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第五章

「起きろー!」

 彼女に体を揺らされて目を覚ました。車窓には見慣れた街が流れ込み最寄り駅まで数分で着くことを理解した。せっかくの休日に海辺から山の麓の神社まで歩かされた僕の体は疲れ切っていた。そんなことお構いなしで彼女が話しかけてくる。

「ねえ、どんな夢見てたの?」

「君と喧嘩をした時の夢だったよ」

「懐かしいねぇ〜 あれでしょ、君が仲直りしたいって泣きついてきた話でしょ?」

「かなり記憶が捻じ曲がっているね……」

「捻じ曲げてこその記憶だからねっ」

 やけに嬉しそうな彼女の姿がやけに儚く映った。それが、車窓から射し込む消え掛けの斜陽のせいなのか、それともさっき見た夢のせいなのかは分からなかった。

「それなら、どうしてもピアノを弾いてほしいって君が泣きついてきたよ」

「臆病な君を救ってあげたの間違いでしょ?」

「絶妙に反論しづらい発言はやめてほしいね」

「でも、君が救急車を呼んでなかったら、今もまだ病室で寝たきりだったかもね」

 言い過ぎたと反省したのか、彼女はフォローを入れてくる。

「また、絶妙に突っ込みにくい記憶を掘り返して……」

「そんな時期の夢を見る君が悪いね」

 その通りだ。あの時期の記憶はどこを切り取っても気まずさが流れてしまう。それほど迄に僕らはお互いを曝け出していた。その行為が必要だったから。

 最寄駅に着いた。ゆっくりと降車して、長時間の乗車で凝り固まった体をほぐすために大きく背伸びをする。彼女も一緒になって大きな背伸びをしていた。

 そして彼女は、切符回収箱にサイン入りの切符を入れ込む。

「これで、この駅も私を忘れられないねっ」

 そう言い残して駅を後にする彼女は満足そうだった。今日の予定を全て終えた僕らは帰途につく。結局、出番のこなかったギターが気になって仕方なかった。

「何でギター持ってきたの?」

「あー、この子は私の代わりだからね」

「君の代わりを熟るなら、家で課題でもさせて置いた方が……」

 僕は高価なギターを不用意に外に持ち出さない選択肢を提案した。何かの拍子でぶつけるかも知れない。そんなリスクに晒して良い値段じゃない事を僕は知っている。

「発想に夢がないね」

「課題を熟せるなんて夢の塊だよ」

「まあ、何でも良いけど後継者は君だから、ちゃんと可愛がってあげるんだよ」

 彼女の発言の意図には気が付いていたけれど深くは触れないようにした。僕の話術では、どう頑張っても暗い方にしか舵が切れない気がしたから。

「そうだね、定期的に埃は払っておくよ」

「あー、先輩に怒られてしまえ!」

「そんな高価なギターをペットみたいに散歩させてる方が怒られる気がするけどね」

「先輩は沢山触れ合えって言ってたもん!」

 先輩の願いを汲み取るなら彼女が正しい。高価だからと触らなければ存在しないのと変わらない。沢山触れ合って減価償却していく方がその物の価値を享受していると言える。ただ、演奏をしなければ先輩の意思から逸れている気がするけれど。

「触れ合うのも大切だけど演奏しないとね」

「なら、せっかくだし公園で無料ライブでもしようかな」

「もう時間も遅いから迷惑だよ」

「ぐぬぬ」

 彼女は返す言葉を見失って、露骨に落ち込んでいた。

 ぶっ飛んだ発想する彼女でも一般常識は兼ね備えているらしい。

 周りの迷惑になることは避ける、その選択が彼女らしいと思った。

 暫く道なりに歩いた。 

 生産性の欠片もない会話をしながら家を目指して歩いた。

 この何気ない日々に名前を付けるなら幸せって言葉がしっくりくる。

 そんな想像に気を取られていたその時、彼女が何かに気が付いて走り出した。

 横断歩道のない道路にボールを追いかけて飛び込もうとする少年の手を掴んだ。

 同時にトラックのクラクションが鳴り響く。

 大型トラックが急ブレーキを踏んでも止まりきれずにサッカーボールを轢き潰した。

 彼女が少年の手を引き留めてなければと恐ろしい想像が脳裏を過った。目の前で原型を失くして押し潰されたのが少年の体躯ではないだけ良かったと胸を撫で下ろす。

 運転手のおじさんが大型トラックの窓から顔を出して「危ねぇだろ坊主、気をつけろ」と声を荒立てる。少年は泣きながら謝った。言い過ぎだと思ったのか、運転手は千円札を数枚取り出して「これで新しいボールを買え。危ねぇから道路には飛び出すなよ」と言い残して姿を消した。

 彼女も同調して「もう道路には飛び込んじゃダメだよ?」と少年を諭す。

 少年は涙を拭いて唇を噛みながら深く頷いた。

 夕日が完全に沈み切る前の夕方と夜の境目の出来事だった。

 僕らは少年を家まで送り届けることにした。彼女は少年と一緒に童話を口遊みながら歩いた。少年が替え歌紛いの合いの手を入れる。学校で流行ってるのだろうけれど小学校低学年の子供が語感だけで嵌め込んだ歌詞は奇想天外だった。ただ、その発想力は僕らが大人になるに過程で失ってしまう創作に於いては大切なものな気がした。

 少年の家に着く前に偶々スポーツ用品店があったから、トラックの運転手の残したお金でサッカーボールを買った。彼女は徐にペンを取り出してボールに署名する。

 彼女は笑顔で「これで私を忘れられないね」と少年に署名を見せつける。

 少年は不思議そうに「僕のボールだよね?」と疑問を呈する。自分の持ち物に名前を書くように教育される小学生としては正しい反応だと思った。

「私のサインを貰えるなんて光栄なことなんだよ」と彼女が熱弁をする。

 正直な少年は首を傾げながら“要らないけど”って顔をする。忖度を知らない子供の恐ろしさを肌で実感した。

 まあ、僕も少年と同じ歳だったら別に要らないって表情をするだろうけれど。

 少し歩いて少年の家に着いた。母親に事の経緯を説明して、少年に別れを告げた。

 少年と母親は、僕らが視界から消えるまでお辞儀をし続けていた。お辞儀の対象は多分、僕じゃなく彼女だったけれど長く深い丁寧なお辞儀に人の良さを感じた。

 少年と母親のやり取りを見て優しくも厳しく子供を叱りつける母親は、どの家庭も同じなんだと安心した。少年はこれで不用意に道路に飛び出してはダメだと知った。

 だから、今日の出来事は少年には必要だったのかも知れない。

 そんなことを考えながら歩道を歩いていた。

「きっとあの子は将来的に大物になるね」

「えっ、それはサッカー選手として?」

「違うよ、大統領とかになる器だってこと。だって、私のサインに顔を顰めていたんだから」

「あっ、根に持ってるんだ」

「根に持ってなんかない」

「そうは見えないけど」

「まあ、別に良いもんね。サッカーボールにでっかくサインしてやったから!」

「これは根に持ってるね……」

 彼女は笑いながら「冗談だよ!」と言った。少年の顰めっ面を見た時の彼女の表情を思い出すと冗談じゃない気がして突っ込みたくなったけど、今日の活躍を考慮して我慢した。それ程までに大きな功績だった。彼女は反射的に体が動いただけと言っていたが、反射的に善行を積めるのは細胞単位で良心が身体に染み付いているから。

 口には出さないが彼女の生き様を尊敬している。それは、僕には存在しないもので溢れているから。彼女は、今の世の中では希少価値になってしまった『善意』を感情の中心に持っている。

 僕みたいに人に迷惑をかけない方法を探したりはせず人が喜ぶ方法を探し当てる。

 決して後ろ向きには歩かない。

 常に前進して向かい風に立ち向かう。

 それが僕の知っている彼女だ。

 夕日も沈み切って常夜灯が役割を持ち始めた頃、彼女の家に辿り着いた。

「それじゃまたね、ちゃんと歌詞を考えるんだよ?」

 彼女は僕に忠告する。昨日、音楽室で彼女が演奏したメロディに歌詞を書く依頼を受けたことを思い出す。歌詞については依頼を受けた時点である程度は決まっていたから問題ない。

「そうだね、形になったら君に見せるよ」

「よし、約束だよ!」

 彼女が玄関の扉を閉めたのを確認して僕も帰路に着く。見慣れた景色に目を向けて彼女から依頼のあった歌詞を考えながら歩いた。

「例え話、言葉を失うならそれを歌にしよう……」

 僕は小さく呟く。これまでに彼女がした例え話を、幾つか思い出してメモ帳に書き溜める。三分程度の曲では彼女との記憶を詰め込むには手狭だった。

 取捨選択を迫られて何を捨てて何を残すかを考える。

 そんなことで悩める程、僕の人生の軌跡には彼女との記憶が溢れていた。

 日曜日、眠気に従って昼まで寝ていた。彼女に起こされない休日は半分以上を睡眠で消費する。生まれつきの体質上、仕方ないけれど人よりも可処分時間が少なく損した気分になる。

 起床してすぐパソコンの画面と睨めっこをしていた。パソコン上で音を鳴らすためにDAWと呼ばれるソフトウェアを起動する。変な周波数のマークや、音量の摘みが羅列された画面は難解だったけれど勉強の成果もあり理解できるようになっていた。

 メロディに歌詞をはめ込む。何かが違う気がしてやり直してを繰り返す。

 創作活動の泥臭さに嫌気がさすけれど有名なアーティストが言っていた「メロディも歌詞も天から降ってくるものじゃない、泥臭く探すものだ」との発言を糧に画面と睨めっこを続ける。

 気がついたら夕陽が窓から顔を覗かせていた。一旦、休憩を挟むつもりでスマホに手を伸ばしたら一通の通知が来ていた。五分前に彼女が送ってきたものだった。

【明日から入院することになっちゃった、てへっ!】

 それは、幾ら明るい文面で誤魔化しても誤魔化しきれない不芳だった。容態の悪化は単純に死期の近さを表している。そんな気がして仕方がなかった。

 僕は返信する文字を必死に探した。明るく振る舞う彼女の文面に相応しい返信しなければいけない。作詞なんかより何百倍も難しい作業だった。

 必死に記憶を辿って探した言葉を文字に起こして送信した。

【お見舞いに行くよ。メロン食べたらすぐ治るでしょ】

 彼女が以前、入院した時の発言を引用した。どんな薬剤よりもお見舞いのメロンが治療に寄与したと言っていた。だから、その言葉を盲信した。

 数秒も経たないうちに返信がきた。

【今から会えない?】

 文面はシンプルだった。きっと、その中には文章には書き起こせないほどの想いが詰め込まれている。僕は彼女からの文面に合わせて簡潔に返信した。

【いいよ】

【なら部室に集合で!】

 僕が“いいよ”と返信するのを予測してないと不可能な速度で返信がきた。

 まあ、彼女のことだから僕が無理だと返信しても強引に連れ出すに決まってる。

 両親には部室に忘れ物をしたと伝えて家を出た。

 夕焼けが町を橙色に染め上げていた。

 いつもは学生服で通る通学路を私服で駆け抜ける。走る必要なんてなかったけれど身体が勝手に走り出していた。敢えて理由を付けるならこれまでの経験が嫌な予感を走らせたから。上がる心拍数が不安を掻き立てたから。

 一秒でも早く彼女に会いたかったから。

 信号機に足止めを食らう。いつもより長く感じる赤信号に、苛立ちを覚えながら足踏みをしていた。信号機が青に変わってすぐ僕は走り出した。

 対岸から仲良く手を繋ぐ親子がゆっくりと歩いてくる。すれ違って僕が横断歩道を渡り終えようとした時、背後で子供が転けて泣く声がした。振り向くと、母親が子供を起こして慰めている姿とスピードを緩める気配のない乗用車が視界に飛び込んだ。

 母親は子供に夢中で気づいていない。それも当然で歩行者信号は青色に点灯しているのだから。僕は渡り終えた横断歩道を逆走して、親子を歩道側に突き飛ばした。

 その直後。

 鈍い音と共に自分の体躯が飛ばされる感覚がした。痛覚が機能したのは最初の一瞬だけだった。横断歩道の風景は視界から消えて過去の記憶がフラッシュバックする。

 彼女が少年を助けた記憶。

 彼女が神社で凶を引き当てる記憶。

 彼女が海に落書きをしている記憶。

 彼女が美味しそうにオムライスを食べる記憶。

 彼女がギターをFコードに苦戦しながら練習する記憶。

 彼女と病室で仲直りした記憶。

 彼女と初めて喧嘩をした記憶。

 彼女とギターを買いに行く記憶。

 彼女が入学式の日、僕を呼び止めてきた記憶。

 彼女がコンサートホールでピアノを演奏している記憶。

 これを走馬灯と呼ぶのだろうか。思い出す記憶の殆どが彼女と過ごした日々だった。

 美しい日々の断片を眺めるのは気分が良かった。

 人助けをして走馬灯が見れるなら一石二鳥だ。ただ、彼女と会う約束をしていたのに破ってしまった。このままじゃ彼女にピアノの演奏を聴かせる約束も果たせそうはない。此処で死ねば、死ぬまで音楽を続けるって約束は……

 自分が、命懸けで人助けをするなんて奇跡にも近い怪奇現象だ。

 きっと彼女に出会ってなければ違う選択をしていた。

 薄情な僕だ。気づかない振りをして立ち去るだろう。

 そこまで薄情じゃなくても危険を声で伝える程度の貢献だっただろう。

 良くも悪くも僕は変わってしまった。

 先輩と出逢えて。

 彼女と出逢えて。

 ああ、いい人生だった。


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