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まぁ、ちゃんと戦う戦国軍記 ~めざせ!御屋形様と経済勝利~  作者: 東木茶々丸
第二章 女当主の信濃侵攻 1549年夏~
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2-7-2 第四十四話 信濃分析 一

ガッツリ解説回です。

地図は添付していませんが、見ながら本文を見ていただくとわかりやすいかもしれないです。

天文十九年三月中旬某日 昼 場所:甲斐 甲府 富士屋店内

視点:京四郎 Position


 弥生月の昼下がり、店に現れたのは原虎胤様である。

原様にはお金を貸しているが、来店頻度が高い方でもない。


 原様は腰を下ろすと話し始めた。


虎胤「御屋形様は、兵を動かされると言うが、一体どこを攻められるおつもりなのか京四郎殿ならわかるかもしれんと思うてな。こうして聞きに参った次第」


 原様は軽く頭を下げる。


京四郎「教えてほしいと言いましても……。智様と以心伝心というわけではありませんよ」


 原様の言葉を打ち消す。

実際相談に乗ることは多いけれど、そこまで親密かと言われると……?

あ、でも裸の付き合いはしたことがあるな……。


律「普通に考えたら、村上か小笠原なのでは?」


 奥にいた律が話に割り込んでくる。


虎胤「それならば、信濃について詳しい者が必要だな。今呼んでくる」


 そう言って、原様は店を出て三十分くらいで戻ってきた。

帰ってきた原様は二人の男を連れていた。


虎胤「紹介しよう。こちらが多田ただ 満頼みつより殿[1]」

多田「多田満頼だ。三八郎とも名乗っとるので皆からは三八と呼ばれとる」


 見た目は四十代後半くらい?原様より少し若いくらいだ。


多田「出身は美濃で信虎様の代から仕えとる。よろしゅう頼む」

律「こ、こちらこそよろしくお願いします」

京四郎「よろしくお願いします」


虎胤「そしてこちらが常田ときた 隆永たかなが殿[2]」

常田「常田だ。よろしく」


 こちらは三十歳くらいだろうか。物静かそうな人だ。


虎胤「常田殿には、そのまま村上について説明してもらおう」

常田「はい」


 常田様が地図を取り出した。

それを見て、まささんが筆と墨を差し出す。

この気の使いどころが、彼女のストロングポイントである。


常田「甲斐の府中(甲府)から北西に進み、韮崎にらさき[3]から逸見へみ[4]に上がったところで諏訪と佐久[5]への分かれ道となります。」

              

              葛尾城  

                 砥石城

                            


                      

                      岩尾城            志賀城


                         佐久                                                  海ノ口城    


     諏訪

              

         逸見     

             韮崎

                   府中(甲府)       


 比較的穏やかそうなルートの諏訪に対して、佐久は城も町も少ないルートに思える。

以前から武田が諏訪の方へと侵攻していたのも無理はない。

夏場の避暑地の清里[6]とか、この辺だった気がするけれど、戦国時代にリゾート地なんてあるはずがない。


常田「逸見から北東の方角にしばらく進むと、海ノうんのくち城[7]があります」

虎胤「ああ、懐かしい。晴信様が初陣で攻められたお城じゃ」

多田「おお、そうであった~そうであった~」


 昔を思い出すように原様と多田様が談笑する。

武田家のベテラン武将として彼らが見てきた戦いは、一つ一つが重みのあるものに違いない。


多田「その時の傷が左肩の傷や」


 多田様は肩を出して見せる。


常田「そしてそのまま千曲ちくま川[8]沿いに北上した所にあるのが我が兄、真田さなだ幸隆ゆきたか[9]が城代を務める岩尾城いわおじょう[10]」


 ん?今、真田って言った?真田ってあの真田!?


律「真田幸隆って言ったら、幸村の祖父のことよ」


 律が、こそっと耳打ちしてくれた。

ってことは、この人も真田一族の一人なのか。


多田「岩尾城攻めの時の傷はここ、右手首のものや」


 多田様は今度は袖をまくって見せる。

またケガしてるんかい!

というか、よく怪我の場所覚えてるな!


常田「そのまま東の方向にあるのが志賀城」


 以前、晴信兄が苦戦した城で苛烈な処置が下された城って智様が言っていた城か。


多田「志賀城での怪我は左ももの辺りやったかな」

律「多田様」

多田「三八でええぞ」

律「では、三八様。いくつの怪我しているんですか??」

多田「まぁ様づけくらいはええか。だいだい三十くらいかな」


 すごいな。三国志にもそんな人いたな。

周泰しゅうたい[11]。主君である孫権[12]は彼の傷を一つ一つ説明して彼の忠誠を褒めたと言う。


常田「村上の支配域はその北西です。海野[13]の辺りから善光寺平辺りまでを支配しています。」

虎胤「中でも厄介なのが……砥石城といしじょう[14]」

常田「ええ。村上の本拠地である葛尾城かつらおじょう[15]を落とすには砥石城の陥落が不可欠です」


 上田原の戦いでの敗戦のこともあるし、村上を攻撃するのだとしたら楽ではないだろう。

ひとまず小笠原の方も聞いてみるか。



■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

[1]多田満頼:武田家家臣。武田五名臣の一人。美濃出身。小笠原長時との戦いにおいて感状を受けている。

[2]常田隆永:真田幸隆の弟。真田の本家海野氏の傍流である常田家に養子入りする。

[3]韮崎:現在の山梨県韮崎市。甲府盆地の北西端。

[4]逸見:現在の山梨県北杜市。日本一日照時間が長いとされる。

[5]佐久:長野県の群馬県との接する地域。長野県の四つの盆地の一つ、佐久盆地がある。

[6]清里:山梨県北杜市の高原。八ヶ岳の麓で避暑地として知られる。

[7]海ノ口城:南佐久の城。武田家の佐久方面への経由地として使われた。

[8]千曲川:信濃川の長野県内での呼び名。

[9]真田幸隆:真田幸村の祖父。1513年生まれ。

[10]岩尾城:この場合は信濃の岩尾城を指す。同名の城が肥後(熊本県)にもある。

[11]周泰:呉の武将。字は幼平。何度も身を挺して孫権を守ったとされる。

[12]孫権:中国三国時代の王朝。呉の初代皇帝。父親の名前も孫堅でややこしい。

[13]海野:現在の上田市西部。

[14]砥石城:村上氏の城。戸石城とも。元は真田氏の城であったが、改修されている。

[15]葛尾城:村上氏の居城。周辺に支城や砦がある。


お読みいただきありがとうございます。

分析は続きます。

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