61:ノンノ、廃墟へ行く⑦
妖精王とはその名の通り、妖精たちの王様だ。
シトラス王国各地には妖精たちが隠れて暮らす妖精の里がいくつもあり、妖精たちの長がその里を治めている。そしてその長たちを統べるのが妖精王である。
妖精王は妖精たちの中で最も賢く、偉大で、妖精の力が強いのだそう。王が現れればその場所には光が差し込み、心温まる奇跡が起こるのだとか。
そんなお伽話のような話を、私は小さい頃にお母様から聞いた覚えがある。
「よう、せいおう……?」
私は呆然として、廃墟に現れた妖精王を見上げる。
まさか実物とお会いする機会があるとは……。ゲームにはまったく登場しない人物なんだけど、そんな大物を呼び出すとは流石はスピカちゃんである。
妖精王は今にも薔薇の花を片手に涙を流し出しそうな雰囲気の、薄幸系美形だ。
白い頬には長いまつ毛の影が落ちている。そして髪と同じ焦げ茶色をしたその瞳は思慮深そうで、世を儚むような寂し気な微笑みを浮かべていた。
妖精王はスピカちゃんに視線を向け、彼女の手にある護符を見て頷いた。
「妖精たちの夏祭りに参加した人間が『妖精王の護符』を受け取ったと、あちらの長から聞いております。あなたが護符を使ったのですね」
ゆったりとした口調で妖精王が語り掛ける。
その美しいテノールは、このおんぼろ廃墟にはまったく似つかわしくない声だった。なんていうか、森の奥で小鳥に「今日も素敵な歌声だね」とか話しかけていても違和感がない感じ。
スピカちゃんは護符をキュッと握りしめ、大きく頷いた。
「はいっ、私がこの護符に助けを求めましたっ! お願いです、妖精王アルベリヒ陛下! バギンズ様をどうかお助けください!」
そう言って頭を下げるスピカちゃんを見て、私も姿勢を正す。今はアンタレスにしがみついてメソメソ泣いている場合じゃない。
私は涙を拭い、妖精王に懇願した。
「アルベリヒ陛下、私ノンノ・ジルベストからもお願いします。幽霊が取り憑いてしまったアンタレス様をお助けください! 彼を助けてくださるなら、なんでも差し上げます!」
私は床に手をついて土下座する。
妖精王からどんな見返りを望まれてもいいから、アンタレスを助けてほしかった。
モブから話しかけられたことに驚いたのか、妖精王は私を見て目をまるくした。
「私プロキオン・グレンヴィルからもお願い申し上げます。友人を助けてください」
「カノープス・ギールグッドからもお願い申し上げます! 妖精王アルベリヒ陛下、どうか彼の体の中から悪霊を追い出してください!」
「あ、私はスピカですっ! スピカ・エジャートンですっ! 申し遅れましたっ、アルベリヒ陛下!」
この場にいる全員がつぎつぎに頭を下げると、妖精王は表情を変え、「ふふふ」と柔らかな笑い声を零した。
「……人間の世界も、まだ捨てたものではなかったのかもしれませんね。まぁ、今さらですが」
妖精王は独り言を呟いたあと、「顔をお上げなさい。人間の子らよ」と私たちに話しかけた。
再び見上げた妖精王は、やはり寂し気な笑みを浮かべていた。
「きみたちは『妖精王の護符』を正当な手段で手に入れたのだから、見返りなど要りませんよ。ただ一度だけ得られる私からの奇跡を、その青年のために使いたいと言うのならば、私はそれを叶えて差し上げるだけのことです」
妖精王が手を振ると、空中から王笏が現れた。
王笏にはみずみずしく咲く花や、色とりどりの木の実、艶やかな葉っぱが巻きついている。大自然で暮らす妖精の王に相応しいものだった。
妖精王はアンタレスに近付く。
そして藻掻き苦しむアンタレスの体の上で、王笏を振るった。
あたたかな光がアンタレスの体に降り注ぐ。
「うぁぁぁぁぁっっっ!!」
《きゃあぁぁぁ!!》
アンタレスは一際大きな声を上げたかと思うと、そのまま気を失った。
そしてその体の中から、霊子ちゃんがポーンッと弾き出される。
「アンタレス!! 大丈夫っ、アンタレスっ!?」
《せっかく取り憑いてやりましたのにっ! わたしを弾き出すなんて!》
ぐったりと目を瞑るアンタレスは疲れ切った様子だったが、頬に血色が戻っていた。静かな寝息を立てている。良かった、もう苦しくなさそう。
私はアンタレスを抱え込んでホッとしていると、妖精王が霊子ちゃんと対峙した。
「初めまして、幽霊のお嬢さん。おやおや、生前のあなたは悪徳商家の生まれの我儘なお嬢さんだったのですね。ふむふむ。それでお父様が逮捕されそうになった時、夜逃げしようとしたけれど、慌てていたせいで階段から落ちて亡くなったのですね。なるほど、ひどい人生だ。やはり人間という生き物は愚かしいですね。私を深く失望させます」
《なっ、なんでっ!? どうして、生前のわたしのことを知っているのよっ!?》
「妖精王ですから。私はその気になればこの世界のすべてを知ることが出来ます。全知全能なのですよ。まぁ、私も人間のことなど知りたくもないのですが。人間ほどおぞましい生き物を私は知りませんね、ふふふ」
妖精王はそう言ったあと、「ですが今日は少しだけ、人間もそう悪い者ばかりではないのかもしれない、と思いましたけれど」と、薄い唇を笑みの形に持ち上げた。
「さて、幽霊のお嬢さん。この地上にはもうすでに、あなたの居場所はありません。どうぞ、あなたが本来行くべき場所へとお行きなさい」
《いやぁぁぁぁ!!!!》
霊子ちゃんは慌てて部屋から逃げ出そうとしたが、妖精王がもう一度王笏を振るうと、まっ白な光に包まれた。
そして一瞬で彼女は消えた。とてもあっけない終わりだった。
「よ、妖精王アルベリヒ陛下……! アンタレス様を助けていただき、心より感謝申し上げますわ……!」
私が慌ててお礼を言うと、妖精王はポンと私の頭に手を置いた。
「良いのですよ、ノンノ。……わが姉フローラの娘よ」
はい????
フローラは私のお母様の名前だが?? 姉??
私が呆然と妖精王を見上げると、彼はへにょりと眉尻を下げて、困ったような微笑みを浮かべた。
「私はあなたの叔父です」
「ひょええええええ!?」
「おや。フローラお姉様の子にしては無様な声を出す娘ですね。下品ですよ、ノンノ。これだから人間は……」
え~と、つまり妖精王アルベリヒ陛下は、お母様の失踪した弟だったらしい。
どうりで、なんだか見たことのある儚げ美形だと思った。
母方の実家であるローズモンド子爵家は、男性も女性も「次の桜の花が咲く時、私は生きていられるかしら……」とか病室で言いそうな系統の顔なのである。私もだ。
それにしてもアルベリヒ叔父様、妖精王になっちゃってたのか……。だから夏祭りの時に、妖精たちが私に親切にしてくれたわけだよ。
妖精界で俺tueeeeでもやっちゃったんですか、アルベリヒ叔父様?
「みなさん、私の姪っ子をどうぞよろしくお願いいたします。仲良くしてあげてくださいね。では、さようなら」
世を儚むような微笑みを浮かべたアルベリヒ叔父様は、来た時と同じく光に包まれながらその場を去っていった。




