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裏アカ彼女は、クラスの地味男子  作者: あしゅ太郎


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16/25

15. 剥き出しの熱、夜の境界線

 校外学習の翌日。教室の空気はどこかまだ遠足の余韻を引きずっていた。

 昨日撮った写真を見せ合う声、港の店で買った土産の袋、班行動の話で盛り上がるグループ。

 そんなざわつきの中で、時任だけがどうにも落ち着かなかった。

 昨日の帰り道に言われた言葉が、頭のどこかにずっと残っている。

(裏アカの写真より。こういう、ちょっと疲れてる時任の方が、俺は好きかも)

 あの瞬間の早見の目を思い出すたび、胸の奥が変にざわついた。あれは軽口じゃなかった。いつもの調子で薄めたわけでもなく、ちゃんと、まっすぐだった。

 だから困る。時任はノートを開いたまま、何度目か分からないため息を飲み込んだ。

「時任」

 不意に横から声がして、肩が揺れる。今村だった。昨日と同じように明るい顔をしているのに、その目だけが少しだけ笑っていない気がした。

「……何」

「いや。ちょっと気になって」

「何が」

 今村は時任の机に軽く手をついて、少しだけ身をかがめた。

「昨日さ。琉生の襟、直してたじゃん」

 時任の指先が止まる。やはり見られていた。

「……別に直しただけ。たまたま、気づいたから」

「ふーん」

 今村はそれ以上すぐには追及しなかった。ただ、面白がるようでも、責めるようでもない顔で続ける。

「自然すぎて、ちょっとびっくりした。なんかさ、ああいうのって普段からやってないと出なくね? ……ちょっと彼女っぽかったなって」

「意味分かんない。ただ服が変だったから直しただけでしょ」

 できるだけ平坦な声を作った。今村は軽く笑ったが、そのまますぐには離れなかった。

「でもさ。時任って、ほんとはもっといろいろ見えてるやつなんだなって思った。服も、人も……。別に言いふらしたりしないから、そこは安心して」

 今村が席へ戻ったあとも、時任はしばらく動けなかった。確信を持たれたわけじゃない。でも、確実に何かを感じ取られている。その事実が、じわじわと首元を締めつけるみたいだった。

 ***

 帰宅後。部屋の鏡の前に座っても、何も手につかなかった。

 スマホを開けば、裏アカには遊園地の写真への称賛が並んでいる。けれど今日は、どれを見ても妙に薄い。画面の向こうの知らない誰かに褒められるより、昨日、まっすぐ見られたあの一瞬の方が、ずっと重かった。

 その時、スマホが震えた。早見からだった。

『今日、彰人に何か言われた?』

 見透かされている。時任は少し迷ってから返した。

『少しだけ。襟のこと。あと、服だけじゃないって』

 すぐに既読がつき、返信が来る。

『そっか。ごめん』

『早見が全部悪いわけじゃないし』

 やり取りが途切れた数秒後、次に来たのは一文だけだった。

『会いたい』

 冗談じゃない。絵文字もない。ただそれだけ。だから余計にまずい。

『何で』

 少し時間を置いて送ると、すぐに返ってくる。

『文字だとうまく言えない。少しだけ通話していい?』

 通話。その文字を見ただけで、喉の奥が乾いた。

 出る必要なんてない。そう思うのに、断る文を打とうとすると指が止まった。結局、短く「少しだけ」と返してしまう。

 数秒後、着信画面が開いた。耳に当てる。いつもは教室や廊下で聞く声が、こんなふうに耳元で響くのが妙に変だった。

「……もしもし」

『もしもし』

 返ってきた琉生の声は、対面のときより少し低くて、近い。

『急にごめん』

「ほんとにね」

 そう返すと、電話の向こうで少しだけ笑う気配がした。

『でも、声聞きたかった』

「……そういうの、さらっと言わないで」

『ごめん。気をつける』

「絶対気をつけないやつでしょ」

 そう言いながらも、少しだけ肩の力が抜ける。声だけの距離なのに、むしろ変に近く感じるのが困った。

『彰人が何となく気づいてるのは、たぶんそうだと思う。でも、俺は別に隠しきれなくなってもいいやって、ちょっと思い始めてる』

「……は?」

『裏アカとか、女装のことまで全部って意味じゃない。そこはちゃんと守りたい。でも、お前と仲いいのとか、特別なのとか、それを隠すためにお前がずっとびくびくしてるの見てると、それ、何か違うなって思った』

 スマホを持つ手に少しだけ力が入る。声だけだから顔は見えない。それなのに、琉生がどんな顔でそれを言っているのか、妙に想像できてしまうのが嫌だった。

「……俺は、まだ無理」

『うん。分かってる』

 返事が早い。押しつける気がないのが分かるから、余計に逃げにくい。

「でも……早見が、そう思ってるっていうのは、嫌じゃなかった」

 言ってしまってから、すぐに後悔する。電話の向こうが、一瞬だけ静かになった。

『……それ、十分』

「十分って何」

『今の時任にしては、かなり』

「うるさい」

『もうひとつだけ。今度は、偽装とかじゃなくて。ほんとに普通に、どっか行かない?』

「……普通って何」

『女装じゃない。作戦もない。ただ俺がお前と出かけたいだけ』

「……急すぎる。そういうの、ちゃんと考える時間ほしい」

『うん。でも考えてはくれるんだろ』

「……たぶん」

『じゃあ、それで十分』

 勝手に納得して、勝手に受け取る。そのくせ押しすぎないから、本当はずるい。

 電話越しの沈黙は、対面より不思議だった。顔が見えないぶん、相手の気配だけが濃密に届く。

『今日はありがと。出てくれて』

「……別に」

『またそれ』

「うるさい」

『でも好き』

「は?」

 反射的に飛び出した声が、自分でも驚くくらい素だった。電話の向こうで、琉生が少しだけ息をこぼす。

『その返し、ちょっと見たかっただけ』

「……最悪」

『ごめん』

「ほんとに最悪」

 そう言いながらも、頬が熱いのが分かる。

『今日はもう寝ろよ。たぶんお前、今かなり顔赤いし』

「見えてないのに決めつけないで」

『見えてなくても分かる』

「……うるさい」

 そのまま、少しだけ他愛のないやり取りをして、通話は切れた。

 通話終了の表示を見つめながら、時任はしばらく動けなかった。声だけの方が、余計に近い。

 スマホを胸の上に置いて、天井を見る。山積みの問題は何も解決していない。

 それなのに、耳の奥にはまだ琉生の声が残っていた。

(次はちゃんと普通に誘うから)

 その約束が、心地いい余韻となって消えない。時任は枕に顔を埋めた。明日を少しだけ待ってしまう自分がいる。それがいちばん、どうしようもなかった。

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