雷鳴に隠れた悪意(フェンネル公爵視点)
「そろそろ昼餉ですね。主様、メアリージェニー様を呼んで来ていただけます?」
「何で俺が…」
俺が率いるフェンネル騎士団の稽古が終わったばかり。
汗を拭いていると、唐突にそんな事を言われた。
「ふふふ。うふふふふ」
「なんだよ…」
侍女長、セレスの様子が変だ。
「メアリージェニー様には、とびきりおめかしをしてもらいました!なんでか分かりますか?」
「えっと?確か…シュバルツ伯爵令嬢の成人祝いに呼ばれているからか?」
「御名答です」
(ビシッと指されても嬉しくないのだが)
「それがなぜ、俺が呼んでくる理由に?」
「可愛いからとにかく見てくださいと言う事です」
「はあ?なんで俺が…!!お前達最近変だぞ!」
「だって、私達、メアリージェニー様が来るのを楽しみにしていたんですもの!!」
屋敷の者に苦労をかけると思って、ずっしり重たい気分で魔王の娘の後継人に選ばれたと説明した日、「あらあらまあまあ!」と全員が鼻息荒くして目を輝かせていた。
(理解に苦しむ…)
「丁度南部神話をみんなで回し読みしていた頃でしたから…冥王といえばハデス様でしょう!?もうドキドキドキドキ、毎日胸が高鳴りながらメアリージェニー様のそれはそれは美しいお髪を梳かしておりますの」
胸の前に手を当ててうっとりしている。
「お、おぉ…?」
「知っていますか!?メアリージェニー様のお髪はもう、とぅるんとぅるんなんですよ!!!」
「う、ん…」
「なんでちょっと引いてるんですか!」
「いや、勢いがすごいな、って…」
「もう!主様だって、最近美味しい思いをしているはずですよ!」
「確かに、最近の食事はどれもこれも豪勢だが…」
「元より料理長のシィミーが、メアリージェニー様の為に腕によりをかけるつもりでしたけれども、ジャガイモ事件があったでしょう!?」
「じゃ、がいも?」
初日のあれか。
「もう、それで心をすっかり射抜かれてしまったんですよ。なんて慎ましい方なのだろう、と!」
「慎ましいのか?まあ、慎ましいのか…」
「あ、それですよ!その顔!どうしてメアリージェニー様に素っ気ないんです!?本当は気になって仕方がないくせに」
「き!気になってなどいない!!」
「知らないのですか!?この前の結婚式だって、主様に迷惑をかけられないからと、夜も寝ずにマナーの勉強をされて!」
(それは、知らなかったな…どうりで…)
「もう!ムキにならず、呼んできてください!(主様とメアリージェニー様が一緒にいるのが堪らない)」
「何か聞こえた気がするんだが…」
仕方なく、メアリージェニーがいるという庭園に、彼女を呼びに行った。
ひょこっと顔を出すと、庭師のテイラーがメアリージェニーとにこやかに話をしていた。
「それは薔薇ですから、棘がありますので、気を付けてくださいね、レディ」
「なんと!植物なのに棘があるんですか!?偉いですねぇ」
(なんだよ、偉いって)
「おーい、昼餉の準備が…」
振り向いたメアリージェニーは、いつもより少しだけ輝いて見えた。
(?…ドレスが最近の流行のものなのか?化粧が派手なのか?)
こちらをじっと見つめて、桜色の唇がわずかに開いた。
「フェンネル様!すごいですね!お花がたくさんです!」
「そんなに珍しいものも無いが…テイラーがきちんと手入れしてくれるので、うちのはどこの花よりも生き生きしている」
「そうなのですか!テイラーってすごいのですね!お花の色もこんなにたくさんあるなんて!人間界ってなんて素敵なんでしょう!!」
そうか、輝いているのは、君の瞳なのか。
その輝く瞳は、地面に視線を落として、俺の足元に手を当てたので、瞬間的に驚いて大きく跳んで退がり、抜刀してしゃがんでいるメアリージェニーの顔に切先を向けた。
「フェンネル様?」
「何をしている?それはなんだ?何の真似だ?」
地面に手をつけるなど、魔界と繋がろうとしているのじゃないのか、汗が頬を伝った。
「主様!!メアリージェニー様は…」
「テイラー!お前は黙っていろ!」
メアリージェニーは臆することなく、無言で立ち上がると、腕を肩の高さまで上げて、葉にそっとバッタを乗せた。
「大丈夫、フェンネル様は気が付かなかっただけ。踏み潰すつもりなんかなかったから。怖がらずにもうお行き」
ぽんぽんと手を叩いて、それから俺を睨んだ。
「バッタ…それだけか…?」
「…気を付けてください。可哀想に、怖がっていました」
スタスタと俺の横を通り過ぎて屋敷へと向かう。
こちらを向く事なく「昼餉でしたね」と言って去った。
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大変気まずいままに、食卓には料理が並んでいく。
これから成人祝いのパーティーがあるので、軽めの昼食である。
(どうせ食べ始めたら、うまいうまいと五月蝿くなるだろう)
けれど、もくもくと食べ進める音だけが響いた。
給仕係が二杯目のオレンジジュースを注いだ時、すごい罪悪感が心を占拠した。
「あ、あの、メアリージェニー…」
「フェンネル公爵様は、私を殺すんですか?」
「……それは…俺はお前を信用していないと言ったはずだ」
(くそ!こんなこと言いたい訳じゃないのに!)
「そうでしたね!私、信用されてないんでした!」
たはーっと笑って、それから「美味しい美味しい」と言いながらサラダをつついていた。
「ちょっと!主様!!」
侍女長のセレスがオロオロしていたけれど、俺だって自分が悪いことくらい分かっているさ。
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シュバルツ伯爵邸は我が家からそう遠くはない。
晴れているが雨の匂いがする。
もしかしたら、夕立が来るかもしれない。
庭での立食パーティーと聞いているが、大丈夫だろうか?
メアリージェニーは慣れないヒールで足を痛めないように歩きやすい靴を履いていたため、馬車で履き替えていた。
「フェンネル公爵様、本日は庭園で開催する予定でしたが、雨の懸念がありますため、サロンでの開催となりました。こちらへ」
「あ、ああ」
シュバルツ伯爵邸の執事が、先導して案内してくれた。
(まあ、後で来るだろう)
シュバルツ伯爵はシャンパンや葡萄酒など酒類の事業を広く展開している。
今日も成人パーティとあって、たくさんの酒が並んだ。
この後も稽古があることを考えると、酒は乾杯だけで、後は固辞した。
それにしても、色とりどりの豪勢な料理である。
(メアリージェニーは大喜びだな)
ふと声をかけられる。
「フェンネル公爵様にお目にかかります、トロット・シュバルツでございます」
「これはこれは、成人誠におめでとう御座います。本日はお招き頂き、感謝申し上げます」
「今日は聖女様にお会いできると思って、本当に楽しみで…あら?ご一緒ではないのですか?」
(どうやら、あいつを歓迎しない者と大歓迎の者と、2種類いるらしい…)
「三度の飯より飯が好きなもので、多分その辺の料理をうまいうまいと食べているのでしょう、探してきますか?」
「まあ!せっかく楽しんでくださっているのなら、申し訳ないですから…見かけましたら、ぜひお声がけしますわね」
このシュバルツ伯爵令嬢というのは本当に気遣い心配りのできる素晴らしいご令嬢だ。
これから社交界で活躍するのが楽しみである。
ピシャ!!!ドドーーーン!!
「きゃああああ!!」「きゃーーっ!!」
突然の雷鳴に、ご令嬢達から悲鳴が上がった。
悲鳴に負けないほどの激しい雨音だ。
「酷い夕立みたいですわね。どうか、時間が許す限り雨宿りをしていってくださいませ。では」
ぺこり、とお辞儀をして去っていった。
その向こう、ぴたっと目線が合う。キュレー・トワトソン伯爵令嬢だ。
にこり、と微笑みこちらに近づいて来た。
「こんにちは、5日ぶり、かしら?エルシー」
「愛称を許した覚えはないのだが、どういうおつもりですか?」
「酷い方、私とは遊びだったのですか?私、貴方とはいずれそうなると思っていましたのに」
「怒っているのは君だろう?」
「ええ、怒ってますわよ。誰だって意中の方が他の女と暮らすなど良い気持ちな訳ないじゃないですか」
「他の女って言ったって、あれは魔界出身だぞ!?」
「だから?だからなんですか?馬鹿にしないで」
「…君に事後報告となったことは謝る。申し訳なかった。でも、あれは王命で…」
「なら!私と婚約してください!」
「っっ!!!」
「貴方は私のものだと、そう言ってください」
ピシャ!!!ゴロゴロ…
窓の向こうで光る雷が、キュレーの顔を翳らせた。
「すごい雨ね…」「降る前に、サロン開催に切り替えて良かった」などと言いながら、執事や侍女が忙しそうに脇を通り過ぎて行った。
ハッとする。
辺りを見渡す。反対も見渡す。
キョロキョロとする視界は筋のよう。
(どこ、どこだ)
「おい、まさか」
小走りに駆け出した。
「ちょっと、返事がまだ…」
「言っておくが、俺は誰のものでもない」
「エルシー!!」
玄関を出て、土砂降りの雨の中、走った。
視界が悪い。泥が跳ねる。生温い雨だ。
雨を含んだ服がずっしりと重たくなる。
広い庭の真ん中に、メアリージェニーは立っていた。
結っていた髪は崩れ、雨に晒されるまま、ただそこにいた。
「おい!何やっているんだよ!」
「フェンネル様!やっと来ました!誰も来ないですねぇ」
「この雨だからな、中で……誰にも案内されなかったのか?」
ぶんぶんぶんと頭を横に振った。
「ここで待っていろ、と言われました。お庭じゃないのですか?どうしてですか?」
「どうしてって、君……」
ぎゅっと唇を噛んだ。
なんできょとんとした顔で見るんだよ。
「誰に言われた?」
「ここの人なのですかね?分かりませんが、侍女の方だったと…」
(くそ、なんでちゃんと一緒にいてやらなかったんだ!)
「すまなかった、メアリージェニー。もう、帰ろう?」
「え、ご馳走は!?」
「いやいや風邪引くぞ!シィミーにとびきり美味いものを用意させるから、今日はうちで食べなさい」
「う、シィミーのごはん、美味しくて心がこもっていて好きです。帰りましょう!」
なんでそんなに、にこにこできるんだ!?俺を責めないのか!?
気がついたら、君を抱きしめていた。
「こんなにずぶ濡れにさせて、すまない。俺が一緒についていれば…」
「?魔界では雨が珍しいので、嬉しいです!」
「ふっ…魔界では珍しいのか」
「すごく珍しいですね!」
ジャケットを脱いで、メアリージェニーの頭からかけた。
「おい、走るぞ」
「う、ぬかるんでいて、この靴走るの難し…」
メアリージェニーを両手で抱えて、馬車まで走った。
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夜、寝る前君を晩酌に誘った。
「酒は飲めるか?」
「父とへべれけになるまで飲んだりしました!」
「そうか、俺はあまり強くないんだが、一緒に飲むか?」
30年ものの赤ワインを開けた。
つまみはチーズとクラッカーだ。
グラスを傾けて一気に飲み干したメアリージェニーは、突然目を回して倒れた。
「おい!どうした!急に…」
「つ、強い……このお酒、強いです…」
「一杯飲んで目を回すほどの度数じゃないぞ…強いんじゃないのか?」
「そのはず…だったんですけど……魔界のお酒、こんなに強くない…きゅう…」
「俺でも二杯くらいなら大丈夫なのに…仕方ないな…ほら、こんなところで寝たら風邪引くぞ」
「うぅーー…み、みず…」
メアリージェニーを抱き寄せて、水を口に含ませるが上手く飲んでくれない。
頬が真っ赤だ。閉じた瞼のまつ毛は涙で光っている。
今日一日のことが、一気に胸を襲った。
雨の中の君は、信じられないほど美しかった。
「全く、世話の焼ける…」
水が入ったコップを煽って、口移しで水を飲ませた。
透き通る陶器のような喉の奥がごくり、と鳴る。
(飲めたみたいだな…)
ホッとした後、すごい罪悪感が生まれる。
「俺も酔ってんのかな…最低だ…」
「…ん、水美味しい…」
「もう、寝てしまえ」
(どうかしている)