第五章 始まりの啼泣
ていきゅう!!
ガガバーカは果てのない草原に突っ立っている。
高い空には雲が散りばめられ、風に吹かれて猛烈な速度で移動し、その形を変えていく。
山のように集まってきたと思ったら、次の瞬きでその山も容易く崩れ去る。
時々隙間から射しこむ光が太陽の存在を示唆もしているが、その火の塊は終始雲の後ろに隠れている。まるで何か恥ずかしいことをしたみたいに。
周りは何の起伏もない大平原。
窪みもない、丘もない、川もない。
膝に達するくらいの草だけが茫々と、ガガバーカと一緒に風に打たれている。
果てしない天と地の間に、ガガバーカはまるで雲と草に挟まれているようにただただ佇む。
動くことができない。
ガガバーカは気づいた。自分はまるで地面に突き刺された楔のようだ。どれだけ動こうと心が呼びかけても、身体は言うことを聴かない。
今の状況を確認しようとしてるその時、真正面から何者かの気配がすっと現れた。
あの四本角だ。
今日見たあの牛の同類じゃない、あの牛そのものがふっと何事もないように、目の前の空間に浮び上ったんだ。
何故それだと言い切れるのか、実際に見た人ならわかるだろう。
血が噴き出てる喉、掻っ捌かれた腹、零れ落ちる内臓。あの死に様のままに、そいつはガガバーカの目の前に立っている!
でも、何故かその異様な姿はこの場所に馴染む。
馴染む感覚がした。
ガガバーカはこの不思議な光景に頭が機能停止しそうだが、目は反射的に瞬きをする。
そして再び目の前に映るのは、無傷なあの獣だった。
信じられない。もう一回目を閉じて開こう。
そしたら四本の角ですらなくなった。
翼のような角が消え、眼窩の上の二本角が控えめになり、そして体型も少し縮んだ。
今のガガバーカに分かることは二つのみ。
ここは現実じゃない。
そして目の前のこいつもただの獣じゃない。
恐らくは精霊や神霊の類だろう。
ガガバーカはあくまでも狩人だ、巫覡などの役目は任命どころか、知識すら一つも授かってはいない。
昔タリシが語ってたおとぎ話程度しか知らない。
ただし目の前のこいつが何なのかを意識した途端、変化が訪れた。
耳元でふーふー喚く狂風の雑音が何故か段々まとまり、一つの声に聞こえて来る。
【氷の山………………闇…と…………沈む樹……死の…海………】
その声が言葉を並べて、やがてそれが繋がり、意味を帯びてくる。
【…を辿り、全てを越え、】
〈ここはどこだ?お前はなんなんだ!〉
【最後であったのは、汝ら。】
〈一矢報いるため、ここに連れてきたのか?〉
ガガバーカは言葉を発せない。
口を開けないのに、その意味は確実に相手に届いた。
……と何故か、そう感じた。
【うぬの群れはとうに亡び、孤独である月日の方が長かった。】
〈やるなら付き合ってやる!拘束を解け!〉
なかなか返事が聞こえず、ガガバーカは挑発を試みた。
素手では幾分不利だが、その手の経験はなくもない。
【かつて猿どもに崇められ、名を被ることもあった。】
が、どうやら心配はハズレたらしい。
しかしこの会話の噛み合わなさ、本当は意思疎通できていないじゃないかって、ガガバーカは疑いはじめた。
〈それは何と言う!あんたは神か霊か何かか!?〉
【風、擦る葉、揺れる花、流れる雲、登って落ちる日と月。】
独り語りは続くが、興味が全くないわけでもない。
何もできないし、黙って聞くことにした。
【うぬはその猿らにとって、「風」でもあり、風に動かされる「すべて」でもあった。】
つまり最初は『風』の霊と崇拝され、その意味が拡大してやがて『変わりいくもの』自体を代表するようになったか?
ガガバーカは少々驚いた。
あまり祭祀に詳しくない自分でも分かる。そういう実体のない大きい『概念』となったものは、信奉される動物や信奉する者が違っても、紛れもなく「神」と呼んでいい。
【そして猿も去り逝く。そこからさらに悠久な時が過ぎていった。】
其らが持つ力も、自分たちでは理解できないものばかり。
これから何が起こるのやら、其が何を伝えたいのやら、全く見当もつかない。
【うぬは力を失い、名を忘れ、姿も猿たちが存在する遙か前の時に戻った。】
〈…………………………………………〉
【最後出会ったのは、汝ら。】
〈……悔しいか?〉
【悪くはない。元来、与えられたものだ。】
〈惜しみは?〉
【いずれ誰にも起こること。汝にも。それが命。それが理。】
〈…………………用は?〉
【汝らはうぬの生き血を吸い、うぬの躰を摂った。】
〈罰を下す口ぶりには聞こえないな…〉
【贈り物だ。血肉と、残り僅かな力も】
〈我らは少ししか食べてないぞ。あの獅子はその後、あんたの死体を取り返しに行かなかったのか?〉
【もちろん、あれにもある。そして、あの狼の仔にもだ。】
〈ふぇ~…どんな力だ?気になる。それぞれ違うのか?〉
【それは各々にのみ知らされる。うぬには、いにしえの記憶を。】
〈………?〉
【すべての祖が産まれしばかりの頃、この地で発せられた最初の『なきごえ』を授ける。】
〈………………………?〉
困惑と欲張りたい感情は同時に脳裡を過ぎるが、
それと同時に強くなったのは、両耳を掠る風の音だった。
【その意味、自ずと分かる。】
声がまたうるさくなり、また不規則な雑音になりつつある。
この神はここまでしか説明する気がないらしい。
【…………け取り…が………………毛……ない猿の子………】
強くなった風は草原も空も引き裂き、ガガバーカは朦朧の中に放り込まれる。
そして再び目を覚ました時、ガガバーカは何にも覚えちゃいなかった。
夢の中で誰かに悪口を言われたようだが、詳しいのはどうしても思い出せなかった。
そしてそんなこと構っていられる場合でもなかった。
「はよ出発しろ、二本脚」
何故ならば、数日前に拾った狼ですら、
ガガバーカに向かって悪口を言うようになったからだ。
ここに来てようやくガガバーカの第一人称が出ました!(今まで思考時の『自分』以外書いてなかったけどw)
『我』です!『我』という字は元々斧をを象ったもの、そして使ってるうちに「斧を持つ人」の意味になり、やがて「斧を持った」のは「我」だと自称するようになる。
それが似合うと思った!
そしてシバテリウムが見せた姿の変化は、中新世あたりのキリン科の祖先を参考にしてました。