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短編集

わたしの愛は粉雪の罪滅ぼし。

作者: 白井 緒望

短編です。

よろしくお願いします。

★(1ページ目)



 わたしは、1人で生きてきた。


 高校を出てすぐ、生まれ故郷を飛び出した。中学の頃から、わたしには親がいないものと思っている。


 そしてわたしは、ここ。

 銀座に流れ着いた。


 この街の人たちは、人々は小さな箱に押し詰められた何かの分子のように、お互いに干渉せずにひしめき合いながら自由に動き回っている。


 そして、名前も知らない他人同士が祭囃子のように練り歩くのだ。誰もわたしに面倒臭い頼み事をしたり、押し付けがましく親身にしたりしない。


 そんな銀座が好きだ。


 わたしは、4丁目の時計台近くのショーウィンドウで立ち止まった。髪の毛が跳ねてないか、メイクは崩れていないか。服装がちぐはぐではないかを確認する。


 「……大丈夫」


 そして、大通りを皇居の方に向かって歩く。


 今日は週末で人通りが多い。すると、わたしと同じくらいの歳の女の子とすれ違った。


 「んでね。あの教授にお尻さわられてさぁ。彼氏にバレて……」


 大学生なのかな。幸とも不幸ともつかない身の上話を、楽しそうにしている。わたしは少し肩身がせまくて、バッグのベルトを握った。


 気づいたら唇を噛んでいた。

 ……いけない。

 リップのラメが散ってしまう。



 しばらく歩くと、日比谷の交差点近くで手を振る男性がいた。


 男性は、わたしに気づくと笑顔になった。


 年齢は40代くらいで、スラックスにジャケットという小綺麗な格好をしている。裕福というわけではないと思うが、今日のために頑張ってくれたのだろう。


 「真帆ちゃん。久しぶり」


 まほ。


 それが、この彼等と会う時の、わたしの名前だ。そのまま手を繋いで男性が予約してくれた高級ホテルに向かう。


 エントランスでは、ドアマンがサッとドアを開けてくれる。肩身の狭かった小娘は、一端のお客様になった。


 男性はわたしを気遣ってくれて、色々と話しかけてくれる。部屋に入ると、男性はわたしの頭を撫でた。


 「まほちゃん。大丈夫? 元気ないよ。ご飯行く? 今日はエッチはやめとく?」


 「大丈夫です。それと、ご飯はまたの機会に」


 男性は頭をポリポリと掻いた。


 「ごめんごめん。真帆ちゃんは、デートNGだったね」


 「うん。ごめんなさい。それと、嫌なことは最初に確認しておきたいです」


 「えっと。NGの確認ね。キスNG、生NG。あっ。あとこれ今日の分」


 男性は数枚の紙幣をわたしに渡した。わたしがそれをカバンに入れると、男性は続けた。


 「でも、まほちゃん。デートもNGって、何かトラウマとかあるの? あっ。マナー違反だね。いまのは忘れて」 


 「うん。ごめんね。今日は楽しもうね」


 わたしは男性の手を引いて奥の部屋に入った。

 部屋に入ると、わたしは男性の前に跪き、彼のズボンを下ろす。そのままパンツも下ろそうとすると、男性が腰をひいた。


 「……?」


 わたしが見上げると、男性は恥ずかしそうに言った。


 「汗かいて汚いし、シャワー浴びてくるよ」


 彼に会うのは4度目か5度目だ。

 きっと、会社員をしていて、数ヶ月に一回、わたしに会うのを楽しみにしてくれているのだろう。


 思い上がりかもしれないが、2人になっても紳士的な彼に、わたしはそう感じていた。


 シャワーを浴び終わった彼は、わたしの髪を撫でる。そして、やさしく腰に手を添えてベッドに導いてくれた。


 彼は、わたしの全身をくまなく愛撫している。

 わたしの首筋から足指の先まで。何が楽しいのか分からないが、必死に舐め回している。


 時々、自分の身体が震えて、他人の身体のように感じる。わたしは彼に抱かれながら、昔のことを思い出していた。


 わたしが幼いときに父は死んだ。


 それからは母と2人で暮らしたのだが、わたしが中学になった頃から、母の彼氏らしき人が家に出入りするようになった。


 彼は母がいない時に、わたしに八つ当たりをすることが多かった。難癖をつけられて、お湯をかけられたり、太ももを踏みつけられたりする。


 だけれど、その家でしか生きる術を持たなかったわたしには、嵐の終わりを待つように、じっと我慢することしかできなかった。


 中学2年になり、胸が膨らんでくると、彼の関心は、わたしの肉体に移った。事あるごとに、身体中を触られる。


 彼の要求は、次第にエスカレートしていき、やがてわたしの乳首や性器を弄ぶようになった。


 何度か、お母さんに助けを求めようとしたが、取り合ってくれなかった。今思えば、きっと、わたしがされていることを知っていたのだと思う。


 お母さんに助けてもらうことを諦めた頃、彼はついに一線を超えてきた。やがて、殴られるよりはマシなように思えて、わたしは無感情にソレを受け入れた。


 彼がわたしの身体の中を掻き回すのを、ただ膝を抱えて我慢した。


 高校を出ると、わたしは町を出ると決めた。彼はわたしの若い肉体を失いたくなかったのだろう。彼は当初、わたしを殴り屈服させようとしたが、やがて、わたしの意思が変わらないことを悟ると、母の目も憚らずに跪いて、わたしに縋りついた。


 彼は言った。

 

 「はるか。愛してるんだよ」


 わたしは、その言葉の歪で不快な響きを生涯忘れることができないだろう。



 ……。


 

 わたしは我に帰った。

 先ほどのホテルで、男性がわたしの上で腰を振っている。


 長いな。

 そろそろ終わってくれないかな。



 「あ…ん……、きもちいい」


 わたしは、彼を没頭させたくて、何も感じない身体を偽って、みだらな声を出した。



 あれ。この男性、なんて名前だろう。

 何度か会っているのに思い出せない。


 まぁ。いいや。


 やがて、男性はわたしの目を見つめてきた。そろそろ限界が近いのだろう。


 「まほちゃん。あれお願い」


 彼が私の中で果てるのを感じながら、わたしは彼の要望に応えることにした。


 彼の頭を両手で抱きしめて、こう言うのだ。


 「こうちゃん。愛してる」


 あ、彼の名前は。

 こうちゃんだった。


 頭では忘れても、身体は彼の名前を覚えているらしかった。


 彼は息を切らしながら、わたしの頭を撫でた。すごく満足そうな顔をしてくれている。


 わたしの大嫌いな言葉が、いま、一人歩きして目の前の男性を癒している。すごく滑稽に感じたが、それでいいと思った。


 わたしが帰り支度をはじめると、彼は名残惜しそうな顔をした。彼は、そのまま泊まっていくらしい。


 きっと、彼には帰りを待つ家族はいないのだろう。


 帰り際、彼は言った。


 「まほちゃん。よかったら。ちゃんとお付き合いしない? 大切にするから」


 わたしは愛想笑いをして部屋を出た。


 わたしは何となく相手の嘘がわかる。


 きっと、あの言葉は本心で、もしかしたら、わたしは幸せになれるのかも知れない。


 でも、こんな嘘ばかりの女。

 幸せになっていいハズがない。


 彼らが愛おしそうに呼ぶ、わたしの名前ですら嘘なのだ。


 本当のわたしを知ったら、彼達は、きっと幻滅するに決まってる。



 そして、わたしはまた、銀座の街に戻った。

 

 この町では、みんな粉雪のようにフワフワしながら自由に飛び回っている。鮮やかで、キラキラしているけれど、触れるとすぐに消えてしまう幻のような雪。


 この街は、誰もわたしを気に留めないし、変に気遣ったりもしない。


 わたしは、ここにいると、ただの粉雪の一粒であることに、きっと安心するのだと思う。




★(2ページ目)



 わたしは銀座の街を歩いている。

 昼は暖かかったが、夜は少し寒い。


 銀座の冬の訪れは早く、秋の肌寒さを追い越して、みんな、そそくさと冬服になる。


 辺りは既に薄暗く、通りに掛かったぼんぼりが、人々をゆらゆらと照らしていた。


 「そろそろかな」


 わたしは、さっきと同じようにショーウィンドウで身だしなみを確認して、待ち合わせ場所に向かう。


 2丁目の交差点で待っていると、5分ほどで男性が現れた。わたしより少しだけ年上の青年。


 きっと、学生かな。


 そんな彼が、どうしてわたしを指名するのかは分からない。でも、知る必要もないだろう。


 若い彼が、高い料金を払ってわたしに会いにくるのだ。相応の理由があるのは当然だ。


 彼はわたしの前に来ると、敬礼のように手を上げた。


 ずっと暴力を振るわれてきた私の身体は、無意識に肩を竦めたが、わたしは笑顔を作った。


 「……沢山指名してくれて嬉しいけれど、大丈夫?」


 彼は笑った。


 「うん。大丈夫。まほちゃんのために仕事めっちゃ頑張ったから。ね。早く行こうよ」


 彼と手を繋ぎ、私達の年齢には不釣り合いな高級ホテルに向かう。

 

 この子は、わたしがさっきまで違う男に抱かれてたとは夢にも思わないだろう。


 部屋の入り口で、わたしがぼんやりとしていると、彼はわたしの肩を抱きしめた。


 「まほちゃん。俺、我慢できない」


 彼はわたしのコートを剥ぎ取り、すぐに裸にしようとするが、わたしは彼を制止した。


 「ダメ。まずは嫌なことすませちゃおう」


 代金の支払いとNG事項を確認する。

 彼は気まずそうにしながらも、応じてくれた。


 ウチのサービスには、ハッキリとした時間はない。意図的に超過して連れ回すのは違反だが、事が済んで30分程したら終わりになる。


 時計を気にするのは白けるからと、うちのオーナーが考案したシステムだ。


 だから。

 こんなにガツガツされてしまうと、逆に申し訳なくなる。


 きっと、バイト何ヶ月分かのお給料。

 彼の好きにさせたら、数分で終わってしまう。


 それに……。今日は2件目だし、シャワーくらいは浴びさせてほしい。


 わたしは彼の頭を撫でた。


 「ね。久しぶりだし、ゆっくり楽しもう」


 彼は頷いたが、我慢できないらしかった。

 わたしをベッドに押し倒すと、すぐにブラをたくし上げ、そのままわたしの全身を嗅ぎ回った。


 「まほちゃん。すごく良い匂いがする……」


 彼は大喜びだったが、さっきシャワーを浴びたばかりなので当然のことだった。


 やがて、彼はわたしの足を開き、股間のあたりで動きを止めた。


 「まほちゃん。すごい。興奮してる? 俺にそうなってくれて嬉しい」


 さっきまで他の人としていたのだから当然、とも思ったが、自分の身体がそんなことになっているのは、少し意外だった。


 彼はそのままわたしの上に乗ってきた。彼の動きに合わせて、わたしから見える天井がグラグラと動く。


 

 わたしは、高校を卒業してすぐに東京に来た。田舎の閉鎖された空気感がイヤで、とにかく都会に行きたかった。


 池袋や新宿にも行ってみたが、街が汚くて馴染めず、わたしは銀座に辿り着いた。運良く就職先も見つかり、一応は人間の生活ができるようになったが、わたしの中の時間は、母の彼に犯され続けたあの頃のままだった。


 何をしても、他人事みたいで。

 きっと、一生、このままなんだろうな、と思った。


 そんなある日、たまたま知り合ったオーナーに、この世界に誘われた。


 今更、自分が汚れるという感覚はなかったし、色んな人を受け入れると、わたしの中から、彼が追い出されて、どこかに出ていく気がした。



 ……。

 

 視線を落とすと、わたしの上でさっきの彼が腰を振っていた。


 「ね。まほちゃん。俺もう……」


 まだ1分も経ってない気がする。

 彼の数ヶ月がこれで終わってしまうのは、少し申し訳ない気がした。


 だから、わたしはせめて。

 自分の体に嘘をついて、彼を喜ばすのだ。


 「たくみくん。わたしもそろそろイッちゃいそう……」


 直後、彼は満足そうに果てた。

 彼はわたしの頭を撫でながら言った。


 「すっごく気持ちよかった。まほちゃんと一緒にいけて嬉しい」


 

 イッたことなんて、生まれて一度もないよ。

 わたしは嘘ばっかり。


 そんな自分がイヤになる。


 わたしは、お金でわたしを買う彼を軽蔑している。でも、同時に、わたしなんかで満足してくれる彼達を、どこかで好ましくも感じていた。

 

 とはいえ、入室して5分で帰るわけにもいかない。わたしは髪の毛を纏めると、部屋のミニバーで、ウィスキーの水割りを2つ作った。


 「どうぞ」


 彼はすごく嬉しそうな顔をした。


 部屋代の事を考えると、ちょっと申し訳なく感じて、自分用に薄めに割った水割りを、わたしも付き合い程度に舐めた。


 「たくみくん。会ってくれるのは嬉しいけれど、無理しないでね」


 こんなわたしのために大学をやめたりしたら、ご両親に申し訳ない。こんなことは、余裕がある人が暇つぶしにする遊びなのだ。


 すると、彼は甘えるようにわたしを見た。


 「だって。俺が頑張って指名しないと、まほちゃん他の人に買われちゃうし」



 頑張ってもらっても、さっきまで他の人といたのだけれどな。


 彼は続けた。


 「俺さ。彼女居たんだけれど、裏切られてフラれちゃってさ。だったら、こうして割り切って、好みの子と会ってる方が良いなって。まほちゃん、うちの大学にいる子なんかより、断然可愛いし……」


 やっぱり、大学生か。


 それでも、わたしよりも、その彼女の方が数万倍イイと思うけれど。


 わたしがさっきまで他のお客さんに抱かれていたと知ったら、さすがに愛想を尽かすのかな。


 親に愛されて、大学にも通わせてもらっている苦労知らずの大学生。



 ちょっと妬ましくて壊したくなった。

 

 でもね。

 そんなことをしても、誰も喜ばない。



 わたしは帰り支度を整えながら、そんな醜い本心を隠して言った。


 「わたし、貧乏で大学いけなかったんだ。だからね。大学に通える貴方のこと羨ましいよ。沢山、勉強して偉くなってね。たくみくん。じゃあ……さようなら」


 わたしは部屋を後にした。


 エレベーターに乗るとオーナーに「この子は今後NG」とメールした。なんとなく寂しくて、肩掛けのバッグを身体の前に持った。


 「はぁ。なんだかね」


 いまのわたしはどんな顔をしているのだろう。

 エレベーターに誰もいなくて良かった。


 「ちょっとお節介だったかな」


 そんなことを思いながら、また銀座の街に戻るのだ。




★(3ページ目)



 ある日、それは起きた。

 職場に、あいつがやってきたのだ。


 子供の頃の私を弄んで、壊した男。


 なんで?

 どうして?


 わたしの頭の中は、真っ白になった。


 あいつは言った。


 「はるか。ようやく見つけたぞ。お前のせいで俺は台無しだよ。なぁ、またあの頃みたいに仲良くしてくれよ」


 おぞましい生き物。

 何万回殺したって物足りない。


 だけれど、そんな殺意を置いてけぼりにして、わたしの身体は硬直してしまった。


 口から言葉が出てこない。


 「……あ、あっ」


 お客さんに享楽を与えるこの口は、いまは硬いつぼみのように縮こまっている。


 すると、あいつはマウントを確信したような目になり、わたしの手首を掴んだ。


 わたしの口はパクパクするだけだった。


 あいつは、二日酔いのような濁った声で言った。


 「なぁ。お前が金もらって男相手にしてること、ここで暴露したっていいんだぜ? どうせ、そうとう溜め込んでるんだろ?」


 こいつは、わたしの秘密を知っているらしい。


 わたしの職場は、それなりに由緒あるデパートだ。わたしがしていることを知られたら、きっと辞めさせられる。


 それはイヤだった。

 ここを辞めたら、わたしの全部が嘘だけになってしまう気がした。


 あいつはニヤーッとすると、さらに強く、わたしの手を引っ張った。


 あぁ。

 わたしはやはり。


 ここまできても、あいつの玩具に戻るのか。


 ただフワフワと、誰にも触れずに自由でいたいだけだったのに、そんな事も許されない。


 

 こいつを殺せば、自由になれるのかな。

 それとも、わたしが死んだ方が早いのかな。



 気づけば、涙が出ていた。


 誰か。

 わたしを助けてよ。


 こんな人がいっぱいいるんだよ?

 1人くらい、わたしを助けてよ。




★(4ページ目)




 「イデデデデッ」


 直後、あいつの悲鳴が響いた。

 わたしが目を開けると、30代後半くらいの男性が、あいつの手首を逆方向に捻り上げていた。


 スーツ姿で、メガネをかけている。身体は華奢そうだが、服の上からでも鍛え上げられているのが分かった。


 わたしは格闘技は分からないが、きっと、何かの技なのだろうと思った。


 格闘家の人なのかな?


 メガネの彼は言った。


 「店員さん嫌がってるでしょ?」


 あいつは、さらに悪態をついた。


 「うるせぇ。お前には関係ねーだろ? 親子の問題なんだよ!」


 メガネの彼はわたしの方を見た。

 わたしが首を横に振ると、掴んでいた手首を軸にして、逆方向に投げ飛ばした。


 あいつは背中を打ちつけ、呻くような声を出すと、足を引きずりながら出て行った。


 「あの。ありがとうございます」


 わたしがお礼を言うと、メガネの彼はわたしの名札を見ながら言った。


 「相川はるか……。いや、大丈夫? あ、遅れたけれど、僕は警察官で。宮本 健人っていいます。無事ならよかったよ」


 「大丈夫です。あの人は、母の交際相手で……」


 彼は親身に聞いてくれた。


 「それじゃあ、また来るかもしれないね。悪いんだけど、仕事の後でいいんで、署で事情を聞かせてくれるかな?」


 言われた通りに警察署にいくと、宮本さんが出迎えてくれた。


 「本当に刑事さんだったんだ……」


 わたしは思わず、本音が出てしまい口を押さえた。すると、宮本さんは、笑った。


 「こんなんが刑事でごめん。それでね、僕は生活安全課の所属で、ストーカーの取り締まりもしてるんだよ。よければ事情を教えてくれないかな」


 わたしは全部を話した。

 中学の頃から暴行を受けていた事、性的虐待も受けていた事。


 彼は机の上で手を組んで、ひとつひとつ噛み締めるように聞いてくれた。


 彼がハンカチを差し出した。

 この件について、わたしの中の涙は、とうに枯れてしまったと思ってたけれど、まだ残っていたらしい。


 堰を切ったように涙が溢れ出てきて、その涙と同じくらいに、口からは、溜め込んだ気持ちが言葉となって溢れ出てきた。


 あいつがわたしに入ってくる度に、死にたい気持ちになったこと。そして、まだ毎日、悪夢にうなされること……。


 なんで初対面の人に、こんなに話してしまったのか分からない。でも、人に対して、こんなに自分の気持ちをぶつけたのは初めてだった。


 彼は、わたしの嗚咽がひと段落すると、続けた。


 「それで、さっきは何で脅されていたの?」


 それは、わたしの秘密は弱みで。

 秘密がある限り、あいつはまたやってくる。


 だったら、今ここで言った方がスッキリするか。彼の成績にもなるかも知れない。


 「えっと。わたし、お金もらって男の人と……」


 すると、彼はニコッとして手を払った。

 わたしの話は遮られてしまった。


 「それは、わたしの管轄外だから。ねっ?」


 きっと、聞いてしまったら無視できないから、話すなということなのだろう。


 わたしは言葉を飲み込んだ。


 粉雪のように生きたいなんて言って、こんな時だけ頼るのは都合の良い話なのだろう。



★(5ページ目)



 

 警察署から出ると、わたしは空を見上げた。もう空は暗くて、ポツポツと雨が降ってきた。


 「傘、持ってないや……」


 わたしは歩き出す。

 ここ数十分間は、自分に驚きっぱなしだった。


 わたしは、まだ誰かに助けられたいと思っていたらしい。宮本さんの目は、わたしを包んでくれるようで、すっかり安心してしまった。



 お父さんって、きっと、あんな感じなのかな。


 でも、ここはきっと、わたしが居ていい世界じゃない。わたしは首を左右に大きく振ると、また歩き出した。


 「相川さーん!」


 誰かに呼び止められ振り返ると、宮本さんが折りたたみ傘をわたしに差し出していた。


 「これ使って。返さなくて良いから」


 「でも、刑事さんの傘……」


 彼は笑った。


 「俺は職権でパトで帰るから!!」


 「いけない刑事さんだぁ」


 すると、彼は目尻を下げて笑った。

 そして、わたしの頭を撫でてくれる。


 「よかった。笑顔になったね」


 わたしは自分の頬に触れた。


 ほんとうに。

 久しぶりに笑顔になっていた。


 わたしは素直に傘を受け取ることにした。



 でも、もったいなくて。

 その傘は使わなかった。


 家に帰ると、なんだか嬉しくて。

 彼について考えた。


 「刑事さんの奥さんって、どんななのかな」

 「彼は独身なのかな」


 わたしはさっそくスマホで検索してみた。



 「そうだよね。そんなに甘くないよね……」


 わたしは画面を下にしてスマホをテーブルに置いた。


 そこに出てきた検索結果は、わたしには残酷なものばかりで。わたしに夢すら見させてくれなかった。


 まず、警察官は身辺の管理が厳しく、わたしみたいに不審な者は恋人になることさえマイナスになるらしい。結婚ともなれば、まず許されないし、昇進の道は絶望的になるとのことだった。


 わたしみたいな人間は、結婚どころか、彼の恋人にもなれないらしい。


 それと、もう一つは、もっと重かった。


 宮本健人。

 その響きに聞き覚えがあったのだ。


 彼の名前で検索すると、沢山のニュースが出てきた。数年前に捜査対象者の怨恨から、家族が被害にあって亡くなった警察関係者。


 その名前が彼だった。


 このような事件は、ない話ではないらしい。でも、本人の希望で名前が出るのは稀で、印象に残っていた。


 その時の動画も出てきたが、辛くて見れなかった。



 奥さんと娘さん。


 彼の年齢からすると、お子さんはまだ小さかったのではないか。警察官の奥さんになるような人だ。きっと立派な人で。


 わたしなんかのことを受け入れてくれるはずがない。



 「はぁ……」


 わたしはオーナーからのメールを開く。

 すると明日の予約の連絡だった。ニックネームと利用回数。ほとんどはリピーターさんだ。


 ……わたしは、わたしの居場所に戻ろう。


 わたしは、明日の服装の確認をすることにした。

 


★(6ページ目)




 あれから1ヶ月ほどたった。

 宮本さんと会うことはなかったが、わたしは、まだ彼の傘を大切に持っていた。


 ある日、知らない番号から着信があった。電話に出ると宮本さんだった。


 「相川さん。この前の男性を逮捕しました。これから取り調べですが、起訴されると思います。これで安心して過ごせますね」


 あいつが捕まったことは嬉しかった。でも、それよりも。彼の声を聞けたことに、わたしの心は弾んでいた。


 「じゃっ、そう言うことで」


 電話は数分で切れてしまった。

 わたしは自覚せざるを得なかった。



 彼のことを好きになってしまったらしい。



 わたし、惚れっぽいのかな。でも、誰かに助けられたの生まれて初めてで。たまらなく嬉しかっんだ。


 個人的な連絡先はしらないし、わたしの存在は彼の邪魔にしかならない。それに、きっと彼はずっと家族を愛している。


 『諦めるしかないよ』


 そう自分に言い聞かせた。


 



 それから少しすると、わたしに変化があった。

 困った変化だった。


 お客さんに抱かれていると、頻繁に泣いてしまうようになってしまった。悲しい訳じゃないのだけれど、涙が止まらなくなる。


 今の所は、お客さんは自分に都合よく解釈してくれているけれど……。


 この副業も潮時かな。


 ぼんやりとそんなことを考えていると、オーナーからメールが届いた。


 明日の予約は1人だけだった。

 珍しく新規のお客さん。


 次の日、わたしは仕事を終えて、時計台の下にいた。ショーウィンドウを見て、身だしなみを確認する。


 今日は、時計台の下で待ち合わせだ。

 思えば、ここで誰かと待ち合わせをするのは、初めてだった。


 この仕事は、今日で辞める事になった。

 最後に時計台っていうのも、良いのかも知れない。



 「あれ? 雪?」


 雪がゆらゆらと降ってきて、わたしの手のひらに落ちては消えていく。その様子が楽しくて、しばらく眺めていると、雪と雪が、わたしの手のひらでコツンとぶつかった気がした。




 「まほ……さん?」


 顔をあげると、仕立てのいいスーツにメガネをかけた刑事さんだった。


 「……どうして?」


 すると宮本さんはニヤリとした。


 「うーん。職権?」


 その顔をみると、わたしの口角も自然に上がっていた。


 「不良刑事さんだぁ」


 「それで、これからどうするの?」


 えっ。どうしよう。

 やっぱマニュアル通りに……。


 「ホテル……。痛っ!! でこぴんっ?」


 宮本さんは、わたしにデコピンをした。


 「今日で最後でしょ? 美味しいもの食べさせて不良娘を更生させないとね」

 

 「うん。お食事嬉しいよ」


 「あれ? デートNGじゃないの?」


 「宮本さんのイジワル。好きな人とご飯いけるの嬉しいに決まってるじゃないか……」



 「え? なに? きこえない」


 「だーかーらー、その。……いや何でもないです」


 「チッ」


 「舌打ちっ? ここにドエスの刑事さんがいまーす。って、寒い……」


 すると、彼が手を握ってくれた。

 その手を見てわたしは続ける。


 「ね。……どうして、わたしのことを気にかけてくれるの?」


 「むす……、君が大切な人と同じ名前で。放っておけなかった」


 わたしは、宮本さんの娘さんと同じ名前だ。知ってはいたが、逆に申し訳ないと思っていた。


 でも、おかげで、いまわたしは。

 好きな人と歩いている。



 これから、わたしはどうなっていくのだろう。粉雪のように、誰かに触れた途端に消えてしまうのだろうか。


 みな笑顔で、わたしと彼の横を通り過ぎていく。きっと、家や会社で悲しいことや悔しい事が沢山あるのに、ここでは笑顔になる。


 ここでは誰も、心にもないお節介はしない。


 ただ祭囃子のように、陽気な音楽にあわせて練り歩く。箱庭に入れられた何かの粒子のように、お互いにぶつかることもなく、それぞれが笑顔になって自由にしている。


 陽気だけど、寂しい街。


 ……いや。


 寂しいけれど、陽気な街なのかな。


 でも、そんな街の気まぐれなお節介のおかげで、わたしは今、笑っている。


 わたしは、やっぱりこの街が好きだ。



 (おわり)





少し重い話だったかもしれません。

世間は、クリスマスや忘年会のシーズンで「ガハハハ」とこの世の春を謳歌している人もいれば、辛かったり、切なかったり、そうではない人もいるのだろうと思って、これを書きました。


せっかくのクリスマスなので、雪に掛けてみました。東京は昨日、今日も晴天ですけれどね……。

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