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裏アカ彼女は、クラスの地味男子  作者: あしゅ太郎


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1/8

プロローグ

 教室の隅は、だいたい静かだ。

 昼休みのような喧騒も、窓際のいちばん後ろに近いこの席までは、熱が薄まって届く。

 遠くで響く笑い声や、机を引く音。誰かが誰かを呼ぶ声。

 すべてが、薄い膜を隔てた向こう側の出来事のように思える。

 それが、時任鴎(ときとうかもめ)にはちょうどよかった。

 ひとりが好きなわけじゃない。誰かと話すのが苦手すぎるわけでもない。

 ただ、中心に立つのが向いていないだけだ。

 目立つと、落ち着かない。見られると、息が詰まる。

 だから、教室ではいつも「気配の薄い場所」を選んでいた。

 私服校であることも、鴎にとっては厄介だった。

 服を選ぶこと自体は嫌いじゃない。むしろ、そこだけ切り取れば得意な方だと思う。

 けれど、その「得意」を誰かに見せたいわけではなかった。

 何も考えていないように見える服。無難で、地味で、印象に残らない色。

 サイズもシルエットも、本当はもっと整えられるのに、あえて少しだけ外す。

「頑張っていないように見せる」ための微調整。それは案外、難しい作業だ。

 黒のパーカー。少しだけくすんだグレーのインナー。

 靴も、決して悪目立ちしないものを。

 姉の翼芽(つばめ)が見たら、間違いなくため息をつくだろう。

「あんた、ほんともったいない着方するよね」

 呆れ顔で言われる光景が、簡単に想像できた。

 幼い頃から、姉の買い物には散々付き合わされてきた。

 最初はただの荷物持ちだったが、何年も繰り返すうちに、嫌でも「分かって」しまった。

 どの丈なら脚がすっきり見えるか。どの色を合わせれば顔色が明るくなるか。

 知ろうとしたわけではない。勝手に目に入り、勝手に理解できるようになっただけだ。

 だからこそ、学校では隠したかった。

 そんな「センス」を持っていると知られたら、面倒なことになる。

 おしゃれだと思われることも、目立つことも、鴎は避けたかった。

 ……でも。

 誰にも見られたくないくせに、誰かに見てほしい自分がいる。

 その矛盾も、鴎はちゃんと自覚していた。

 放課後、自室の鏡の前に立つときだけ、ようやく深く息ができる。

 そこには教室も、他人の視線もない。選ぶ服も、学校用とはまるで違う。

 柔らかい色。肩の落ちるカーディガン。足首をきれいに見せる丈。

 丸い顔立ちに合わせた髪型と、ほんの少しのメイク。

 鏡の中にいるのは、普段の自分より、ずっと好きになれる自分だった。

 角度を変えて写真を撮り、色味を整え、お気に入りの一枚を裏アカにアップする。

 しばらくすると、通知が届く。

『可愛い』『センス好き』『コーデの参考になる』

 画面の向こうの誰かがくれる短い言葉を、鴎は何度も見返した。

 誰にも知られていないから、続けられる。

 それが、鴎にとっての「いちばん安全な秘密」だった。

 ――少なくとも、つい昨日までは。


「時任」

 不意に名前を呼ばれ、鴎は顔を上げた。

 プリントを配っていたクラス委員が、こちらを見ている。

「これ、後ろに回して」

「あ、うん」

 受け取って後ろに渡す。

 視界の端。教室の中心で笑うグループの中に、早見琉生(はやみるい)がいた。

 茶髪、耳のピアス、高い身長。立っているだけで目を引く、華やかな存在。

 鴎とは、住む世界が違う。

 ただ、彼を見るたびに、気になることがあった。

(……もったいないな)

 顔も体型もいいのに、絶妙に「外して」いる。

 色の合わせが雑だったり、アクセが過剰だったり。

 素材が良い分、その粗が目立ってしまう。

(ジャケットを変えるか、どこか一箇所抜けばいいのに……)

 そこまで考えて、鴎は小さく首を振った。

 自分には関係ない。そのまま卒業まで、一言も交わさずに終わる相手のはずだった。

 ***

 放課後。教室に残っているのは、自分ひとりだと思っていた。

 鴎は鞄からタブレットを取り出し、机の影に隠すようにして広げた。

 昨夜撮った写真を、投稿前に大きな画面で確認したかったのだ。

 AirDropを開く。

 送信先の一覧に、自分のタブレットが表示される。その隣に――もうひとつ、見慣れない端末名が出た。

 気にせず、鴎は送信ボタンをタップした。

 次の瞬間。

 少し離れた席から、聞き覚えのない通知音が鳴り響いた。

 鴎の指先が凍りつく。

 顔を上げると、教室の中央付近。机に足を投げ出すように座っていた早見琉生が、自分のスマホを覗き込んでいた。

 視線が、合った。

 琉生のスマホには、見覚えのあるサムネイルがはっきりと映し出されている。

 鴎は反射的に立ち上がった。椅子がガタンと大きな音を立てる。

「あ……っ、それ……」

 喉が張り付いて、声が出ない。

 なのに琉生は、鴎を見つめたまま、ゆっくりと画面をタップした。

 画面いっぱいに広がる、白いブラウスとカーディガン。

 学校では絶対に見せない表情。絶対にしない格好。

「……これ」

 琉生の声は、驚くほど平坦だった。

「お前?」

「……っ」

 否定なんてできない。鴎は消え入りそうな声で絞り出した。

「……消して」

 琉生が顔を上げる。その目が、写真ではなく「鴎本人」を捉えた。

 教室の隅で、地味な服を着て息を潜めている時任鴎。その視線が、突き刺さるように痛い。

「……へえ」

 短い声。琉生はほんの少しだけ口元を緩め、楽しげに目を細める。

「可愛い、より先に思ったんだけど」

「……は?」

「服の合わせ、めちゃくちゃ上手くない?」

 意味が分からず、鴎は固まった。

「なあ、時任。これ、ちょっと詳しく話そ」

 その声音は、どこまでも軽かった。

 けれど鴎には、それが逃げ場を塞ぐ「宣告」のように聞こえた。

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