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沢渡クロエと7人のクズ  作者: 天野弱
序章【彼女はまだ何も知らない】
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第1話『来日』

「お嬢様! ――クロエお嬢様! 本当に日本へ行くおつもりですか!?」


 盛大に部屋の扉が開かれる。ノックもせずに開けるとはメイドの風上にも置けないわ。 


「うるさいわね、マルシェ。もう決めたの」


 私は見向きもせずに荷造りを続ける。クローゼットいっぱいの洋服も持っていきたいわね。けれど、新たに生活を始めるのだから身軽な方がいいかしら。

 一人悩む私の背にマルシェが駆け寄ってくる。


「日本での生活はお嬢様の想像より大変ですよ!?」

「あら。異文化を知るいい機会じゃない」

「向こうでの住まいはどうするおつもりですか!?」

「ツテがあるの。もう話もついてるわ」

「ツテって、あのイノウエさんとかいう人ですか!?」

「分かってるじゃない。その通りよ」

「ううっ、イノウエさんがいるなら……いや、でもでも~~!」


 取り乱すマルシェにため息を零す。くるりと振り返ると彼女は涙を浮かべていた。


「ど、どうして泣いてるのよ」

「だって、だってぇ~~~~寂しいんですよ~~~!!」


 がばっと抱き着かれる。ぐすぐすと大の大人が泣きついている。ため息交じりにマルシェの頭を撫でてやる。これではどちらが大人なのやら。

 マルシェは10年以上、母親のいない私の世話をしてくれていた母のような存在だった。

 彼女と離れるのは私も寂しい。けれど……これはもう、決めたことなのだ。

 しばらく私にしがみつくように泣いていたマルシェは、やがてゆっくりと顔を上げた。


「ぐすっ……あの、旦那様には、このことはお伝えしたんですか?」


 ――その言葉を聞いた途端、どくりと心臓が軋む音がした。

 心がすーっと冷えていく。


「――まさか。するわけないじゃない」

「お嬢様……」


 マルシェが困ったように私を見る。何だかばつが悪くなって、私はそっぽ向いた。


「でもお嬢様、編入先の高校って……旦那様の……」

「――あのね、マルシェ」


 私は未だにしがみつくマルシェの体をゆっくりと離した。静かに立ち上がると、私はベッドの方へ向かった。

 天蓋付きの真っ白なベッド脇。棚の上に置かれているのは見慣れた写真立て。そっと手に取る。美しく長い金髪。緑の瞳の女性。微笑む彼女に抱かれている子供は私だ。そしてもう一人――父親らしき男の顔は、切り取られた後のように穴が開いていた。


「――これは、私の復讐なの」


 ぎゅっと写真立てを握る。この写真を見るたび、様々な感情が私を呼び覚ます。じわじわと両目が熱を帯びたように熱くなる。


 ――決して忘れるな。

 ――決して許すな。

 ――復讐を遂げろ。


「そのために、私は日本へ行くのよ」



 ◆



 生まれ育ったスウェーデンから日本まで、飛行機を乗り継いで一日と少し。

 どうやら日本は今の時期、スウェーデンよりも温暖らしい。

 クタクタになりながらスーツケースを引きずる。タクシー乗り場へ向かうと、見覚えのあるベージュのジャケットの男性がひらひらとこちらに手を振っていた。


「久しぶりだね。クロエちゃん」


 ジャケットから見え隠れする筋肉質の体。色黒の肌。春の陽気に相応しくないほど年中真夏のような晴れやかな笑顔だった。


「お久しぶりです。井上(いのうえ)さん」


 日本語、合ってるかしら。日本で生活していくのだから、ある程度こちらの語学は勉強してきたつもりだけれど、日本人相手に話すのは初めてだわ。

 私の言葉に井上さんはニカっと真っ白い歯を向けてきた。


「うん、流石ミネルヴァさんの娘さんだ。完璧な日本語だよ」

「あ、ありがとう、ございます」


 ……やっぱり井上さんには敵わないわね。

 私は胸の奥に浮かぶあたたかな気持ちを抑えながら、彼の運転するレクサスに乗り込んだ。真っ白な車体がきらきらと反射していた。

 助手席から見る景色が変わり始めた頃、井上さんが口を開いた。


「電話では何度も話したけど、実際俺と会うのは何年振りだっけ」

「母のことがあってからなので……もうすぐ10年くらいでしょうか」


 10年。私にとっては長い時間だ。

 様々なことが風化され、忘れられてもおかしくないくらいの重みだろう。

 井上さんは私の表情を一瞥して、小さく息を吐いた。


「……そうか。もうそんなに経つんだ。嫌だなあ、俺もオッサンになるわけだ」

「井上さんは昔と変わらないように見えますよ」

「調子乗っちゃうからやめてよー、オジさんはもうあちこちガタがきてるんだから」


 ガタがきているという割には、常に見た目に気を配る井上さんはやはり昔と何も変わらない。

 彼のさっぱりとした笑顔と性格には、私も母も何度も助けられたものだわ。

 窓の外を見やる。流れてくる景色は、もう私がこれまで知る世界とはまるで別物だ。立ち並ぶ大きなビル。肌の違う色の人たち。私の心は緊張と興奮が入り混じりながら踊っていた。


「あ、そうだ。クロエちゃんが明後日から通う学校だけど」

「聖クリッズ学園ですよね。中高一貫校の」

「そうそう。クロエちゃんがここに通いたいって聞いたときは驚いたけど。私立の中でも偏差値ダントツ高いところだしね」

「……」


 中高一貫校である私立聖クリッズ学園は、いわゆるミッション系の学園だ。学園の傍には大きな教会があり、必須ではないが毎週日曜日には礼拝が行われるらしい。

 私立ゆえの厳しい校則。それをカバーする多彩なカリキュラムの多さ。将来を中学から見据えた教育方針のため、他県からも受験を希望する子供も多い。

 郊外ゆえの敷地面積の広さを利用し、学園内には売店や小さな商業施設まである。至れり尽くせりだが、成績下位の生徒には何かと風当たりが強い学園と聞く。


「ま、あの学園の編入試験に合格しちゃうクロエちゃんなら、きっとやっていけるよ」

「ええ、ありがとうございます」


 静かに微笑む。

 昔から勉強は好きだった。問いがあり、答えがある。その応酬が楽しかった。多種多様な知識を頭に入れ柔軟に思考していると、ほの暗い感情をひと時でも忘れられたのだから。

 そうして井上さんと会話をしながら、2時間と少し。空はすっかり黄昏に染まりつつあった。 


「さあ、着いたよ。ここが今日から君の家だ」


 車が止まったのは、高くそびえ立つ高層マンションの前だった。

 ……何だか、私が思い描いていた日本の家と違うような。日本の学生はこんなそびえ立つ家で一人暮らしをしているのかしら。

 彼は白い歯を輝かせながら、右手の親指をビシッと立てた。


「俺の経営してるマンションの一つだから、セキュリティもバッチリだよ。学園からもなんと徒歩5分! 最強の立地でしょ」

「あ、ありがとうございます」


 とにかく、日本での自宅を用意してくれた井上さんの好意を無駄にしてはいけない。私は内心首を捻りながらも、車から降りた。

 荷物を運びこむため、トランクからスーツケースを取り出す。


「わ、見て外国人……」

「金髪キレー……」


 井上さんに荷物を降ろして貰いながら、私はマンションの前を通る日本人の視線を感じていた。

 やはり外国人の姿は目立つのだろう。母親譲りの長い金髪と緑の瞳は私の誇りだ。何も恥じることなんてないわ。私は青のコートを揺らしながら、胸を張って立っていた。


「よし、じゃあ部屋まで行こうか。鍵は今は俺が持ってるから」

「はい、ありがとうございます」


 井上さんの後を追ってマンションのエントランスへ向かう。

 歩きながら、ふいに春の風が頬を優しく撫でた。思わず足を止め、空を見上げる。


「……随分、遠くまで来たものね」


 母のこと。日本での生活のこと。そして――『あの人』たちのこと。

 考えることは尽きないけれど。

 これが、私の始まりであることは間違いないのだろう。


「クロエちゃん、どうしたの?」


 井上さんの声に視線を正面に戻す。不思議そうな顔でこちらを見る彼に、一抹の罪悪感が浮かんだ。こんないい人を、私は……。


「いえ、何でもないです――きゃっ」

「……っ」


 慌てて歩き出そうとして、私は真横を通り過ぎる人の肩にぶつかってしまう。

 倒れこみそうになる私の腕を、咄嗟に掴まれる。男性の力強い手だ。


「……悪い」


 頭の上から声がした。低く冷えた青年の声だ。

 顔を上げると、真っ黒な瞳と目が合った。息を呑んだ。何の表情も読めない青年がこちらを見つめていた。白いTシャツに真っ黒のジャケット。年は近そうに感じるが、何とも近寄りがたい雰囲気だ。


「ご、ごめんなさい。ありがとう……ございます」

「……」


 私の態勢が戻ったのを見て、彼は黙って腕を離した。私は思わずまじまじと彼を見やる。

 ……何かしら。この、彼から感じる何か強烈な『負』の空気。初対面なはずなのに、私の内側を刺激するような嫌な感覚。

 奇妙な居心地の悪さを感じた時、井上さんが慌てたような表情で戻ってくる。


「クロエちゃん、大丈夫!? ケガしてない!?」

「ええ、大丈夫です。この人が掴んでくれたお陰で何ともないですよ」

「そっか……よかった。君に何かあったらミネルヴァさんに顔向け出来ないからね」

「大げさですよ、井上さん」


 むしろ過保護なくらいだ。うちのメイドのマルシェがもう一人いるみたいだわ。

 私の井上さんの応酬を見ていた彼は、興味無さそうに踵を返そうとする。


「あの!」


 私は何故か咄嗟に彼に声をかけていた。

 後ろ姿の青年は、こちらに振り向かずに足を止めた。


「……えっと……」


 彼を引き留めて、私は何を言いたかったのだろう。何も言葉が浮かばない。

 口ごもる私に痺れを切らしたのか、彼は何も言わずにそのまま歩き去ってしまった。


「クロエちゃん、彼と知り合いなの?」

「……いえ、そういうわけじゃないんですが。何か……気になってしまって」

「おやおやぁ? それは一目惚れってヤツじゃないのかい?」

「ち、違います! そんなものじゃないです!」


 咄嗟に否定する。しかしニヤついた井上さんの顔は収まらない。

 私はそっぽを向きながら、先ほどの青年のことを考えた。

 真っ黒な瞳。何の感情も浮かんでいない無の表情。なのに――私を突き刺す無機質な視線が頭から離れない。

 そう、それはまるで――


「そんなものじゃ……ないわ……」


 ――お前は間違っている。


 そう言われているような気がしてならなかった。

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