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裏アカ彼女は、クラスの地味男子  作者: あしゅ太郎


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4. 傘の中の境界線

 週明けの朝。教室に入ってきた早見琉生を見て、鴎は思わず目を止めた。

 土曜日に一緒に選んだ服だ。

 余計な飾りはないのに、不思議と目を引く。肩の力が抜けているのに、だらしなくはない。

 茶髪やピアスともしっくり馴染んでいて、彼の持つ軽やかさとスタイルの良さが、これ以上ないほど綺麗に引き出されていた。

(……やっぱり、似合ってる)

 自分で選んだのだから当然なのに、いざ教室という日常の中で見ると、妙に落ち着かない。

「早見、今日やばくない?」

「え、待って、めっちゃいいじゃん。その服どこの?」

「似合ってるね、いつもより大人っぽい」

 案の定、朝から絶賛の声が飛ぶ。

 琉生はいつも通り、気負わない顔で笑っていた。けれど鴎には分かった。あいつ、今はかなり機嫌がいい。

 派手にはしゃいではいないが、口角の上がり方が少しだけ甘いのだ。

 そのまま、緩やかに一日が過ぎていく。

 授業を受け、板書を写す。視界の端で琉生を見つけるたび、どうしても服のバランスを確認してしまう自分がいた。

 ***

 昼休み。購買でパンを買い、教室へ戻る途中だった。

 廊下の角を曲がった瞬間、向こうから勢いよく現れた影とぶつかる。

「うわ、ごめん!」

 反射的に一歩よろけた。パンは死守したが、ポケットに入れていた小さな「手鏡」が床に滑り落ちた。

 からん、と軽い音が響く。

 しまった、と思った時にはもう遅かった。

 ぶつかった相手――今村彰人(いまむらあきと)が、先にそれを拾い上げる。

「え、なにこれ」

 彰人の明るい声に、嫌な予感が背筋を走る。

 彼の手のひらには、淡い色味に小さな花模様があしらわれた、可愛いデザインの手鏡。鴎が密かに気に入って使っているものだ。

「かわいすぎだろ、これ」

 やっぱり、そう言われた。

 鴎の心臓が冷たく跳ねる。

「……返して」

「時任、こういうの使うんだ。意外だなあ」

 彰人に悪気がないのは分かっている。からかうつもりなどなく、ただ珍しいものを見つけて面白がっているだけ。

 けれど、その「軽いノリ」こそが一番厄介で、広まりやすい。

 鴎が手を伸ばしかけた、その時。

「あ、それ。俺が貸してたやつ」

 横から、聞き慣れた声が割って入った。

 振り向くと、琉生が何でもない顔でこちらへ歩いてくるところだった。

「妹からもらったやつなんだけどさ。時任が鏡忘れたって言うから」

 さらっと嘘を吐き、彰人の手から鏡を回収する。

「へえ、琉生の私物かよ」

「そう。妹がこういうの好きなんだよね」

「なんだ、びっくりした。じゃ、悪かったな」

 彰人は深く追及することもなく、軽く手を振って去っていった。

 その背中を見送ってから、鴎はようやく止めていた息を吐き出す。

 琉生が手鏡を差し出してきた。「はい」

「……ありがと」

 小さく受け取ると、琉生は少しだけ肩をすくめた。

「焦りすぎ。……まあ、あれはちょっとな」

「……」

「可愛かったし」

 最後の一言に、鴎はじろりと睨みを利かせる。

 琉生はそれを軽くいなすように、いたずらっぽく笑った。

「冗談。でも、助かっただろ?」

「……それは、まあ」

 認めるしかない。もし彼がいなかったら、今ごろ変な噂が広まっていたかもしれないのだ。

 鴎は鏡をポケットの奥にしまい、視線を逸らしたまま言った。

「本当に……ありがと」

 今度は、ちゃんと聞こえる声で。

 すると琉生は一瞬だけ目を丸くして、それからごく自然に微笑んだ。

「どういたしまして」

 それだけなのに、胸のあたりが妙にざわついて仕方がなかった。

 ***

 放課後。

 窓の外には、いつの間にか重たい雨雲が広がっていた。予報に反して、下校時間にはしとしとと雨が落ち始める。

 昇降口には、足を止めて空を見上げる生徒が何人もいた。

 鴎は念のために持ってきていた傘を広げる。ふと見ると、少し離れた場所に琉生が立っていた。

 土曜日に買ったばかりの服。その上に薄手の羽織りを着ているが、傘は持っていないらしい。

「うわ……最悪」

 困ったように眉を寄せ、雨の幕を眺めている。彼は諦めたように息をつくと、鞄を抱えて雨の中へ飛び出そうとした。

(……濡れる気か)

 一瞬、迷った。

 放っておいてもいい。走れば駅まですぐだし、どこかで雨宿りもできるだろう。

 でも――あの服は、自分が選んだ服だ。

 せっかく似合っているのに。買ったばかりなのに。

 雨で台無しになるのは、どうしても耐えがたかった。

「……駅まで行くけど」

 気づけば、声をかけていた。

 琉生が振り向く。目が合った瞬間、今さらながら心臓がうるさくなる。

「……入る?」

 一拍置いて、琉生の顔に驚きが広がった。

「え、いいの?」

「別に、駅までだし。……昼間のお礼」

 言いながら、鴎は顔を見ないまま傘を開いた。

 琉生がすぐ隣に入ってくる。

 ……近い。思っていたよりずっと、体温を感じる距離。

「サンキュ」

「……律儀だな」

「うるさい」

 二人並ぶと、傘の中はひどく狭かった。

 鴎はできるだけ距離を置こうとするが、体格差のせいで肩が触れそうになる。

「……っていうか、早見、デカすぎる」

「俺のせいかよ」

「半分くらいは」

 琉生が低く笑う。それから、ふっと鴎の手元を見た。

「じゃあ、俺が持つわ」

「えっ」

 返事をするより早く、琉生の手が伸びてきた。

 傘の取っ手を握る鴎の手の上から、大きな温かい手が、包み込むように重なる。

 一瞬、思考が止まった。

 指先も、肩も、耳元に届く吐息も、全部が近すぎる。

「ちょ、ちょっと……」

「この方が高さ、合うだろ?」

 確かにその通りだった。彼が持つと傘の位置が上がり、歩きやすくなる。

 でも、そういう物理的な問題ではないのだ。

「なに。そんなに動揺してる?」

「してない」

「してる顔。……じゃあ、手、離せば?」

「……っ」

 そう言われて、鴎は迷った。

 けれど、ここで完全に手を離すのは、負けた感じがして癪だ。結局、彼の手に触れたままの中途半端な状態で歩くことになった。

 琉生はそれを見て、満足げに笑った。

「サンキュ」

 今度の声はさっきより低くて、どこか素直に響いた。

「……せっかくバイト代で買った服なんだから、大事にしろよ。濡らしたら、もったいないから」

「分かってるって」

「……あと。今日のやつ、普通に似合ってたし」

 最後の一言は、余計だった。

 言った直後に猛烈に後悔して、真横を向く。

 けれど隣では、琉生が嬉しそうに気配を緩めていた。

「それ、今言うんだな」

「うるさい」

「嬉しいけど」

「聞いてない」

 雨音が傘の布を細かく叩く。

 駅までの道は短いはずなのに、意識すればするほど、ゴールが遠く感じられた。

 でも、不思議と嫌ではなかった。

 昼休みに秘密を守ってもらい、放課後に傘を貸す。

 そんな小さな貸し借りを積み重ねるたび、二人の間の空気が、少しずつ、けれど確実に書き換えられていく。

 駅の屋根が見えてきた頃、鴎はまだ自分の手の上に残る「他人の体温」に、どうしようもなく落ち着かない気持ちになっていた。

 たぶん、今日のことは、家に帰ってからも何度も思い出す。

 雨の匂いと、傘の狭さと、重ねられた手の熱を。

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