第4話『1人目は誰?』
――お金が欲しい。
それは、人間なら誰しもが持っている欲求だ。
美味しいご飯を食べたい。綺麗な服を着たい。豪華な家に住みたい。
すべてお金が無ければできないことだ。皆知ってる当たり前のことだ。
……ただ、理解出来ないものがある。
金で買えないものに価値があるとか。お金なんかより愛が大切だとか。
ばかばかしくて吐き気がする。気持ち悪い。頭がおかしいんじゃないか? そんな綺麗ごとが吐けるのは、金を持っている側の人間の発言だ。
そんな奴らは、一度すべての金を失ってから言ってもらいたい。
空腹に這いつくばって。毎日同じ服を着て。怒号の響き渡るゴミ溜めの家で。
キミは本当に、金より愛が大切だと言えるのか?
そんなのは嫌だ。もう二度と、あんな惨めな生き方はしない。
そのためなら、僕は『強欲』に金を求め続けてやる――。
◆
ふと私は顔を上げた。あれから、どれくらい時間が経ったのかしら。
そう思った瞬間――校舎から予鈴が鳴り出した。これは確か、始業直前の合図。
私は慌てて地べたに落ちていた鞄を拾い上げた。
『おい、そろそろ始業式が始まるんじゃないか?』
「分かってるわ!」
思いのほか、私たちは話し込んでいたらしい。軽く制服の土埃を払うと、私はミークを置き去りにして走り出した。あまり走る経験がなかったからか、前に進んでいる気がしない。
『まったく、時間にルーズな女だな、オマエ』
「なんですって……って、貴方どこに乗ってるのよ!」
『あん? 何か文句あるのか?』
ミークは私の肩にふてぶてしく乗っていた。少し重い。どうりであまり速く走れないわけだ。
「貴方、空を飛べるでしょう! なんで私の肩に乗るのよ!」
『飛ぶのも疲れるんだよ。それに走りながらでいいから、俺様の話を聞いておけ』
「何よ!?」
先ほど私が歩いていた通学路が見えてきた。ちらほらと私のように走っている生徒がいる。
『俺様の声は、普通の人間には聞こえねー。だからあんまり大きな声で答えてると不審がられるぞ。特に、悪魔憑きのヤツらは何かと神経過敏なんだ』
「シンケイカビンって何よ!?」
慌てている時に難しい日本語を使わないでほしい。ミークはわざとらしくため息をついた。
『めんどくせーな……まあとにかく、怪しまれて警戒されんなって話だよ』
いちいち腹の立つヒヨコである。しかしここで文句を言っている時間はない。
通学路を通り抜け、昇降口にたどり着く。そこには各生徒のクラスの割り当て表が張り出されていた。私は……B組のようだ。
ローファーのまま玄関を越えようとして、ぎゅっとミークに肩を握られた。……足で。
『おい、内履きに履き替えろ。ローファーのままは禁止だぞ』
「あ……」
そうだった。日本では靴を履き替える文化がある。
私は慌てて鞄から内履きを取り出した。ローファーから履き替える。割り振られた自分の下駄箱をふらふらと探していると、ふいに誰かの影が左目にちらついた。思わず顔を向ける。
「あ」
……目が合ってしまったわ。柔和そうな瞳がくりくりとこちらを射抜いた。
「君、見慣れない子だね。編入組?」
そう話しかけてきたのは、人懐っこい笑みを浮かべた男子生徒。柔らかそうな猫毛が跳ねている。寝ぐせなのかしら。
「ええ。編入生、ということになるのかしら。貴方は……?」
「あ、えーと、僕は中学からずーっとここに通ってる、いわゆる『内部進学組』ってヤツだね。分からないことがあれば、何でも聞いてよ!」
ほにゃっと無警戒に笑う姿は、どこか母性本能をくすぐられてしまう。彼の雰囲気が成せる技だろうか。
何となく応酬を交わしながら自分の番号の下駄箱を見つける。ローファーを仕舞い、廊下に足をかけたところで、後ろから声がかかった。
「待って待って、せっかくだから一緒に行こうよ」
「え?」
振り返ると、慌てたように内履きに履き替える彼の姿が目に入る。私の傍まで駆け寄ってくると、人懐っこい笑みを浮かべた。……ちょっと子犬のようだわ。
「僕、姫路茂上。君と同じ1年B組なんだ。よろしくね」
「沢渡・マリーベール・クロエよ。よろしく」
静かに微笑む。ヒメジくんのこのするりと相手の心に入ってくる人懐っこさ。親しみやすさ。何だか少し気圧されてしまう。言われるがまま、ヒメジくんと一緒に廊下を歩く。
肩にいたミークはいつの間にかいなくなっていた。
階段を上がりながら、窓の外を見やる。桃色の花が綺麗に青空を待っている。穏やかな気持ちになるが、ふと考える。
こんなゆっくり歩いていて大丈夫なのかしら。
心配そうにしていたのが分かったのか、ヒメジくんは穏やかに笑った。
「始業式前は、予鈴が鳴ってもどの先生も少し遅れてくることが多いんだ。職員会議が長引きやすいみたい」
「そうなのね」
流石中学から通っている生徒は違うわね。こういう内部生徒からの情報はありがたいわ。
関心して頷いていると、ふいにヒメジくんが少し近づいてきた。
「ね、沢渡さんって何かいい匂いがするね」
「え? ……そうかしら? 何も付けていないけれど」
自分の腕の匂いを嗅ぐ。……分からないわ。特に香水も付けているわけでもない。不快な匂いじゃなければいいけれど、自分じゃ匂いは感じ取れないわ。
首を捻る私に、ヒメジくんは目を細めて笑った。
「うん、いい匂いがするよ。羨ましいくらい」
「そう……かしら」
彼は匂いに敏感な性質なのかもしれない。好意的に思われるのは悪い気はしないが、自分ではよく分からない。
そんな会話をしながら階段を3階分上がり、ようやく1年B組が見えてくる。ヒメジくんが先に扉を開けて教室に入ると、「遅いぞ姫路ー」という声が聞こえた。彼はやはりクラスでも中心人物のようだ。
『おい、クロエ』
「……ミーク?」
振り返ると、いつからいたのかミークが宙に浮かんでいた。どこか神妙な顔だ。
彼の視線は教室に入っていったヒメジくんに注がれている。
『――アイツ、悪魔が憑いてるぞ』
「アイツって……ヒメジくんのこと? まさか」
思わずまじまじとヒメジくんを見つめた。もう既にクラスメイトたちに囲まれて笑っている。
あんなに人懐っこそうな彼に悪魔が憑いている? 信じられない気持ちだった。どこをどう見たら、悪魔が憑いていると思うのだろう。これも天使の力なのかしら。
それに、信じられない要因はもう一つあった。
私の近くに、それもこんなすぐに悪魔が見つかるなんて――何だか都合が良すぎじゃないかしら?