4話 ようこそ悪の世界へ
翌日の夕方。
校舎の影が道路まで伸びていて、下校時間特有のだるい空気が漂っていた。
「なあ湊、今日の数学の小テストさ、あれ絶対罠だろ」
隣を歩く大河が、うんざりした声で言う。
「罠って言うなよ。俺なんて途中から数字が動いて見えてきたぞ」
「末期じゃん」
そんなくだらない会話をしながら、俺達はいつもの帰り道を歩いていた。
昨日の夜のことは――当然、大河は何も知らない。
俺も、話すつもりはなかった。
(まだ、整理できてねぇしな)
シャドウウルフ。
異様に遅く見えた世界。
自分の脚じゃないみたいに跳んだ、あの感覚。
考えないようにしていたのに、不意に背中がぞわっとした。
――視線。
誰かに、見られている。
「……大河」
「ん?」
「今日さ、先帰ってて。携帯忘れた。」
「は? こっから戻んの?」
「さすがにな〜。クソめんどくさいけど」
「了解。ならまた明日な!」
大河は少し怪訝そうな顔をしたけど、すぐに肩をすくめた。
大河が分かれ道を曲がっていくのを見届けて、俺は足を止めた。
「なあ、バレてるぞー」
俺は背後からついてきている黒いパーカーにキャップを被った男に振り返った。
「おお、気づいてたか。」
男のその言葉に俺は一気に警戒態勢に入る。
「なんか用っすか?」
「まあ、そうだなぁ。とりあえず……襲撃?」
そう言ってゆっくり歩いて距離を詰めてきた。
襲撃?なぜに疑問系。
とりあえず、敵ってことだよな。
「襲撃ってことなら俺も反撃するからな」
「当然。じゃないと死ぬよ?まあ……」
距離が5歩ほどに縮まった瞬間だった。
――消えた。
いや、違う。
“詰めてきた”。
慣性も予備動作も無視した一歩で、男はゼロ距離にいた。
「――っ!」
能力を使っていたにも関わらず、反応が一瞬遅れた。
「ガハッ!」
腹に突き刺さる右拳。
内臓が揺さぶられ、息が詰まる。
「反撃できるならだけどね」
俺は後ろに大きく飛んで距離をとる。
左手で押さえた腹部に鈍い痛みが残る。
「はあ、はあ、……あんたも能力者か?」
「さあ、どうだろうね?」
男は両手の掌を上に向けて惚けた。
こいつ、完全に自分が負けるとは思ってない顔してやがるな。
「まあどっちでもいーや。とりあえず、気絶しとけ!」
俺は脚力強化を使って一気に距離を詰めると、男の顔面に思いっきり脚を振り抜いた。
たぶん普通の人間なら首が吹っ飛ぶレベルだろうが、俺の中の危険察知アラームが全開で鳴り響いていたため、そんなことを冷静に考えれる状態ではなかった。
「うん、いい蹴りだ。でも単調すぎて読めてしまう」
男は屈んで躱すと同時に俺の脚に左手でそっと触れた。
その瞬間、俺の脚は何かに思いっきり殴られたかのような衝撃を受け、上にかちあげられる。
「うお!」
俺はバランスを崩して後方に倒れ込んでしまった。
そこに男の蹴りが顔面に飛んでくる光景がスローで迫ってくる。
「お、なんとか反応したか。」
くっそいてー。
両腕で何とかガードしたが、数メートル吹き飛ばされてしまった。
目では追えても体勢を崩されると回避できない。
これじゃあ動体視力が上がってても意味がねえ。
「次いくぞー」
追撃が来る!
俺はすぐに立ち上がって男の動きを観察する。
顔面への右ストレートがスローで飛んでくる。
俺は軽く首傾けて躱すと、お返しとばかりに男の顔面にカウンターの右ストレートをかます。
「ぶっとべぇ!!」
だが俺の拳が男の顔面を捉えたと思った瞬間、側頭部に強烈な衝撃を受けて逆に俺が吹っ飛んでしまう。
(なにが……起きた…?)
かろうじて意識は保っているが、脳震盪で平衡感覚を保てず膝をついたまま立ち上がれない。
「今のは惜しかった。まさか紙一重でかわしてカウンター狙ってくるとはな。能力のおかげか?」
「……ッ……どうだろな」
しかし、この男の能力はいったい何なんだ?手で触れたところから衝撃をだす?いや、最初の異常な飛び込みを考えると掌からではなく身体が接地した場所から?
まだ情報が少なすぎる……。
「脚力は異常。腕力は普通。動体視力は…、異常なのか勘がいいのかまだ判断がつきづらいってところか」
俺がパーカーの男の能力を推理していると、男も同じように顎に手を当てて俺の能力を分析していた。
「余裕ぶっこいてんじゃねーぞ……」
脳震盪がだいぶマシになっていき、気合いで立ち上がる。
「まあ、余裕だしな。そんじゃあ次で最後だ。」
男はポケットから直径1cmほどの鉄球を取り出した。
……パチンコの球?みたいな球だ。
俺は警戒してその球を観察していると、男はおもむろに親指で弾いた。
シュンッ!
鉄球はそのまま俺の額に向かって飛んでくる。だが、速さが異常だ。もはや銃弾。俺の能力を持ってしても目で追うのがやっと。
回避しようと、首を捻るが鉄球が速すぎて回避が完全には間に合わない。
なんとか直撃は避け、鉄球は俺の側頭部を掠りながら後方へ抜けていった。
鉄球が掠めた部分から血がツーっと垂れる。
一瞬で冷や汗が全身を包む。
こいつ、マジで殺りに来やがった……。
逃げるにも今の鉄球を背後から打たれたら確実に終わりだ。
「俺を……殺すのか……?」
男は両手をパーカーのポケットに突っ込むとニヤッと笑う。
「殺さないよ。今さっきまで殺す気だったけど……って聞いてる?」
……いやだ。
……死にたくない。
……嘗めやがって。
殺す……、殺す…殺す殺す殺す!!
俺の体が突然軋み始める。
なんだ……。
体が熱い……。
男は興味深そうにこちらを見ている。
「おいおいおい……。まだ奥の手があるのか!いいじゃねえか!」
熱い熱い熱い。
身体が、皮膚が、骨が変化するのが分かる。
時間にすれば一瞬だったのだろうが、湊にはかなり長く感じた。
……そして。
変化が終わる。
さっきまで熱さは消え去り、逆に爽快な気分だ。
身体が軽い。
筋肉も向上しているのだろう。
俺は男を睨みつけた。
男は鉄球を数十個周辺に散りばめると、興奮したようにこちらを見ている。
「クククッそれがお前の切り札か!いい面構えになったじゃないか!!こっからは俺ももう少し本気でやってやるよ!」
俺の身体には漆黒の体毛が生え、身体は一回り大きくなっているた。
口からは牙が生えており、二足歩行というところを除けば、完全に黒狼だ。
俺はようやく自分の能力を理解した。
そして、理解すると同時に自分の能力の情報が頭に流れてきた。
……ああ、そういうことか。
俺の能力は、脚力強化でも、動体視力強化でも、黒狼化でもない。
俺の能力は、殺した相手の能力を奪う力だ。
脚力強化はどこかで昨日帰り道に気づかない内に踏み潰してしまったバッタの能力。動体視力は昨日玄関で殺した蝿の能力だ。
そして、昨日殺したシャドウウルフの能力。
バッタの脚力にシャドウウルフの速さを加算すると
「行くぞ」
瞬く間に男の肩を切り裂く。
正直、今ので男の首を落とすつもりだったが、まだ制御が上手いかないな。
あと、シャドウウルフの特性のせいか殺しへの抵抗が薄い。理性が低くなってるのか?
「ぐっ」
男が傷口を抑える。
俺は男の周囲を高速で動きながら、ヒットアンドアウェイを狙う。
だが、近づこうとした瞬間、地面に散らばった鉄球が高速で飛んでくる。
この鉄球、直接触らなくても飛んでくるのか…!
黒狼化したとはいえ、鉄球の速さは脅威的だ。
「どうした!かかってこいよ!俺はここにいるぞ!」
男は両手を広げて挑発してくる。
だが、男の鉄球は一つ一つが必殺。迂闊にちかづけれない。
だがその時、
「はいストーーーップ!!」
張りのある声が路地に響いた瞬間、空気が変わった。
俺は反射的に跳び退き、朝霧から距離を取る。
朝霧も同時に動きを止め、舌打ち混じりに空を仰いだ。
「……ちっ。いいところだったのによ」
路地の入口に、女が立っていた。
年は20代半ばってところか?
黒いジャケットに細身のパンツ。ラフな格好なのに、妙に隙がない。
何より――
なんか大人の女性って感じでエロい。
「朝霧。やりすぎ。“実力確認”って言ったでしょ」
「分かってるって。でもさぁ、こいつ思ったより面白くてさ」
朝霧は肩をすくめながらも散らばった鉄球を一つ一つ拾っていく。なんかシュールだな。
女は俺に視線を向けた。
――鋭い。
値踏みする目だ。俺のハートが持ってかれそう。
「藤沢湊、で合ってる?」
「……そうだけど」
「安心して。今は殺す気はない」
そう言い切る声に、嘘はなかった。
でも、それは**“今は”**という限定付きだ。
「朝霧の任務はね、2つ」
女は指を2本立てる。
「1つ。あなたの戦闘力の確認。2つ。――スカウト」
「スカウト……?」
「そう」
朝霧がニヤッと笑って口を挟む。
「合格ラインはとっくに超えてる。ただ、このままだと俺がうっかり殺しそうだったからさ」
「“うっかり”で済ませるな」
女が即座にツッコミを入れる。
「シャドウウルフ単独撃破。さらに油断してたとはいえ、朝霧への一撃。」
女の視線が、俺の黒い体毛と牙に向く。
「……文句なし。だからこそ、ここで死なせるわけにはいかない」
俺は、ゆっくり息を整えながら聞いていた。
身体はまだ獣のまま。
殺意も、完全には引いていない。
「で?スカウトってのは、どういう意味だ」
女は一瞬だけ間を置いてから、はっきり言った。
「あなたには、“こっち側”に来てもらいたい」
「異能治安局とは別の、ね」
朝霧が楽しそうに付け加える。
「世間一般的には悪の組織ね。ただ、必要なことをする組織。時には異能治安局すらも標的になる」
路地に沈黙が落ちる。
俺の頭の中に、昨日の夜の光景が蘇る。
血。魔獣。遅くなる世界。
「……俺に、拒否権は?」
女は、少しだけ笑った。
「もちろんある」
そして、続ける。
「ただし、今日のことは他言無用。もしそれを破った場合は……まあ後悔することになるわね」
朝霧はパチっと親指で鉄球を上に弾くとまたキャッチした。さっきまでの威力はないようだ。
「選べるだけ、まだ優しいだろ」
俺はじっくり考える。
悪の組織って、悪ってことだよな?
それって俺が悪者になるってこと?
でも――
「……話くらいは、聞いてやる」
女は満足そうに頷いた。
「じゃあ決まり。改めて自己紹介するわ」
彼女は一歩前に出て、はっきり名乗った。
「九条 奈央。朝霧の上司……って言うと語弊があるけど、今回のスカウト責任者」
「へえ。偉い人なんだな」
「まあ、どうでしょうね……。」
そう言いながら、九条は懐からスマホを取り出した。
画面を操作し、俺の方に向ける。
「単刀直入に言うわ。あなたには“うち”で働いてほしい」
「仕事内容は?」
「基本は戦闘。相手は魔物、能力者とかがほとんどよ。あとは表に出せない厄介事」
「完全にブラックじゃん」
「ええ。否定しない」
即答だった。
だが、紗夜は続ける。
「月給80万」
「……は?」
一瞬、耳を疑った。
「基本給80万。プラスで成果に応じてインセンティブ」
「……ちょっと待って。
その金額、俺の耳が狼化して幻聴拾ってない?」
朝霧が吹き出す。
「リアクションが一般人で助かるわ」
「学生バイト感覚で聞いていい額じゃねえだろ……」
九条は肩をすくめた。
「命張る仕事だもの。それくらい払わないと、誰も来ない」
俺は黙り込んだ。
80万。
インセンティブ。
頭の中で、いろんなものが一瞬で計算される。
家のこと。
学費。
昨日までの、冴えない日常。
そして――
この力。
「ちなみに……」
九条が付け加える。
「学生でいる間は、身分は表向き“一般人”。学校も続けていい」
「……待遇、良すぎない?」
「優秀な人材には甘いの。あなたのその外見、シャドウウルフが関係してるんでしょ?おそらくは能力をコピーするとかその辺……。さらに他の能力も使ってるように見えた。1人で複数の能力を使えるのは前代未聞よ」
俺は深く息を吐いた。
正義とか悪とか、まだよく分からない。
この組織が何をする場所なのかも、全部は見えてない。
でも。
「……月給80万?」
「ええ」
「インセンティブ付き?」
「付き」
「命の危険あり?」
「常時」
「ブラック?」
「超」
俺は朝霧を一瞥した。
朝霧はニヤニヤしながら親指を立てる。
「歓迎するぜ、湊」
……ああ、もう。
「――分かったよ」
俺は肩を落とし、苦笑する。
「金で釣られたって言われたら否定できねえけど」
そして、顔を上げた。
「その仕事、受ける」
紗夜は満足そうに微笑んだ。
「賢明な判断」
「ただし」
俺は一言、付け加える。
「俺が死にかけたら、その時は月給、見直してもらうからな」
朝霧が腹を抱えて笑った。
「ははっ!いいねぇ、そりゃそうだ!」
九条は小さく息を吐き、真剣な目で俺を見る。
「じゃあ、改めて。ようこそ。戻れない側へ」
夕暮れの路地で、俺はもう一度、自分の人生が切り替わった音を聞いた気がした。




