その肆 文太、雪谷の秘密を知るのこと
「……結局進展はなし、か」
長屋に戻った文太とこけしがせんべいを囓っていると、雪谷藤四郎がふらりと現れ、開口一番ため息をついた。
文太は枕返しの存在は伏せつつ、こけしの旧知を頼りにするも、何も掴んだことはなかったと報告する。
一方雪谷も、〝笑い殺し〟の方法については特に得られた情報はない、とのことであった。
「さて、どうしたものかな」
「あの、雪谷様」
尋ねた文太の横で、こけしは黙ってせんべいを両手で持って細かく囓っている。まるでリスのようだ、と文太は心中で苦笑した。
「なんだ?」
「以前おいでになったとき、番頭さんの死んだ理由を、雪谷様は殺し、と仰いました。外からの傷もなく、ただ笑っている死体をなぜ、殺しと断定したんですかい?」
「……やはり、気になったか」
「すいやせん、どうにも気になっちまいやして」
「俺が下手人なんじゃねえか、だろ?」
いきなり核心をついた雪谷がニヤリと笑う。
「えっ」
「なんだ、違うのか? 俺ぁてっきり、おめぇ達が『下手人おとなしくしやがれ』みてぇな勢いでぐいぐいくるもんかと」
「いやいやいや。……正直、そう考えなかったわけじゃありやせん。むしろ、……申し訳ありやせん、最初に疑っちまいました」
「その口ぶりからすると文太の旦那、俺への疑いは晴れたってぇことですかい?」
少しおどけた口調で問う雪谷に、文太は恐縮してみせた。
「おからかいになっちゃ困ります。いやてっきりお叱りいただくものかと思いました」
「まぁ、たしかに無礼と言われればそうだろうがなぁに、俺が疑われるなんざぁ承知の上、むしろ疑ってこねぇ方が心配にならぁ。……しかしよ、ならばなぜ疑いが晴れたんだ?」
「……正直、完全に晴れたってぇわけでもありやせん。ですが、仮に雪谷様の仕業だったとして、そのやり方がどうにも思い浮かばねえんです」
「笑い顔の件か」
「へぃ。或いは笑い茸の類いかとは考えたんですが、それにしちゃその、笑い顔がちょっと違う気がしたんでさ」
「笑い顔が違う? どういうこった」
「博徒時代、あたしゃ笑い茸で死んだやつのツラぁ見たことがあるんですがね。なんてぇかこう、普通の笑い方じゃあなかったんですよ。もっとこう、無理矢理笑わせられているみてぇな」
「なるほど……」
このとき、雪谷は文太を見直していた。元から出来る男という触れ込みではあったが、死体の笑い方まで考慮に入れた洞察力、さらにそれは過去の体験に裏付けられたものだったからである。
猪の如く闇雲に突っ走るでもなく、ただ闇雲に考えを巡らせ、自分で拵えた蜘蛛の巣に捉えられるような頭でっかちでもない。
使える男だ。雪谷はそう文太を評した。
「なのに、雪谷様は例のホトケのツラを〝面白くて仕方がねえ〟と仰った。だったら茸じゃあねえなと思い直し、そうなると人の手でやれる手口じゃあねえなと」
「そういうことか。腑に落ちたぜ」
「恐れいりやす」
頭を下げてみせた文太は、さらに続けて言った。
「ただあの時、こうも仰いました。〝幸せを感じるような穏やかな笑顔ではない〟と」
「言ったのはこけしだったが、確かに同意したな」
「これはこけしから聞いたんですが、世の中にはそういう顔を遺す死に様ってのもあるようで」
「――落ちる、というやつだな。首を絞められたり、逆に締め付けられた後、急に緩んだりして安心した瞬間に死ぬやつだ」
「さすがご存じで」
「まだ見たことぁないがな。……実は俺ぁ、最初にそれを疑った。だとすりゃ事故ってぇ可能性もある」
「……たしかに。でも雪谷様ははっきり〝殺し〟と仰った」
「うむ。それにゃあ理由があってよ」
「と、言いますと?」
「……」
「雪谷様?」
ふいに押し黙る雪谷に、文太は不安になりながらも声を掛ける。
「……こいつぁ文太、おめぇにしか話せねえワケだ。他の連中には他言無用で頼みてぇ」
「――心得やした」
「実はよ。……いるんだよ、俺んとこにも」
「……え?」
「俺んとこは付喪神じゃあねえ、いってみりゃ妖怪の類いなんだがよ」
「……はい?」
「――なるほどのぅ」
呆ける文太の横から、こけしが応えた。せんべいの醤油でべたついた指をちょろりと舐めている。
「そういやお主、山彦に助けられたとか言っておったの」
「あ、そういやあ……」
「おう、覚えていたか。ご明察だ、そんときに俺は山彦に憑かれてな」
「し、しかし雪谷様、そんなこと先だっては一言も」
「おう。おめぇも知っての通り、人が妖怪を飼うのは禁じられているからな。付喪神ならいいが、妖怪は人に徒なす存在ってことでそういう決まりになってるんだが……くだらねぇ」「雪谷様……」
「生まれがどうあろうと、そいつがどんなやつなのかは実際に見て、聞いて、話してみなけりゃわからねえ。俺は山彦を信じるに足ると踏んだ」
「魅入られたというところかの。まぁ確かに山彦の素性は悪いものではない。むしろその性質は神に近いかもしれん」
「俺もそう感じた。しかし、だからといって共存が認められるわけでもねえ。だから今まで隠してはきたが、文太、向こうの世界に行って帰ってきたおめぇになら、話しても構わねえと感じた」
「そういうことでやんしたか……」
「他言無用。頼めるか」
「もちろんでございやす。……つまり、その山彦が殺しだと気づいたってぇことですかい」
「気づいたというより、聞いたという方が正しいかもしれねえ」
「聞いた?」
言葉を返す文太に応えたのは、雪谷ではなくこけしだった。
「山彦。――その本性はサトリ、ついでに口寄せの力もあるんじゃ」
「口寄せってぇと?」
「死んだものの魂を自分に写す術じゃ。おそらく山彦はそのホトケの魂を捕まえることに成功して、雪谷殿に伝えたんじゃろ。……己の死に様をの」
「――まぁ、そういうことだ。だが」
「だったら下手人だって分かるはずだ。てめぇが殺されたのはわかってても、誰にやられたのかは分からねえとでもいうのかよ?」
「それが分からねえんだとよ」
雪谷が深くため息をつく。
「|気がついたら死んでいた《・・・・・・・・・・・》。それがホトケの言い分だそうだ」
「気がついたら、死んでいた……」
「笑い顔の方はどうじゃ?」
「そっちは全く覚えがねえらしい。自分がどんな顔で死んだかも気づいてねえとよ」
「振り出し、ですか……」
「いや、そうでもないじゃろ」
悲観する文太に、こけしが笑いかける。
「少なくとも雪谷殿の嫌疑は晴れた。山彦は旧知じゃ、やつとじかに話せば何かわかるやもしれん。人に理解できんこともあるじゃろうしの」
「それもそうか……。よし、ならば一度うちに寄るか」
「それじゃと余計な疑いを周りが持つことになるかもしれん。……向こう側で会うとしよう」
「それがいいな。俺が雪谷様のお屋敷に伺うのも何かと角が立つ」
「ではそうしよう。いつにするか」
「明日の早朝、町外れの廃神社から異界に入ったところで」
「心得た。――では失礼する」
「へい、ご苦労様でございやす」
――――
その夜。
寝支度をして薄い布団に潜り込む文太に、こけしが話しかけてきた。
〝のう文太。明日は向こうに行かなくてもよいぞ?〟
「どうしてだ?」
〝異界は人には少々きつい。今朝も瘴気に当てられておったじゃろ〟
「……ばれてたか」
〝うちも半ば無理矢理連れて行ったようなもんじゃしの。ただ次はうちだけでも話は出来るし、無理を推してまでお主が行く必要はないぞ?〟
「でぇじょうぶだよ。こいつぁ俺がいただいた仕事だ。大して役には立たねえにしても、事の成り行きは見届けにゃなるめぇよ」
〝文太……〟
「こけし、おめぇを信じてねえわけじゃねえ。むしろ相棒として信頼してるから一緒に行きてえんだ」
〝……そうか、ならばもう言うまい〟
「おう」
〝明日も早いぞ〟
「わかってる。――おやすみ」
〝おやすみ〟




