8:ノンノの家族と求婚と
ついに、アンタレスが求婚に来るとか言っていた休日がやって来てしまった。
アンタレスから求婚の手紙が我が家に届いてからずっと、ジルベスト子爵家全体が浮わついている。
お城で働いている父も即行で休暇届けを出し、刺繍の先生をしている母も予定を断り、普段は乳母と一緒になって姪っ子を育てている姉(私より六歳年上の二十二歳)も求婚に立ち会いたいと言って、それはもうはしゃいでいる。
姉のはしゃぎようは酷かった。
二、三日前の真夜中に突然私の部屋にやって来たかと思えば、ストールでぐるぐる巻きにされた謎の物体を渡してきた。
「これは一体なんでしょうか、お姉様?」
「私の本よ。ノンノにはまだ早い知識もあるので、とっても驚くかもしれないわ。でも、あなたもちゃんと知っていた方がいいと思いましたの」
勿体ぶった言い方に、私のスケベレーダーはピンと反応した。
もしや閨関係のすごい本じゃなかろうか? 私が見つけた小学生の保健体育の教科書以下の本はきっとカモフラージュで、実はとんでもないものをご婦人達は秘蔵していたのかもしれない。
大興奮で顔の血色がよくなる私を見て、姉も恥ずかしそうにはにかんだ。
「あなたの参考になれたら嬉しいわ」
「ありがとうございます、お姉様! お姉様大好きっ!」
「うふふ、私もノンノが大好きですよ。あなたがお嫁に行ったら、寂しくなるわねぇ……」
姉の言葉を右から左に聞き流し、私はストールの中から姉の本を取り出した。
「お父様には見つからないようにね?」
ーーーピーチパイ・ボインスキーの女性向け本だった。
「恋愛の極意が分かる本ですよ」
嘘を吐け!!!
作者の私が恋愛のレの字も分からないというのに、この本から一体どんな極意が読み取れると言うのか……っ!!!
そんな悲しい出来事があった。
ほかにも、現在領地へ視察に行っている義兄(姉の旦那)から応援の手紙が届いたり。
侍女たちは大掃除のときにしか手を出さない箇所までピカピカに磨きあげ、執事が入念にチェックしている。いつも市場でセクシー大根を見つけたら買ってきてくれる料理人や、御者や庭師まで、それぞれの仕事を妙に張り切っている。
なんだかめちゃくちゃ恥ずかしい。
廊下を歩くだけで、みんなが微笑ましい眼差しを私に向けてくるのだ!
「まぁまぁお嬢様ったら、在学中にご求婚とはお熱いことで。きっと、学園にはバギンズ様よりも素敵な方がいらっしゃらないと実感されましたのね」
「やっぱりバギンズ家のご令息とご結婚することになりましたね。絶対そうなると思っていましたよ、俺」
「まぁでも、長く待った方ですよね。なにせ十年もご交流がありましたし~」
まるで幼い初恋を一途に温め続けた幼馴染みカップルが、ちょっと気が早いけれど学生の間に婚約することになった、みたいなラブストーリーをみんな勝手に想像してるよね?
全然違うよ?
アンタレスはつい最近私に恋を自覚したって言っていたし、私はまだ幼馴染みから卒業するのにびびっているよ!
そう、びびっている。びびっているのである。
実はもうすでに三十分ほど前に、バギンズ伯爵家の馬車がうちに到着している。
私は自室で待機しているが、家族はすでにアンタレスと客間で求婚に関する話し合いをしているのだ。
あれか、「お嬢さんは必ず僕が幸せにします」みたいなことを今アンタレスは言っているかもしれないのか……。
「ふぅーー……」
私はコルセットと大量のパッドによって寄せあげられた不自然な胸の谷間に手を置き、気持ちを落ち着けるために深呼吸する。
普段はセクシー下着だけれど、正装の時はコルセットをしなければならないのでテンションが上がらない。「アンタレス様相手に小細工など通用しませんわよ」と侍女に訴えたのに、がっつり三枚ずつパッドを入れられたので、なんかもう胸部装甲って感じだ。銃弾でさえ、このぎっちぎちの固い綿の塊には貫通しないかもしれない。むしろ跳ね返せるのでは? ちなみに私は、防御力の高いフルアーマーのイケオジより、いったい何から身を守れるのか問いただしたいビキニアーマーのお色気お姉さんが好きである。
本日の服装はなんか薄緑色の清楚なドレスだ。エメラルドグリーンの花の刺繍がいくつも付いている。たぶん母が趣味をかねて「アンタレス君カラーのお花を刺しちゃいましょ」と刺繍を入れてくれたのだろう。
私はお色気お姉さんドレスが着たいけれどまったく似合わない。儚い外見に合わせた清楚系ドレスを選ぶのは実につまらないので、基本的にドレス選びは家族や侍女に任せている。もういっそ、ビキニアーマーがトレンドにならないかなぁ。
そんなことを考えてウダウダしていると、侍女が「旦那様がお呼びです」と呼びに来た。ニヤニヤ顔をやめて欲しい。
▽
この国の貴族の結婚は、政略結婚と恋愛結婚が半々である。
そして恋愛結婚でも、当たり前に両家の承諾が必要である。
だいたい学園在学中や卒業後の夜会などで出会い、恋人関係になると、お互いを両親に紹介する。両親のお眼鏡にかなうと、求婚の許可が下りる。そして両親立ち会いのもとプロポーズをするという流れなのである。
見届け人が必要なんだろうけど、親の前でプロポーズを受けなきゃならないのって結構恥ずかしいよね……。
うちなんて姉も立ち会う気満々だし。
まぁ私も、義兄が姉にプロポーズするときはガッツリ立ち会いましたけれど。だって見たいじゃんねぇ? 人のサガだよ!
そして当事者になった途端、見られたくないのも人のサガですなぁ。
侍女と共に客間へ向かうと、私以外の役者はすべて揃っていた。
いつもお城で朝から晩まで忙しく働いていて、最近は真夜中か早朝にしか会えない父が、ぴしりと正装をして立っていた。
私は父の部署とかはよく分からないのだけれど、国に流通する商品の監察をしていると以前聞いたことがある。穀物に粗悪品が混じっていないか、子供の玩具が危険なものではないか、耐久性がしっかりしているか、そういうことを調べているらしい。
そんな働き者の父だが今日ばかりはチョビ髭まで艶々と輝き、晴れの日を祝うような笑みを浮かべている。私を見る眼差しは愛情に満ち溢れており、もうすでに嫁に出す心境なのか、瞳が若干潤んでいた。
「ノンノ、こちらにおいで」
「はい。お父様」
母と姉も、父のすぐ側に立ち、私に優しく微笑んでいる。
客室にはもちろんバギンズ伯爵夫妻もいらっしゃって、夫人など瞳を輝かせながら私を見つめていた。
そして父に促されて移動した客室の真ん中には、ビシッとめかしこんだアンタレスが立っていた。
淡い金髪が輝き、エメラルドグリーンの瞳を甘く細めて私を見つめる。その両腕には溢れんばかりの赤い薔薇の花束が抱えられていた。
彼が私の名を呼ぶ。
「ノンノ・ジルベスト子爵令嬢」
「……はい」
私の心は揺れている。それをもちろんアンタレスも知っている。
これが幼馴染みの延長線にある、友達みたいな関係の夫婦なら、私だって悩まずにここに立てただろう。
恋愛……、恋愛ってなんなんだ。スケベなことにばかり目が向いていたから、全然恋愛が分からない。
でもそんなスケベ女子の私にも、分かっていることはいくつかある。
それは、アンタレスほど私を理解してくれる相手なんて、この世界にはどこにも居ないということ。
一緒に居ても気後れしなくて、私らしくのびのび出来て、「ありがとう」も「ごめんね」もお互い躊躇わずに言える相手だということ。私のことをちゃんと大切にしてくれると、信じられる人であること。
そして私も、アンタレスの手を振り払いたくないと思うくらい、彼が大切だということ。
「僕アンタレス・バギンズは、あなたを心から愛しています。この先の人生をあなたと共に歩む幸福を、どうか僕に与えてください。ーーーノンノ・ジルベスト令嬢に結婚を申し込みます」
アンタレスが跪き、私に薔薇の花束を差し出した。
私に断る気がないことを心の声で知っているはずなのに、アンタレスの瞳には懇願の色があった。
私は花束に手を伸ばす。
恋愛は全然分からない。アンタレスが望む恋情を返せるのか、と迷う気持ちはある。
だけどもう、どうでもいい。
アンタレスが男として愛してって言うんだから、愛するよ。
好きか嫌いの二択ならもちろんアンタレスが大好きだよ。告白してもらえて嬉しいし。結婚だってきっと余裕、恋愛だってしてみようじゃありませんか。腹をくくりましょう。
「求婚をお受けします、アンタレス様。私ノンノ・ジルベストは、あなたを愛し、共に生きます」
私が花束を受けとると、アンタレスは跪いた体勢のまま、力が抜けたように笑った。
外堀を埋めまくって囲い込んだ悪い男のわりには、可愛い笑顔を浮かべるじゃないか。
ジルベスト家とバギンズ家のみんなから祝福の言葉をたくさんもらって、私たちは幼馴染みの関係から、婚約予定の恋人同士という形に変わることになった。