9:アンタレス、子猫の里親を探す
僕とノンノは、年内に正式な婚約とそのお披露目パーティーを行うことになった。
そういうわけで今の僕たちの関係は、家族公認の恋人同士ということになる。外側だけだけれど。
いずれ名実ともにきちんとした恋人同士になれれば良い。ノンノも僕と恋愛をすると腹を決めてくれたのだし、今はこれで十分なのだろう。
それに。
『恋人……、恋人かぁ……。私もついに彼氏持ちになったのかぁ、成長したもんだなぁ』
ノンノが僕との関係について真剣に考えている声がテレパシーで伝わってくるのは、悪くない。
『最悪、恋人期間中にアンタレスに惚れなくても、結婚しちゃえば健全ゲーム強制力でラブラブ夫婦になるんだから、結果は同じだしね』
なるほど、それはいいことを聞いた。結婚してしまえばこちらのものというわけだ。
『でもどうせなら、ちゃんとアンタレスに恋したいなぁ。健全パワーに屈したくないもん!』
可愛いことを考えるノンノに、胸の奥がきゅんと疼く。
僕は隣を歩くノンノを見下ろし、優しく声をかけた。
「じゃあ、具体的な対策は?」
「そうだねぇ……」
『恋を始める……、体から始まる恋も、前世的にはありなんだけど』
とんでもないことを考え出したノンノに、僕は思わず咳き込む。
『アンタレスとしちゃうのか……私が前世でこの目に出来なかった18禁ワールドをついに現世でアンタレスと体験しちゃうのか……!
え、え、うひゃぁぁぁえっちぃぃぃぃ、無理ぃぃぃぃ!!
いや、バカ! 私のバカッ! ついに18禁の暖簾が目の前にあるんだぞ、どうして尻込みするんだ、飛び込んじゃえよ!! ドン○ホーテでチラチラ視線を向けながらも、一度も近寄れなかった前世の悔しさを忘れただなんて言わせない!! いったいあの暖簾の奥にはなにがあったのか!? やっぱり鞭!?
でもでもっ、やっぱり無理ぃぃぃぃ!! 恥ずかし過ぎる!!
うわぁぁぁあん、意気地無しっ、私のヘタレーー!! どうして肉欲に溺れられないのぉぉぉ!!』
ノンノは性的好奇心と羞恥心で板挟みになり、真っ赤な顔で僕を見上げたり、目線を逸らしたりを繰り返す。
そんな可愛い彼女にあてられて、僕も体がじわじわ熱くなる。
額にキスしただけで腰を抜かすくせに、なんで妄想だけは一人前なんだノンノは。ノンノの心の声を真に受けて手を出したら、きっと彼女は気絶する。
そもそも、婚前交渉なんてしていいわけがないのだけど。
「もういいよ、ノンノ。やめて、考えないで、お願いだから。煩悩を鎮めて」
「どうしようアンタレス、私、煩悩を鎮めたことなんてないよぉ……」
「知ってるよ……」
それはもう、出会った時から知っている。
「……ノンノ、今は子猫の里親探し中でしょ。こっちに集中しよう」
「はい……」
僕たちは今、休憩時間中の校内を、エジャートン男爵令嬢が保護した子猫の里親を探すために歩き回っている。
最初ノンノは、里親募集の張り紙を校内に貼らせてもらおうと思っていたが、どう考えても僕の能力を使った方が早い。猫が好きな人や、小動物を飼いたいと考えている人を見つけて、直接声をかけていけば、そのうち本当に飼える人が見つかるだろう。
このテレパシー能力をノンノ以外に知らせるつもりはないので、エジャートン男爵令嬢とは別行動している。彼女も『私が居たら、お二人のお邪魔になってしまうかもしれないもの。私は私で子猫ちゃんの新しい家族を探しましょう!』と頑張っていた。
「早く子猫に里親を見つけてあげないといけないもんね。スピカちゃんちのおばあちゃん猫のためにも」
「そうそう」
ノンノと僕はなんとか気持ちを切り替え、里親探しに集中した。
▽
子猫の里親を見つけたのは、結局、エジャートン男爵令嬢だった。
「しらみ潰しに声を掛けていたら、こちらのプロキオン様が子猫ちゃんを引き取ってくださることになったんです!」
次の日の放課後に、エジャートン男爵令嬢は僕らの前に一人の男子生徒を連れて来た。
僕は思わず息を吞む。
こうして間近でお会いしたのは初めてだったが、彼の噂ならもちろん知っていた。一学年上のプロキオン・グレンヴィル公爵令息ーーー通称『呪われた黒騎士』だ。
腰まで届くほど長い黒髪を結いあげたグレンヴィル様の、冷たさを感じさせるほど整ったお顔の左半分には、禍々しい黒いアザが広がっている。
グレンヴィル様が生まれたときからあるアザらしく、近寄ったら移る病だとか、彼の魂ごと呪われているのだとか噂されていて、いつも人々から避けられていた。そしてグレンヴィル様も自ら人に近付くことはなく、騎士の鍛練に精を出されているご様子だった。
そんな恐ろしい噂のあるグレンヴィル様にも腰が引けるが、なんの含みもなく彼の隣に立っていられるエジャートン嬢にも、僕は思わず後退りしたくなった。
『あ、攻略対象者のプロキオン・グレンヴィルだ』
ノンノが暢気に彼を見上げ、突然乙女ゲームの知識を思い浮かべ始める。
『プロキオンは生まれつき呪いにかけられているんだけど、それは負の感情を抱くと体の左半身に鋭い痛みが走る呪いなの。だから騎士の訓練で心と体を鍛えて、なににも動じない人間になろうと頑張っているの。
でも実はこの呪いは超ご都合主義で、心から愛する人とキスをすることで呪いは解け、アザも痛みも消えちゃうんだ~。だからみんなが噂してるみたいに感染ったりはしないんだよね。
スピカちゃんがぼっちのプロキオンと仲良くなって、孤独を癒してくれるんだよ』
ノンノは心の中で僕に説明すると、『プロキオンはたしか天然キャラで面白かったはず』と迂闊にも彼らに近付こうとする。
「グレンヴィル様が子猫を飼ってくださるのですね。良かったですね、スピカ様……」
僕はノンノの腕を掴んで引き止めた。
ノンノが『どうしたんだい、アンタレス君や?』と僕に視線を向ける。
僕は小声で囁いた。
「あまり友好的に接しないで。もしエジャートン嬢より君の方が先に、グレンヴィル様の孤独を癒しちゃったらどうするつもり?」
「あぁ……転生令嬢がよくやっちゃうやつ」
「君も僕にやったでしょ」
「あー……」
『そんなこともあったかなぁ』とノンノは適当に頷き、友好的な笑みを取り下げた。代わりに、グレンヴィル様に怯える数多の令嬢達と同じように、距離を置いた。それでよし。
僕はノンノの前に出ると、グレンヴィル様と視線を合わせた。
恐ろしい見た目だが、ノンノのお陰で冷静に観察することができた。アザが目立つけれど、その紫色の双眼は澄んでいた。
グレンヴィル様の心の声が聞こえてくる。
『バギンズ伯爵令息とジルベスト子爵令嬢か。昔飼っていた金色の毛並みの大きな“モジャ”と、薄茶色の小さな“モジャモジャ”を思い出すな……。懐かしい』
犬なのか猫なのかウサギなのか、もしくは馬の話なのか。まったくわからないが、動物に愛情深い人らしい。……そういうことにしたい。
こうして子猫の里親探しは無事に終了した。