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沢渡クロエと7人のクズ  作者: 天野弱
第一章【カネの悪魔は強欲に溺れる】
7/10

第6話『ニオイ』

 人の心を操れる〈天使の矢〉。

 なんて恐ろしい力だろう。一歩間違えれば簡単に悪用出来てしまうものだ。

 徐々に光を失っていく右腕の天輪。自分の腕を見下ろしながら、ミークに問いかける。

 

「この矢は……ミークの力?」

『ああそうだ。オマエ、俺様と手を握っただろ?』

「ええ」

『あの時に仮契約が結ばれたんだよ。俺様の力の一部がお前に譲渡された』

「仮契約?」

『右腕の天輪が見えるだろ? それが天使と契約した証なんだよ。ま、オマエはまだ仮契約だけどな』

「貴方の許可なく天使の力は使えないってとこかしら?」

『そーいうこった』

「そう……」


 仮契約。つまり、私はまだミークの信頼を勝ち取ってはいないということ。

 この〈天使の矢〉も私の意志では出し入れができない。惜しい力だと思うけれど、大きすぎる力は身を滅ぼしかねないものね。

 悔やんでも仕方がない。仮契約なら、彼の信頼を得るまで悪魔を祓えばいいだけの話。やるしかないわね。


『おいクロエ』


 耳元でミークが囁く。私は我に返ったように顔を上げた。訝しげな瞳のミークと目が合う。


「な、何よ」

『ぼーっとしてんなよ。ほら、もうこっちまで来てるぞ』

「来てるぞって――」


 顔に影がかかる。見上げると、長身の男子生徒がこちらを見下ろしていた。

 身長は180センチ近くはありそうだ。ネクタイの色は緑。上級生のようだ。確か2年生の色だったと記憶している。

 黒い髪に鼻筋の整った顔。表情は読めないのに、瞳はやたら熱っぽかった。

 ……ああ、彼はそうだ。思い出す。

 私が〈天使の矢〉を刺したひと。そして――マンション前で出会った真っ黒な瞳の青年だった。

 けれど、今の彼は私に気付いた様子はない。〈天使の矢〉で思考力を奪われているのだろう。

 人の心を掌握出来るというけれど、どの程度なのかしら?


「貴方は?」

八千草天也(やちくさてんや)だ」

「ヤチクサ先輩、お願いがあるのだけれど」

「君のためなら、なんでも」

「……す、すごいわね」


 これが天使の力らしい。いわゆる恋愛や信仰に近いものかしら。どのレベルの命令まで効くのか試したいところね。まあ、効果時間も読めないからまだ実行は出来ないけれど。


『はっはっは。おもしれーなあ、やっぱニンゲンってヤツは!』

「ちょっとミーク、笑い過ぎよ」


 ミークが私の肩の上で笑い転げている。いつもは他人が私と接触すると姿を消しているのに、珍しいわ。もしかして、このヤチクサ先輩と何か関係があるのかしら。

 そんなミークには目もくれず、ヤチクサ先輩はじっと私を見つめ続けている。


「お願いはなんだ?」


 彼に尋ねられ、私は僅かに考えた。周囲に目を配る。ここから少し離れた昇降口では、まだ購買に向かう生徒でごった返していた。


「私、購買のパンが食べてみたいの。買ってきて貰えるかしら?」

「分かった」

「ちょ、ちょっと待って!」


 すぐに踵を返そうとするヤチクサ先輩を慌てて止める。私の声に彼はすぐに振り返ってくれた。これは命令一つ間違えられないわね。実行力が凄まじいわ。


「お金は私の財布を使って頂戴。人気のパンを一つ買ってきてくれるだけでいいわ」

「分かった」


 私の財布を受け取ると、彼はすぐさま人の波に消えていった。

 残された私は昇降口を見つめながら、静かに言葉を零す。


「ねえミーク」

『あんだよ』

「貴方、ヤチクサ先輩と知り合いじゃないの?」

『なんでそう思う?』

「だって彼の前では姿を見せてるじゃない」

『〈天使の矢〉に射抜かれた人間は、刺した相手しか見えなくなる。だから俺がいても気付かれないし、違和感はねーだろ』

「……」


 一応、筋としては通っている。けれど、何だか納得いかなかった。

 心の奥に浮かんだ疑念は少しずつだが大きくなっていく。

 私たちの関係は、利害の一致で成り立っている。互いが互いを信頼していない。だから疑念が増えていく。だから力を与えてもらえない。これは正当な契約と言えるのかしら。

 一体、ミークは何を隠しているの?


「あれ、沢渡さんどうしたの?」


 顔を上げると、ヒメジくんが不思議そうな顔でこちらを見つめていた。手には牛乳パックとパンを持っていた。どうやら彼も購買を利用していたらしい。


「購買でパンを買おうと思ったんだけれど、人が多くて買えなくて」

「あはは、この人の多さじゃ慣れてないとキツいよね」

「ええ。周りの熱気が凄くて、弾き飛ばされたわ」

「は、弾き飛ばされたの? 沢渡さんが? ……やばい、めっちゃ面白い」


 ヒメジくんが笑いこらえるように口元を抑える。よく分からないけれど、笑えるポイントがあったのかしら?


「ちょっと笑い過ぎよ」

「ごめんごめん、ちょっと想像したら面白くてつい。……よかったらパン、僕が買ってこようか?」

「大丈夫よ、今、知り合いにお願いをしてるところだから」

「そう?」


 そんな会話をしていると、ヤチクサ先輩が戻ってきた。……手ぶらで。

 何故かヒメジくんがはっと息を呑むように先輩を見ていた。

 ヤチクサ先輩はどこかしょんぼりしながら、私の財布を差し出した。


「どうしたの? 売り切れたの?」

「……すまない。金が払えなかった」

「え? お金は入っていたでしょう?」

「現金しかダメと言われた」


 衝撃が走る。そんな馬鹿な。コンビニではカードが使えたのに。学校は現金のみの決済とは知らなかったわ。

 ヤチクサ先輩から財布を受け取りながら、中身を確認する。金色と黒のクレジットカード2枚だけ。それしか入っていない小さな白地の財布だ。現金という文化は私にとって未知の領域であった。


「現金なんて持ってないわ……諦めるしかないわね」

「すまない。コンビニに行こうか?」

「もう今日はいいわ。ハバキリさんが戻ってきたら、引き揚げましょう」

「分かった」

「ヒメジくんはどうするの?」


 振り返りながらそう尋ねると、彼は私を見ずにじっと手元の財布を見つめていた。その瞳はどこか虚ろだ。少し様子がおかしい。


「ヒメジくん?」

「沢渡さんって……お金持ちなんだねェ」


 静かな声だ。なのにどこかねっとりとした声色に聞こえるのは何故だろうか。ヒメジくんの周囲に異質な空気が漂う。少し怖い。


「お金持ちだなんて、大げさだわ。たまたま現金を持ってなかっただけだもの」

「そっかァ、たまたまかァ。25万のヴィトンの財布を持っていたのもたまたまかァ」


 ぞくりと寒気がする。それは私が持つこの小さな財布のブランドだ。金額まで当てられている。怖い。何なのだろう、この男は。

 ヒメジくんが両手に持っていたパンと牛乳が落ちる。徐々に彼が近づいてくる。笑っているのに、笑っていない。思わず後ずさる。


「彼女に近づくな」


 ヤチクサ先輩が立ちふさがる。ヒメジくんの異様な雰囲気に何かを察知したのだろう。私との間に割って入ってくれた。まだ〈天使の矢〉の力が効いているらしい。

 ほっとしたのも束の間――ヤチクサ先輩の腕を縫って、ぬるりとヒメジくんが私の髪に触れた。

 咄嗟のことに体が動かなくなる。

 ヒメジくんは私の金髪のひと房を愛でるように撫でた。


「綺麗な髪だなァ……肌のキメも細かいなァ……いいところに住んでたんだろうなァ」


 何を言っているんだろう。ヒメジくんの言葉一つ一つに理解が追い付かない。


「彼女の髪に触れるな」


 ヤチクサ先輩がヒメジくんを突き飛ばす。よろめいた拍子に、彼は足元に落ちていたパンを踏み潰していた。思わずヒメジくんを見るが、彼は全く意に介さず笑っているだけ。

 そこでようやく気が付いた。異質な雰囲気に呑まれ、彼の表情をきちんと見ていなかった。


「ヒメジくん、その目――」


 その瞳は――血のように真っ赤だった。

 舌なめずりをする姿は、まるで格好の獲物を見つけた野獣のよう。


「やっぱり沢渡さんは――金の(いい)匂いがするなァ?」

 

 ――姫路茂上。

 彼のその姿は、まさしく悪魔のようだった。

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