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沢渡クロエと7人のクズ  作者: 天野弱
序章【彼女はまだ何も知らない】
4/10

第3話『天使と悪魔と取引と』

 日本にきて3日目。まだ日本の生活には慣れないわ。

 ようやく今日から私の聖クリッズ学園での生活が始まる。


『準備は大丈夫? 見送りに行けなくてごめんね、クロエちゃん』

「大丈夫ですよ。井上さんも毎日仕事なんですから、そんな気にしないで下さい」

『あーあ、見たかったなあクロエちゃんの初制服姿。……俺泣いちゃうかも』

「もう、泣かないで下さい。既にちょっと涙声じゃないですか」

『だって、あの小さかったクロエちゃんが高校生になるなんてさ……オジさん嬉しいよ』


 電話口で鼻をすする井上さんに苦笑する。壁に掛けられた白亜の時計を見やった。

 時刻はちょうど8時。そろそろ出かけたい時間だ。

 鼻声の井上さんに別れを告げ、私は彼に手渡された携帯を閉じる。

 鞄を持ってリビングを出ようとして、姿見に映る自分と目が合った。


「……いい感じじゃない」


 ひとり姿鏡の前でくるりと回る。

 紺をベースに白のボーダーラインが入ったセーラー服。スウェーデンには制服という文化が無い。私服での登校がメインだったため、日本の可愛らしい制服に感動してしまう。

 ハバキリさんにトースターの使い方も教わり、朝のパンも食べられた。ジャムを塗って焼くと、パンがあんなに美味しくなるなんて知らなかったわ。マルシェに自慢したい。


 小さく息を吐きながら、指定鞄を片手にマンションを出る。

 あたたかな春の陽気。学園まで徒歩5分。時間にはまだじゅうぶん余裕があった。

 まだ人通りの少ない通学路を歩く。空を仰ぐと、ピンク色に降り注ぐサクラがとても美しい。


「……ん?」


 ――ふと。

 誰かの視線を感じた。振り返る。誰もいない。けれど、確かに誰かがこちらを見つめていたような……。肌を刺すような嫌な視線だった。

 校舎の時計を見上げる。まだ時間はある。私は視線を感じた先へと歩き出した。


 通学路を抜け、わき道を進む。学園のすぐ傍には白亜の教会があった。真新しく、輝くステンドグラスがまぶしい。パイプオルガンの音色がここまで響いてくる。どこか寂しく、おだやかで切ない音だ。


「素敵な曲……」


ふらりと教会へと足を進める。――扉の取っ手に手を伸ばした時だった。


『どわぁぁあああああああああああああああああ!!!!』

「えっ!? ――はぶっ」


 何か白いモノが私の顔面に落ちてきた。勢い余って地面に倒れる。

 地面は思ったよりも硬くて痛い。けれど、顔にのしかかる白いモノはふわふわとくすぐったい。


「い、痛い……何なのよ……」


 生き物だろうか。身を起こしながら、じたばたと暴れる白いモノを顔から剝がす。

 触るとよく分かる。羽毛のような、とろけそうなくらいとんでもない柔らかさ。手にすっぽり収まる丸いフォルムはヒヨコのよう。ヒヨコにしては随分ふっくらしているが……。

 丸いヒヨコはぐるりとこちらを向いた。


『おい! いつまで俺様を握りしめてるつもりだ、クソ女!』

「は……」


 言葉を失う。

 ……ヒヨコが喋った。しかもずいぶん横柄な態度である。そ、それにこのヒヨコは私のことを何と言った? ……頭がくらくらした。理解が追い付かない。


『何度も言わせるなクソ女! 俺様を離せ!!』

「え、ええ、ご、ごめんなさい」


 戸惑いながら手を離す。白くて丸いヒヨコはふわふわと宙を舞った。その小さな翼でどうやって重力に逆らっているんだろう。茫然と見つめる。

 彼(?)は不遜な態度でこちらをじっと見降ろした。


『オマエ……俺様の言葉が聞こえているのか?』

「……え。ええ、聞こえるわ」

『ふうん……なら話は早いな』

「な、何の話?」


 まだ私にはこの状況が呑み込めていないのだけれど。勝手に話を進めないでほしい。

 ヒヨコはふわふわと私の目の前まで近づいてきた。


『オマエ、この学園では見慣れない顔だな。転入生だろ』

「そ、そうよ」

『ならこの学園のウワサは知らねーだろ』

「……7つの大罪の悪魔を飼ってるって話のこと? あれはだだのウワサなんじゃ、」

『ウワサなんかじゃない。この学園にはマジの悪魔がいる。それも、かなり厄介なヤツがな』

「そんな冗談みたいな話……」

 

 彼は腕を組みながら(腕を組むというか羽を組んでいる)ふらふら宙を漂う。

 

『その証拠に、この土地の守護天使である俺様がこんな姿にされてるんだよ』

「しゅ、守護天使?」

『……何だよ。守護天使疑ってんのか? あん?』

「そういうわけじゃ……」


 ずいぶん態度の悪い守護天使である。しかしそれを抜きにしても、信じられない。現実に起こっているものとはとても思えなかった。

 私の内心とは裏腹に、ヒヨコはなお続けた。


『まあ何にせよ、俺様は昔からこの土地を守ってきたんだよ。けど、10年くらい前から、この土地に悪魔が住み着きやがった』


 彼の話では、悪魔は契約や降臨、人が絡まなければ決して応じない。この土地に悪魔が住み着いたことに、何か理由があると睨んでいるようだ。


「誰かが悪魔を呼んだってこと?」

『そうだ。ただ、その誰かまでは分からない。今問題なのは、そいつが呼んだ悪魔がとんでもないバケモノだったつーことだ』

「それが7つの悪魔ってことね」


 私の言葉に、彼はにやりと笑った。


『飲み込みが早いじゃねーか。そうだ。そいつが呼んじまったのは、7つの大罪の悪魔。この学園の人間にとり憑いてるのは間違いない』

「そんなこと、分かるものなの?」

『ああ。悪魔が取り憑いた人間にはある一定の共通点がある』

「共通点? ……赤い瞳がある、とかかしら?」


 私の返答にヒヨコは「よく知ってるじゃねーか」と何故か偉そうに鼻を鳴らす。彼はふわふわと宙を舞いながら、片方の翼を人差し指のように空へ突き出した。


『明確に分かりやすいのは、赤い瞳。次いで性格の変貌。そして異常行動。それから、これが最も悪魔を引き寄せる要因なんだが――』

 

 ちらりと彼は私を見据えた。どきりと心臓が跳ねる。そのガラス玉みたいに澄んだ瞳は、私のほの暗い心を見透かしているようにも見えた。


『それは肥大化した人間の欲望ってヤツだ』

「欲望……」

『オマエも何かしらあるだろ? 金がもっと欲しいとか、モテたいとか、綺麗になりたいとか』

「……そんなものかしら」


 何だかいまいちピンと来ないわ。もっと分かりやすい例えが欲しいものね。

 黙り込む私を他所に、ヒヨコは淡々と続ける。


『普通の人間はそんなご大層な欲望なんか持っちゃいねー。……ただ、ごく稀にいるんだよ。異常なくらい肥大化した欲望の持ち主がな。俺様はそういう悪魔に好かれた人間を、悪魔憑きと呼んでる』

「悪魔憑き……」

『ヤツらと契約した悪魔憑きには、【魔業(まごう)】っつー悪魔の力が授けられる。それを使ってヤツらは、己の欲望のままやりたい放題ってことだ』

「……それは今も続いているということよね」

『ああ。ヤツらは自分の欲求を満たすためなら、他人を傷付けてもいいと思ってる。あー、そういうヤツを、ここじゃなんて言うんだったけな……』

「……」


 自分の欲求を満たすためなら、他人を傷付けても構わない。

 どこかで誰かが涙を流そうとも、彼らなら関係ないと笑い飛ばすのだろう。

 そんなものは。

 そんな人間は。


「……クズ、かしら」


 思わず自嘲めいた笑みが零れた。

 ヒヨコがまん丸の瞳で私をじっと見た。心にくすぶる真っ黒な炎がじわりじわりと燃え始める。

 胸の奥が熱くて、鼓動が早くなっていく。ぎゅっと両手を握りしめる。

 そんな私を黙って見つめたヒヨコは、小さく息を吐いて皮肉げに笑った。


『ハハッ、分かりやすいじゃねーか。7つの悪魔憑き共は、さしずめ7人のクズってとこだな』


 彼はゆっくりと私の目の前に降りてくると、改めて私の全身をくまなく見つめた。失礼なヒヨコだわ。


『オマエも、なかなかの爆弾抱えてそうじゃねーか。……なあ、取引しよーぜ』

「取引?」

『学園にとり憑く悪魔を払えば、俺様の姿も元に戻る。悪魔祓いに、オマエの協力が欲しい』

「……そんな悪魔祓いなんて出来ないわ。私はただの一般人よ?」

『俺様の言葉が分かるヤツは貴重なんだ、このチャンスを逃したくねえ。それに悪魔祓いっつたって、そんな大層なもんじゃねーよ。ただ勘付かれないよう、ヤツらに取り入って欲しいだけだ』


 あとは俺様が上手くやってやるよ。そう言ってのける彼に、私は静かに考えた。

 とても非現実的な話だ。守護天使やら悪魔やら、まるで空想の世界のようだ。けれど、こうしてヒヨコが目の前で喋っているのを認識してしまったし、あながちすべての話が嘘ではないのだろう。


 しかし――このヒヨコには、何か他にも目的がある(・・・・・・・・・・)。それはきっと、私に話すと都合が悪いもの。取引が成立しなくなるもの。

 核心はない。ただ、これまでの会話で隠しておきたい事実が見え隠れしている。そんな気がしてならなかった。


 ……面白いじゃない。


 空は澄んだ青が広がっている。いつの間にかパイプオルガンの音色は聞こえなくなっていた。


「……取引って言ったわね。何か私にもメリットがあるのでしょう?」

『フン、ただのバカじゃねーか。……ああ、あるぜ。俺様の手伝いをしてくれたら……そうだな――オマエの復讐(・・・・・・)の手伝いをしてやるよ』

「――!」


 息を呑んだ。何故。何も話していないのに。

 茫然と彼を見つめる。ヒヨコは意地の悪い笑みを浮かべてこちらを見下ろす。


『どうして知ってるのかって顔だな。人間の心なんて俺様の前で隠せると思うなよ』

「……手助けなんていらないわ」

『ハッ、強がるなよ。隠しきれてないぜ? ――殺したいほどの憎悪がよ』

「……ッ」


 一瞬にして脳裏に呼び起される記憶。

 雪が吹きすさぶベランダ。純白の雪に埋もれる赤。誰もいない部屋。つながらない電話。

 あたたかな私の幸せ。それを捨て、忘れたあの人を――いや。あの人たち(・・・・・)を。


 ――私は決して許さない。

 必ず私と同じ苦しみを、悲しみを。不幸を――与えてあげるわ。


『天使の力があれば、人の心も自在に操れる。オマエの望む復讐も遂げられるだろう。俺様の力を使え。利用しろ。俺様も、オマエをとことん利用してやる』

「……」


 人の心を操る。

 それは天使の発言とは思えないほど非人道的な言葉だ。……なのに。

 ――どうして、こんなにも甘美な響きに聞こえるのだろう?


 あたたかな春の日差し。通り抜ける風はまだ少し冷たい。

 パイプオルガンの音色が聞こえなくなった美しい教会の前。真っ白なヒヨコと真正面から向き合う。

 私の表情を見て、彼はにやりと笑った。


『取引、成立だな』


 小さな翼がこちらに差し出される。


『俺様は――ミカエラ。ミークとでも呼んでおけ』

「沢渡・マリーベール・クロエよ」


 差し出された羽をそっと握る。柔らかな翼なのに、何者にも屈しない力強さを感じた。

 私たちは、互いに秘めた思惑を抱えながら、こうして手を組んだ――。

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