その壱 文太、捜査を依頼されるのこと
「殺し。……ですか」
「うむ」
文太の前に座る与力、雪谷藤四郎が重々しく頷く。
時は宝暦、九代将軍徳川家重の治める江戸は、比較的安定した、平和と言える時代であった。
「しかし旦那。俺……あたしごときにそんな大それた案件任せちまっちゃ……。こちとらまだまだ駆け出し、巾着切りの二、三人もとっ捕まえた程度のちんぴらでござんすよ」
「岡っ引いて半年でその成果は大したもんだがな。……その、お前さんに頼みてえのには訳があってな。あと、普段通りの口で構わねえよ」
雪谷は大柄な身体を少し小さくすぼませ、やや前に乗り出す。そして長屋の格子窓から入る夕の日差しで橙に染まった文太の顔をじっと覗き込んだ。
対して文太は嫌な予感がする、と思いつつ、賭博場の喧嘩で鍛えた身体をほんの少しだけのけぞらせた。
「な、……なんでしょう?」
「こけしだよ」
「え?」
「おめえんとこのこけしだ。知らねえとでも思ったか?」
「……」
「実際、おめえはよくやってるよ。腕っぷしも強えしあちこちに顔が利く。だが、巾着切り三人の捕物はおめえ一人の手柄じゃあねえ。違うかい」
「……旦那にはかなわねえなぁ」
そうぼやいた文太は、懐から一体の小さなこけしを取り出した。床に置かれた高さ三寸足らずのそれがぽう、と小さな光を放つ。
光は見る間に大きくなり、やがてその輝きが収まると、そこには幼女がちょこんと座っていた。
「呼ばれた気がして」
「おう。こちらの雪谷様から下手人探しの依頼だ」
「……本当にこけしが化けるんだな。付喪神、てやつか」
「うむ、あがめよ」
「なんでそう偉そうなんだお前は……」
「神じゃからな」
そういってこけし幼女はフンス、と鼻を鳴らしてみせる。
「で、その神様を俺たちはなんと呼べばいいのだ」
「動じませんね、雪谷様も」
「うちの子らで慣れてる。人の子も邪気のなさは神様みたいなもんだ」
「あぁ、そういう……いや、そういうことじゃなくて」
「あやかしやら付喪神など、そう珍しい存在ではなかろう。俺だって山で迷った時、山彦に助けられたことくらいはある」
「なぁるほどねぇ……」
「この付喪神には、名前はついていないのか?」
「文太、言ってやれぃ」
「え、俺が? ……こけし」
「は?」
「こけしの付喪神ですからね。こけしですよ」
「うちはこけしであることに誇りを持っておるからの。そもそも文太の曽祖父、文七の拵えたこけしなのじゃ。その文七からもこけしと呼ばれておったからの、うちの名は由緒正しいのだ」
「……なるほど?」
全然納得している様子のない雪谷だったが、このまま会話を続けても拉致が明かぬとばかり、強引に話を戻した。
「まぁ、呼び方さえ分かればいい。……で、その殺しの件だがな。どうにも解せぬことが多く、捜査が難航しているという状況だ。そこで、なったばかりで頭角を現した岡っ引きにも意見を聞こうということになり、今こうして座っているとそういう訳だ」
「で、俺の後ろにこいつがいるってのは、一体どこからの情報なんですかい」
「ま、それはおいおいな。ってぇことでどうだい、一つ頼まれちゃくれねえか」
そう言って身を乗り出す雪谷の勢いに押されつつも、文太はこけしを見る。
「どうするよ?」
「文太の上司からの頼みとあらば断れまいのぅ。解せぬというのはどういうことかの?」
「まぁ、まずはことのあらましだ。先日、この先の屋敷の人間が死んだ」
「この先の屋敷って……あの反物屋ですかい」
「ほほー、反物」
「とは言っても、死んだのは主の筋のものじゃあねえ。雇われの番頭だ。真面目な男だが、こればっかりは趣味のサイコロを振りに行っての帰りだそうだ」
「チンチロか半丁か……。どっちにしても焦げ臭えな」
「まぁ、そいつぁこの際どうでもいいんだ。……問題はその死に方でよ」
そこまで話すと、雪谷は軽く居住まいを正し、身を少し乗り出した。
「斬られたわけでも縊られたでもねえ、ましてや殴られた跡もねえんだが。……なぜかよ、笑ってやがったんだよ」
――――
「――笑っていた?」
「ああ」
問い直す文太を見ながら、雪谷が頷く。それを横目に、こけしがゆっくりと口を開いた。
「人間というのは、死に際に幸せを感じることがあるんじゃそうな。それも、強烈にの」
「幸せ? どういうことだよ?」
「詳しくは知らん。うちも聞いたことがあるという程度じゃがの」
「――多分違う、そいつは俺も知っちゃいるが、そういうもんでもなかった」
「と、言いますと」
「番頭はな、普段にやりともしない鉄面皮だったんだそうだが、俺が見たホトケの面はこう、面白くて仕方がねえって具合だった」
「幸せを感じているみたいな、穏やかな笑顔ではない、ということかの」
「そういうことだ」
「……これは昔、うちがたまたま聞いた会話の受け売りになるんじゃがの」
そう告げたこけしは、ちっちゃく腕組みをして記憶を辿り始めた。
「瞬間的に命を落とした者……例えば、いきなり首を一撃で斬り落とされた者などは、凄い笑顔で死んでいくんじゃそうな」
「一撃……」
「しかし、外傷はなかったんだぞ?」
「そこじゃ。外傷はなくとも、一撃で死んでしまう、そんな殺り方があるのかどうか。取っ掛かりすらわからんのなら、そこから調べてみるのはどうじゃ? うちは人が人を殺める方法については詳しく知らんでのう。聞いた限り、呪いの類ではないじゃろうなー位しか思いつくことはないのう。笑顔で死んでいく呪いなど聞いたことがないしの」
戻って検討してみる、とした雪谷が去り、残された文太とこけしはいそいそと茶の準備をし始める。
こけしが顕現した時の儀式のようなもので、ぬるめの茶を呑み、お茶請けに焼いたせんべいを齧るのが通例となっていた。
「このために姿を現わすようなものじゃ」とは彼女の言葉である。
「うまうま」
「ボリボリといい音させて食うなぁ」
「せんべいは人間の作った最高の文化じゃよ。……で、文太よ」
「おう」
「さっきの話じゃがの」
「ん? 雪谷様のことか?」
「うむ」
二枚目に手を伸ばしながら、こけしは頷いた。
「外傷はなく、破顔と言える程の笑顔で死ぬ。ちょっと気にならぬか」
「それが殺しってんなら尚更だなあ。ただ死んだだけなら、変なもんでも食ったんじゃねえかとも思うがよ」
「……やはり文太は鋭いの」
「え?」
「雪谷は殺し、と言った。じゃが、なぜ殺しと決めたのかは何も言っておらなんだな」
「……確かに」
「つまり、あの男は、うちらを訪ねてきたにも関わらず、言ってないことがある」
「殺しだと決めた理由、か」
「うむ。……もしくは」
「もしくは? ……まさか」
文太は何かに気づいた表情で、こけしの顔を見つめた。
その様子に、彼女は満足そうに笑ってみせ、せんべいに噛みつく。
「そうじゃ。もう手口も下手人も判っている、とかな」
「――もう少し突っ込めるよな」
「ほう?」
こけしが笑顔のまま、片眉を吊り上げた。
文太が何を言い出すか、楽しみで仕方がないといった風である。
彼は一度、ゆっくりと唾を飲み込み、軽く深呼吸をしたのち、意を決したかのように口を開いた。
「考えたくはねえが、雪谷様自身が下手人って線だ」
「……だとして、なぜうちらの所に相談に来た?」
「自分への嫌疑を晴らすため。下手人が自分のやった殺しの犯人探しを相談しに来るなんぞ、普通は有り得ないから。……てぇところか」
「その相手に文太を選んだのは?」
「立場の違い。もし仮に俺が声を上げたとしてもただのぺーぺーの岡っ引きだ、お上に届くことはねえ……おいおい、こぼすなよ」
「おっと」
「食うの早えな……。だがよ、それなりに下手人を挙げて少しは名が通り始めた俺に相談することで、自分の身は外に置いておけるってぇ寸法だ。……まぁ、もし雪谷様が殺ったんだとしたら、だけどな」
「……上出来じゃ」
そう言ってこけしが楽しそうに笑う。
「うちもそう思っていた処じゃ。ただそうなると、その手筈を探らねばの」
「え、おいおい。言っちゃなんだが、俺の言ったのはただの妄想みたいなもんだぞ!? それに言ってはみたが、実のところ、あの度量のでけぇ雪谷様の仕業だとは思えねえ」
「分かっておる。じゃが、おそらくいい線をついているとも思う。調べてみて違うなら違うで良し、じゃが当たっていたならば」
「……殺しの手順に心当たりはあるのかよ?」
「正直、なくはない。……じゃが、ちぃと調べねばなるまいな。文太、明日はうちに付き合え。行きたい所がある」
「行きたい所?」
こけしはんふふー、と満足げに笑い、再び光を放ち始めた。
「昔馴染みにな、話を聞きに行くんじゃ」
「あやかしのか?」
「お主も多分聞いたことのある名前じゃぞ」
「へ?」
光が彼女の全身を覆い、小さくなると同時に、文太の頭に直接、こけしの声が響いた。
「――妖怪枕返し、というあやかしの所じゃ」