第十章 〈カイシア〉の城塞④ 白と黒
剥片というのはつまり石のかけらのこと。
ガガバーカは今夜泊めてもらうことにした。
見張りから聞いた話だと、居宅は自分にも割り当てがある。
すぐに住めなくはないが、内部は整えていない。
ならばいっその事今夜はこの子の住処で泊めてもらうことにした。この〈カイシア〉についてもっと話も聞きたい。
自分を呼び止めたこの子の名前はチャピシュ。ムワイという人の息子らしい。
チャピシュの居宅は出会った場所からすぐ、あの黒〈カイシア〉との境い目の近くにある。
今回狩った象の取り分をもらい、ガガバーカはタリシテンを連れてチャピシュに案内してもらった。
ガガバーカが初めて足を踏み入れる〈カイシア〉人の居宅。
外から見たら木造の壁で四面を囲み、そして草と土を混ぜて固めたもの上に斜めで敷いてるようだが、
中から見ればちゃんと頭上は原木で支えていることがわかる。
一本大きめの横に数本短めの、その上に縦で支えて、ようやくその斜めの形を作り出している。
あまり組み立てることに詳しくないガガバーカでも、すごい知識の運用であることはわかる。
チャピシュから聞いたが、〈カイシア〉人の居宅は大きさも作りも大体このようだと。
確かに、この大きさなら家族と一緒に住んでも窮屈にはならない。
地面には特に何も敷いてないが、居宅の真ん中には石で囲んだ灰の敷き詰めがある。チャピシュはそれを『炉』と呼ぶ。
泊めてもらえた礼として、ガガバーカはタリシテンだけでなく、チャピシュにも肉を分けた。
チャピシュは二人分の肉を切り取り、その外側を隙なく包み込めるように湿った草で巻き付ける。
出来上がったものをそのまま『炉』の灰の中に埋め、ガガバーカはその灰の上で火を熾した。
灰の溜まりを見た時、ガガバーカはその用途を察した。
だが、ここからのことはガガバーカの理解を超えた。
チャピシュは燃えている乾草の上に革で作った何かを置いた。その中に水があるらしい。
ガガバーカは近くでそれを観察する。
それは二枚の革で縫い付けた口の大きく開けた水入れだった。
そして水の中に何か小さいものが入ってる。
「その『器』の中には水と種を入れてる」
と、チャピシュは困惑してるガガバーカに説明する。
あの食べられるつぶつぶが頭の中で思い浮かぶ。
「そう、あの草の種だ。あれを『脱穀』して煮えれば美味しく食べられるよ。」
でもこの革を直接火に入れて煮るのはもったいなくないかって、ガガバーカは心配する。
「大丈夫だよ。ちゃんと鞣した革で作ったものならばな。火が消えるまで中に水さえあれば燃えることはない。なんでなのかはわからないけどね。」
ガガバーカは驚く。この世に自分の知らない知識がまだいっぱいあった。
「あれもこれも全部父さんから教えてもらったんだ。」
と、チャピシュは懐かしそうに言う。
「爾の父は?ムワイという人だっけ?まだ戻って来ないのか?」
「父さんは死んだ。結構前に。」
揺らぐ火焔はチャピシュの顔を照らす。その悲しみとともに。
ガガバーカは掛ける言葉を見つからない。
そのままチャピシュと一緒に乾草が燃えるのを見た。
日はとうに沈んだ。
周りの居宅からは暮らしてる人たちの喋り声が微かに聞こえる。
けど炎の近くでは、それはパチパチとした音と沸騰する水のグツグツが織りなす煙に混ざり、かき消されていく。
さっきから音がしないと思ったら、タリシテンは既に自分の分の肉を全部食べて悠長に横になってやがる。
ふと何かを思いついたようなガガバーカは身を起こし、太めの薪を何本か持ってきて、乾草のとなりに置いた。肉から削ぎ落とした脂を上につけ、乾草から引火させた。
やがて乾草は燃え尽き、熾火が仄かに赤く光り、息をする。
もっとも、隣の薪と比べれば、それはまるで命の最後を迎えている獣のようだった。
革で作った『器』の中から、少しいい匂いがする。
水がだいぶ減って、逆につぶつぶが膨らんだように見える。
「もうちょっとしたら、下の肉もそろそろできあがるだろう。」
チャピシュは石の剥片数個取り出し、その器を剥片で引っかけて、余燼から引きずり出した。
そしてガガバーカにも剥片を一枚渡した。
「こういう調理初めて見るでしょ?食べてみて?」
ガガバーカはその少し凹んでる欠片を手に取り、前屈みで器から少し掬った。
いい香りがする。
暫くふーふーしてから、口に放り込んだ。
生の時より柔らかい、今までになかった食感だ。
思わず顔を上げてチャピシュに向かって首を縦に振る。
「この種は殻が軽いから、すりつぶしてから口で吹くだけで簡単に分離できる。その後種だけ集めて水で煮る。ここの人たちは皆こう食べてるの。」
ガガバーカはもう一口を楽しみながら、首をゆっくり振り続ける。
そして何か思いついたように、視線を灰に向けた。
「肉を出そう。」
二人は大きめの欠片で灰を払い、さっきと同じ要領で中から焼いてた肉を引っ張り出した。
包んでるはずの草がかなり焼け落ちていて、
取り出された時の肉はいい音を奏でながら油と汁が滲み出ている。
そしてガガバーカは切るための鋭い剥片を手にして、肉の筋目に沿って薄い一枚を切り落とす。
そしてその上に煮えた種を乗せて、巻いて口に入れた。
「我ならこう食べるね。」
と、不敵な笑みを浮かべながら言う。
ガガバーカから肉を一枚渡されて、チャピシュもすぐにその食べ方を真似してみた。
草の匂い、種の香り、そして肉の油。
それだけじゃない。こんなに食べられるのもいつぶりだろう。
チャピシュはそれだけで今日この男を呼び止めたことに意味を感じた。
思わず涙ぐむ、が、そっと堪えた。
その後、二人はずっと黙々と貪り続けた。
巻く種がなくなったら肉だけを大きめに切ってまた炙ったり、隠し持ってた塩の塊を付けたり。
この出会いはこの二人にとって実に革新で、有意義だった。
食事を済ませたあと、ガガバーカは『炉』の近くに毛皮を敷く。
まだ薪は燃え尽きていない、身体が冷める前に寝ようとするガガバーカ。
お腹いっぱい食べて満足したからか、その背中を見て、チャピシュは語り出した。
それはこの〈カイシア〉のこと。そして父のこと。
ガガバーカは黙ったまま聞くことにした。
この〈カイシア〉が急な拡大と成長を実現した背後では、暗黙な掟も出来てしまった。
その中の一つは、あの黒〈カイシア〉だ。
何かの不運や病に見舞われ、もしくは老いて衰弱になり、だけど見てくれる家族がいない人たちは
あそこに移される。
これは単なるシア長とかヤクウィンとか誰かが決めたことではなく、皆そういう人を疎み続けて、やがて出来た『流れ』だ。
誰かが『責任』を持って決めたことじゃないからこそ、誰もその『流れ』に異議を唱えようとしない。
そもそも〈カイシア〉では決定したことに異議を唱える人ですらそういない。何かの間違いで皆に遠ざけられ続けたら、いずれ自分も黒〈カイシア〉に行くことになっちゃうから。
あそこが黒と呼ばれることに連れて、一部の〈カイシア〉人の中では高地に位置するここを白〈カイシア〉とも呼び始めた。
もっとも、同じく〈カイシア〉の城塞の中にいるから、とりわけ悲惨なことに遭うということもない。せいぜい低地に住む人々に分け与えられる食糧がちょっと少なく、水も高地に流れる用水路の下流くらいだ。
しいて言えば、病人が多いから死人が出やすい。
でも見張りはちゃんと片付けてくれるから、特に死体が晒されて腐ったり虫が集ったりはしない。
今の自分とは無関係とは言え、聞いてて気分がいい話ではない。
身よりがいないから、いつか自分もそこに行っちゃうかもってガガバーカは嫌でも考えてしまう。
チャピシュの父、<ムワイ>はこの〈カイシア〉では巫を任されていた。
ただしガガバーカの所の巫覡婆とは違って、占いと神事はしていない。
薬だ。
ムワイという人は草の弁別やその効能に精通している。
どんな病に対して何かをどのように使って治すのかを熟知する、それも巫の務めだ。
チャピシュの父はそれに長けている。
そして実際に「食べられる草は種から植えることができる」ということを発見したのもムワイだった。
そんな人だが、よく低地でも高地でも病人を診て回っていた。
そしてある時、自分もある病人と同じ病にかかり、程なくして亡くなった。
息子を残したまま。
その功績を讃えられて、まだ何も出来ないチャピシュは黒〈カイシア〉に移されずに済んでいた。
「父さんが死んでから、ずっと一日一回しか食べてなかった。」
「今日肉を持ってきてくれてありがとう、ガガバーカ。」
小声でそう言い終えると、チャピシュは寝息を立て始めた。
毛皮に包まったガガバーカは薪の燃えさしを眺めながら、ここに来てから見た聞いた感じたものを思い返す。
全く不思議な感覚だった。
最終面談のヤクウィンたち、この場所の掟、ムワイとチャピシュ……
父よ、兄よ。
何で我は狼とも通じ合えたのに、ここの人間たちの考えることをうまく理解できないのだろう。
もしこのままここで暮らしていたら、分かるようになるのかな?
父よ、兄よ。
我はまだ非力だ。
どうか幼いこいつらだけでも、無事に育つことを祈ってくれよ。
チャピシュに関して自分の思い付いた第一印象なんだけど、◯ンポリオに似てるって感じ。
というか最近どんどん字数多くなってきているね。