68:ノンノ、透明人間になった④
ベガ視点です。
わたくし、ノース公爵家長女であるベガは、突然の事態に混乱しておりました。
貴族学園の夏期休暇もそろそろ終盤に近付いたので、本日は二学期の予習をするために国立図書館へ足を運ぶ予定でした。
図書館には資料がたくさんありますし、屋敷の中にいるとどうしてもピーチパイ先生のご本を読み返してしまうので、集中して勉強のできる環境が欲しかったのです。フォーマルハウト王太子殿下の婚約者候補のひとりに数えられているわたくしが、学園の成績を落とすわけにはまいりませんもの。
そういうわけで外出したのですが、貴族街の表通りで馬車事故が起きていました。
さいわい怪我人はいらっしゃらなかったようですが、どこかの屋敷に運ばれる予定だった大量のトマトが、真っ赤に潰れて道を埋め尽くしていました。
きっと大規模なトマトパスタパーティーでも開く予定だったのでしょうね。ですがこれでは、開催日を変更しなければならないでしょう。お可哀そうに。
「お貴族様! たいへん申し訳ねぇですが、この道は今から掃除するんで、裏通りを通ってくれ! くだせぇ!」
「仕方がありませんわね。裏通りを通って図書館へ向かいましょう」
訛りのひどい清掃人の指示に従い、わたくしは裏通りを通ることに決めました。
しかしその裏通りでゴロツキたちに襲撃され、捕らえられてしまいました。
わたくしは手足を縛られ、声を出せないように布で口元を覆われ、麻袋に包まれてどこかの建物に運び込まれました。
ゴロツキたちはわたくしをそのまま物置部屋に閉じ込めました。なんとか自力で麻袋から脱出しましたが、手足を縛るロープをほどくことも出来ず、声も出せないままです。
わたくし、これからどうなるのかしら……。
目隠しをされなかったことを考えると、ゴロツキたちの顔を見た私は、このまま生きては公爵家に帰れないような気がします。
怖いわ……。一体どうしたらいいのかしら……。
わたくしは物置部屋のどこかに脱出経路がないか、ロープを切る道具がないか、一生懸命探しました。
けれど現状を打開する希望はなに一つ見つからないまま、扉の鍵がガチャンッと開く音を聞いてしまいました。
(あぁ、ゴロツキたちにどんなひどい目に遭わされるのか、とても怖いわ……! わたくし、こんなところで死にたくありません……! お父様、お母様、フォーマルハウト王太子殿下、助けてくださいませ……!)
わたくしは恐る恐る、開いた扉の方に視線を向けました。
ですが扉の向こうには誰もおらず、ただ廊下の様子が見えるだけでした。
(あ、あら……? だれも居ないわ……?)
「うふふ♡ お困りのようね? 囚われのお姫様♡」
(どなた!? だれも居ないのに、声だけが聞こえてくるわ!?)
姿はどこにも見当たらないのに、鼻から抜けるような甘い声が聞こえてきます。若い女性の声のようでした。
「驚かないで聞いてちょうだい。私は悪い奴らからあなたを盗みに来た女怪盗よ。コードネームは……、えぇと、私のコードネームは……ファビュラスさんとマーベラスさんに似た美人っぽい雰囲気の言葉は……、『ゴージャス』。そう、私は女怪盗ゴージャスよ!」
(ゴ、ゴージャス様……? わたくしを盗みに来た? つまり、助けてくださるということかしら?)
「私は透明化の超能力者なの。あなたからは私が見えなくて不安かもしれないけれど、あなたに危害を加えないって約束するから安心してね♡」
(透明化の超能力者……、そういう方がこの国にいらっしゃるのね。カノープス第三王子殿下も霊能力者ですし、いろんな方がいらっしゃいますのね)
「じゃあ、今からロープと口元の布を外すから、動かないでちょうだい♡ ……うわっ!? なにこれ、結び目めちゃくちゃ固いなっ!? グギギギィッ!!」
(ゴージャス様のお声が、最初は甘くてうっとりするような声でしたのに、ロープの結び目をほどきだしたらごく普通の女の子の声に変化しましたわね? なんだか、教室で聞いたことがあるような……?)
「やったぁ! なんとか一つ外れた! よしっ、次は足首~っ!」
ゴージャス様はけっこう大きな声を出されていましたが、たくさんいたはずのゴロツキたちは確認にやって来ませんでした。
ゴージャス様は再び色っぽいお声で、「さぁ、私たちも巻き込まれないうちに早く逃げ出しましょう♡ 見つからないうちに♡」と言いました。
すべての拘束がほどけると、わたくしはゴージャス様にお礼を伝えました。
「ありがとう存じます、ゴージャス様。それで、これから先はどのように脱出するのでしょうか?」
「もちろん、あなたを透明化させるのよ♡」
「わたくしを透明化? そのようなことが出来るのですね! すごいですわ、ゴージャス様!」
わたくしが驚いて目をまるくすれば、ゴージャス様はさらに驚くようなことをおっしゃいました。
「じゃあ、私のドレスのスカートの中に入ってちょうだい♡」
「……え?」
「そっ、それしか方法がないから仕方がないの! お二人にバレたら絶対に厄介事になるんだから! きっと大丈夫、お互い透明人間になっちゃうから、私のスカートの中は見えないはず!!」
「……まぁ、脱出できるのでしたら構いませんわ」
こうしてわたくしはゴージャス様のスカートの中に入り、腰をかがめながら部屋から出ました。
たしかに透明になっていたのでゴージャス様のスカートの中は見えませんでしたが、わたくしの足よりもずいぶん細い太ももやふくらはぎの感触がしました。
ゴージャス様は、色っぽい声のわりには小柄な女性のようです。
建物内からは絶えず男たちの泣き叫ぶ声が聞こえ、物が壊れる音がつづき、ゴージャス様のお仲間と思われる女性たちの「さぁ、取引相手を答えなさいよ!」という声が響いていました。
けれどどうにか無事に、建物内から脱出することができました。




