ミカエル・サンドラ侯爵夫人のお茶会(セレン視点)
「この甘酸っぱくて、とろとろさくさくのお菓子はなんですか!?」
「それはレモンタルトですわ、メアリージェニー様」
「レモン!!魔界では食べないです!こんなにおいしいんですね!」
「もちろん、こちらでもそのまま齧ることはあまりしないですわ、酸っぱいですから。でも、色んなお料理に使うと、こんなにも美味しくなります」
「へええ!レモン、偉いです!」
ぱくぱくぱくぱく子どもみたいに頬張る様を微笑ましく見つめるミカエル・サンドレ侯爵夫人とトロット・シュバルツ伯爵令嬢。
ちょっと引き気味で見ているその他のご令嬢。
「メアリージェニー様、なんて可愛らしいのでしょう。ずっと見ていたいですわ」
「本当に、ふふふ」
サンドレ侯爵夫人とシュバルツ伯爵令嬢のほわほわした会話とは反対に、ひそひそ話をするその他のご令嬢。
「魔界、やはり魔界から来たのよ」「穢らわしいわ」「こちらが食べられてしまいそうね」「もう、早々に帰りましょうか」
などと言っている。
そのひそひそ話を制するように、シュバルツ伯爵令嬢がにこやかに話しかけた。
「成人祝いに来ていただいたと聞いたのですが、お会いできずに残念でした。探したのですけれど…」
「お礼状が届きました!綺麗な便箋でした!」
「沢山あるので、良かったら差し上げますわ」
「良いのですか!?嬉しいです!」
サンドレ侯爵夫人は「ん?」と首を傾げる。
「シュバルツ伯爵令嬢の成人祝いに、フェンネル公爵様はいらっしゃいましたよね?私てっきり公爵様だけが来たのかと…」
「はい。公爵様にはご挨拶できました。公爵様もメアリージェニー様と一緒にいらっしゃったと聞いたのですが、お会いできずに…」
これはまずい流れかも知れない。
公爵様が置き去りにしたなどと噂されかねない。
だが、侍女である私はただ主人に付き従うだけの身。行く末を見守るしか他に術はあるまい。
「はい、庭でパーティするからここで待ってろと言われました!」
二人はギョッとして顔を見合わせる。
「あの日は雨で…サロンの開催となりましたが…」
「後で公爵様からそう聞きました!」
「ちょっ、ちょっと待って、メアリージェニー様」
サンドラ夫人はチラッと私を見て言いにくそうに小さい声で続けた。
「それは…公爵様が庭で待てと言ったの?」
メアリージェニー様はぶんぶんと首を横に振った。
「私、馬車で靴を履き替えたのです。フェンネル公爵様は先に行ってしまったので、後を追いかけたら、女の人に言われました。「庭園でパーティするから」と。それで庭に案内してもらったのです」
シュバルツ伯爵令嬢は、片手をそっと上げる。
「私の屋敷の者には、雨が降りそうだからサロンに案内するよう指示してありますわ。それはどんな方か覚えていらっしゃいますか?」
「侍女の方だと思いました。そういう格好をされていたので」
シュバルツ伯爵令嬢はうーんと唸ってしまった。
「ならば私は屋敷の者に問いただしましょう。必ず誰か突き止めます」
「なぜです?楽しかったですよ」
「客人を、しかも聖女様を雨の中お待たせするなんてとんでもないことですわ。主催者としてお詫び申し上げます。大変申し訳ございませんでした」
シュバルツ伯爵令嬢は立ち上がり頭を下げた。
「頭を上げてください。それより、おめでとうが言えなくて申し訳ありませんでした。シュバルツ伯爵令嬢、改めまして成人おめでとうございます!」
「メアリージェニー様…」
じぃーんとしている。青い目がゆらゆらと揺れた。
その横で、その他のご令嬢たちのヒソヒソ話は盛り上がるばかりだ。
「シュバルツ伯爵令嬢様が頭を下げることがあるかしら!?」「雨晒しにしておけば良いのよ!」「私だったら屋敷に入れたくないわ」
今すぐその口を縫い付けてやりたくなる。
あの日、私たち使用人がどんなに心を痛めたか。
「必ずや、とっちめますわ!ねえ、サンドラ侯爵夫人!」
「勿論ですわよ!ねえ、シュバルツ伯爵令嬢!」
「でも、私人間界に来てからあまり歓迎されないです。お屋敷の皆さんには良くしてもらってますが…」
これにはサンドラ侯爵夫人が申し訳なさそうにしている。
「結婚式の時、貴方を邪険にする言い方をして申し訳ありませんでした。あれは私が誤解していたのですわ。メアリージェニー様は本物の聖女様、かけがえのない存在だわ」
ヒソヒソ話しをしていたご令嬢達に向かって言った。当人達は扇で口元を覆いながら、びくりと肩を震わせた。
「女癖の悪かった主人が、今では人が変わった様に私一筋になりましたの。聖女様の祓いのおかげですわ」
「まあ!それは本当!?」
(浅ましい…)
今まであれほどヒソヒソコソコソしていたご令嬢の一人が手のひらを返した。
当然と言えば当然だろう。
サンドラ侯爵といえば、婚約後、浮気ばかりで有名だったのだから。
「私が一番信じられませんわよ。毎日私より早く起きて、甘い声で起こしてくれますの。仕事中も暇さえあれば屋敷に戻ってくるし、一秒でも早く帰れる様にと早馬で帰ってきますわ。危ないからやめてと言ったのですけれど「早く君を抱きしめたいじゃないか」と聞いてくれませんわ。夜も私が眠るまで髪を撫で上げてくれるのですよ」
体を捩らせて、甘い新婚生活を惚気た。
サンドラ侯爵夫人の周りに、桃色のオーラが見える気がする。
「メ、メアリージェニー様!私八月に結婚しますの!!祓いの儀式やってくださるのですよね!?」
「あら!なら私が先だわ!!私は来月です!本当に効果がおありに!?」
「私は来年よ!先月婚約しましたの!来年も勿論メアリージェニー様が変わらず聖女ですよね!?」
「まだ良い話がありませんの!私が愛する人を振り向かせることはできなくて!?」
まるで弾丸の様に、口々にメアリージェニー様へと言葉が飛んだ。
(だめだ、完全にキャパオーバーしていらっしゃる…)
メアリージェニー様は目を回した様にくるくると瞳が回った。
(今まで散々陰口を叩いておきながら、都合の良い人たちだ)
見かねたシュバルツ伯爵令嬢が制した。
「お待ちになって。聖女様はその勤めを果たす為に来てくださったのよ。きちんと神殿で挙式を上げれば聖女様の祓いは行われますわ。それより、今までのメアリージェニー様への態度を謝罪した方がいいですわね。サンドラ侯爵夫人が幸せそうなのを見て手のひらを返すなど、見ていてこちらが恥ずかしいわ」
陰口を叩いていたのは、どのご令嬢も子爵や男爵の家門である。
伯爵令嬢からの窘めには自身の態度を恥じるよりなかったらしい。
それぞれが頭を下げて、早々に帰っていった。
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「それで、トロット・シュバルツ伯爵令嬢からお詫びの品が届いたのか。こんなに沢山…」
「はい!シュバルツ伯爵令嬢様から申し訳ございませんでしたと言われました。でもこんなにお菓子をもらえるなんて、嬉しいでしかないですね!」
「まあ、招待客が全員中に入ったのか確認しなかった落ち度はあるだろうからな…」
「それから、今日お邪魔したサンドラ侯爵夫人からもレモンタルトが美味しかったと言ったら、お土産でも頂きました!」
「話し聞いてる?」
「フェンネル公爵様も一緒に食べましょう!」
「…一緒にって、お前さっき食べたんだろ?」
「美味しかったです!」
主様は頭を抱えていらっしゃいますが、こんな主様は今まで見たことありませんでした。
寡黙で、真面目で、実直でお堅い人だったのに。
面白いものです。
これもメアリージェニー様のおかげなのでしょう。
「お前が楽しめたのならそれで良い」
「はい!」
「珈琲にしようか。おい、頼んで良いか?」
そんなに嬉しそうな顔で用事を申しつけるのも、今までにないことです。
「かしこまりました」
私が珈琲を用意していても、楽しげな会話が聞こえてくる。
「見てください!シュバルツ伯爵令嬢様から便箋もらいました!綺麗でしょう?」
「ほお?…これ、お礼状でもらった便箋と同じか?」
「そうです!綺麗でした、と言ったら貰いました!」
「良かったなぁ」
くすくす、と笑いが込み上げて来たけれど、気づかれない様に背中を負けた。