69:ノンノ、透明人間になった⑤
ベガ様をスカートの中に隠して倉庫から脱出すると、なんと、こちらにやって来るノース公爵家の騎士たちの姿が遠目に見えていた。
きっとアンタレスが急いでノース公爵家に連絡してくれたのだろう。良かった、これで一安心だ。
騎士たちが突入する頃にはファビュラスさんとマーベラスさんのお仕事も終わり、半殺しの目に遭って抵抗できない海賊たちを捕縛して終わるのだろう。健全強制力で。私の永遠のライバルなだけあって、やはり手強い奴だな。
私はスカートを持ち上げて、ベガ様の透明化を解いた。
喉の調子を整え、色っぽい声を出す。
「さぁ、あとは一人でノース公爵家の騎士様たちのもとへお行きなさい♡ 無事なお姿を早くご家族に見せてあげてね♡」
「お待ちくださいませ、ゴージャス様! 助けていただいてお礼の一つもできないなど、ノース公爵家の恥ですわ! ぜひ我が家でおもてなしをさせてくださいませ……!」
「うふふ♡ 気持ちだけ受け取るわ、お嬢さん♡」
あと数分で私の透明化も終わってしまう。騎士たちのもとまで送ってあげられなくて申し訳ないが、許してほしい。
ここで透明化が解けて女怪盗ゴージャスの正体が私だとバレてしまったら、来週から新学期が始まるのに、どんな顔をして貴族学園に通えばいいのか分からない。ベガ様と同じクラスなんだぞ。不登校になってしまう。それくらいの羞恥心はまだ私にもあるのだ。
だからさっさとここから退散したかった。
「私は世界中の美しいものを悪者から奪還する運命を背負いし、女怪盗ゴージャス! 今この瞬間も、世界のどこかで私に盗まれることを待っている宝物がいっぱいなのよ。お嬢さんとお茶を飲んでいる暇はないわ。じゃあね~♡」
良い感じに決め台詞が決まった……!
というわけで、最後のはっちゃけが終わると、ベガ様から離れる。
すたこらさっさと走り去る私の後ろで、「ああっ、そんな、ゴージャス様……!」とベガ様が叫んだ。
でも本当にタイムリミットがやばいので振り向かない。
なんとか運河の側に植えられた生垣まで走り、隠れたところで、私の透明人間化が解けた。ギリギリセーフだった。
▽
ベガ様が無事騎士たちに保護され、倉庫へと騎士たちが突入するところを生垣から見守る。
しばらくすると、ぐったりした様子の犯人たちが騎士たちの手によって連行されてきた。
だが、ファビュラスさんとマーベラスさんの姿は見当たらない。おそらく上手に逃げたのだろう。諜報員だし。
私はホッと安堵のため息を吐く。
さて、ここからどうやって屋敷に帰ろうか。
どこかで辻馬車を拾いたいのだが、私はここら辺の地理に詳しくない。辻馬車が集まるのはどのあたりだろう。
生垣から周囲の様子をキョロキョロ眺めていると。
「ノンノっ、無事で良かった! 迎えに来たよ!」
愛馬レディナに乗ったアンタレスが、私の残留思念を辿って迎えに来てくれた。
さすが私の王子様……!
「迎えに来てくれてありがとう、アンタレス~!」
「こうなる予感はしていたからね」
アンタレスはそう言って馬から降りると、すぐさま私を抱きしめた。そして額と額を重ね合わせて、じっと目を瞑り、私の心を読み始める。
別にこんなにくっつかなくても私の心は読めるはずなのだが、アンタレスも私のことが心配だったのだろう。
私もアンタレスの背中にぎゅっと腕を回し、お互いの体温を感じることで緊張感を洗い流す。
「……あぁ、うん、なるほど」
女怪盗ゴージャスの活躍と、ファビュラスさんとマーベラスさんと鉢合わせたことを読み取ったアンタレスが、ぐったりと脱力した。
アンタレスは私の肩に顔を埋め、「思ったより危険がなくて良かった……」と安心したように呟いた。
「お疲れ、ノンノ。頑張ったね」
「アンタレスもノース公爵家にすぐに救助を求めてくれたんだね。ありがとう。お疲れ様」
「僕のことは、帰りながら話すよ」
アンタレスはそう言って、レディナの手綱を引き寄せる。
レディナはアンタレスが小さな頃から飼っている馬で、アンタレスや他の人にはとても大人しい牝馬だ。
でも、私に対しては昔からとてもクールな姐御である。
今も『あなた、また迷子になったのね。まったく、いつまで経っても世話の焼ける妹分なんだから』という眼差しで私を見ている。そしてレディナは首を振り、『さっさとわたしに乗りなさい。おうちへ帰るわよ』と言うようにヒヒーンといなないた。
いつもすみません、レディナ姐さん。
アンタレスの後ろに乗り、腰に腕を回してしがみつくと、レディナはゆっくりと歩き始めた。
「それで、アンタレスの方はあの後どうしたの?」
「ノンノがノース公爵令嬢を追いかけていったあと、僕は第一発見者として近くの屋敷に助けを求めたんだ。それで倒れていた護衛たちの手当とか、ノース公爵家への連絡が思ったより早く済んでね。ちょうど登城する前の公爵閣下を捕まえることが出来たんだよ。それからすごい勢いで騎士たちを集めて、運河に向かって行ってた」
「公爵様も運河まで来ていたの?」
「うん。ノース公爵令嬢と再会したところまで見届けたよ」
「そっかぁ。ベガ様、お父様にすぐに会えて安心しただろうねぇ」
「ノース公爵令嬢が無事に脱出してきたから、その後、なんの憂いもなく掃討作戦に移っていたよ。まさか隣国の諜報員たちが犯人たちをすでに無力化しているとは思わなかったけど」
「アンタレスはお二人が諜報員だってこと、ずっと知っていたんでしょ?」
「まぁ。だけど今日、ノンノとあの人たちが鉢合わせるとは夢にも思わなかったよ」
人の心が読めるアンタレスは、私が想像しているよりもたぶんずっと多くのことを知っているのだろう。
彼女たちが諜報員だという秘密や、悪人たちが計画している犯罪、国家の重要な情報なんかも。アンタレス本人がどれほど知りたくないと思っても。
私はアンタレスのそういう重荷を子供の頃からずっと受け入れる気持ちでいるけれど、アンタレスは私が知るべきではないと判断したことは絶対に話してくれない。ずっと秘密主義だ。
でもまぁ、秘密にしたいのなら、無理に打ち明けてくれなくてもいい、とも思ってしまう。アンタレスが重荷に潰されない限りは。
だって心に秘密を抱えることは、人間に許された当然の権利なのだから。
「ノンノは僕に秘密を作れないのに、よくそう思えるね」
「私、人生二度目なので。一度目のアンタレス君とはメンタルの強度が違うんですよぉ~」
それはそれとして。
私が今いちばん気になっているのは、マーベラスさんが話していた健全強制力のことである。
「もしかして他国では、シトラス王国みたいな強制力は存在しないのかな? よく考えるとウェセックス第二王子がハーレムを持っているなんて、健全強制力があれば不可能だもんね?」
もし健全強制力が他国には無いのだとしたら、私、国外に出た方がラッキースケベな毎日を送れたのではないだろうか?
お父様に私の本を発禁されたあのときに、もし本当に国外脱出していれば……。
「もしその仮説通り、強制力の範囲がこの国のなかだけだとしても、ノンノはもう国外脱出する機会はないよ。だってノンノは僕の妻になるんだし」
アンタレスは前を向いたまま、きっぱりと言い切った。
「もしお父様が上手く立ち回ってピーチパイ・ボインスキーが国外追放されることになったら、ノンノは僕の屋敷に監禁だから」
アンタレスは本気の口調でそう言った。どうやら一瞬でも別々の人生を考えたことに対して、かなりお怒りのようである。
私の背筋が思わずゾクッと震えた。
「ごめんなさい!! ただの冗談です!! わ、私に国外脱出ルートなんてありませんよぉ~! お父様大好きな私が、お父様を泣かせるようなことをするわけないじゃないですかぁ~!」
「どの面下げてそんな大嘘が言えるの、ノンノ」
「ていうか、ゲームアンタレス君にも監禁ルートとか存在しないんで!! 結婚エンドとお友達エンドだけでしたよ!? ほんと、ははは、本気のトーンで言うのはやめてくださいよぉ~!! え、本気じゃないよね、アンタレス!?」
「きみがくれた、僕のえっちなお願い事を叶えるチケットの使い道にちょうどいいんじゃないかな、監禁」
「監禁は!! ちょっとサービス適応外ですね!?」
「なんでも叶えるって書いてあったけど」
「そうなんですけどぉ、そうなんですけどねぇぇぇ!? もっとハートがきゅんきゅんするようなえっちなことがいいです!!」
チケット悪用にもほどがあるだろ!?
それ、お願い事ひとつだけって言われて「叶えるお願い事の数を無制限にしてください!」って答える反則技と同じやつ!!
「ノンノ、きみが覆面作家をやろうが、透明人間になろうが、女怪盗ゴージャスになろうが構わないけれど。僕の妻になることは絶対に忘れないで」
「はいぃぃ!! 仰せのままに!!」
最後はアンタレスのヤンデレがじわっと染み出してきたが、ベガ様の誘拐事件は無事に解決した。




