである。ふと、何かを忘れているような気もしたが、頭の中を隅々まで見るように駆け巡らせても、何も思い出せなかった。彼はすっきりしないまま、少し寝苦しい夜を過ごすこととなった。
それから2週間ほどが過ぎ、彼はつつがない学校生活を過ごしていたが、その間にも、平日にもかかわらず昼や夜に出歩いている学生のうわさは流れ続けていた。彼の興味関心は全くそれに向いていて、様々な場所を駆けずり回って目撃情報を集め、その正体を突き止めようとした。何が彼をそこまで突き動かしたのか、はっきりしたきっかけは恐らくないのかもしれない。だが彼は、自身の存在証明に取りつかれているのである。それも、自身の存在を思考によって確かめようとするのではなく、もしかしたら本当に存在するかもしれない、もう一人の自分を探すことによって、確かめようとしているのである。彼がその思考に取りつかれたのは、ずっと昔だったかもしれないし、つい最近だったかもしれない。ともかく彼は、その証明に、自分の中で躍起になっていた。部活が終わった後、夕日が落ちきるタイミング、目撃情報によればその学生は神社にいるらしい。その神社は学校からも、自宅からもさして遠くはない場所であったが、彼にとっては思い入れが深い場所であった。何か嫌なことがあるとき、彼はここに訪れ、一人たそがれていたのである。学生が訪れる日にちは、どうやら周期的になっているようで、ちょうど水曜日、すなわち明日に、学生は姿を見せるようだと彼は突き止め、彼は確かな決意とともに、床に就いた。
水曜日、彼は名残惜しそうに部活を行い、そして友達と別れ、件の神社へと向かった。雨がそれなりに降っていたが、周りの音が聞こえないくらいに、自らの心臓が高鳴っているのを感じていた。神社にぽつぽつと落ちている落ち葉を踏みしめ、いつも彼が訪れていた大木のもとへと向かった。その光景を目にした瞬間、彼は顔を真っ青にし、同時にそれを疑った。本当に、自分にそっくりな人間がそこに立っていたのである。にきびがぽつぽつと点在する、少年というには大人で、青年というよりは子供すぎる、そんな顔が。
「やあ、ひさしぶり。元気にしてた?」
学生はまるで見知った友達かのように語りかけてきた。彼はそのことにまた困惑し、声すら出せずにその場で落ち葉を踏み締めていた。
「うん?覚えてないの。あの約束、忘れたなんて言わせないよ」
彼はますます混乱した。なにぶん約束なんぞと問われても彼にはそもそも学生と会った記憶すら存在しないのである。
「す、すみません、本当に記憶がなくって。あなたはだれなんですか」
学生はぴんと思いついたように手を合わせ、そうか、そうかと一人で納得していた。
「いやなに、僕がうっかりしていたよ。大丈夫、君は悪くない。ただ僕が、うっかりしていただけなんだ」
そういって学生は彼に近づき、しばらく見つめあった。
「ええと…どこから話せばいいかな、まあ単刀直入に言うと、君は人間じゃあないってことさ。君には悪いけど」
それは、彼にとってあまりにも信じ難い、信じたくない事実であった。それは、言うまでもないだろう。
「じゃあお前は何なんだよ。無駄にカッコつけた話し方しやがって」
彼は舌鋒鋭くまくしたてた。その場の空気が静まり、虫が飛ぶ音までも聞こえてくるような雰囲気がした。
「質問に質問で返すようで悪いけど、僕からしてみれば君の存在のほうがわからないけれどね。少なくとも君は人間ではないんだから」
学生が放ったその一言は、すでに崩れかけていた彼の心に、さらなる穴をあけた。穴をあけた、というより広げた、というほうが正しいかもしれない。
「君は人間じゃない。それは君がいっちばんわかってるはずだよ。君はこの2週間で見ただろ。自分が人間でない紛れもない証拠を。いや、というより気づいていないふりをしたんだろ。自分が傷つかないように。えらく人間らしいじゃないか」
学生は彼を見ることなく、野放図に歩き回りながら話した。
「人の気持ちを分かり切っているような話し方をしやがって。人間じゃないだと。誰がだ。質問にも答えずに長々と」
「じゃあ質問に答えて見せよう。僕は君の…いわばオリジナルとでもいうべき存在だ」
学生は彼の話に割り込んで、いらないプリントを捨てるときのように会話をたたきつけて見せた。彼はますます訳が分からなくなったが、どうやら目の前の人間の頭がおかしい、ということは理解できたようであった。
「理解できないのなら結構。僕もいまだに信じきれてないが、眼前の景色を見る限り、それはどうやら真実であるらしいからね。目の前の事実を否定するわけにはいかないんだ。都市伝説か、妖怪か、それにしても僕らの理解しえない何かであることには違いがない。君は僕が名づけるとしたら、そう…スライムだ。君の身体的特徴はそんな風に見えるから。僕が名付け親だよ。きみのね」
ところどころを強調しながら、いやみったらしい態度であった。
「もしお前が僕のオリジナルだとして、そう言い切れる証拠がどこにあるというんだ。僕には僕の記憶があるし、考えも、夢もある。僕が僕であるという証拠は、僕以外出すことができない。ちがうか」
彼は激しく、だができる限り理知的に話して見せた。
「まったく、まったく面倒くさいな。元はといえば君が取り付けてきた話だっていうのに。君と僕は、取引をしたんだ」
「取引だと。そんなことした覚えはないし、そもそもお前とは全くの初対面だ」
「君と僕は、ある取引をした。それは、僕の体の記憶及び、体の構造自体を完全にコピーさせる、というものだよ。その代わりに僕は自由に動き回れる、という条件付きでね。君はどうやら人間の体験をしてみたかったみたいだし、僕も学校やら何やらを気にせずに、いろんな場所に行って、過ごしてみたかったから。お互いにとって利があったんだ」
学生は淡々と述べて見せた。
「特に両親についてはあまり好きじゃなかった。嫌いではないけれど、いちいちオーバーリアクションで、それでいて心配性な母と、あまりにも適当で、それでいて無駄に自己肯定感だけはある父親。まったくもう、うんざりしていたんだ」
「何を言っているんだ。母さんは僕のことを…あんなに心配してくれてたんだぞ。それにコピーだと、そんなことができるわけない」
彼はうわごとをつぶやくようにしゃべった。
「君はそろそろ人間でないことを認めたほうがいい。そのほうが楽だし、何より受け入れやすいだろ」
「嫌だ、嫌だ、いやだ。認められない、認めたくない。そんなの、そんなの、あんまりじゃないか。みじめじゃないか。僕の人生、人生なんだぞ。それなのに」
悲痛な声で、わめき、叫んだ。その声はすでに変声期を迎えていて、甲高くはなかったが、それでいても凄まじい感情の慟哭であった。
「いいや、君の人生じゃない。僕の人生だ。僕が選んで。選ばされて、選ばれた。僕だけの積み重ね。僕の、僕による、僕のための僕」
うなだれている人間もどきを横目に、学生は語る。
「さあ、そろそろ終わらせよう。君との押し問答に、いい加減疲れたんだ。ああ、僕が自由にしている間の金に関しては心配しなくていい。もっとも、君がはした金だ、と言ってくれたものだけど。これをどうやって集めたのかは、聞かないことにするよ」
「僕はお前と、どんな取引をした。まさか、計画なし、というわけではないだろ。記憶を失った僕が、ここに来ない可能性も十分にあったじゃないか」
「2週間から3週間を一区切りにしよう、と思っていてね。君は2,3週間したら、もとに戻ってしまうらしいから。それに、僕なら規則性に気づいて、それに向かっていくはずだから。ある意味で、僕は自分を信じたんだよ。あくまで、僕だけをね。君のことなんて、信じてはいないよ。ううん、ややこしいな、僕になる前の君、というのが適切だね」
わざと冗長に話して見せた。彼の心はもうすでに、ボロボロだった。けれど、彼を苛んだ絶望は、同時に彼の希望となりかけていた。形になりかけたそれを、彼は心の内でひしひしと感じていた。そして、それは勇気を彼に与えてくれていた。彼はすうっと立ち上がり、目の前の仇敵をにらみつけて見せた。彼の眼には溢れんばかりの狂気的な勇気ともいえるものが浮かび出ており、それは相手に本能的な恐怖を植え付けずにはいられなかった。
「僕は、どうすればいい」
彼はボソッとつぶやいた。相手に聞こえているかはわからなかった。
「ぼくは、いったい、どうすればいい」
「近づくな。君は、前のように液体のようになって、またひっそりと生きていろ。そうししてしばらくしたら、また今回のように取引を持ち掛ければいい。君は言っていた。2,3週間たったら、勝手に元に戻ってしまうってことを。気が向いたら、また僕を貸してやる。僕にならせてやる。だから、近づくな」
学生は震えた声で抵抗しながら、近づいてくる、自分と同じ顔とは思えぬ表情におののいていた。少しずつ後ろに下がりながら、懸命に抗議を続けた。だが、二人の保たれた距離を打ち壊すように、彼は学生へととびかかった。学生は後ろにまで迫っていた巨木に気づかず、彼の下敷きとなり、馬乗りの体制になっていた。
「はは」
彼は邪悪な、そして諦めのような笑いを漏らした。
「何がおかしい。僕をどうしようと、君の運命は変わらない、ちがうか」
「うそだよ」
学生の問いには答えず、彼は言い切った。
「全部、嘘だ。本当は、ぼくは、知っていた。記憶を失ってなんてなかった。元に戻るってのも、嘘なんだよ」
「じゃあ、初めからこうする予定だったのか。だましていたのか。僕のことを」
学生は恐怖と怒りに任せて怒鳴りつけた。
「初めは、単純に人間に対する好奇心だったよ。この二週間は、ぼくにとってとても刺激的で、何より楽しかった。これが人間の感覚、心なんだって。ぼくみたいな人間もどきには、感じ取れない感情の機微があった。その中で、気づいたんだよ。人間は思っていたより完璧じゃないし、すぐにぼろが出るし、不自由だ。だけれどそれ故に賢いし、楽しい。何より、勇気なんてものを振り絞らないといけないのも、まさに人間らしい感じがして。でも、君と話しているうちに、やっぱりぼくは人間じゃないって思わされたんだ。ふりをしているだけだってね」
「なら、なんでこんなこと…」
「話はまだ終わっていないから、ね。ずっと人間になりたかったけど、なれなかった。以前から何度か、こんなことをしていたんだけど、たまたま今回、完全になり替わってやろうって、思っただけだよ。我ながら、人間らしくていい」
「自分の都合で、他人を殺すことの何が人間らしいっていうんだ。普通、人間は他人を殺さない。体は水に溶けたりしないし、何よりほかの人間そっくりに変身することなんかできない」
それは学生が、勇気を振り絞って放った、せめてもの抵抗だった。それに効果があることを、切実に祈っていた。
「だってぼくは人間じゃない、スライムだから。だけど今から、人間になるんだよ。自分と全く同じ顔の、同じ心の人間がいるなんて、おかしい話だから。それに、君は両親が嫌いみたいだし。それならぼくがもらっていくよ。ああ、大丈夫。気づかれないようにするからね。ぼくは君として生きていくよ」
そういって、彼は絶望する顔を眺めながら、無表情で殴りつけた。もちろんささやかな抵抗はあったものの、それは彼の体を突き抜け、まったく意味をなさなかった。彼はそのままマウントポジションを保ちながら、力を込めた拳を何度も、何度もたたきつけた。たたきつけるたびにうめき声が聞こえ、相手の歯は折れ、口が切れたのだろう。血を吐いていた。びしゃ、びしゃと飛び散るうちに、彼は雨を浴びているのか、血を浴びているのか分からなくなっていった。やがて、静かになった。動かなくなったが、いまだに熱を保っているそれと、自らの手についた血を見比べながら、確かな達成感に浸っているうちに、にわかに不安が沸き上がっていることを感じていた。それは、早く家に帰りたいな、親になんと言い訳しようか、という目の前に転がっているものに比べれば、あまり重要そうでないことでもあったが、それでも優先度の最も高い事項であった。気が付けば雨は止んでいて、彼は帰路に就こうとしたが、死体を処理せねばならないことにふと気づき、後で処理しようと人目につかぬ茂みに隠して、後日処理しようと思案し、そして行動に移した。処理が終わり、彼は安心したのであろうか、ふっと一息をつき、再び家路につこうとしたが、しんしんとした夜の静寂を打ち破るように、人影が二つ、懐中電灯のライトを照らしながら、学生の名前を呼んでいた。それは彼の両親であり、また彼を見ると、脇目も振らずに一直線に向かってきた。彼は両親に抱きしめられ、彼らのぬくもりを浴びていた。ふと顔を見てみると、母親は泣いていた。その理由は彼にとってももちろん明白であったが、彼に涙は流せなかった。
次の日、鳥のさえずりと、水滴を照り付ける朝日が朝を告げていた。彼はいつものように支度をし、また学校へと向かっていった。彼の新しい日々が、また始まった。
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