59:ノンノ、廃墟へ行く⑤
幽霊のぼんやりとしたシルエットは、なんとなくドレス姿の女性に見える。この部屋が幽霊の生前暮らしていた場所だとしたら、インテリアの雰囲気から私たちと同年代の少女かもしれない。
「きっとスピカ先輩たちには幽霊の姿がハッキリ見えていないよねぇ? ちょっと待っててね~」
カノープス王子はのんびりとした口調で言いながらも、胸の袂から銀色のケースを取り出す。そしてケースの中に入っていたキラキラ光る粉を、幽霊の方向へと投げつけた。ラメかな?
ラメみたいな粉を浴びた幽霊は、曇っていた窓ガラスを拭いたようにその姿がはっきりと見えた。
ココアブラウン色の髪をした十代の少女で、可愛らしいエプロンドレスを着ていたが、顔の造形はよく分からない。長い前髪で目隠れ状態なのだ。いかにもモブっぽい感じ。かわいそうだから名前を付けてあげよう。……うん、霊子ちゃんだな。
霊子ちゃんは怒った表情をして、こちらを指差した。
《どうして、どいつもこいつも怖がらないんですの!? わたしがこんなに恐怖を演出して差し上げましたのに!!》
霊子ちゃんの声はノイズ混じりだったが、ちゃんと聞き取ることが出来た。どうやら私たちを怖がらせたかったらしい。愉快犯のようだ。
私は合わせ鏡などにちょっとビビりましたが、あれって別に霊子ちゃんの仕業じゃないしな。廃墟の作りのせいですね。
他のメンバーも、驚きはあっても恐怖心は見せなかったような気がする。
「さて、この幽霊をお祓いすればボクの今日の修行は終了だね~。玄関ホールで倒れたままの護衛騎士たちも早く医者に見せてやりたいしぃ」
ミントグリーンの髪をふわふわ揺らし、カノープス王子がロザリオを持って前に出る。王子の可愛らしい顔も、お祓い対象である霊子ちゃんの前ではキリっと引き締まって見えた。
「天界におられる偉大なる主よ、カノープス・ギールグッドの名のもとに祓いの力をお貸しください!!」
《だれが祓われてやるものですか!! このクソ神官め!!》
霊子ちゃんのココアブラウン色の長い髪が逆立つ。けれど不思議と目元は隠れたままだ。
彼女を中心に、周囲の重力がめちゃくちゃになっていく。天蓋付きベッドが天井近くまで浮かび、一人掛け用のソファーが壁にぶつかって大破し、クッションや壊れたぬいぐるみが空中をびゅんびゅん飛び交う。
《さぁ、お前たちもわたしのおもちゃよ!! 空中をぐるぐると舞って、天井や壁に頭や手足をぶつけて壊れなさい!!》
もちろん私たちも霊子ちゃんの能力に引きずられ―――……ない。
霊子ちゃんの力を向けられても、私たちの足はちゃんと床についていた。
《いったい、どういうこと!? わたしの偉大な力が効かないなんて……!?》
「その原因はこれですわ、霊子ちゃん!」
私は『お清めの塩入り聖水スプレー(恋が叶うホワイトフローラルの香り)』を掲げて見せた。
これがバリアの役割を果たしている間は、私たちに霊子ちゃんの力は効かないのである。
作ってくれてありがとう、今は世界を行脚中だという、まったく知らない神官さん。あとちょっとしかボトルに残っていないんだけどね。
「カノープス殿下、今のうちに霊子ちゃんを祓ってください!」
「ありがとう~、ジルベスト先輩。でも霊子ちゃんって名前、なに?」
さて、問題はここからである。
カノープス王子が『ひとつだけ願いが叶う石』がなくても、霊子ちゃんをお祓いできるかどうか。
聖水スプレーのバリアがある分、ゲームよりはカノープス王子にも余裕があると思うのだけど……。
「祓いの力よ! おぞましき悪霊を祓い清めよ!」
《その程度の力でわたしが消えるとおもわないでよねぇぇぇ!!》
カノープス王子が掲げるロザリオから放たれる聖なる光と、霊子ちゃんの全身から吹き出される邪悪なオーラがぶつかり合う。反発する力から火花がバチバチと飛び交い、バトル漫画みたいな状況になっている。
「頑張ってくださいっ、カノープス殿下! 殿下ならきっと幽霊をやっつけることが出来ますからっ!!」
「両者、凄まじい闘いだな」
「ノンノ、危ないからもう少し下がって」
「うん」
バトルの端っこで花を添えるスピカちゃんと、解説のプロキオン、そして警戒態勢を崩さないアンタレス。この三人を守るためにも、私はとりあえず聖水スプレーをプシュプシュし続けた。
霊子ちゃんの力は強く、カノープス王子の祓いの力が徐々に削られていく。
しかし、そのたびにスピカちゃんが「カノープス殿下! ファイトですっ!」と応援すれば、カノープス王子の力は持ち直した。やはりヒロインの応援には、攻略対象者をパワーアップさせる力があるんだね。
そのままスピカちゃんの応援の力で、カノープス王子が霊子ちゃんを祓うことが出来るといいのだけれど……。
▽
そして私の聖水スプレーの中身が尽きた頃。
カノープス王子と霊子ちゃんの力は同時に掻き消え、二人揃って床へと崩れ落ちた。
「はぁ、はぁ……っ! なんて邪悪な幽霊なのぉ……。もう、ボク一人ではお祓いは無理みたい。一度大聖堂に戻って、助けを呼ばなくちゃ……!」
やはり『ひとつだけ願いが叶う石』がなければ、イベントをクリアすることは出来なかったか……。本当に申し訳ない。
この状況ではカノープス王子の一時撤退の判断が一番正しいのだろう。
とても心苦しいけれど、わたしが持っている聖水スプレーも使い切ってしまったし。
《悔しい! 悔しい! お前たち、わたしのおもちゃのくせに生意気よ! ……だけどもう、遊ぶ力がほとんど残っていないわ》
霊子ちゃんはギリギリと歯軋りする。
しかしすぐに、《そうだわ! いいことを思いついたわ!》と、ニンマリと笑った。
《この中でいちばん邪悪な心を持つ人間に、取り憑いてやりますわ! それくらいの力なら、まだわたしに残っていますもの!》
な ん だ と 。
霊子ちゃんは最後の力を振り絞り、空中へと浮かびあがる。
そして他の人間に脇目を振ることもなく、私の方へとまっすぐに飛んできた。いや~ん。




