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血を与えたら進化しすぎた件~世に出回るアーティファクトも東京に出来たダンジョンも多分俺のせいだけど面白いからいいよね~  作者: 唯之助


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第16話「闇の領域(前編)」

 六本木の廃ビル。最上階。


 窓のない会議室に、蝋燭の炎が揺れている。電気は通っていない。コンクリートの壁に影が踊り、空気には古い建材と蝋の匂いが混じっていた。蝋燭は転種の一人——かつてコンビニの店長だった男——が、閉店後の店舗から持ち出してきたものだ。


 テーブルの上座に、始祖が座っている。


 変態はさらに進行していた。体表のキチン質はほぼ消失し、青白い皮膚に覆われている。頭部は人間に近づきつつあるが、まだ完全ではない。耳の形状が異なり、瞳孔は縦に裂けている。それでも——数週間前の蚊の面影は、もうどこにもなかった。


 始祖の両側に、五人の純種が並ぶ。


 リリス。カーミラ。セレネ。ヘカテ。エリザベート。


 背後にワーウルフが5体。その向こうに転種が12体、グールが60体以上。


 それが、現時点での一族の全戦力だった。



「では、報告を始めましょう」


 リリスが静かに言った。蝋燭の炎が、深紅の瞳に映っている。


「ヘカテから」


 ヘカテが立ち上がった。短い黒髪、観察者の目。テーブルの上に並べた物品を示した。


 布製のお守りが3つ。小さな手鏡が1つ。石を連ねたブレスレットが2つ。


「アーティファクトを入手しました。フリマで転種に購入させています。人間の口座とスマートフォンがそのまま使えるので、取引は容易です。政府が流通管理を始めると言っていますが、個人間取引は事実上野放しの状態です」


「入手したアーティファクトの検証結果を順に報告します」


 ヘカテがお守りを一つ手に取った。


「まず、守護の護符──の前に一つ。私たちの弱点について」


 ヘカテが蝋燭の炎を手のひらに近づけた。皮膚が泡立つように反応し、焦げ臭い煙が上がる。通常の火傷とは明らかに異なる重篤な反応。ヘカテは顔色を変えずに手を引いた。


「火に対して、異常な感受性があります。再生能力で修復できますが、時間がかかる」


 次に、ポケットから銀色のアクセサリーを取り出した。100円ショップの銀メッキのリングだ。


「これを握ってみてください」


 リリスがリングを受け取り——指に触れた瞬間、接触部位が赤く膨れ上がった。


「銀……!」


 リリスが即座にリングを放り投げた。


「銀も駄目です。そして——」


 ヘカテが小袋を開いた。ニンニクの匂いが部屋に広がった瞬間、全員が顔をしかめた。始祖の翼が痙攣し、ワーウルフたちが唸り声を上げて後退した。


「匂いだけでこの拒絶反応です」


 ヘカテが袋を閉じると、全員が安堵の息を吐いた。


「まとめると、弱点は三つ。太陽、銀、ニンニク。そして日光下では能力が7割ほどに低下します」


「ここからが本題です」


 ヘカテが護符を掲げた。


「護符を身に付けた状態で、各弱点への反応を検証しました。転種の一人に協力させて」


「結果は?」


「アレルギー反応が大幅に緩和されます。日光下での能力低下も最小限に抑えられました。この護符の『心身を健康にする』効果が、私たちの弱点——本質的にはアレルギー反応——を緩和しているようです」


 沈黙が落ちた。


「つまり——護符があれば、日中でも活動できる」


 エリザベートが、ゆっくりと言った。


「転種にも効果はありますが、転種の方が弱点への反応が重い分、緩和にも限界があります。それでも護符なしとは比較になりません」


 リリスが頷いた。


「護符の追加確保を急いで。政府が流通管理を本格化する前に、できるだけ多く」


「了解」



 ヘカテが次に手鏡を取り上げた。


「次に、鑑定の鏡。これが——予想外の結果でした」


 ヘカテが鏡を手に取った。


「この鏡は、人間の冒険者の間ではフェロモン指数や限界値を数値で表示するアーティファクトとされています。ただしダンジョンの中でしか機能しない。——なので、転種を使ってダンジョン内で検証しました」


「転種がこの鏡で他の冒険者を映すと、正常に数値が表示されました。『4.2(17.8)』のように。人間に対しては、問題なく機能する」


「ところが——転種が鏡を自分自身に向けた途端、何も映らなくなった」


 部屋が静まった。


「別の転種でも同じ結果です。鏡面に何も表示されない。まるで、計測対象として認識されていないかのように」


「壊れているのでは?」


 カーミラが眉をひそめた。


「いいえ。直後に人間を映せば、また数値が出ます。転種に向けた時だけ——完全に無反応になる」


「仮説はこうです。この鏡はフェロモンを媒介にして計測している。人間の体内に蓄積されたフェロモンの量を数値化する仕組みです。そして私たちの身体にはフェロモンが存在しない。だから計測対象として認識されない」


「それは……好都合ではないの?」


 カーミラが言った。


「正体がバレないということでしょう?」


「逆です」


 ヘカテが即座に否定した。


「ダンジョンの中にいる人間は、全員がフェロモンに曝露されている。鏡で映せば必ず数値が出る。それが当たり前の環境で——鏡を向けても何も映らない存在がいたら?」


 カーミラが口を閉じた。


「数値が低いのではなく、そもそも何も表示されない。それは『弱い冒険者』ではなく、『人間ではない何か』を意味します。——鏡の流通量が増えれば、いずれ誰かが気づく」


「……なるほど。好都合どころか、致命的な識別手段になり得るわけね」


「現時点では鏡は希少なので、リスクは低い。ですが将来的には脅威になります」


 ヘカテの表情が曇った。


「そして問題は、鏡だけではありません」



 ヘカテがテーブルの上に、手描きの地図を広げた。ダンジョンの浅層の略図だ。


「鏡の検証のために、転種を二人、冒険者としてダンジョンに潜入させました。人間の装備を身に付け、他の冒険者に紛れる形で」


 全員の目がヘカテに集まった。


「浅層——地下10メートル付近で、異変が起きました」


 ヘカテが一瞬、言葉を選ぶように間を置いた。


「転種が通路に入った途端、周囲の兵隊蟻が一斉に反応したのです。通常、浅層の兵隊蟻は冒険者に対して、ある程度の距離を保ちます。冒険者がこちらから近づかない限り、積極的には襲ってこない。ところが転種に対しては——発見した瞬間に、全力で殺しにきた」


「全力……?」


 セレネが目を細めた。


「通常の哨戒行動ではなく、周辺の通路から増援まで集まってきました。まるで巣全体に警報が出たかのように。転種の一人——元サラリーマンの男——は応戦しましたが、兵隊蟻が6体同時に殺到してきて、通路に挟まれる形になりました。個々の蟻は転種の力で倒せます。しかし異物排除の反応は途切れなく、倒しても倒しても次が来る。結局、撤退を余儀なくされました」


「もう一人は?」


「こちらも元は一般人です。かろうじて脱出しましたが、蟻の顎で脚を潰されて重傷。——再生に数時間かかりました」


 セレネが眉をひそめた。


「再生が遅い。私たちなら、その程度の傷は十秒と経たずに塞がる」


「ええ。転種の再生能力には、個体差が大きいようです。元の人間の身体が貧弱だと、転種としての能力にも限界がある。今回潜入させた二人は、人間だった頃は運動習慣もない普通の会社員でした」


 ヘカテの言葉に、エリザベートが目を光らせた。


「つまり——逆に言えば、元の身体が優れた人間を転種にすれば、もっと強くなる」


「その可能性は高い。まだ検証はできていませんが、転種の能力が元の素体に依存するなら——鍛え抜かれた人間を転種化した場合、戦闘力は桁違いになるはずです」


 エリザベートはその情報を頭の片隅に仕舞い込んだ。


 沈黙が落ちた。


「仮説ですが——あのダンジョンの蟻たちは、フェロモンで侵入者を識別しています。人間はフェロモンに曝露されているので、蟻にとっては『自分たちの環境の一部』として認識される。しかし私たちにはフェロモンがない。蟻の生態系に属さない完全な異物として検知され、最優先で排除される」


「鏡に映らないのと、同じ原理ね」


 リリスが静かに言った。


「フェロモンがないから鏡に数値が出ない。フェロモンがないから蟻に異物として認識される。私たちは——あのダンジョンとは、根本的に相容れない存在ということ」


「その通りです」


 ヘカテが頷いた。


「これは重大な制約です。ダンジョンから直接アーティファクトを回収することが、私たちには極めて困難だということを意味します。冒険者として潜入し、内側から資源を得るという選択肢は——事実上、封じられました」


 エリザベートが腕を組んだ。


「アーティファクトの入手は、フリマか、人間社会経由でしか行えない」


「冒険者を転種化して、転種になった後にダンジョンに行かせても同じ結果になります。転種はもう人間ではない。フェロモンの生態系から外れている」


「つまり、ダンジョンは私たちの手の届かない領域」


 リリスがその言葉を噛みしめるように反復した。


「蟻の巣は蟻のもの。私たちは——夜の世界で、自前の領域を築くしかない」



 次に、セレネが立ち上がった。


 寡黙な彼女が自ら発言するのは珍しい。


「身体能力の検証結果を報告します」


 セレネが片手を持ち上げた。その手が——霧のように揺らいだ。


 輪郭がぼやけ、指先から白い靄が立ち上る。手のひらが半透明になり、向こう側の壁が透けて見えた。


「霧化。身体の一部を霧状に変化させる能力です。物理攻撃をすり抜けることができます。完全な霧化はまだ試していませんが、部分的な霧化は可能です」


 セレネが手を元に戻した。


「もう一つ」


 自分の手首を牙で切った。赤い血が流れ出る——だがそれは、通常の凝固ではなく、結晶化し始めた。赤黒い刃のような形状に変化していく。


 数秒で、セレネの手には血で形成された短剣が握られていた。


「血の結晶化。自分の血液を武器に変える能力です。硬度は鋼鉄に匹敵します。ただし血液を消耗するため、大量には使えません」


 セレネが短剣でテーブルの角を切りつけた。金属製のテーブルの縁が、豆腐のように切断された。


「これは純種だけの能力です。転種には霧化も血の結晶化もできません。確認済みです」


「転種の能力は?」


「人間の5倍以上の怪力、再生能力、吸血、唾液によるグール化。それだけです。純種とは明確な性能差があります」


 リリスが頷いた。


「転種に過度な期待はできない。数を揃えることと、人間社会への浸透に特化させるべきね」



 カーミラが、浸透工作の報告を始めた。


「転種の中から、元の職場に復帰させた者が3名います」


「一人目は六本木のクラブのマネージャー。夜の店なので活動時間が一致します。従業員や客の中から次の転種候補を選別できます」


「二人目は不動産会社の営業。六本木周辺の物件情報にアクセスできます。空きビルや地下駐車場の詳細情報が手に入りました」


「三人目は——」


 カーミラが僅かに笑った。


「警察官です。六本木交番の巡査」


 微かなざわめきが走った。


「深夜のパトロール中に単独になった瞬間を狙いました。翌日の勤務に普通に出ています。同僚は何も気づいていません。これで六本木周辺の警察の動き——巡回ルート、通報への対応時間、要注意人物のリスト——がリアルタイムで把握できるようになりました」


 リリスが頷いた。


「良い成果ね」



「最後に、領域化の進捗を」


 エリザベートが立ち上がり、壁に描かれた六本木の地図を指差した。路地裏の一本一本まで描き込まれ、マークが点在している。


「この一週間で、六本木一丁目から六丁目までの範囲にグールを配置しました。主要な路地裏に各2体。合計40体以上が夜間に巡回しています」


「人間の掲示板に『徘徊者スレッド』が立っています」


 カーミラが補足した。


「承知しています。しかし人間たちはグールの正体を理解していません。フェロモン中毒者か薬物中毒者だと思われています」


「ワーウルフの目撃情報もあるわ」


 セレネが答えた。


「ワーウルフの管理は改善しました。私が巡回ルートを設定し、人間の密集地帯を避けるようにしています。ただし三日前に一体が公園でカップルに目撃されました。襲撃はしていませんが、SNSに投稿されています」


「ワーウルフの完全な隠蔽は困難です。体格が大きすぎる」


 リリスが考え込んだ。


「ワーウルフは決戦の時まで温存する方がいいかもしれない。普段は廃ビルから出さず、必要な時だけ運用する」


 全員が頷いた。



 報告が一巡した。


 蝋燭の炎が揺れる中、リリスが全員を見渡した。


「ここまでの情報を整理しましょう」


 リリスが壁の地図の横に、指の爪で文字を刻み始めた。


「利点。護符による弱点の緩和。人間社会への浸透経路の確立。六本木の領域化の進行」


「制約。ダンジョンには入れない。アーティファクトの入手は人間経由に限られる。ワーウルフの運用に制限がある」


「脅威。鏡に何も映らないことは、今は問題にならない。だが——今後、鏡の流通量が増えた時、『何も映らない人間がいる』という異常に気づく者が出てくる可能性がある」


「そして——」


 リリスの視線が、壁の地図の一点に向いた。


 六本木ヒルズ。


「次の段階に進む時が来ている」


 エリザベートが微笑んだ。血のように赤い瞳が、蝋燭の光を受けて輝いた。


「ようやくね」


「エリザベート。あなたの提案を聞かせて」


「喜んで」


 エリザベートが地図の前に立った。


「——私の提案は、六本木ヒルズの占拠。ただし、単なる拠点確保ではない」


 全員の目が、エリザベートに集中した。


「私たちは、国を創る」


 蝋燭の炎が、大きく揺れた。

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― 新着の感想 ―
鏡の鑑定機能はダンジョン内でのみ動作するって話だったから、住み分けの結果により吸血鬼たちがダンジョン内に入らなくなるなら異常に気付く機会もなくなるので無問題?
なるほど蟻と蚊はお互いの領域を侵さない要は棲分けになったか
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