残滓と痛み
-監禁という言葉や痛みを連想させる描写がございます
-過激な思想を連想される描写があるのでタグを見て苦手な方はブラウザバックをよろしくお願いします
「では、この写真を見て何か」
一枚の写真を差し出す。
それは食事の風景で、仲睦まじいカップルのなんてことない記念写真だったのだろう。
事件当時、その写真を目の前の女性が持っていて、写っている男の方が容疑者でなければの話だが。
「………」
女性はそれを受け取りじっと見つめる。
長い沈黙が時が進むのを嫌に教える。
数分言葉を待っていると女性は口を開いた。
「……なんとなく、ですがその」
「何か思い出されましたか?」
「その……愛していたんだと思います」
自分が何を言ったのか理解できてないのか、言うつもりのない言葉が出たと言った様子で目の前の女性は唇に手を当て睫毛を震わせた。
「と、言うと?」
「……いえ、なんというか。その……ごめんなさい。やっぱりわかりません」
今日の面会も収穫はなさそうだった。
ーーー
事件は署に一本の電話が掛かってきたことで明るみになった。
それはひどく一方的で冗長な独白で、電話先の男性が泣きながら狂乱して話すものだから内容は支離滅裂で聞くに耐えないものだったという。
ただそれを悪戯電話と処理する訳にはいかない事情があった。
電話は男性の啜り泣く声で"逮捕してくれ"という言葉から始まったのだ。
内容をまとめると以下の通りであった。
・逮捕をしてほしい
・監禁していた女性が逃げてしまった
・探して保護して治療を受けさせてほしい
・早く自分を刑務所に入れてほしい
内容は電話と並行してまとめられ、男性が時々口にする地名などの僅かな情報から、県境に近い山の中の家の元へ警察が向かった。
そこにはリビングの隅で震えながら電話をかけている男性がいた。
その男性はひどく怯えた様子だったが、警察を見るなり満遍の笑みを浮かべてその場で失禁、気絶したという。
部屋はひどい有様だった、リビングやキッチン、廊下、物置にかけて血濡れた足跡や手跡がいくつもついていた。物置には鎖の先に金属の枷がついたもの壁に付けられていた。
監禁されていた女性は隣人に助けを求めたのだろうか、数百メートルほど離れた隣家に設置された野菜の無人販売所の前で倒れているのが発見された。
女性が足をえぐって監禁から抜け出したという衝撃の事件は瞬く間に全国で報道された。
隣人の農家の老夫曰く、老夫婦を良く気にかけてくれる仲のいい夫婦だったとか。
男性の同僚曰く、職場に夫が忘れた弁当を届ける仲睦まじい夫婦だったとか。
腕を怪我した妻を支えて歩く夫の様子が目撃されたとか。
女性は片親で男手一つで育てられたとか。
被害者は親と半ば絶縁しており、夫婦は駆け落ちをしていたとか。
実は婚約をしていたが結婚自体はしていなかっただとか、どこから漏れ出たのかわからない情報も、すぐに拡散されていった。
同時にこの事件の不可解な点についても幾つもの意見が飛びかった。
・なぜ男性は狂乱状態で自首をしたのか
・なぜ女性は警察も呼ばずに隣家に向かったのか
・腕の怪我は旦那によるものではないのか
結局は核心にいたれないまま、なぜおしどり夫婦が監禁に至ったのかというところに落ち着いた。
それも仕方なかった。まだ事件の全容が明らかになっていないのだ。
というのも、男性は目覚めて、すぐ近くにいた警官に女性の安否を確かめ入院していることを聞き出し、自分がいる場所が留置所であることを何度も確かめると、また気絶するように眠りについた。
叩き起こして事件について聞いても、戯言のように電話で話した内容をただひたすらに繰り返すだけだった。
食事もまともに摂らず、食べるのは米や野菜のみであった。
明らかな心神喪失であったし、自白で逮捕する訳にもいかず、明確な犯行動機もわからないままなのだ。
全ても知るはずの被害女性については冒頭の通りで、監禁なのか、怪我によるショックなのか、事件についてはおろか男性のことについてもまるで覚えていないと言った様子なのだ。
一時的な意識の混濁だと医者は言ったが、事件からは半年経った。未だに女性は何も思い出さない。
一度、女性が男性と面会をしたいと話し出した時、俺は周囲の反対を押し切って女性の願いを聞いた。
その時の様子は凄惨としか言いようがなかった。
男は面会室に連れて来られ、女性の顔を腕を、足を見るなりその場で嘔吐し、そこに突っ伏すように気絶したのだった。
未だにメディアはこの事件について連日報道を続けている。しかし語ることがなくなったのか、どこかの2世タレントが警察が無能だ、これだけの状況証拠があれば極刑で決まりだろうなどと、事件にかこつけて好き放題をしゃべっていた。
いささか下火になりつつもあるこの事件も、警察が秘匿している情報一つでひっくり返るだろう、俺はそう思っている。
ーーー
「…何度も申し訳ありません、今日はこのくらいで」
「いえ、私が思い出せれば良いのですが…」
目の前の女は儚げにこちらに微笑んだ。
立ち去ろうとした時、女性が僅かに顔をしかめた。
「ナースコールを押しましょう、痛みますか?」
「………いえ、大丈夫です。幻肢痛ですから、本当は痛くないんです」
「えぇ、でも念のため」
「……ありがとうございます。やっぱり確かに痛いですからね」
そういった女は恋を知った乙女のように微笑んでいるように見えた。
監禁されていた女性が、足枷を外した後にしたのは料理であった。
作っていたのは煮込み料理、レシピは女性の母親が残した日記に記されていたものだった。
料理の名前は大事な日のスープとされており、頁の隅には隠し味は確かな痛みと書かれていた。
初めてこういう描写をしたためご指摘や
これってこういうこと等ありましたら
感想頂けると嬉しいです
普段はふんわりとした短編を書いております
興味があれば是非そちらもご覧ください