第四章 塩と水と四本の角
四本の角と言えば、学生時代懐かしい砂漠のフィールドでデ●ア◯ロスとの死闘を思い出すが、
そうではない。
でもやはり懐かしい。
ガガバーカは困っている。
あの狼の仔、タリシテンとの距離感が掴めないんだ。
付いてきたと思ったものの、何故かこっちから近づけようとすると逆に咬まれる。
噛み跡は別に大したことないが、それでもかなり傷つく。
それともう一つ、むしろこっちの方が逼迫しているが…
水がなかなかない。
あの谷を降りてから丸一日以上が過ぎ、谷底を抜けたら、目の前に広がるのは酷く乾いた荒地だった。
赤の大地に白い砂利。地面には所々にひびが入り、その割れ目が不規則な形を描きながら交錯し遠くへ蔓延っていく。辛うじてそんな地面に根を張る草があっても足首くらいの高さしかなく、しかも何かを避けているように、一辺にしか生えてない。
何故だろう、とガガバーカは思った。
点在するならまだしも、こうも綺麗に一方にしか生えないのはおかしい。
ガガバーカは考え、しゃがみ、地面を見た。
大きさは不ぞろいで指で押したら潰れる。あれは砂利と言うには脆過ぎて細かすぎる。
そして舐めた。
塩だ。
ここは塩の原野だ。
部族の付近には塩水が湧き出る所があり、それを汲んで干したらこのような白い砂利が出来るんだ。
時々食物の味付けや道具制作、日常でも使われる場面多々あったが、これほど大量な塩を見るのは初めてだ。
ガガバーカはこの原野の向こうまで眺める。だが何もなかった。
この塩は部族の所の湧き出る水と関係あるのか?でも水はどこだ?この大地から見ると、水が退いたのは随分と昔の事みたいだが…
喉の渇きがその思考を遮断する。
止そう。今はそれを考える余裕がない。水がなければ話にもならない。
ガガバーカは振り向き、タリシテンの状態を確認する。
まだ距離を置きながら付いてきている。特に疲れた形相はない。
あの恩知らずめ、今朝は貯水袋にある最後の水をやったのに、触ろうとしたらまた咬まれた…
と、ガガバーカは呆れて心の中で罵った。
そこに生えてる草の根も掘ってみたが、結局水は得られなかった。
とにかくこの白い原野の位置から逆方向に、もうちょっと進んでみよう。
………………………………………………
それからどれくらい歩いただろうか。日は昇る側から落ちる側に移った。
草むらの量は増えたが、水には出会えなかった。歩いても歩いても枯れ草、枯れ草、枯れ草。徐々に膝まで生えるようになってるが、色はさっきのと大差はない。
一人と一匹はへとへとだ。
突如、遠くから咆哮が伝わってくる。
ガガバーカは少し戸惑った。が、動物がいるということは水源があるかもしれない。
そう思うと、身を屈めて小刻みな足並みで声のする方へ急いだ。
そして案の定、タリシテンも姿勢を低くして付いてきた。
数々の草むらを踏み越えたら、目の前は急な上り坂になっていた。
ガガバーカは即座にタリシテンのうなじを掴んで肩に乗せ、それを登り始める。タリシテンのささやかな抵抗にはうんともせず。
登り詰めると、そこには信じられない光景があった。
四本の角を持つ…牛…?あれは牛か?大きさも自分の知ってるの牛より断然上。
眼窩の上に突き出す角が二本と、耳の上には羽ばたく翼みたいに展開してる平ったい角が二本。
そして何よりもあの体型。肩だけでもガガバーカよりは高く、頭を上げる時は更に雄々しい。
部族の方には生息してない奴だ、初めて見る。
そんなデカい何かを、獅子が襲っている。
角四本持ってると言えども、体型と比べたらそれほど突出してなく、更にその長い首をむやみに突き出したら恰好な弱点になり噛み付かれるため、獅子と対峙する時にはやはり逃げ腰ではある。
恐らくあの角は自衛用というより求愛用だろうと、ガガバーカはクーチャを真似て分析する。
やはり角を持つなら大きくて立派なのに限るな、と薄っすら思考が脱線しかけているガガバーカは、次にそれの足に注目する。
さすがのあの巨体だ、蹴る気がなくともちょっと踏まれただけで相当応えるだろう。
獅子は何度も角度を変えて攻め込むのを試み、四本角の牛(?)は逃げながらもその都度獅子のいる方向に振り向いて、突進の姿勢を取ることで獅子を退かせた。その光景に、ガガバーカは違和感を覚えた。
単独で狩りをする獅子はあまり見ない。ましてやこの一頭にたてがみは生えていない。
説明するととても簡単なことだ。獅子は群れで行動するもの。主に雄一頭と雌たち。たまに兄弟の雄がともに群れを治めることもあるが、単独行動を取るのはまだ親元を離れたばかりの若い雄か、雄同士の闘いに敗れ追い出された弱い雄以外にはありえない。雌とは無縁なことだ。
そしてよくよく見たら、こいつは雌の獅子にしてはやや大きい。体型的には成体の雄ほど、いやそれ以上かも。それなのに雄だったら何故たてがみが生えてない?
どういうことだろう…ガガバーカは困惑の渦に呑まれていく。どうせなら水の渦の方がよかったのに。
手でタリシテンを抑え、一緒にうつ伏せで草の中に隠れるガガバーカ。考えに考えを重ねて得た結論は「皮膚に何らかの病を患ってる」と「ここの獅子はちょっと違う」の二つだった。
と、そんなことを考えているうちに、状況に変化があった。
あんな対敵姿勢にやはり無理があり、体型が勝ってるとはいえ、隙を突かれたら獅子一頭だけでも十分に脅威だった。
勝負はあった。その牛の首筋は今や口の中。喉の血管が牙に貫かれ、巨体は沈んでいく。
ガガバーカはこの時を待っていた。
部族に伝わる戦号を咆えるにも喉の乾燥でろくに出せず、ガガバーカは草むらから飛び出るのと同時に、左手で腰に引っさげてる角笛を取った。
部族を出た時見張りからこれを掏っといて正解だった。
『ブオオオオオオオオーーーーーン』
大地を震わせ骨すら揺るがすこの轟きは、象牙の角笛でしか実現できない。
羚羊や牛の角は彫れば素晴らしい音色を出すが、この天地神霊をも驚かせられる音は、あの山のような巨大生物の骨でしか成しえない大地の怒号。
獅子は吃驚して、口を放し振り返る。
飛び出したガガバーカは両手で角笛を支えながらゆっくり近づいてきた。
そして右手を離し、背後に回す。服の後ろに斜めに縫ってあった二つの環から槍を引き出すためだ。
やる必要があるなら負けるつもりはないが…とガガバーカは思った。
そして立ち止まり、深呼吸する。
『ブオオオオオオオオオオオオオオーーーーーン』
二回目は前回よりさらに長く、強く!
音が止まったら空かさず、
「うぁああああああああああ」って叫びながら、得物をしっかりと右手で挟んで掴み、今度は獅子に向かって突進する。
状況を未だ理解してない獅子は狼狽に逃げ出す。
賭けはガガバーカの勝ちだ。闘わずにして戦利品を得た。
突進の勢いのまま、ガガバーカは転ぶように前のめりになって、口を獅子の噛み跡にあてがった。
生き血だ。まだ暖かい。これでまだ生きていける。
欲がままに血を啜るガガバーカ。程なくしてその後ろからタリシテンもとことこ付いてきた。
ガガバーカは満足気に口を離し、タリシテンにそれを譲った。
生き返ったガガバーカは獅子の逃げた方向を見る。遠くは穴だらけの岩壁だった。
今回は運がよかった。大きな声を出しながら突進してきたアホ一人で何とかなったんだ。
次からはそう上手く行くまい。
あの獅子は諦めて行っちまったのか?まさか岩陰や穴の中に隠れたわけではないな?
そう思いながらガガバーカは警戒する。
ここは速やかに退去した方がいいな。
ガガバーカはあの牛のような物の腹をかっ捌き、携行可能な肝臓を一部切り取った。
ごつごつと皮を剥ぎ、肉を削ぎ落とす余裕はない。かと言って草の詰まった胃袋を持ってくのは割に合わん。
途中からそれを邪魔しに来たタリシテンもどうやら飲み足りてるらしい。口周りに付いてる血を舐め取らずに、いたずらに肉を引っ張り、噛み千切ろうとしてる。
潮時だ。
そう判断したガガバーカは左手で肝臓を担ぎ、その上にタリシテンをポンと乗せて、槍を右の脇に挟みながら風のようにこの場を去った。
角四本は牛じゃなくて、実はキリンやオカピの絶滅種仲間です。
そして獅子も現存の獅子ではなく、絶滅種のホラアナライオンである。
地形や生態はできるだけあの時代に合わせたかったため、4章は色々資料や本を参照しながら書いてました。最初の予想より遙かに大きく修正を入れてます。もとはアジアに生息する剣歯虎のホモテリウムにしたかったが、2.8万年前にアジア大陸で絶滅したので断念。
それでも強引な部分はあります。実はホラアナライオンの生息地は設定上の部族所在地からもっと北であるため、そこは「新しい縄張りを求めて南下してる」個体で許してほしいです。