1-5-3 第三十一話 武田のトラウマ
天文十八年九月上旬 正午 場所:甲斐 甲府郊外 志磨の湯
かくして、温泉の中で智様は過去語りを始める。
別に温泉で話す内容でもない気がするけれど……、
智様「私の父の信虎は、その巧みな軍事力で混乱の中にあった甲斐の再統一に成功したけれど、反発する部下を粛清したりしたために家臣や領民からはあまり支持されていなかった」
律「あ~、妊婦の腹を裂いたとか聞いたことが……」
京四郎・智様「「それは殷[1]の紂王[2]!」」
そんなハモるワードなの!?
そんな話があったな~程度に振ったのに
智様「まあ……本当のことを言えば、悪評の父上を追放することで不満を抑えようとした兄上たちと重臣の計画だったのだが。」
とりあえず、前任者に罪を被せたんですね。
政治家にありそうな話ね……。
智様「その甲斐あってか、武田は諏訪[3]の侵略に成功。やがて志賀城[4]を攻めた。その落城の際に武田方は苛烈な処断を下した。城に籠って抵抗する者3000人を斬り、捕虜や女子供は売り飛ばされた」
戦国時代の世の習いとは言え、辛い話ね……。
智様「晴信兄上は、反武田勢力に武田に対して恐怖感を与えることで、信濃統一を進めようとした。ところが志賀城の件は恐怖ではなく、武田への恐怖として返ってきた。それが去年の上田原の戦い。」
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智様は一段と重いトーンで話し続ける。
志賀城を落とした武田は、その北の北信地方を領する村上義清[5]と戦うことになった。
天文十七年2月(1548年3月)。武田の先遣隊の筆頭家老の板垣信方[6]が先攻して、勝利を収めた。
京四郎「い、板垣!その人、『板垣死すとも~』[7]とか言っていませんでしたか?」
律「あのねぇ、いくら板垣だからって……」
智様「ああ、よく言ってたな。板垣死すとも武田は死せず~って」
律「言ってたんかい!」
ところがその板垣は、晴信兄上の軍と合流する前に首実検[8]を始めてしまったのだ。
一方、体勢を立て直した村上勢は油断をした板垣らの軍勢を打ち崩した。
志賀城の恨みとばかりに襲い掛かった敵勢に、武田の軍勢は蜘蛛の子を散らす[9]ようだった。打ち崩された先攻の軍勢が逃げ惑うのに巻き込まれて、後方の武田本隊まで敵に斬りこまれてしまった。
筆頭家老の板垣、次席家老の甘利など武田は多くの人材を失った。
そして……晴信兄上も手傷を負い、この地で亡くなったのだ……。
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突然明かされた武田の極秘事項に、京四郎とアタシは動揺していた。
「冗談ですよね」言えるムードでもない。
あれっ?でも智様には他にもお兄さんがいたような……。
智様の出番は無いような……。
智様「そして天文十八年七月のことだ」
あ、まだ続くんですね。
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上田原の戦いでの武田の敗北を知った小笠原が、今度は武田への反抗作戦を立てているとの報告が入った。
ところが敗戦で重鎮を失った上に、士気の下がった武田軍は誰もまともに動こうとしなかった。
京四郎「わかった。そこで動いたのが……!」
そう、私。武田智である。
小笠原軍が進軍を開始する前に、武田軍を動かして諏訪へ入城。
そのまま夜更けに電撃的に急襲して、塩尻峠[10]の戦いで小笠原軍に大勝したのである。
塩尻峠の戦いで作戦立案と指揮を担当した私が評価されて、
今は影の御屋形様としてこの甲斐を統治しているのである。
晴信兄上と漢籍の話をするのが好きだったおかげだろうか?
結果として中途半端な形で脱信虎時代の革新が終わってしまうのが嫌だった。
一介の姫君として、嫁いで人生を終えるというのは自分の才覚や知識が無駄になると感じた。
晴信兄上の息子である太郎[11]君が成長するまでの統治者という形で、信繫兄上が周囲を説得して、今の立場がある。
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律「な、なるほどー」
とりあえず、相槌を打ってみる。
京四郎「しかし、信繫様は自分が跡を継ぐという考えは無かったのですか?」
智様「信繫兄上は昔から私に優しかったからなぁ……。あれが欲しいと言えば何でも買ってくれたし……。」
信繫様はシスコンなのかな?
さっきの謁見のときの眼差しも、妹としての心配だったのか!?
信廉さんは、外向きの影武者なんだろうな。見た目は威厳ある感じがするし。
京四郎「それにしても、こんなに大事な話を聞かされても良かったんですか?」
そう、それである。
智様「そうだな……」
不意に智様が脇の小石を拾って、横の草むらに投げる。
「アイタっ!」
声がしたかと思うと、高坂さんが現れた。
智様「信頼できない相手ならば、この場で斬っておる。おぬし等も、私を斬ろうと思えば斬れたはずだ」
たしかに、温泉なら刀は隠せないよね……。
お風呂場で斬り殺された源氏の棟梁もいた気がするけど……。
智様「それに私は、二人の秘密を知っておる」
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[1]殷:古代中国の王朝。実在が確実視されている最古の王朝。
[2]紂王:殷の最後の皇帝。「酒池肉林」の由来としても知られる暴君のテンプレ的存在。
[3]諏訪:信濃の甲斐との国境の地域。霧ヶ峰があるのはここ。
[4]志賀城:長野県佐久市にあった城。崖や傾斜に囲まれていた。
[5]村上義清:北信の戦国大名。1501年生まれ。
[6]板垣信方:武田家筆頭家老。信憲の父。板垣退助は養子を挟んだ末裔にあたる。
[7]板垣死すとも(以下略):板垣退助の名言として知られるフレーズ。本人が言ったわけではなく、新聞で用いられたものであったが、本人は気に入っていたとされる。
[8]首実検:討ち取った敵将の首の検分のこと。
[9]蜘蛛の子を散らす:大勢のものが散りぢりになって逃げていくことを表すことわざ。鎌倉時代の書物『愚管抄』に記述がある。
[10]塩尻峠:諏訪盆地と松本盆地を隔てる峠
[11]武田太郎:後の武田義信。まだ元服していない。1538年生まれ。
お読みいただきありがとうございます。
女謙信とか女信長はありふれた感があるので、女信玄ならばどう書くか?
っていうのが、書き始めた動機でもあります。




