プロローグ
『僕が明日を生きられたら』と言う曲を作った。これは同じ高校の生徒であった上田美優を題材とした曲だ。生前、彼女が残した何気ない言葉を思い出しながら詩を書いて、彼女の得意だったピアノの伴奏を付けただけのシンプルなバラードだ。
『明日を生きられたら』なんて問いに対して、明確な答えを見つけられる人の方が数少ないだろう。それは、死ぬなんて想像が現実味のないフィクションだから。
でも質問が『明日は何をしようか』に変われば、ショッピング、ゲーム、旅行、読書、と山程の選択肢が脳内を埋め尽くす。つまり、明日とは僕らにとって訪れて当たり前な存在で若ければ若いほど無限にも等しい明日が僕らを待っている。
『死』は『明日』と対照的に、僕らの想像から掛け離れた場所にある。だからいつか訪れると分かっていた別れに、こんなにも胸が痛むのだ。
正午前、カーテンの隙間から差し込む陽射しが『いい加減に起きろ』と釘を刺す。
僕はベッドから立ち上がり、大きく背伸びをして自室のピアノの前に座った。
彼女の黒檀みたいな長い髪と、透き通った白い肌をピアノの鍵盤と重ねてしまう程僕は彼女のことが好きだった。結局、その感情を彼女に伝えることはなかったけれど。
右足でペダルの踏み心地を確認して、ゆっくり演奏を始める。
割れ物を触るかのような手つきで丁寧に鍵盤に触れる。バラードを弾くならこれくらいで良いと教えてくれたのも彼女だった。少しずつ涙で濡れる鍵盤は、弾きづらくて仕方なかった。僕は彼女と作った歌を嗚咽混じりの下手くそな歌声で歌った。
それでも良かった。
この部屋で演奏を聴いてくれる唯一のクラスメイトは、もうこの世には居ないから。
だから、ひたすらに掻き鳴らした。
曲を弾き終えても、涙が止まることはなかった。
涙は締まりの悪い蛇口みたいにぽつり、ぽつりと鍵盤に垂れ続ける。
ゆっくりと涙が頬を伝う感覚は、まるで君が頬を撫でているみたいで心地良かった。
窓からの陽射しが部屋の気温を少しだけ高くして、まるで君がそこに居るような感覚がした。もしかしたら、幽霊になった君がそこに居るのかもしれない。
だとしたら、下手くそな歌声を君に聴かれてたかもしれない。
「もっと練習しないとな……」
あの日、辞めたはずの音楽をこれからも続けていくような気がした。
君を忘れないように。
君が僕を忘れないように。