18.あなたはどうしてそんなに優しいの?
「あっ、魚がいますね!」
「ああ」
少し暗い気持ちになりかけたけれど、私がそんな顔をすれば鋭いライナー様はきっとすぐに何かを感じ取ってしまう。
私が密かに魔女の秘薬作りをしていることがばれたら大変なのだから、いつも通りにしていないと。
だから視界に映った魚を見て、私は靴を脱いだ。
「……何をしているんだ?」
今日は天気がよくて、少し暑いくらいだった。
だからつい、ライナー様がいるのも構わず、ワンピースの裾をたくし上げ、膝上できゅっと結ぶと、私はばしゃばしゃと川に入っていった。
冷たい水が脚に触れ、心地よい清涼感が広がる。水面に映る太陽の光がキラキラと輝いて、まるで水の中に小さな宝石がちりばめられているようだった。
実際、川の中にも魔石があるようだ。
「な、何をしている……!」
「ふふっ、とっても気持ちいいです! 今夜のおかずは私が捕るので、任せてください!」
「……っ」
気合いを入れて腕まくりした私を見て、ライナー様は手のひらで顔を覆った。
あ……もしかして呆れてる? ちょっとはしゃぎすぎてしまった……?
でも、他に見ている人はいないし、本当にとても気持ちいいから気にしない。
「あまりはしゃぐと転んでしまうぞ」
ライナー様から、ふぅと息を吐く声が聞こえた。
けれどライナー様だってよく魚を捕ってきてくれる。もしかして釣ってきてくれているのかもしれないけれど。
「本当に気持ちいいですよ? ライナー様も靴を脱いで入ったらいいのに! 少しくらいはしゃいでも、誰にも言いませんよ!」
開き直って笑いながらライナー様を振り返ったら、彼の口元も小さく緩んだように見えた。
……ライナー様が、笑った。
その微笑みは一瞬のことで、まるで幻を見たような気がしたけれど、確かに彼の厳しい表情がやわらかくなったのを見逃さなかった。
「ライナー様も来てください!」
その表情に、胸の奥がくすぐったいような感覚になる。
それでつい、彼の腕に手を伸ばしてこっちに誘おうと思ったら、少し大きめの石を踏んでしまった私の身体がよろめいた。
「……わっ!」
「危ない……!!」
咄嗟にライナー様の腕を掴んだ私は、バランスを保てずにそのまま派手に転んでしまう。
〝バッシャーン――!〟
や、やってしまった……!
冷たい水が一気に身体を包み込む。
水の事故はこれで二度目だ。
前回も私の不注意でライナー様にバケツの水をかけてしまった。
あのときは慌てる私に、小説の台詞を真似たようなことを言って和ませてくれた。
少し意外だったけど、嬉しかったのでよく覚えている。
けれどこれはまずい。さすがにまずい。
それに思い切り転んだから痛い……と思ってぎゅっと目を閉じたけど……あれ? 思ったより痛くない。
「大丈夫か?」
「あ……っ!」
その理由は、目を開けてすぐにわかった。
ライナー様の腕を掴んだ私は、そのまま彼を巻き添えに転ぶだけでは飽き足らず、ちゃっかり彼の上にダイブしていたようだった。
ライナー様の力強い腕がしっかりと私を支えてくれているのを感じながら、彼の胸の鼓動が耳元で聞こえる。
冷たい水に濡れたにもかかわらず、彼の体温がじわりと伝わってきて、不思議な安心が広がった。
「ごごごご、ごめんなさい……!!」
ライナー様の大きな身体をクッションにしていた私から血の気が引いていく。
ああ、なんてことを……!!
「いや、怪我はないか? 痛いところは?」
「私はライナー様のおかげで全然……!」
すぐに平気であることをアピールする私に、ライナー様は安心したように小さく息を吐いた。
「それならよかった」
「……っ」
心からそう思っているような優しい笑顔に、ドキリと胸が鳴る。
同時にライナー様に身体を支えられているこの状況を客観的に考えて、急に恥ずかしさを覚えた。
太陽の日差しを浴びて美しく輝く金色の髪から滴る水。
濡れた身体に張りついたシャツの下の、男らしい筋肉と身体付き。
水に濡れた冷たさのせいで、ライナー様に触れている部分からあたたかな体温を一層感じてしまう。
私は、どうしてこんなに素敵な方と二人きりでピクニックをしているのかしら――?
ふいにそう思うのと同時にドキドキと胸が高鳴り、顔が熱くなっていくのを感じた。
「本当にすみません……!」
「いや、……っ」
「あっ」
慌てて立ち上がった私に、ライナー様も続くように身体を起こした。
けれどそのとき、一瞬だけ眉を寄せて自分の右手を見たのを、私は見逃さなかった。
「すみません……! ライナー様が怪我を……!」
「これくらい、大したことはない」
倒れて手をついたときに、石で切ってしまったのだと思う。
彼の手のひらから血が滲んでいる。
「私のせいで……!」
服もびしょ濡れだし、怪我までさせてしまった。何やってるのよ、私の馬鹿……!
「本当に気にしないでくれ。これくらい、怪我のうちに入らない。あなたが楽しかったのならそれでいいが、ひとまず川から上がろう。魚は後でニコが釣ってきてくれる」
「……はい。本当に申し訳ありません」
ライナー様は本当になんでもないように、私に怪我をしていないほうの手を差し出した。
掴まっていいということ……?
私を少しも責めることなく、優しい言葉をかけてくれるライナー様に、私の鼓動は鳴り止まない。
「……ありがとうございます」
こんなにご迷惑をおかけしたというのに、まだ私に優しくしてくださるなんて……。
掴まらせていただいたライナー様の手は、大きくてあたたかい。力強さと優しさが混じり合ったその手は、私を守ってくれるかのように感じられた。
「……これではピクニックどころではありませんね」
来たばかりだけど、二人ともずぶ濡れになってしまったのだから、ピクニックは終わりだわ。
こんな状態で帰ったら、きっとシシーも悲しい顔をするだろうな。
そう思って言ったけど、川から出るとライナー様は「失礼」と言って私の肩に手を触れた。
「わぁ……っ!」
その途端、ふわりと暖かな風が私の身体を包んだと思ったら、濡れていた服が一瞬にして乾いてしまった。
ライナー様も自分の服を瞬時に乾かすと、私に視線を向けて「これで大丈夫」と言ってくれた。
「ライナー様……」
「こういう魔法なら俺も使える。だから気にしないでくれ」
大人気なくはしゃいで迷惑をかけてしまったのに、あなたはどうしてそんなに優しいのですか……?