37.全部あなただったのね
「ザビン様……!?」
「君が登城すると聞いて。僕の従者がこっそり教えてくれたんだ」
「……」
ふらふらと、ゆっくりこちらに歩み寄ってくるザビン様に、私もソファから立ち上がる。
ザビン様は、なんだかやつれたように見える。それに髪もボサボサだし、目の下に隈もできている。
「あの……なんのご用でしょう?」
「ソアラ……」
ザビン様は、私を恨んでいるかしら?
こう見えても一応王子だから、きっと護身用のナイフはいつも持ち歩いているだろう。
……私、殺されたりして?
「ソアラ……ああ、ソアラ……僕が間違っていた。本当に……僕はなんて愚かだったのだろう」
「え?」
一歩ずつ近づいてくるザビン様に、何を言われるかと身構えたけれど。
ザビン様は今にも泣き出してしまいそうな顔で、意外な言葉を口にした。
「君と婚約したというのに、君と会えない日々が寂しくて……。それに、君と婚約してから急に女性たちが寄ってくるようになったから……他の女性で寂しさを紛らわせようと思ってしまったんだ。まぁ、僕の勘違いだったのだが……」
「……」
ああ、自分はモテるから、私はいらないと思ったということね。
けれど彼に近づいていた女性のほとんどは、聖女である私と仲良くなることが目的だとわかった。
ザビン様はそれを自分がモテるのだと勘違いして、ご自身の誕生日パーティーで公爵令嬢のベーベル様に求婚した。見事に振られたけど。
「もう済んだことです。それに、私は気にしていませんので、謝罪はいりませんよ」
「あの後兄上にも父上にもひどく叱られ、自粛しろと数ヶ月もの間部屋に軟禁されていたんだ。その間、本当に反省した! 僕が間違っていた!!」
「……ですから、もうよろしいのです、ザビン様。私はあなたを憎んでなどいませんので」
だって私はザビン様のおかげで魔女の塔に行くことができたのだから。
憧れの魔女の塔で生活できて、魔女の秘薬のレシピも知ることができた。
それに、ライナー様とも生活できた。とても楽しかった。
でも、また聖女に戻ってしまいそうだけど……。
「君はなんて優しいんだ……。君が魔女だなんて、やはり僕が間違っていた! お願いだソアラ、父上に僕との婚約を結び直すと言ってくれないか?」
「え?」
憎んではいない。ザビン様を憎んではいないけど……。婚約を結び直す気もない。
はっきり言って、ザビン様のことはどうでもいいというか、興味がない。
「ソアラはこの後父上と会うのだろう? そのとき父上に、〝僕のことは許した。今でも僕を愛している。結婚したい〟と、言ってほしいんだ!!」
「それは……困ったお願いですね」
私に嘘をつけと? というか、あなたと結婚する気はないので、言えません。
「お願いだソアラ!! 聖女である君が僕と結婚してくれれば、父上も僕を許してくれる!」
「……」
本音はそこね。ザビン様は結局、自分のことしか考えていないのね。聖女である私が彼と結婚すれば、彼はなんの罰も受けないから。だから今更私にすがってきたのね。
「それはお受けできません」
「そんな……! やはりまだ怒っているのか!? 僕はこんなに謝っているのに……!」
「ザビン様!? おやめください……!」
冷静に言葉を返したけれど、声を荒らげたザビン様が私に手を伸ばし、肩を掴んできた。
「お願いだ、ソアラ! 君が僕と結婚してくれなければ、僕はおしまいなんだ……!」
「本当に反省なさっているのなら、ご自分のできることを一から始めればよいのです……!」
ぐっと肩を強く掴まれ、揺さぶられる。我を忘れているのね。
「そんなの無理だ! 僕にはなんの取り柄もない! お願いだソアラ、僕が愛しているのは君だけなんだ!」
「ザビン様、痛いです。お離しください……!」
「では頷いてくれ!!」
「……っ」
一層力が込められ、痛みに顔を歪めたとき。勢いよく部屋の扉が開けられた。
「何をしているのですか!!」
「……っ!?」
「彼女から手を離してください、殿下」
入ってきたのは、ライナー様だった。とても低い声を出し、いつもの百倍怖い顔をしている。
後ろには陛下とその従者もいる。
「大丈夫か、ソアラ」
「はい……、平気です」
ザビン様が私から手を離すと、ライナー様はすぐに駆け寄ってきてくれた。
優しい声音に、ほっとする。
肩が少しズキズキするけれど、これくらい平気。痛みが治らないようなら、後で治癒すればいいだけだし。
「ザビン。私が目を離した隙に、おまえはまたとんでもないことを」
「父上……! 違うんです! ソアラはやはり魔女です!! この女は闇魔法が使えるうえ、とても恐ろしい女で――」
「闇魔法が使えるから、なんだと言うのだ」
「――え? だって、闇魔法は魔女が……」
「神殿長、フォルカー殿が彼女の力を見抜いていないはずなかろう」
「で、ですが……!」
「闇魔法が使えるだけで魔女の証にはならない」
「そんな……っ! しかし、母上はいつも言っていました! 闇魔法はとても危険だと! 魔女は恐ろしい存在だと――!!」
「ザビン。それはおまえが手に負えないほど我儘だったからだ」
「え――」
「おまえが幼い頃に王妃が亡くなったせいで、おまえは必要以上に魔女を恐れてしまったようだな」
「……」
ザビン様が幼い頃に亡くなった王妃様は、言うことを聞かないザビン様に、「いい子にしていなければ魔女が来る」とでも言っていたのかしら?
子供がよく言われることだけど……ザビン様がそれを理解する前に王妃様が亡くなったから、ずっと信じていたのね。
それでザビン様は、闇魔法が使える魔女(私)を邪悪な存在だと思い込んだの?
だとしても、誰にも相談せず独断で聖女を追放することは、たとえ王子でも許されることではない。
今回はすぐにライナー様が来てくださったからよかったけど、二度と起きてはならないことよね。
「ザビンよ。おまえはまだ反省が足りないようだな」
「父上……僕はただ、母上の言いつけを……!」
「おまえは何も取り柄がないと嘆いていたな、確かにその通りだ。……よし、では南の国境、ザウズにいる騎士団と合流するがいい」
「……え? ザウズにいる騎士団に?」
「その腐った根性も、少しは叩き直せるだろう」
「ちょ、ちょっと待ってください、父上……! ザウズは今、隣国との戦争を終えたばかりの危険な地域で――!」
「だから行くのだ。自分に誇れる男に生まれ変わってくるといい」
「そんな……っそんな……!」
陛下の鋭い視線とはっきりと告げられた重い言葉に、ザビン様はがくりと膝から崩れ落ちた。
けれど、そんな彼を支えてくれる者は誰もいない。
「重ね重ね愚息が申し訳なかった。聖女であるそなたに対する非礼を心から詫びたい。なんなりと望みを言ってくれ」
「陛下、お顔をお上げください! 私はこの数ヶ月、とても充実しておりました。とても貴重な経験もできました!」
深々と頭を下げる陛下に、私は慌てて声をかける。
……立派な魔女になるための練習や秘薬作りをしていたということは……言えないけど。
「それもすべて、こちらにいらっしゃるライナー様のおかげです。私の望みはライナー様と、あの塔を貸してくださった方にお礼を伝えることです」
「ライナーと、塔を貸した者……?」
「はい」
なぜかそれを聞いた陛下は、不思議そうな顔をしてライナー様に視線を向けた。
「なんだ、ライナー。伝えていなかったのか」
「ええ……、はい」
「ふっ……おまえも控えめな男だな」
……?
陛下とライナー様はなんの話をしているのだろうか。顔を見合わせて、小さく笑っている。
「ソアラよ、あの塔の持ち主はフェンツ侯爵だぞ」
「……フェンツ侯爵様?」
「つまりライナーの父親だが、現在あの塔の管理を任されているのは、ライナー自身だ」
「…………ええっ!?」
それじゃあ、塔で暮らしやすいように色々準備してくれた、とある高位貴族様って……。
ライナー様のことだったの……!?
「後日改めて二人の望みを聞こう。ゆっくり考えておくといい」
「……はい」
にこにこと楽しそうに笑っている陛下に、私はなんとも気の抜けた返事をしてしまった。
その後、今日は王宮でゆっくりしていけと言われた私とライナー様は、お部屋をお借りして泊まっていくことになり、別々の部屋に案内された。
シシーとニコには、ライナー様が魔法の手紙を出して事情を伝えてくれたらしいけど……。
まさかあの塔で私が快適な生活を送れるように準備してくれていたのもすべて、ライナー様だったなんて。
私は本当に、ライナー様のことを何も知らなかったのね……。
「……よしっ!」
いてもたってもいられなくなった私は、意を決してライナー様のもとを訪ねることにした。