バラバラにしてほしいの
──とある土曜日。
──私立・愛シテルヶ丘学園、総務委員会事務室。
この学校では生徒たち自身による自治が大きな特色とされており、それすなわち校内組織運営のガバナンス面においても生徒たち自身による統制が不可欠であることを意味していた。
かくして、総務委員会に所属する北山と加藤の両名は、各部活動から提出された前期決算書に関するチェック作業のため、土曜日に休日登校をしているのだった。
眼鏡をかけた一年生の男子生徒・加藤が、帳簿や証書類と、会計ソフトからエクスポートした帳票とを照合している。
その隣の席で、ゴムの指サックをはめた二年生の女子生徒・北山も、ノートPCに映した各部の活動記録簿を傍らに、その決算要約の文面にじっくりと目を通していた。
「あ、北山先輩いいですか?
家庭菜園部、除去債務の整理仕訳を忘れてますね。前年と簿価変わってません」
「あー、そこか……。毎回みんな忘れがちなんだよねぇ。
黄色のアラート付箋付けといてくれる?」
「分かりました。
あ、あと、サッカー部のこの領収書なんですけど……。
消費税の計算を何箇所かミスってます」
「えっ、どれどれ?
……あー、これ前の月次の数字が動いちゃうやつだねぇ。年末年始忙しくてチェック漏れしたんだろうなぁ。
…………分かりました。これは一度こっちで預かります」
「お願いします」
引っかかった部分があれば隣の席同士ですぐに認識を確認し合える。チェック作業は当初の見込みよりもかなり順調だった。
◆
業務開始からしばらく経ち、気づけば昼休みのチャイムが鳴り出していた。
念のため終日かかる想定でスケジュールを組んでいたのだが、蓋を開けてみればお昼の時点で既にほとんどの作業を終えてしまった。
仕事に追われることもなくのんびりと寛ぎながら、それぞれに持参したお弁当を食べつつ雑談する。
「これなら、来週には全部、税理士事務所に持って行けそうですね」
「そうねぇ。休日に出てこさせちゃってごめんね?ウチはどうしてもこの時期忙しくなるから、人手がいくらあっても足りないの」
「いえいえ、その辺は分かったうえで入ってるんで」
部活の大会が活発になる季節、その週末である今日、二人以外の総務委員は各部活の運営補佐のために全員校外へ駆り出されていた。
「いやぁ、加藤君みたいな優秀な新人君が入ってくれて、正直私たちもホッとしたよぉ。おかげで今日も早く上がれるし」
「業務が滞りないのは先輩たちの教え方が上手だからですよ」
「あらあらお上手ね。褒めても何も出ないわよ?フフフ……」
北山はさりげなく口に手を当て、控えめに笑う。
深窓の令嬢を彷彿させるおっとりとした雰囲気と、一重の瞼が優しげな印象を醸し出す顔立ち、肩に掛かるか掛からないか程度の長さの艶やかな黒髪、そして夏服である半袖セーラー服の上からでもその柔らかさが浮き立ってくるかのような身体つき。
こういった容姿や人柄により、北山は全校の男子生徒たちから絶大な人気を集めていた。
まさか本人に向かって言葉にする勇気などはないものの、加藤としても委員会活動の中で日常的に北山と顔を合わせられることを胸中では非常に嬉しく思っていた。自分の仕事を誉められた時などは、口では謙遜しつつも、内心鼻高々なのだ。
この調子で信頼を築いていければもしかすると、今まで以上に彼女と親密な仲になれる可能性が……?!そんな下心を覚えることがあるのは否定できない。
しかし、そんな期待感を秘めつつ北山を日々観察し続ける中で、加藤は時折、彼女の言動に奇妙な異和感を覚えることがあった。果たしてその異和感の正体とは……。
二人ともお弁当を食べ終わり、午後の始業チャイムが鳴るまでの間の、穏やかな昼休みの時間が流れる。食後に加藤はホットコーヒーを、北山は紅茶を、それぞれマグカップに淹れて飲んでいた。
「……ところで、加藤君はこの後……午後の予定は空いてたりする?」
「はい、終日かかる可能性を見越して予定を組んでたので。まだ何か、溜まってる仕事があれば引き受けましょうか?」
キタァー!!
一見なんでもないような態度で北山に応える加藤だったが、内心ではガッツポーズをしていた。
決算に係るチェック作業は午前中にほとんど片付けてしまっている。その他、今の時期からやっておける細かい雑務などもない訳ではないのだが、それらは概ね平日のルーティンワークの中で吸収し切れる程度のものばかりだ。不要不急の残業をするまでのこともないので、特に何事も起きなければ二人ともあとは片付けをして帰るだけだ。それは北山先輩も分かっているはず。
ということはつまり……、今、北山先輩は僕にプライベートのお誘いをかけようとしている可能性がある!!
地道にコツコツと積み上げてきた信頼が、ついに結実しようとしている!
そんなこともあろうかと、午前中メチャクチャ頑張って仕事を終わらせた甲斐があったぜ!
休日の事務室という、静謐なる密室の中で二人きり。胸躍る高揚感を悟られぬよう平静を装いながら、北山先輩からの言葉を待つ。
「いや、仕事のことじゃないんだけどね。委員とか関係なく、単なる個人的なお願いというか……。嫌だったら断ってくれていいから」
「いえいえ、全然嫌じゃないですよ。北山先輩にはいつもお世話になってますし、僕で良ければなんでもご用命承ります」
「あ、そう?じゃあ、せっかくだから……、お言葉に甘えてお願いしてみようかしら?実はね……」
北山先輩がペロリと舌で唇を湿らせるのが見えた。ドキドキしながら、前のめりになって北山先輩のお願いに耳を傾ける。
「今からここで、私をバラバラにしてほしいの」
「はい、分かりました!……………………えっ?」
北山先輩に好印象を抱いてもらおうと意識するあまり、深く考えずに二つ返事で承諾してしまったのだが……。少しの間ののち、彼女の口から聞こえてきた文字列、その“お願い”の内容の異様さにようやく気づく。
……んん?なんだろう、聞き間違いかな?
私をバラバラにしてほしいの、って聞こえたぜ?
その猟奇的過ぎる語感と、目の前の彼女、そのおっとりとした佇まいとが上手く結びつかない。
返事をしたきり困惑状態で固まっている加藤とは対照的に、了承を得られたことでホッとした様子の北山は、座椅子から立ち上がって、その“お願い”のための準備を始める。
「本当?良かったー。誰にでも頼めることじゃないから、助かるよぉ。
じゃあ早速だけど、“現物”を見てもらった方が早いよね。ちょっと待ってて」
そう言って、北山はなんとその場で、身に纏っていた半袖のセーラー服を脱ぎ始めたのだ。脇下の白いファスナーを上げ、左手から袖の内側に腕を引っ込め、頭の方へずり上げようとする。その動作に一切の躊躇がなかったために自席に腰掛けていた加藤の反応が一瞬遅れ、夏服の白くて薄い生地の蔭から、彼女の色白な胸、その大きな丸い膨らみのツヤツヤとした輪郭が垣間見えてしまった。どうやら、下着を着けていない。
「ちょっ、ちょ、ちょっと待ってください!!
えっ、え、な、なんで、いきなり脱ぐんです……?
あの、なんというかその……、仮にそういう気持ちがあったとしても、もっと少しずつ段階を刻んでいったほうが、お互いのためでは……?」
「…………??そーゆー、気持ち……?」
そのあまりに大胆過ぎる行動に、加藤は驚いて立ち上がり、脱衣しようとする北山を制する。止められると思っていなかった様子の北山は、加藤の顔を見つめてキョトンとする。
「やっぱり、私の頼みを聞くの、嫌になっちゃった?」
「嫌、と言いますか……。それ以前に、まだよく飲み込めていない、と言いますか……」
数秒の間に予想外のことが立て続けに起きたので、加藤は困惑の色を隠せない。
「えーと、よく考えないまま了承した僕も悪いんですけど……。ちょっと整理してもいいですか?
今仰った“バラバラにしてほしい”っていうのは、何か、比喩的な話とかではないんですか……?
おかしなこと言っちゃいますけど、急に服を脱ぎ始めたんで、まるで裸になった先輩の身体を物理的にバラバラにしてもらおうとしてるのかなっていう風に思えてきちゃって……」
「えっ?うん、そうだよ。“私の身体を物理的にバラバラにしてほしい”ってつもりで言ったの」
彼女が当然のことのように返答するのを聞いて、思わず加藤は天井を仰ぐ。
うーん、そっかぁ……。物理的な意味だったかぁ……。できれば何か遠回しな隠喩であってほしかったなぁ……。
結構浮世離れしてるところがある人なのかなとは正直思っていたけれど、まさかここまでレアな趣味を持っていたとは……。どうやって思い止まらせようか……。
そんな風に加藤がウンウン唸りながら考えているのを見て、北山は怪訝そうな表情を浮かべて付け加える。
「……加藤君、何か私の言ってることを誤解してない?
私は、これを、外してみてほしいと頼んだだけなんだけど」
そう言いながら、北山はセーラー服の白い袖を捲り上げて、自分の左肩を出して加藤に見せつけてくる。
そこには、本来人体には見られないような人工的な直線、腕と胴体とを明確に境界づける真っ直ぐな溝が走っていた。加藤の視線が思わずそこに吸い寄せられる。
なんだこれは……。まるで、マネキン人形の、パーツ同士を繋ぐための結合部に似ているような……。その、肩から脇の下をグルリと一周する溝を断面に、彼女の腕を身体から取り外すことさえできそうな。
その溝をまじまじと見つめる加藤の視線を受けて、北山は何故か先ほど自らセーラー服を脱いで裸になろうとした時よりも恥ずかしそうにしているように見える。
「つまり、こういうことなの」
どういうことなの?と加藤は沈黙で続きを促す。
「ほら、学校の授業の中で『状態変化』って出てくるでしょ?」
「……あー、はい、ありますね。国語とか、数学とかで……」
近年、文◯省によるカリキュラム改革によって学校の授業内容に《状態変化》の概念が取り入れられるようになったことを、彼女は言っているのだ。
県下随一の進学校であるこの学園の課程は特に先進的で、現代文で『下線部①における、椅子の心情を答えよ』みたいな問題が出題されたり、数学で『上記の人物Aが垂直方向に押しつぶされて平面化した場合の表面積を求めよ』というような設問が問4辺りで出てきたりする。英才教育過ぎる……。
「一年生ではまだやらないんだろうけど、この間二年生の教科書で《ソフビ化》っていうのが載ってるのを読んだんだよ」
「…………ほぉ」
「そう、それでそのソフビ化の例として挙げられてた、《ソフビ娘》になった赤毛のポニーテールの女の子がすごく可愛くてねぇ。
その子があんまり可愛かったから、私もソフビ娘になりたくなってきて、ウチのじいやに頼んで一時的にでも変身できる薬を開発してもらったの。それをさっきまで飲んでた紅茶の中に混ぜていたってわけ」
説明をしながら、北山は後ろ髪に隠れていた頭蓋と首との間の溝や、スカートのホックを外して、臍の下に水平に走った溝、鼠蹊部のラインに沿うようにV字型に走った溝とをチラリと見せたりしてくる。いずれも、肩にあるそれと同様、人工的な直線で形成されていて、それらの溝に指を差し込んで力を加えればそこを境に身体を分割できそうな、そんな風な作りに見える。
「ほぉーん…………。なるほど、大体分かりました」
本当はよく分かっていないのだが、実際に彼女の身体にある溝を見せてもらった以上、納得するよりほかないと、加藤は判断した。
今の北山の身体は、実家に仕える執事に開発してもらった変化薬によって、ソフビ娘へと変身しているらしい。
授業では未履修ではあるものの、加藤もソフビ化についての知識は多少は持っている。以下は、彼のソフビ化に関する認識を述べたものである。
まずここで言う“ソフビ”というのは、一般的にポリ塩化ビニルをはじめとする合成樹脂を金型に注入した上で冷やし固めて作られるソフビ人形のことを指す。特撮ヒーローや怪獣を模った玩具として有名なアレだ。それを踏まえた上で、通常の人間の身体が何らかの要因によって本物のソフビ人形のような身体へと変質する現象を俗に《ソフビ化》と呼び、《人形化》というジャンルの一種とされる。《ソフビ娘》というのは、そのソフビ化を果たした女の子のことを指す言葉だ。
《ソフビ化》の最たる特徴として、まず本物のソフビ人形と同じように身体の内部が完全に空洞となる。本来人間が体内に持っているはずの内臓や血、筋肉や骨などもなく、見た目上はそれこそ人形のガワだけが外殻のように残っている空っぽの状態になる。それでどうやって生命活動を維持しているのだろうと思いたくもなるが、そこはまあ、色々あるっぽい。
そして、その身体を本当の人形みたく、パーツごとに分解できるという点が挙げられる。バラバラに分解された身体は、一見切断された人体のようにグロテスクな様相となるが、パーツ同士を再度パコンと嵌め直してやれば元通り自分の意思で動かせる状態に戻るのだ。北山の場合は、頭蓋と首の間・両肩・ウエスト・両脚の付け根、以上の計六箇所に溝が入っているので、頭部・両腕・上半身・下半身・両脚の計七つのパーツへと分解できる。ソフビ娘の中でもオーソドックスなスタイルだと言えよう。
これくらいのことなら加藤も知っているのだが、実際に付き合いのある人物である北山のソフビ化した身体を見てみると、なんとも不思議な感覚に襲われた。目の前のその顔立ちは間違いなく加藤にとっても見慣れた人間である彼女のそれであるはずなのに、そこから地続きになっている身体は正真正銘のソフビ人形なのだ。一見普段通り人肌に見える腕のところなどを触らせてもらっても、力を加えて押してみると化学樹脂特有のカチカチ感や所々ペコペコと凹む手触り感があって、その内側が空洞になっていることがよく分かる。
脳みそが、目の前にある“ソレ”を、人体であるのかそれとも単なる人形であるのか、判断をつけかねていた。『日頃お世話になっている、大事な先輩だ』という意識と、『もしかして、先輩の見た目に似せたロボットみたいなものなのでは?』と訝しむ意識とが同居する、不思議な感覚。
「そうそう、そういうことだから、ソフビ娘になった身体の感触を確かめたくて、分解してもらおうと加藤君に頼んだわけなの。
今の私はソフビ人形という物品なんだから、服を脱いだ姿を見られてもおかしいことではないはず。だって、人間じゃなくて人形なんだから。
勿論、誰にでも頼めることじゃないよ?
でも、いくら加藤君が相手だからって、裸を見せるなんて、人間のままじゃ絶対できないよ!そんなことしたら、ただの変態さんじゃん」
「そういうもんなんですかねぇ……」
脳の認識がバグってきたせいだろうか、だんだん北山が言う事も尤もなように聞こえてきた……。
制服をスルスルと脱ぎ始める彼女を、加藤は今度こそ止めることはしなかった。布地の内側から現れる彼女の素肌は、言われてみればいつもよりもツルツルしているように見える。生物的な肌理というよりは、ラッカーを吹いて作った人工的な色艶のような……。人形の身体になっていることが不特定多数の人たちにバレないように、顔や手足といった露出部分には予めファンデーションを叩いていたのかもしれない。
「ほら、この通り、本当にソフビになってるでしょ?
普通はブラでも着けないと、こんな風に勝手に整った形にはならないんだから。私は同年代の中でも割と胸が大きい方だから、こうして裸になると本来はもっと重力に負けて垂れた形になるはずなんだよ」
「ほぇ〜、あ、本当ですね……。なんか、まるで目に見えない透明なパッケージみたいなもので固定されてるみたいに見えます……」
見れば見るほど、工業製品めいた無機物という印象が強くなる。憧れの先輩の裸体を見ているはずなのに、不自然な形で固まったような見た目が醸し出す非現実感が、異性の裸を見ることによるドキドキ感を中和しているようだった。
元々北山は肩周りやアバラ、腰回りなど、女子の中でも骨格がしっかりしている。その体格の立体感が、ソフビ化した身体においてもよく映えている。
両肩やウエスト、鼠蹊部に沿って入った溝にフォーカスしてみると、あまり全裸であることを感じさせないというか、表面の人工的なツヤもあって、まるで素肌と同じ色合いのぴっちりとしたノースリーブの肌着とパンツか何かを着ているのかなと思われそうな雰囲気すらあった。あるいは、溝の直線を可動部に見立てるとロボットっぽくも見えるような。
実際、北山の肌感覚としても裸である感じはあまりしないようで、このソフビの身体の上から制服を着るというのは、体操服の上から制服を重ねて着る時の感覚に近いものがあるという。
「ほら、力を入れて引っ張ってみて」
「こう、ですか?」
加藤が北山の右腕をグッと引っ張ってみると、パカンと音を立てて、肩にある溝を境に胴体から腕が外れてしまった。自分の意思が無くなったように、加藤の手に握られた腕から力が抜けてグニャリと項垂れる。胴体に嵌め込むための凹凸の凸の部分が、腕の付け根にあたる部分から生えている。本来人間の体にはないはずの部位である。
「なるほど、分離したパーツは自分で動かせないタイプですか」
腕の外れた孔から北山の身体の内部を覗かせてもらうと、その中身は本当に空洞になっていた。パーツを嵌め込む凹凸の凹にあたる円形から内側、彼女の素肌と同じ色で着色された外殻内部の空間だけが広がっている。先ほど食べたお弁当はどこに行ってしまったのだろう。
北山の指示に従って左腕と両脚までもを加藤が外してしまうと、当たり前だが彼女は胴体に頭がくっついただけの普段よりも小さい身体になってしまった。こうして手足を外してみると、彼女の元々持つ骨格の立体感がより浮き彫りになったように思える。ボリュームのあるバストを中心に胴体にはしっかりとした厚みがある。そこから繋がる腕がないがために、肩周りのしっかりしている感じがより分かりやすい。
手足もなく身動きを取ることも困難そうに見える北山だが、その状況をなんだか楽しんでいるように見えた。床にうつ伏せの状態で寝転んでいたかと思うと、その胸にある二つの大きな膨らみをそれぞれまるで短い前足のように器用に前後に動かして、床の上を器用に這って移動し始めたのだ。本来は単なる脂肪であるはずだが、この状態だとある程度自分の意思で動かせるらしい。
「どう?芋虫みたいで可愛くない?」
「…………ちょっとどうコメントしていいか分からないんですけど」
無邪気すぎる彼女の様子に加藤は苦笑いしつつも、人形になった身体を存分に楽しんではしゃいでいる彼女の姿は、なかなか新鮮に映った。
そこからさらにもう二つ、上半身と下半身とを分ける溝と、首の付け根と頭蓋とを分ける溝とを分解すると、北山が自由に動かせる身体の箇所は顔の表情だけとなってしまった。加藤が相手ならばこうして無防備になってしまってもいいと彼女が考えているとしたら、加藤としてもそこまで悪い気はしない。動かなくなった残りのパーツを拾い上げて、加藤はそれらを順番に机の上に並べておく。
「その、ソフビ化できる変化薬って、何か学校の用事とかで使う予定があるんですか?」
加藤は北山に尋ねた。基本的に、北山は校則をきちんと守る真面目な生徒である。いくらソフビ化した身体を確かめてみたいとは言っても、学校のことと全く関係ない変化薬を勝手に校内に持ち込むようなことはしない気がしたのだ。
「そうそう、そのことも相談しようと思ってたの。
再来月、ウチの学校でも文化祭があるでしょ?」
「あー、ありますね。
そう言えば、総務委員で何やるか、まだ決めてなかったような……」
「そう、それなの。せっかくだから、この変化薬を使ったレクリエーションを、私から提案させてもらおうかなと思ってて」
「レクリエーション?」
加藤は、なんだか嫌な予感がした。
「今日と同じように私の身体をソフビ化して、この通り七分割するでしょ?バラバラになったこれらを、校内の色んなところに隠して、それを見つけて持ってきてくれた人たちに景品を出すっていう、宝探しゲームをやったら盛り上がるんじゃないかと思って!」
「宝探し、ゲーム……」
バラバラになった北山の身体を校内の至るところに隠して回る自分を想像して、加藤は頭痛がしてきた。
確かに、盛り上がりはするだろうな、悪い意味で……。
文化祭の最中に校内から女体そっくりな人間大の人形が次々発見されて騒然となる状況を思い浮かべて、加藤は思わず頭を抱える。
そもそも、今日のところは加藤の脳みそがだんだんバグっていったせいで、さも自然なことのようにソフビ化した北山の身体の鑑賞会にもつれ込んでいったものの、よくよく考えると校内で女子生徒が自分の身体を男子生徒に見せつけるということ自体、あまりよろしい行為とは言えないだろう。
「……やめといた方がいいんじゃないですかねぇ。文化祭の出し物にするのも、学校内でソフビ化するのも」
「うーん、そっかぁ……。私の身体ごときが“宝”を自称するのはおこがましいかぁ……」
そういう意味で言ったんじゃないんだけどな……、と加藤はずっこける。いや、正直僕からしたら、北山先輩の身体はこの上ないほどの“お宝”ですけどね……と言いたくなる気持ちをグッと堪える。
「じゃあ、せっかく作ってもらった変化薬だけど、家で個人的に使うしかないかなぁ……」
北山は残念そうな表情を浮かべている。今日の鑑賞会が意外に楽しかった分、しょんぼりしているようだった。
「…………学校でソフビになるのはおすすめしませんけど、僕でよろしければ、時々北山先輩がソフビ娘になってるところ、見に行きましょうか?」
「えっ、いいの?!」
北山がパッと顔を綻ばせる。どうやら、文化祭の出し物がどうこうと言うよりも、誰かにソフビ娘となった自分を見てもらいたいというのが本音だったようだ。
変化薬を飲んで、北山の身体にはソフビ人形としての自我も宿り始め、それが人間としての北山の心にも新たな感情をもたらすようになっているのではないか、加藤は彼女の表情からそんな風に推測していた。
ソフビ人形という物品の持つ役割は何かとすると、それは誰かに見てもらうこと、そして手に取って遊んでもらうことではないかと考えられる。
そういう“ソフビ人形としての喜び”を北山が抱き始めているとしたら……。
『誰にでも頼めることではない』という彼女の言葉を思い返す。彼女にとってその願望を打ち明けられる相手というのも、実際のところ限られているのだろう。
「自分なんかで良いのなら、ですけど……」
気がつくと、北山の両手が加藤の手に重ねられていた。自分の意思では全く動かせないのかと思っていたそれは、実際はその気になれば動かすことができたのだ。胴体から離れた状態で加藤の方へとひとりでに動いてきたそれらはしかし、その突飛な見た目に反して、単なるソフビ人形には持ち得ないはずの人肌と同じ温もりが通っているように感じられた。
テーブルの上に置かれた北山の頭部が、気の許せる遊び相手を見つけた子供のように無邪気な笑顔を浮かべた。
「ありがとう、加藤君!
また、私で楽しく遊んでね!」