アイリス
暫く無言の時間が続いた。やがて森に響く虫の声が聞こえ始めてから海は我に返った。
こうしてはいられない。現状は何も変わっていないんだ。
うろの隙間から差し込む光は少し陰りを見せており、間もなく夜になることが感じ取れた。このままでは森の中で一晩を過ごすことになってしまうだろう。そんなことになったら夜行性の生物も目覚め始め、また襲われてしまうに違いない。そんなことになったらこんな、こんな運のよいことにはならず次こそ・・・・
目の前の自分がなるはずだった結末を見ると震えが止まらない。よく見ると出血は既に終わっており、零れていた血がほどけるように宙に消えている最中だった。この世界では死んだ後流れだした血液はこうやって自然に還るようだ。
「ラル!出発しよう。こうしちゃいられない。」
「海様、もうよろしいのですか?」
「ああ、とりあえず今日を生き残らないと始まらない。あれこれ考えるのは後だ。」
自身が作ったスパイクトラップからずっしりとして重いフォレストウルフの体を引きはがした。うろのふちに手をかけると、体を引きずりだすように外に出た。恐らく出血しすぎたのと逃げ出したときに体を無理に動かしすぎたんだろう。足をつってしまっているようだ。追われているときはそれどころではなかったが、疲労はこうやってあとあとになって顔を出す。
「ラル、無茶苦茶に走って方角が分からなくなっちゃったんだがどっちの方角に建物を見かけたんだって?」
「こちらの方角で間違いないはずです。もう少しでつくと思われるので頑張ってください!」
ラルは指さす方角にはかすかだが光が見えた気がした。
「よし、いくか。」
かなり鈍ったペースで歩みを進め始めるとラルが体を支えてくれる。
あたりは、遠くが見渡せなくなるほど暗くなってきた。人工的な明かりがあるような都会の夜とは違い、煌々と輝く星とラルが放つ淡い青、ツタのような植物から生えた光を放つ果実だけが視界の助けになってくれる。
静まりかえりそうな夜だがやはり動物はいるようで遠くに大きな影を発見するたびに息をひそめて休憩を行った。
それにしてもあれはなんだ?
やり過ごしたものの多くは大きな獣のような見た目だったのだがそのうち一体は明らかに鋭角的なデザインのシルエットでそれに付属した赤、青、緑、黄の魔法陣が宙に浮いた四つの物体の先端で回っていてギギギという不気味な音を立てていた。ラルに聞きたい気持ちが高まったがこんなところで声を出して見つかった日には一巻の終わりだ。
「海様、光が見えてきましたよ!」
ラルがなるべく抑えた声で示した先には森の木々の終わりが見え、ラルのいう「建物」が見えてきた。
海が抱いた印象としてはテントというのが正直なところだった。しかしキャンプで使われるような一般的なものではなくもっと大きなサイズで硬質な素材を使っているように見え、形も四角かったので遠方から見たときこれが建築物の様にみえたのだろう。
近くには木を集めた焚火の様なものがたかれており微かな煙を上げていた。
正直廃墟だったらどうしようと思っていた海はほっと胸をなでおろすと
「誰か!誰かいませんか!」
と声をかけてみる。返答はぱちぱちという焚火の音だけだった。
「どうやら今は誰もいないようですね。」
「火をつけたままどこかへ行っているのか?」
すこしいぶかしげな気持ちになりながら近づいてみると突然、透明な壁に当たるような感触がした。ぶわっと音がしたとともにテントのようなものを覆っていた結界があらわになった。
「へ?」
と間抜けな声が出たがそこから二の句も告げないうちにちかっと光った結界の頂点から雷撃が発生し体を貫かれる。
多分悲鳴を上げていたと思うがその次の瞬間には、意識を失いかけていた。閉じそうになっている視界には必死に自分を揺さぶっているラルが見えた。まずい、外敵用の罠があったのか?という思考がよぎる。
倒れてしまい、体勢が完全に横倒しになってしまったのだがその後ろから人影が駆け寄ってきているのが見えた。
「けがしてるじゃない!?だ、大丈夫?」
誰?という疑問を発する間もなく意識はブラックアウトしてしまうのだった。
まず、感じたのは清涼感のあるハーブの匂いだった。徐々に目を開けていくと、どこか建物の中にいるようでベッドの上にあおむけに横たわらせられている。どうやらここはあの外から見たテントのような建物の中らしい。
ふと左手に何かの感触を感じてそちらの方角を見ると、ひとりの少女が手に緑色の文字が刻まれた包帯の様なものを巻き替えているところだった。少女は明るい太陽を浴びているような黄金色の長い髪をサイドテールにしており、琥珀のような美しい目には爛々とした生命力を感じさせている。
首からは金の意匠を施した重厚な懐中時計を首から下げている。
「あ、気が付いた?」
いかにも快活そうな声を発した彼女は包帯を変え終わるときゅっと結んでこちらをのぞき込んでくる。先ほどからしていたハーブのようなにおいはこの包帯からしていたようだ。
「ほんとにごめんね・・・この森は禁足地だし近くに村もないから人は誰も来ないと思って防衛のための結界を張ってたんだけどそれに触れちゃってたみたいで・・・傷は出血は止まってたけど化膿しそうだったからある程度の治療はしておいたけどどう?」
「そ、そうだったのか。傷はもう痛まないみたいだ。治療してくれてありがとう。」
「よかったぁ気絶させることに特化した魔法だったけどもともとすごい消耗してたし傷がすごい深かったみたいだったから。」
そこでまわりを見渡してみるとラルがいなかったが操作盤も見えなくなっているので今は姿を現してないだけのようだ。
あの電撃の様なものを受けたときは次こそ終わったと思ったが、何とか助かったようだ。
ほっと胸をなでおろすと本格的に話をしようともぞもぞと動いて体勢をあげる。
「私、アイリス。よろしくね!」
「僕は新羅海、よろしく。」
「シラギカイ?珍しい名前だね!それならここら辺の人じゃなくて旅の途中で間違えてこの森に近づいてしまったって感じなのかな?」
そのセリフに先ほどのアイリスの話がよみがえる。
「確かにこのあたりの人間じゃないけど・・・ここの森が禁足地ってどういうことなの?」
「やっぱり知らなかったみたいだねー。この森って色々いわくつきなんだけど禁足地に指定されてる一番の理由は人工天使の存在かな。」
「人工・・・天使?」
頭の中ではふわふわと白い羽を広げて飛び天使のわっかが付いた人間の姿が浮かんだが、それにしても人工という言葉が異質だ。
「うん、姿は個体によってまちまちなんだけど不気味な人工物のような見た目をした天使でたくさんの魔法陣を常時展開して徘徊しているの。とんでもなく強くて危険な存在なの。」
その言葉でフラッシュバックしたのは森でひたすら外を目指していた時にみたたくさんの浮遊した魔法陣だった。
あの鋭角的なシルエット、もしかしてあれが人工天使だったのか?その存在に対して語るアイリスの口調は真剣そのもので遭遇しなくて本当に良かった実感する。
「ここに旅してて迷い込んでたんでしょう?人工天使も活性化して危険だし、ちょうど私も一旦ここを離れようと思ってたから送って行ってあげる。ここからだと・・・一番近いのはヴォルザンだったかしら?」
「僕は森の中の施設からきたんだけどそれなら森の中でみかけた気がする。いやーほんとに襲われなくてほんとによか・・って、わ!?」
何気なく言った海のセリフだったがアイリスはすごい剣幕でこちらにさらに身を乗り出していた。サイドテールがバサバサと体の動きに合わせて激しく揺れる。
「そ、それってほんとなの!?冗談じゃなくて?」
「え、いやこんなことで嘘なんてつかないよ。」
アイリスは表情を曇らせるとすごく思い悩んだようにムムムという顔になっていく。逡巡していたが、そのうち気持ちに踏ん切りがついたのかついに口を開いた。
「どうやってそこから来たのかは知らないけど・・・おそらくその施設は私がこの森にやってきた理由よ。そして貴方は関係あるはず・・・神の遺物と」
「アーティファクト?」
「そう、神話では神の残した遺物とも、古代文明の高度な魔道回路技術で作成されたともいわれているもの」
とても大事な秘密を打ち明けるように緊張した手が彼女の時計をぎゅっと握りしめた。
海はとても大きな事件に巻き込まれているような気持ちに包まれていた。
禁足地の森があるさらに南、溶岩と工業の町ヴォルザン。
その町にたどり着こうとする一台の馬車があった。見目はシンプルだったが遠目にも高級素材が使われていることが分かるほど洗練された作りをしており、紋章と魔法が込められたものの印であるルーンが刻まれていた。
「いやーしっかしあの森に本当にあるんですかねぇアーティファクト。」
馬車の一対の席に座っていたのは山のような大男だった。隆々とした筋肉は黒い軍服の下からこれでもかと主張しており浅黒い肌と相まって屈強な、というイメージを抱いた。それとは裏腹に態度は明るく軽そうであった。
「人工天使も活性化しつつあるという報告も受けた。可能性は高いだろう。」
それの言葉に対して体面に座っていた女性がクールな声で答えた。大男と同じデザインの軍服と軍帽をかぶっていたがこちらの肌は雪を思わせるような白でそれに対応するかのように白い髪はハッとするほど美しく、肩のあたりで切られていた。組んでいた足を入れ替えた拍子に軍帽がずれ、切れ長な目が見える。
「まあ焦らずゆっくり観光見物してからいきたいですねぇ。ヴォルザンなら面白い発明品もありますし、食い物もうまいですからねぇ。」
女性はその様子にはぁと小さくため息をつくと
「ほどほどにしとけよ。お前はどこへ行っても食い物のことばかりだな?」
「まあまあ、いいじゃないですか?任務とはいえ時間かけてこんな遠くまで来たんです。楽しまなきゃ。お、ついたみたいっすね。」
馬車の中とは思えないほど揺れのなかった室内だったが完全に静止したのを感じ取ったのか大男が立ち上がりドアに手をかける。
女性のほうも薄い手袋をきゅっと整えると優雅に立ち上がり町へ降りたっていったのだった。